柴田亜美作品

逆転裁判

NARUTO

突発。
(1作品限り)

オリジナル
(シスターシリーズ)

オリジナル



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どうして、なんて考えもしなかった。
ただ事実に押しつぶされそうになる。

一緒にいたいなどとは思っていない。
そう、ずっと思っていた。

人との関わりが苦手で。
徒党など組めるほど器用でもなくて。
誰かを傷つけてしまうならと
独りを選んできたのだから。

一緒にいたいなどとは思っていない。
そう、ずっと思っていた。

そう思って、いたのに………………





そうと知らずに咲く花よ



 赤く赤く染まっていた。
 それが返り血なのだと、そう思っていた。
 ………思い込みたかった。
 彼は強かったから。自分と同等なほどに強い人間を、自分は彼以外には知らないから。
 大丈夫なのだと、そう信じたかった。
 「…………………」
 僅かに身じろいだ彼の前髪が揺れた。それに伴い額を冷やしていた手ぬぐいがずれ、露になった形のいいその弧。
 蒼白の額に浮かぶ、玉のような汗。
 熱が出ているのだろうかと、ずれかけた手ぬぐいをとって桶の中の水に浸す。ひんやりと冷たい水を感じながら絞り、軽く拭うようにその肌を滑らせた。浮かんだ汗を消してもそれらはまた後から溢れてくる。そうなると解ってはいるが、少し悔しくなる。
 せめてその熱さだけでもなくしてやれればと思うのに、あまりに自分は腑甲斐無く力ない。
 いつもならさらりと流れるはずの前髪は、微かに含んだ水分によって重みを持ったのか、しんなりと皮膚にとりつき今は揺れない。肌に触れないように注意しながら前髪を掻き上げ、もう一度冷たい水に浸した手ぬぐいを初めのように額に置く。
 そうして一息ついた時、不意に低い音が聞こえた。
 外からだろうかと首を巡らせる。やんわりと吹きかけた風を追いかけるように向けられた視線は、開け放たれた障子の先、朧月を映していた。が、微かすぎるその低い音の行方は、ようとして知れなかった。
 僅かに首を傾げ辺りの気配を探ってみても、自分といま目の前で眠っている沖田以外に掴める気配はない。虫かなにかだろうと見当を付けて再び視線を室内、膝元に眠る彼に向ければ……やんわりと微笑んでいる瞳にかち合う。
 「………起きていたのか?」
 気まずげに小さな音で問いかける。別段悪いことをしているわけではないけれど、彼が病魔に冒されていると解ってから、特に気づかわれることをよしとしていないことは熟知していた。また機嫌を損ねられるだろうかと少し考え、次いでこの顔なら大丈夫だろうか、と思う。
 それを決定付けるようにまた彼は笑った。どこか、苦笑のような韻を残して。
 「いま、起きたんですよ」
 「ああ………起こしてしまったのか」
 「それなのに(はじめ)さん、外ばかり見て気付いていないんですから」
 思わず笑ってしまったのだと、笑みを深めて沖田がいう。それを受けて僅かに顔を顰めた生真面目な相手を見つめながら。
 無表情に思われがちの彼だけれど、こうして相部屋で関わることが多い自分には、存外その変化が解りやすかった。例えば自分が上げた小さな呻き声を外からの奇襲ではないかと警戒した瞬間の、守るべき対象を抱えたときの凛とした顔。使命感からではない情故のものを、彼はきっと否定するだろうけれど。
 例えば……介抱をしている身でありながら、相手がそれを好まないであろうと考えて、一瞬強張った顔。微笑んで見つめてみれば、機嫌を損ねていないと気付いてほっと息を吐く仕草。
 案外そうした動きは幼い子供と変わらないのだ。ちゃんと彼にも動く感情はあり、自我はある。ただそこに生来の頑固なまでの真っ直ぐさと潔癖さがあるせいで、情を弱さと見られないための防壁が人より少し、強いだけで。
 不器用な人なのだと、思った。あんまりにも真っ直ぐすぎて歪曲とした世界にあげる咆哮すら聞き届けられない類いの人だ、と。
 そしてそれすら構わないのだと受け入れる潔さが、整然としていて、そうと知るものの目を惹き付けてやまないのだけれど。
 「月、見ていたんですか?」
 憮然としたその横顔に声をかけ、彼の見ている月を真っ向かっら覗こうと身体に力を入れた。ギシギシと身体のあちらこちらが軋むような音をあげるが、この程度であれば我慢の範疇だ。熱発による痛みとは無縁に近かったが、いまはもう大分慣れてしまった。
 上体を起こした瞬間に額から何かが落ちた。………湿りを帯びた手ぬぐいと気付き、知らず口元が笑みを滲ませた。
 こうして寝るのを惜しんで自分の介抱をしてくれる人がいるなんて、思っていなかったのだ。プライドの高い自分は、誰にもこんな病、知られたくはないから。朽ち果てる瞬間まで笑ってみせる気概くらい、持っていたから。
 誰かがそばにいることが不思議な感覚。……ずっと自分は置いてけぼりだと、そう思ってきたからだろうか。
 「………横になったままでも見えるだろう」
 微かに憮然とした声と責めるような視線。口出ししたくはないけれど横になっていて欲しいのだと、響く音。
 辛い立場にしているなと、解っているのだ。だから曖昧に笑って、月を見上げた。
 「綺麗な朧月ですね。今日は三五の月でしたっけ」
 「……いや、今日は寝待月だな」
 「おや、私には居待月かと思いましたけど?」
 クスクスと座したまま月を眺めていた斉藤を揶揄した沖田に、斎藤は苦虫を潰したように顔を顰めて顔を背ける。
 朧月ながらも名月と言える艶やかさを醸している月に、魅入られるように斉藤は視線をそれへと捧げた。背けられた横顔を眺めながら喉奥で沖田は笑う。………自分が彼に、思った以上に信用されていることに自覚はある。命さえも軽々と預けてくれた瞬間から、彼という人間性の見方が少し、変わった。
 もっとずっと頑固で偏屈で…………人に怯えていると、そう思っていたのだ。
 ただただ激情をひた隠していただけで、おそらくは誰よりも清艶とした魂を持って育ってしまった人。生き難いだろうその地位さえも楚々として受け入れ、絶ち枯れない希有な人。
 「……………っ」
 ぼんやりと眺めていた緩やかな頬の曲線をぼやかせる月明かりを吸い込んだ時、気管の更に奥、肺が軋むように痛んだ。まずいと思った時には遅く、考えた以上に大きな咳が嫌な鈍さを含有しながら曝された。
 逸らされていた視線が自分に注がれる。それよりも早く伸ばされた腕が背中を撫でていた。
 無骨でがさつな武人の指先は、それでも不器用にいたわるように精一杯背を撫でる。咳を止める術など解らず、医者に処方されたうがい薬の効用はないのかと、腹立たしく考えながら。
 間の抜けた話だと思うのだ。生きていても死んでいても大差ない自分のような人間を冒すことなく、時代に望まれ求められているものをこそ喰らう病は、なにを望んで与えられると言うのか。………自分は死んでも誰も悲しまないだろうと、そう思っているのに、悲しむものが大勢いるだろう彼が、死へとゆっくり近付いている。
 たった一人自分の死をつらいのだと言ってくれた人こそが、自分よりも先に死に逝くのだろう、この感覚。
 喉さえも焼かれ、言葉にもならない。
 呻くことの見苦しさを嫌い、飲み込んだ呼気を肚に満たしてのち、ゆるやかに震えることのない声を紡ぐ。せめて、毅然と彼に向き合いたくて。
 「だから薬くらい飲めと言っただろう」
 「一応……飲んでいるんです、けどね……」
 隊務の途中だとつい忘れてしまうのだと苦笑する口元は常と変わらぬ笑みだけでほっとする。…………赤く赤く染まったなら、もう自分は叫ばずにはいられないと、そう思っていたから。
 咳もおさまり、一見すればただの風邪に見えるその姿を見ながら、ぼんやりと思う。
 夕刻辺りから不意に高くなる体温。……彼の身体を巣食う病魔の特徴の一つなのだと言われた瞬間の絶望のような暗闇は、今もまだよく覚えている。
 「………日付けも忘れるほどの激務、か?」
 ぽつりと、零れ落ちた言葉。それは言うつもりなどなかった言葉なのだろう、言った瞬間の彼の目は驚いたように大きく見開かれていた。
 そうするとひどく幼い印象の残る彼の顔を見ながら、苦笑する。誰も寄せつけないほど年齢の割に落ち着き、冷静沈着な彼の残すあどけなさは、あまりにも純に過ぎる。
 その懐に入れてしまえばもう、手放せなくなるのだろう。だからこそ、警戒心が強く己を高め一人でも生きられるようにと切磋琢磨したのだろうけれど、それ故にそのやわらかな部分は踏みにじられることも穢されることもなく、あまりに美しいまま残されてしまった。
 「そうですね、でも……」
 無理をするなと響かせる彼の声を聞きながら、困った人だと思った。きっと彼は、人の事を思いはしても自分のことを思う事を忘れる人間だ。  同じほどの働きをしてなお、自分に気付かれぬよう仕事を背負ってくれていることを、きちんと知っているのだ。鬼と言われる上官が時折愚痴のようにこぼしているのだから。………あんまりにも必死すぎてぷつりと事切れるのではないかと、顰めた顔で危惧する人がいることを、きっとこの人は知らない。
 「あんたほどじゃないと思うんですよね、一さん?」
 くすりと笑い、悪戯を仕掛ける子供のように彼の顔を覗き込む。
 ぎくりと顔を強張らせた様子から察するに、ばれたことは気付いたらしい。それでもしどろもどろに視線を逸らして、彼は正当性を訴えたけれど。
 「………いっておくが、俺は隊務を疎かにしてまで余計なことはしていない」
 あんまりにも不器用な言い訳に思わず破顔する。言い訳にすらならないその言葉は、だからこそ彼の性情が伺えて、煩っているはずの胸が暖かく軽くなった気がした。
 未だ背に添えられているあたたかな指先を感じながら、ゆうるりと瞼を落とし頤を上げる。顔の全てで月光を求め、それを浴び、そうしてうっすらと目をあければ、映るのは美しくもあやふやな朧月。
 「ねえ、一さん。私は確かに病気だと気遣われる事は嫌いですよ」
 楽しげな響きを孕んだまま、沖田は彼が気に病んでいるのだろう事を指摘するように口にした。案の定、背に触れる熱が一瞬、竦むように動いた。
 それに含み笑い、月を見つめた視線をそのまま彼に捧げて口角をやんわりと上げる。………微笑みと、そう称されるだろう穏やかさで。
 「でも、あんたに優しくされるのは嫌いじゃないですから、そうびくつかないでくれませんか?」
 拒まれるのではないか、余計な事ではないか。そんな風に悩みながらも律儀に几帳面に必死に、彼はあまりに心砕いてくれるから。…………嫌だなど、思えるわけもないのだ。
 きょとんと不思議そうな双眸が注がれる。言われた言葉に含まれる好意と信頼がいまいち掴みきれないというように。あるいは……信じられないと、いうように。
 彼は己の価値を知らないから、向けられる情を時に非情に切り捨ててしまう。そんなわけがないと、己で己を否定してしまう。
 だから真っ直ぐに言葉を捧げる事にてらいはなかった。そうしなければ伝わらないのだと、熟知していたから。
 「あんた、本当に不器用だからね。そういうところ、私は好きですよ」
 だから思うままに気にしてくれていいのだと、笑う。たった一人の自分の共犯者に。
 不治の病と知ってなお鮮やかに笑う。………胆力と、そんな簡単な言葉で括れるわけもないほど自然体の人。
 噛み締めるように睫毛を落とし、月明かりを身体に受ける。静々と染み込むその音を受け入れながら、斉藤は瞼を持ち上げ、やんわりと小さく笑った。


 彼のその言葉を確かに受け止めたのだと、そう示すように。





 無頼の沖田&斉藤。いっておきますが純粋に&ですよ。
 決してカップリングではないですよー!!
 いや、カップリングでもこの二人だけどさ。でもこれは違うんだよー。

 あ。作中で「三五の月」「寝待月」「居待月」とありますが、それぞれ15・18・19日の月のことです。
 だから「日付けも忘れる〜」に繋がるのですな。
 月のヤツ解らんと会話が飛んだように見えるなーと思いまして。文中で説明しきれずに失礼しました。

 見て解る気もしますが、私は斎藤が好きでよー。私は自分を真面目と思っちゃいませんが、大抵「こうなりたいな〜」と思わせるキャラクターは真面目でストイックですよ。………でも多分彼らだって自分を真面目だなーとも物欲薄いなーとも思っちゃいないと思うですよー。
 その人それぞれで価値観が違うから、当たり前のことが凄いこと、になってしまう場合も多々あるのだと思うのだよ。40後半のおやっさんに年の差感じられない20代半ばの娘がいるようにね(遠い目)

16.9.9