柴田亜美作品

逆転裁判

NARUTO

突発。
(1作品限り)

オリジナル
(シスターシリーズ)

オリジナル



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空高く飛ぶ鳥は自由に見える
それは雁字搦めである人間の夢想だろう

目に見える自由を求める、なんて
そんなことはいわない
求めるのは本質的なもの

己が意志のままに生きること
他者に侵されぬ精神のまま
血と肉と魂が吠えるままに

ただ、生きること

単純極まりない
けれど得難き
それは自由





鳥籠の鳥



 秋風が障子の隙間からもれるようだった。軽く息を吐き出し、僅かに開いていたその隙間に手を伸ばす。
 「あ、一さん!閉めないで!」
 指先が障子の淵に触れる瞬間、そんな耳慣れた声が響いた。それに反応した指先はそのまま閉めるためではなく開けるために障子に触れる。
 「…………沖田さん…あんたは…………………」
 「助かりました。出来れば手拭いなどいただけませんか?」
 がっくりと項垂れて絞り出すような声を吐く斉藤の声とは裏腹に、明るく弾むように伸びやかな沖田の声が響いた。声だけを聞いたならまだ幼ささえ滲んでいるようで微笑ましく聞こえるそれに、斉藤は頭痛の襲った頭を庇うように抱えた。
 覚悟は、していた。庭に面している障子の外から声がしたのだ。少なくとも自分にとって好ましい状況に彼がいないことくらいは、予測していた。
 ただそれが、予測を更に上回る姿をしていたために、ダメージが大きかっただけだ。そう己に言い聞かせるが、それでも頭痛だけでなく胃痛まで感じはじめた己を恨めしく思った。
 眼前に見える相手はきょとんと屈託なく笑っている。………性格的にも対照的であるといわれるが、こういう時特に自分達の姿は天と地ほどに差があるだろう。
 「一さん?具合、悪いんですか?」
 確かに今日は寒いですがと見当違いなことをのたまう相手を睨みつけ、斉藤はまだ仕分けしていない洗濯物の中から手拭いを掴むと無言で沖田に投げ付けた。難なく受け止めて呑気に彼は笑い、礼を言うと己の身体を拭きはじめる。
 そう、拭いているのだ。手拭いで。己が寒いといっていたこの天候の中で、彼は水に濡れていた。
 それがまだちょっとした粗相で服に水が……程度なら可愛いものだ。こんなにも頭痛も胃痛も襲ってはこないだろう。沖田は明らかに頭から水を被ったように全身濡れ鼠だった。
 「さっさと脱げ!それから拭け!」
 「えー……だってこんな場所で裸になったら注目の的ですよ」
 しかも面白い噂付きでと戯けてみせる沖田の顔はあまりいい色をしてはいない。当然だろう、いくら笑顔をのぼらせることが出来たって、体温まで意識して変動させることは出来ない。出来るようならそれこそ化け物だと、忌々しそうに斉藤は沖田を睨んだ。
 真剣勝負でも申し込まれているようなその視線に、さすがに沖田もからかいが過ぎたかと笑みをなくし、困ったように首を傾げてみせた。
 言外に詳細への気遣いは無用というその様子に、斉藤の視線が更に険しさを増す。無言のまま沖田の分の洗濯物から上着と袴を掴みとった。
 「この秋風吹く中で楽しそうな格好をしていらっしゃいますが、状況説明をしていただいてもよろしいですか?」
 相手が着替えるべきものを抱えたまま斉藤が言う言葉は礼儀正しかった。不機嫌そのものの表情と、殺気と見紛う気迫さえなければ、ではあったが。
 そして暫くの間その眼差しを受け止め、更に怒らせる可能性のある説明をするべきか否かを思い悩んだ沖田の沈黙は長かった。
 こっそりと沖田は溜め息を吐く。相手に気付かれない程度の、小ささで。
 同室となってから、いや、それ以前からではあるが、彼の生真面目さも一途さも使命感も、個人としては好ましく楽しいものだと思っていた。が、それがプライベートな中でも遺憾なく発揮されてしまうくらい、彼の性根は健全だった。
 けして悪戯にそれを刺激して彼の胃痛の種を増やすつもりはなかった。けれど、どうもあまり型通りに生きていられないらしい自分は、気の赴くままに振舞い、結果、彼に悩みの種を増やしているらしい。
 吹き付けた風にぶるりと身体を震わせると、彼の視線が僅かに揺れる。
 きっと、もう一度でも風が吹いて凍える自分を見れば、説明などいらないというように着物を投げ付け風呂を沸かしに行ってくれるだろう。彼は真面目で、殺人集団とさえいわれる自分達の中にあって、優しすぎる。
 ………そうであるが故の彼の強さだというのであれば、それは少し、まばゆく思えた。
 「とりあえず、着替えながらでもいいですか?」
 困ったような情けない笑みを浮かべて許しを請うように問いかけてみれば、揺れていた彼の瞳がはっきりとする。おそらくは無意識に葛藤していたのだろう心理が、彼にしては珍しく外に現れた。
 それがそのまま自分への信頼と友愛の証と思うのは、少しばかり自惚れが過ぎるだろうか。
 「…………濡れたまま室内に入るのは許しませんよ」
 ぷいと顔を逸らし、斉藤は手を伸ばせばすぐ取れる位置に着替えを置くと、そのまま沖田から離れるように奥へと消えていった。
 その後ろ姿を見遣りながら、沖田は濡れて肌に張り付いた布を剥がすようにして脱いでいく。とてもではないが手拭い一本では着物までは拭っていられない。縁側に濡れた着物を無造作に置き、足だけを拭いた沖田はそそくさと室内に入り込んで障子をきっちり閉めた。そこまでを手早く終えれば、少なくともこれ以上凍えることはない。
 ホッと息を吐いて少し痛む肺を紛らわすように乱暴に手拭いで身体を拭う。ぐっしょりと濡れたそれを畳に放り、申し訳ないと思いつつも斉藤の洗濯物の中から手拭いをもう一本、失敬した。
 袴を履き袖も通して一応の外見を取り繕って暖をとると、廊下から足音が響く。そちらに目を向けながら髪を拭いていると、違うことなく襖が開けられ、斉藤の袴が手ぬぐいの隙間から見えた。
 「着替えましたか。とりあえずこれを飲んで、とっとと言い訳をして下さい」
 室内に入り込んだ足先は溜め息に近い声で呟き、手拭いに覆われている沖田の眼前に盆から取り上げた湯飲みを突き付けた。
 鼻先をくすぐる香りはツンとした生姜の香り。茶ではなく、生姜湯らしい。
 「…………容赦ないですね、一さん……」
 苦笑を一つ落とし、沖田は手拭いを頭から肩に落として有り難く湯飲みを頂戴した。喜色を浮かべて湯飲みに口を付ける姿を確認し、斉藤はもう一度立ち上がるとそのまま沖田の背後に手を伸ばした何かを取り上げた。何であろうかと首を巡らせた沖田の髪を、冷たい風が凪いだ。
 すぐに閉められた障子から彼が何を行ったか勘付き、ちらりと生姜湯を飲んだ姿勢のまま斉藤を見ると、憮然とした顔でまた睨まれてしまった。
 「…………一応、拭いてから入りましたよ?」
 「びしょ濡れの手拭いを放置すれば結果は同じです」
 畳が腐ったらどうすると少し尖った声で告げる斉藤は、けれどその真意を隠すように顔を背けた。
 あんなにも水分を含んでしまった手拭いで、それでも足りないというようにもう一本使って。そんな状態になってどうすると、いいかけた唇は固く閉ざされている。
 それを見つめ、沖田が嬉しそうに笑う。とても、朗らかに。
 彼は自分の身体のことを知っている。それでもそれを引き合いに怒鳴ることはない。最期の最期まで戦いたいと、そんな愚かな願いを黙認して、そうあれるようにと祈ってもくれている。
 ………決して言葉になど換えてくれはしないけれど。
 「鳥をね、追いかけたんです」
 「………………?」
 唐突な言葉に逸らされていた斉藤の視線が沖田に舞い戻った。不思議そうに瞬く瞳は戦場を駆けるときとはまるで違う柔らかさだ。
 それを見つめて、障子で閉ざされた秋の空を見上げるように、沖田が斉藤の奥の障子を見つめた。
 「鳥籠から逃げたらしくて、子供が泣いていたんです。それで捕まえられるかと思って………」
 途中で川に落ちてしまいましたと、笑う沖田の顔はひどく幼かった。悔しがってもいないその様子に眉を寄せ、斉藤は見えるはずのない鳥を探すように沖田の視線を追って障子を振り返る。
 当然そこに広がるのは障子だけで、外など見えはしなかった。けれど夢幻の鳥が一瞬障子の白に影を落としたような錯覚を垣間みて、目を瞬かせる。
 「楽しかったんですよ。空を飛ぶ鳥を追いかけて、あっちこっち行きました。もしかしたら後で町の人が怒るかもしれませんけど」
 「……………頼みますから町屋に迷惑をかける遊びは控えて下さい」
 無邪気な笑いを浮かべる沖田の悪戯じみた行為を想像し、斉藤はまた胃が痛みはじめた。直接文句こそいわれないまでも、噂や視線で嫌が応にも返ってくるのだ。市内見回りの際の気鬱が増えてしまう。
 「可愛いものですよ。子供たちが一緒じゃなきゃしませんから」
 「で、鳥も逃がして自分はずぶ濡れですか」
 「いいえ?見つけましたよ」
 丸損ではないかと咎める視線を飄々と躱し、沖田は楽しそうに目を細めた。
 それはあるいは、喜びだろうか。煌めく視線は竹刀で立ち合うときのような、そんな厳かささえ見え隠れし、斉藤は首を傾げた。
 「鳥篭の中の鳥なんて、つまらないじゃないですか」
 空を飛ぶ鳥を見て追いかけて、ちゃんと見つけたかったものは見つけたと沖田は笑う。顰めた眉で疑問を示しても、相変わらずの笑みで緩やかに躱された。
 その謎掛けの答えははぐらかし続けるだろうと気付き、斉藤は呆れたように息を吐く。秋風は冷たく、川の水は凍るようだろう。その上、彼は万全というにはあまりに不確かな体調だ。にもかかわらず、差し出したものと手に入れたものとは十分釣り合いが取れていると、そういうかのように彼は笑う。
 彼の両手には今は生姜湯入りの湯飲みと、髪を拭く手拭いだけだ。空を飛び自由を得た鳥はその手にはいない。
 それでも手に入れたと笑う真意は残念ながら斉藤には解らなかった。けれど少なくとも、彼は逃げ出した鳥を追いかけたその理由は捕まえたらしいと、それだけは解った。
 軽く息を吐き出し、掴めない人だと呆れたように一度睨みつけてから斉藤は口を開いた。
 「構いませんけどね、風邪を引いても稽古のときの約束、変わりませんよ」
 どんな状況であろうと自分に負ければ療養であることを忘れるなと告げれば、目を丸めて驚いた後、沖田はやっぱり笑った。
 「大丈夫ですよ。手放す気、ありませんから」
 折角見つけたのだからと、また不可解なことを沖田は呟いた。熱でも出始めたかと顔を顰めた斉藤がその額に手をやるのさえ、楽しそうに笑ってなすがままだ。
 楽しそうに笑って、どこか吹っ切れたように嬉しそうに笑って。そんな沖田の様子に、知らず斉藤の唇もほころんだ。
 あまり長くはない、共に歩む道。それを悔やむことだけはないように、ただ祈る。
 駆け抜けることを選び無意味な生を厭い、無作為な病の牙さえ笑って躱している、計り知れない男。
 せめて彼が望むまま駆けていられるように、その手助け一つくらいはしてみよう。本気で、何一つ妥協などせず、彼が立てなくなれば容赦なく前線を退かせると突き付けながら。
 彼が願うままの姿で生きられるように、自分は隣に立ち、あるいは前にも立ちはだかろう。


 鳥籠にさえ捕われず
 空にさえ捕まらず
 ただ飛びたいというそれだけの思いで

 青空を飛ぶ、無垢な鳥





 久しぶりに『無頼』でした。新撰組大好き。むしろ斉藤一が好きだ。生真面目人間。その割には謎まみれ(笑)
 しかし『浪漫狩り』書くんじゃなかったのか、自分………。

 私は基本的に好んで読むのは時代小説なのです。人の人生見るのは楽しいし、歴史は繰り返すと言う言葉の通り、そういう生き様を人はやっぱり重ねているので。
 なんというか、遥か昔の観念が、現在に生きる人間にも垣間見えるのが面白い。
 そういうのは生死をかけた場所で培われた信念も、その深浅に差はあろうと、いまもあると思うから。

06.9.27