柴田亜美作品

逆転裁判

NARUTO

突発。
(1作品限り)

オリジナル
(シスターシリーズ)

オリジナル



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風が、いつも見えていた。

それは時に追い風、時に向かい風。

味方にもなり敵にもなるもの。

風が、いつも見えていた。

それが一体なんであるかを知りはしない。

ただ、なんとはなしに悟っていた。

それは、命なのだと。


この手で刈り取られる命であると同時に

この手で癒すことの出来る


かけがえのない、命なのだと………………





後ろの正面



 さらさらと淀みなく書き進められていた手を止め、小さく息を吐く。
 報告書を書くことを面倒と思うわけではないが、如何せんこういくつもあったのでは肩も凝る。軽く首を回し、次いで肩も回しながら凝り固まった姿勢をやわらげるよう努めるが、その程度で緩和されるわけもない。
 まだ数枚残っている報告書を見つめ、また小さく息を吐く。
 これらは別に自分が書かなくてはいけないものではないのだが、たまたま今日非番で、特に用がないと言っていたらいつの間にか頼まれ今に至っているのだ。
 ……………不器用というか、要領が悪いというか、誰に言われるでもなく十分自分自身でそれを自覚しているが、改めてそれを突き付けられているようで少し気分が暗くなる。
 朝からずっと同じ姿勢で同じような作業を行っていたが、ふと気付いてみればもう昼も近い。いい加減息抜きをしなければカビが生えそうだと苦笑し、立ち上がった。
 縁側の障子を開ければ思ったよりもずっと強い陽射しが差し込んでくる。ふうわりと頬を過った風を見定めるようにその風が吹きかけた方を見てみれば、野牡丹の花が伺えた。
 あんな場所に植えられていたのかと首を傾げるが、気付かなかっただけで案外どこにでも花はある。見落としていたのだろうと視線を泳がせ、室内を向いた。
 そろそろ巡察から帰ってくるだろう同室者がねだる前に茶の用意でもしておこうかと歩む足は、どこか軽かった。


 ぱらりと書をめくる指先は無骨と言うよりはどこか繊細で、あの指先が刀を握ったなら剣鬼すら逃げ出す実力を秘めているのだと思うとひどく不可解だ。
 自分の手のひらを開閉しながらその質感を確かめるが、何となく、彼のそれよりも重い気がする。軽やかさは、多分彼の方が上なのだ。だからそう感じたのは実際の動きなどではなく、その魂の在り方と言うべきかもしれない。
 しばらくそれを障子に寄りかかって眺めていたら長い溜め息が聞こえた。………どうしたのだろうかときょとんとその動静を窺ってみれば困ったように笑って、彼がこちらに目を向けた。
 「どうしました?」
 「それはこっちの台詞だよ、沖田さん」
 帰ってくるなり無言で眺められたのでは何事かと緊張すると苦笑すれば、まるでいま気付いたかのように沖田は瞠目した。
 まるで意識になかったらしいその様子に気を悪くするでもなく斎藤は書を片付けると立ち上がり、用意しておいた急須などの乗った盆を手にまた舞い戻ってくる。
 その動作をやはり凝視するように眺め、沖田は誘われたわけでもないが当然のように斎藤の近くに座り、用意された湯飲みにつがれる茶の色を見つめた。
 まるで幼い子供が母親の一挙手一投足をつぶさに見つめるような熱心さで見つめる沖田の視線を感じながら首を傾げ、差し出した茶を一口飲むのを確認した後、斎藤は問いかける。
 「で、どうかしたのか?」
 「え?いえ……別にどうも………」
 きょとんとそれこそ何を言い出すのだろうとでも言いたげな沖田の様に飽きれたように目を瞬かせ、斎藤は額に手を当てるとあからさまな溜め息を落とす。
 それをむっとしたように目を細めて見た沖田が、少し不貞腐れたように茶を啜りながらいった。
 「………一さん、言いたいことがあるならハッキリ言って下さい」
 「だからさっきから全部こっちの台詞だって」
 何を言っているのだろうと改めて怪訝に眉を顰め、斎藤はじっと沖田を見つめる。……何かを隠しているというわけではなく、どこかが少し、ズレている気がするのだ。なにがと言及できるものではなく、それはひどく微細なもので、変化と言われればそれまでかもしれないし、気のせいと言われればそうのような気もする、そんなあやふやなものだ。
 ただ、どこかがいつもと違う。
 普段のようにふざけてじゃれついてくるわけでもなく、奇妙な視点で自分では思いもしなかった意図でもって凝視するわけでもなく。ただぼんやりと何かを探すように見つけたように、見ている。
 「帰ってくるなり挨拶も抜きに人のこと凝視しているし」
 「………それは、一さんが本読んでいたから…………」
 「普段なら読んでいようが何だろうが関係ないだろ」
 そもそも集中して返事も上の空のときでさえ挨拶を欠かさないくせに、その程度の理由で納得するわけがない。ふと思い当たり顔を顰めて、まさかと思いながら斎藤は沖田の額に腕を伸ばす。
 伸ばされた腕に驚くでもなく、また沖田はぼんやりとその腕を見つめている。遠くから見たときとは違い、刀を握り鍛えたもの特有の硬い皮膚がのぞく指先が目に入る。無骨さを秘め、節だったその形は美しいとは言えないが、どこか尊いものに思えて仕方なく、不可解だった。
 額に触れた指先はしばしじっと動きを留め、己の体温との差を探るように与えられたままだった。それがゆっくりと離れ、溶けた体温が消え失せる寒さに少し、身震いしてしまう。
 「………熱はないようだが…具合でも悪いのか?」
 顰められた眉が心配そうに歪んでいる。………情を出すことが不得手なため、それはどこか不機嫌さを思わせるものではあったけれど。
 それでもその目に浮かぶ優しさが伝わるから、淡く笑んで沖田は首を振った。
 「違いますよ。ちょっと……考え事をしていただけです」
 小さく小さく笑った笑みは普段の笑顔とあまりに違うもので、しおらしいまでに大人しかった。……成人も過ぎた男子であればそれくらいは当然のものかもしれないが、そういった常識をたいして気にしていない沖田にとってはあまりに似合わない、寂しい笑みだ。
 悩みというものは己で模索し己で答えを選び立ち直らなければ意味がないと解っているから、それに対してどう答えるべきかを思い(あぐ)ねながら、斎藤はふと、彼の好みそうなものを思い出してすっと立ち上がる。
 無言のまま立ち上がった斎藤が見せた背中をじっと見つめながら、不意に湧く郷愁を押しとどめ、同じように沖田も立った。彼の後を追うように歩を進め、隣に立ったとき、閉められていた障子が開かれ、柔らかな花の香りがそよぎかけてきた。
 「今日気づいたんだが、野牡丹の花が咲いていたんだな。あんた、こういうの好きだろ?」
 小さく笑い、隣に立つ沖田の顔を窺う。………この組織に身を置く限り悩みは尽きず、己を苛む思考は身すら蝕むだろう。
 それでも選んだのは自分なのだ。誰に強制されたわけでもなく得たいものを得るがために、誰もが己で定め、この屯所に足を踏み入れた。それを十分承知している沖田の目は細められ、緩やかに笑みをこぼした。
 「…………花、咲いたんですね。知っていましたか、一さん」
 「……………?」
 「あの樹、私が譲り受けて植えたんですよ」
 だから気づかなくて当然だと沖田は笑い、自分の手を日に透かすように持ち上げた。
 「他の樹よりも育ちが遅くて、葉の色も良くないし、燃やしてしまおうといっていたのを貰ったんです」
 「虫が喰っていたらどうする気だったんだ」
 まさかそんなものを貰って植えていたとは思わなかった斎藤は飽きれたようにいった。
 虫食いの木を植えてしまえば、この庭全体に害を及ぼすことが解らないほど沖田は無知ではない。………何を思ったのだと、言外に問う声を心地よさそうに細めた瞳のまま聞き、日にさらした手をそのままに斎藤に顔を向けた。
 「生きようとしているように、思えたんです。もしかしたら生かせるんじゃないかと…………」
 この手で生み出すことが出来るのではと、思ったのだ。それは決して己の所行を悔いてのことではなく、吹きかけたその風に含まれる樹の意志に触発されたようなものだった。
 「私はね、一さん。あんたみたいな生き方、してみたかったんですよ」
 「俺?」
 「そう」
 怪訝そうな顔をして見つめ返した斎藤に向き直り、にっこりと沖田は笑う。
 「思い悩んで打ち拉がれて莫迦みたいに人の分まで荷物背負って…………」
 「………あんた喧嘩売ってんのか?」
 ひくりと顔を引き攣らせながら僅かに震えている斎藤が、努めて冷静になろうと努力しながら沖田に言う。その声にも、僅かながら怒りが滲んでいたが。
 「違いますよ。そういう……何と言うか、真っ正直な生き方ってのもいいなぁと思っただけです。私には似合いませんけどね」
 同じように人を斬り同じように修羅を歩みながら、それでもどこか斎藤は人間のままで。
 どこまでもどこまでも堕ちていく事を気にもしない自分には、あまりに(まばゆ)くて。
 ………まるで(しるべ)を乞うように、時に彼に甘えてしまう。それは卑怯な手腕かもしれないけれど、それでも彼が拒まないこともまた、知っていたから。
 不可解に美しく見える血に濡れたその手。誰かの命と引き換えに生き延びながら、それでも彼はその重さを確かに感じ、生きている。振り切るのでも捨て去るのでも埋め立ててしまうのでもなく、背負いながら。
 生かすことを知っているからこその行為だと、自分にはそう映るのだ。だから、彼のような生き方は尊いのだと、そう感じる。
 そうして自分には不可能なその生き方を見よう見真似で真似たくなって植えた樹は、その思いに応えるように花開いた。
 「妙ですよね。なんだか、感傷じみて………」
 「まあ、そういう時もあるんじゃないか」
 苦笑とともに振り切るように呟いた沖田の言葉を包むように斎藤はやんわりと音を零す。………彼に自覚がないその音は、けれど確かに優しく自分を包んでくれる。
 零れそうな吐息を飲み下し、小さく笑んだ沖田は裸足のまま庭へと降り立った。
 「ちょ……沖田さん!」
 「せっかくですから一枝分けてもらいましょうよ」
 「それはいいとしても、裸足はやめろ!」
 存外几帳面な同居人は慌てたように手ぬぐいを濡らしに走っていく。それを見るでもなく走っていくその足音だけで感じ、沖田は小さく息を漏らした。
 頬を伝うものを野牡丹に捧げるようにその優しい薄紫の花を見つめ、笑む。吸い込んだ空気の色を肺に満たし、込み上げるもの全てを振り切るように、頬を拭った。
 「我ながら未練がましいなぁ……」
 もう……自覚してしかるべきだ。予感ではなく確信に変わっている。
 それでもなお、どうかと願ってしまうのは、あまりに近い彼が優しくて…………それが故に背負うものの重さが解るから。
 「離れればいいことくらい、解っているはずなのに」
 出来るわけもないことを言葉と変え、そうしていっそう確信してしまうのは、もう離れることなど出来ないという事実だけ。
 戻り来る彼の足音を聞きながら祈りと共に野牡丹の枝を手折る。


 手折られる事さえ良しとする、その潔さをこの身にと……………








 「無頼」です。沖田&斉藤。
 書いている途中で普通に幕末ものにした方がいいかとも思いましたがまあ、あえて無頼にしておきます。
 時期的には池田屋事件の後、斉藤に労咳がばれる前、と言うところ。
 労咳の自覚はしてきたけど、それがどれだけ周りに負荷をかけるかもまた解って葛藤している、という感じでしょうか。
 死の自覚は案外簡単にできます。時間はかかるけど真正面から向き合えば。へたに周りが介入するとしづらいと思うけどね。
 で、死の自覚と覚悟より辛いのは、残す人のその受け止め方。
 愛しい人なら悲しませたくないし傷つけたくはない。けど、愛しい人だからこそ、傷つく。
 その狭間で答えを探すのはきついです。結局は自分の事ではなく、相手の気持ちだからどうする事もできないしね。
 それでもどうしても思い悩んでしまうのが、やっぱり人間なんだろうな、とも思いますけどね。

 実は花をはじめ金木犀にしていて季節無視していた事は内緒。

04.10.9