柴田亜美作品

逆転裁判

NARUTO

突発。
(1作品限り)

オリジナル
(シスターシリーズ)

オリジナル



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遠い空を眺めていると
たまに、そこまで飛んでいけるような気持ちになった。
高い崖の上から駆け降りて、
大きくジャンプをしてみれば
そのまま天高く飛び上がり、空の向こうへ行けるような
そんな気持ちに。

今もその思いに変わりはないけれど
それでもきっと
あの時思っていてものとは別のものを
ただ思って空を見上げる。
遠く高く、とても飛び上がれない、悲しい空。





それでも。



 草原には心地よい風が吹いていた。歩む道には色とりどりの木の実がある。
 気もそぞろにあちらこちらを物珍しく見上げる。こんなにも遠くまで歩いてきたことはなかった。全てが珍しく、気持ちが昂ってしまう。
 自分達の立場を忘れたわけではないけれど、それでも楽しくてしかたがない。大好きな友達とずっと一緒にいられて、それを咎められることに怯えないでいい、なんて。
 ………そんな当たり前のことだけを願っていた自分の子供っぽさに思わず吹き出してしまいそうになる。
 スキップをしそうな気持ちで空を見上げると、赤や黄色に縁取られた先に澄んだ高い空が見えた。その色はずっと昔から変わらなかった。時間も場所も関係なく、空の美しさは永遠だ。
 ふとそんなことを思い見上げた空に釘付けになる。歩くことを忘れて空を見つめると、数歩先に進んだ狼が不思議そうに振り返った。
 「どうしたでやんすか、メイ?」
 きょとんと、狼とは信じがたいとぼけた顔で自分を見つめる友達の声に視線を落とし、にっこりと山羊が笑う。軽快な歩調で狼の隣まで歩み、明るい声を返した。
 「いいえ、何でもないんですよ、ガブ」
 「そうでやんすか?あ、もしかして疲れたとか?」
 朝から休みなしでずっと歩いていたかと狼は空を見上げて太陽の位置を確認する。そろそろ休憩してもいい時間帯だろうことは伺えた。肉食の狼よりも草食の山羊は体力面でどうしても劣るし、食事の量もまた、それなりの回数を必要とする。
 一度食べれば数日食べなくても動ける自分達との違いを知ったばかりの狼は、気付かなかったことに申し訳なさそうに情けない顔を山羊に向けた。
 しゅんと項垂れた狼にどうやら自分が無理をしていたと勘違いされたことに気付き、慌てて山羊が頭を振った。狼には珍しい人の良さを愛しいと思ってはいるが、どこか彼のそれは的外れな時がある。
 傷付かなくてもいい時に深く傷付いてしまうのだ。特に群れの仲間から逃げ出し、こうして追われる身となってからそれは顕著だ。………おそらく狼である彼が処罰されることはあっても、山羊である自分は巻き込まれたに過ぎないと、そんな風に考えているせいだろう。
 彼の中ではいつだって己が罪あるもので、自分はそれに巻き込まれた哀れな殉教者だ。ひどく自分を清らかなものに摺り替えて、守るべき大事な存在に思っている。
 それが嫌だとはいわないけれど、そんなにも己を卑下するための材料にしなくてもいいと思う。そんな風に思っている彼自身を、自分は選び一緒に生きようとしているのだから。
 隣にある、項垂れた狼の顔を山羊は覗き込む。自然界であればあり得ない光景だ。それが自分には許されている。それは少しの優越感と多大な信頼を自分に与えてくれる。
 他の誰でもない、この狼だけが自分にくれるものだ。絶対的な好意も、裏切られることのない信頼も。何もかもを与えても惜しくないほど一心に思ってくれるのだ。………こんな友達、一生のうちに手に入れられるかどいうかなど、解らないほどだ。
 情けない顔をさらしたままの狼に笑いかけ、山羊は首を傾げる。どうかしたのかと目を瞬かせながら。
 「ガブ?川の音がしますよ、もう少し先まで行きましょう」
 まだ歩くことは辛くないと笑い、そんな風に萎れる理由もないのだと明るい笑顔で沈んだ物思いを打ち消す。棘のない声に安心したように狼は顔を上げ、朗らかな…いつものとぼけた顔で笑って歩き出す。足下に石があるとか、少し坂になっているから気をつけてとか、吹き出してしまいたくなるような過保護な様子で。
 確かに山羊のテリトリーは狭いけれど、山はどこも似たような危険がある。野生の中生きてきた自分にも、当然それらを回避すべき学習能力も機智もある。悪くすれば相手の実力の全てを否定しているともとれるその仕草は、けれど滑稽なほどの優しさだ。
 自分よりも弱いと知っているからどうすればいいのか解らず、全ての危険から守らなくては不安で仕方ない、そんな滑稽さ。
 そんな狼の様子に苦笑し、山羊は特に否定も拒否もせずにその手を取って先へと歩む。
 彼は狼の群の中では異端なくらい性根が優しくて、山羊である自分が傍にいることが心地いいと思えるほどだ。本来であれば、彼はもっと幼い頃に死に絶えていても不思議はない。自然界ではそれが当たり前だ。淘汰されなくては種の繁栄もまた、ないのだから。
 種族としての特性を獲得できなかったものが生き延びられるほど、甘くはできていない。そう考えれば、彼が己の群れの長に憧れを抱くのも解らないわけではない。………正直に、それを快く思えない自分がいることは確かだけれど。
 もっとも、だからといって彼にその理由を伝える必要もないだろう。自分の母親を食い殺したものを憧れないでなんて、女々しいことだ。自然界の掟を知らない赤子ではないのだから。
 自分達がこうして一緒にいるということが、本当であれば異質であり、あり得ないことだ。母親と同じ運命を辿るはずが、どういった星の巡り合わせか、自分は助かった。それだけのことだ。
 それ以上を願い求めるのは分不相応だろう。…………そう、見上げた空を隠すようにまっすぐに前を向いて山羊は歩く。隣を歩む狼に遅れないように、少しだけ早歩きで。
 川のせせらぎがはっきりと聞こえてくる。それに互いに目を合わせて笑い、少し駆け出して川を目指した。
 生きる中で欠かせない水の確保と同時に、自分達の匂いを消すための格好の場所だ。
 またしばらく川に沿って先に進み、山を目指さなくてはいけない。水の中は森を歩く以上に体力を消耗するが、それは仕方のないことだ。同じ条件で歩くこの優しい友達が、たまに自分を背負って歩こうとするのを阻止するためにも頑張らないといけない。
 川の中に飛び込み、狼は辺りを見回す。風に追っ手の匂いはなく、川の中に異常もない。水に伝わってくるのは清々しい心地よさだけだ。
 安心して手を山羊に向け、滑り落ちないように川に導くと、ふと狼の視点が一点で止まった。川の中に入り込んだ山羊がそれに気付き、顔を上げる。
 「どうかしましたか?」
 問いかける声は無邪気だった。どこを見つめているのかと同じ方に山羊も目を向ける。
 そこには先ほど山羊が見上げた、澄んだ高い空が見えた。遠く……幼い頃に飛べるのではないかと無茶をしてはおばあちゃんを驚かせた、高い空。
 吸い込まれるようなその色に狼が声もなく見入っているのを見上げ、山羊は小さく苦笑した。
 花を探してくれたり木の実を採ってくれたり、自分のために四葉のクローバーを見つけてくれたり。
 ………こんな風に、自分が見入ったものと同じものに心奪われてくれたり。
 まるでびっくり箱のような狼だ。山羊の自分と同じものを見てくれる、その不思議な目。
 「…………秋の空って、綺麗ですよね」
 「そうでやんすね、なんだか吸い込まれそうっす」
 「私、昔は飛べるんじゃないかなって思ったんですよ」
 感嘆の溜め息とともに呟いた狼に、楽しそうに山羊が返す。ぴちゃぴちゃと水をはねさせながら川を歩んだ。それを追うようにゆっくりと歩みながら狼が続きを求めるように目を向ける。
 それを受け、殊更に明るい様子で山羊は言葉を継いだ。………少しでも、その音が悲しみに濡れないように。
 「小さい頃、崖からジャンプして、そのまま空の先に行けるんじゃないかって。試す度におばあちゃんやタプに叱られました」
 まあ当然ですよねと笑う山羊の顔は前を向き、少し後ろを歩く狼には見えなかった。ただその様子や声は本当に他愛無い話を楽しそうに示すようで、狼は首を傾げる。
 「でも、行きたかったんじゃないんすか、空の先」
 笑って誤摩化しても、その中にある切実さは消せない。どこに行きたかったかなんて曖昧なものに形を与えることを求めはしないが、どこかに行きたかったその気持ちだけは本物なはずだ。
 そしてそれを理解されない悲しみもまた、本物だ。それだけははっきりと狼にも解る。
 おかしな行動だと笑われても、その種族に似合わないと(そし)られても、考える自分と傷付いた自分は確かに解る。言葉に変えられない思考よりもずっと深くそれは刻まれる。
 真摯な声に惹かれ、山羊が振り返る。首を傾げた狼は、どうかしたのだろうかと不思議そうに自分を見返していた。
 多分その言葉の意味も、与えられた喜びも、彼は解ってはいないだろう。
 心配してくれるのは嬉しかった。でも、たった一言でいいから、同意を与えてほしかった。同じだよと、笑ってほしかった。自分一人ではないと、そう思わせてほしかった。
 「メイ?」
 何も答えない山羊に何か間違えたかと不安そうにその名を呼べば、相手はにっこりと嬉しそうに笑った。
 そうして、なめらかなその声で優しく音を紡ぐ。
 「そうですね。でも、今は行かなくて良かったと思いますよ」
 「なんででやんすか?」
 目を瞬かせて不思議そうに問い返せば、山羊は嬉しそうに微笑んだ。尊いものを見つめるように細められた瞳は柔らかくほころんでいる。
 「だって遠くに行ってしまったら、ガブに出会えませんでしたから」
 行きたかったどこかよりも、こうして二人歩める今の方がいいのだと、山羊は幸せそうに微笑んでいう。
 この先に目指す場所が絶望にほど近くとも、一握りの希望があれば、それを信じて一緒に歩める。一人でなければ歩むことは怖くないのだ、と。
 まっすぐな信頼の瞳に驚くように目を丸め、次いで照れくさそうに笑って、狼は頭を掻きながら答えた。
 「そ、そうでやんすか?」
 気の利いた言葉など返せない、純朴な狼は与えられた信にただ幸せそうに笑って山羊を見つめる。今はもう、食料などとはとても思えないその姿を。
 「はい。だから頑張りましょうね、緑の森まで」
 進むことしか出来ないから、せめて最後のときまで一緒に生き抜こう。………この先にどんなことが待っているかなど解らないから。
 「そうっすね。まずは緑の森っす」
 そこに辿り着いたらきっと一緒に幸せに生きることができる。狼と山羊でも一緒に暮らすことが出来る。
 一縷の望みでも愚かな選択でも何でもいい。ただ、かけがえのない友達を見つけた、それだけで十分意味のある生なのだから。
 狼の言葉に頷き、山羊はまた歩きはじめた。それに寄り添うように狼もまた、歩きはじめる。




 進む先は、ただ、緑の森。……それだけを信じて。





 6月にはDVDも出ますし、せっかくなので書いてみました。
 まさか絵本原作の作品を小説で書く日がくるとはなぁ(遠い目) まあもうすでに小説マンガアニメーション、あらゆる分野に進出しているし、まあいいか。

06.4.12