柴田亜美作品

逆転裁判

NARUTO

突発。
(1作品限り)

オリジナル
(シスターシリーズ)

オリジナル



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さらさらと流れる清水のようだと、思った。
透明に澄んでいて脆弱に見えるというのに
それはひどく深く、全てを飲み込み浄める力を秘めたもの。
熱く猛った何もかもを冷やしさまして常へと戻すもの。

不思議だ。
決してそんなものが重なるようなきれいごと
言いもしなければ行いもしない人だというのに。
その姿を脳裏に浮かべれば、清水が流れる音が聞こえる。

彼には鮮やかな青が似合うから
最も美しき清浄さを捧げたくなる。

それはきっと愚かな祈り。





清く澄むとは何を指す



 息を吐き出すと僅かに白く色づいた。もう冬も間近だ。
 見上げた空は薄い青をさっと敷いた浅葱色。ついこの間まで着ていた隊服を思い出し、小さく笑う。あの見事なまでに悪趣味な隊服が、あんなにもしっくりと定着するのに一役買った人の仏頂面さえも鮮やかに思い出してしまったから。
 初めは間の悪い人だと貧乏くじを引く彼を心配もしたけれど、同じくらい、彼なら大丈夫だと思っていた。
 彼はあまりに真っ直ぐすぎて曲がることを知らない潔癖ものだから、彼の出した答えであれば双方が折れると解っていた。
 どちらに転ぼうがさした問題ではなく、相手の差し出したものを認めさせることが出来るというその一点に関してだけは、最高の人選だった。
 誰にも属すことがないというそれこそが、彼の最高にして最大の武器だ。
 他のあらゆる美点が隠されがちの人だけれど、その一点だけは誰もが認めているものだから。
 あの頃から、かうように口出ししてはうるさいと怒られたことを思い出す。………相部屋で、多分他の人よりもずっと自分は彼のことを知っていた。
 それはほんの少し自慢で、同時に、他の誰にも教えたくない自分の秘密。
 自分と同じくらい強い人なんて、他に知らなかった。その上、その凛然たる姿は他の誰よりも際立っていて、不器用さは笑いを誘うほど滑稽だった。
 こんな生き方をする人は初めて見た。面白くておかしくて、もっと一緒にいたいと願うようになったのは自然な流れだ。
 だから誘った。ここにいればいいと。彼のように生き難きを生きる人には、居心地がいいと知っていたから。
 本当は彼には他にも色々な生き方が用意されていたと、思う。
 自分達と同じく血みどろな道だけではなく、彼の身分に相応しい婿入り先とか、平凡で穏やかな生すらあったのだと、思う。
 それでも敢えて彼は最も困難な道を選んでしまう人だった。あっさりと手に入る幸せなどいらないと、見据えた瞳を微動たりとも揺らさずに言える希有な人。
 「あー……なんだか、会いたくなっちゃうなぁ」
 呟いてみれば寂寥が僅かに湧いた。……思い出す脳裏の人は鮮やかすぎる。
 生真面目で生き難くすら思える人。そのくせ誰よりも剣がたち、それを貫き続ける胆力を兼ね備えている、自分と肩を並べる剣客。
 人懐っこい自分とは何もかもが正反対で、だからこそ、妙に馬が合った。
 居心地が、良かった。彼だけはずっと出会ったその頃から変わることがなかったから。何一つ変わることがなかった、から。
 そう思いながら浮かぶ昔からの仲間たち。誰もが変わらぬように必死な中、あんなにも自然体であれる人も珍しかった。周りの動静などに関わることなく、己を保つ術を彼はきっと知っていたのだ。
 何よりも信を置いて良いのだと安心出来る人だ。自分の秘密を、結局誰にも教えることなく自身の腹の中だけに収めていてくれたのだから。
 今はもう隠すことも出来なくなり、隊内にも知れ渡ってしまったけれど、それでも強情に彼は口を割らずにいるらしかった。
 いつからだったのだと、事ある毎に問い詰められるだろうに、自分との約束を忘れることなく、今も彼は口を結んでいる。
 相部屋を突然解消して転がり込まれたと、困った顔をして言ってきた原田はきっと今頃少し、悔やんでいるのだろう。何故あの時気づかなかったとか、情の激しい彼が落ち込まないわけもない。
 消沈しているその姿を思い浮かべ、それを見つめて苦しむ彼を、思う。
 解っているのだ、自分のしたことが親しい人を苦しめることだったことくらい。彼等のためにと思えば養生すればよかった。それが出来なかったのは自分が可愛かったからだ。
 己の思うままに生きたかった。無為に過ぎ去る命でなどありたくはなく、短くとも貫けるものを貫いて果てたかった。
 そう思っていたのに、今更思うときも、ある。
 「………………」
 彼との木刀での、初めての真剣勝負。
 どちらが上かなど解るわけもない。ただ自分はその純然なる生き物の姿を刻みたくて、木刀を握りしめた。これを仕留めれば、傍にいることが許されるのだと、それだけは解っていたから。
 あんな楽しい試合は初めてだった。真っ直ぐな彼らしい、嘘偽りのない美しい剣筋を思い出すだけで興奮するほどだ。互角に戦えるものなどいなかった自分にとって、彼はかけがえのない存在だ。
 だから彼の望むことなら叶えてやりたかった。
 望まれたから、木刀をとり彼の気の済むままに仕合った。
 同時に、後悔が襲った。
 思い出した彼の姿に、病とは別にちくりと痛む、胸。
 「あれは……反則だと思うんだよな…………」
 冷静で感情の揺れがあまり覗かない彼が、あんな号泣を見せるなんて。…………自惚れたくなって、しまうではないか。
 必要としているのは自分だけではないと思いたくなる。
 縋ってしまいたくなる。
 言った言葉は偽りではないし、強がりですらない本心だけれど、それでも…と別の未来を思い描きたくなることが、ないわけではないのだ。
 あとほんの少し長く…なんて、養生する気もないくせに虫のいい願いだ。
 ごろりと縁側に腰掛けたまま背を畳みに横たわらせる。こんな格好、彼に見られたらまた叱られそうだと閉ざした目蓋の裏にその姿を思い描きながら苦笑した。
 憮然とした顔で眉を顰め、病に悪いのだからと言わないよう気遣いながら身体を冷やすなと告げる声。
 「あんたは……季節を考えろ」
 そう、そんな感じだ。溜め息と一緒でリアリティがある。
 想像の中の姿と上手く合ったその言葉の雰囲気に楽しそうに口元が笑うと、こんと頭に軽い衝撃が走る。
 間近には人の気配。ひどく澄んだ清水の香りが付随する、穏やかなそれを自分はよく知っている。
 そうして、びっくりして目を開ければ目蓋の裏の姿そのままの彼がそこにいた。さすがに服装は違うけれど、表情から立ち居振る舞いまでそのままだ。
 これは夢だろうか。あのまま縁側で眠ってしまったのか。…………まさかとは思うがさすがにそのまま息絶えたとかいうオチはないだろう。
 「え…っと、一さん?本物……ですね」
 まさかと思いながらも訝しんで、起き上がりつつ腕を伸ばす。それを拒まなかった相手がどれくらい自分の疑問に勘付いていたかは知らないが、剥き出しの手のひらに触れてみれば体温が感じられ、皮膚の下の脈動すら指先に響く気がした。
 「偽物でも来たのか?」
 不可解そうに顔を顰めていう彼の脳裏には、おそらく自分を模した刺客でも来たかと考えているのだろう。それを否定するように笑い、沖田は人さし指を己の(こめ)かみ辺りに触れさせて明るく言った。
 「はい。私の頭の中にですけど」
 「………それは偽物とは違うだろう」
 「でも本物は一さんだけですし」
 きょとんと否定の言葉に答えてみれば、目の前には同じように目を瞬かせながら不思議なことを言うといわんばかりの顔をした斎藤がいた。
 縁側に座ったままの沖田を見下ろす体勢も失礼かとその隣に近付くと、招くように沖田が少し横にずれて場所を開ける。
 そこに座り込みながら、呆れたような声で斎藤がようやく答えた。
 「あんたの知ってる俺も本物だろ?」
 観察力に優れ、人の心の機微まで見極めてしまうくせに何をいっているのだろうと、苦笑して呟く彼を、瞠目とともに、見つめた。
 多分彼は知らない。その言葉がどれほどの重さを持つものなのか、を。
 戦線離脱を余儀なくされた今の自分にとって、最高の誉れではないか。いまもまだ最先端で戦い続ける彼を、確かに自分はその姿形だけでなく心の有り様までもを刻んでいるのだと、認められている。
 「そう…ですか?」
 「違うのか?」
 お互いに困ったように問いかけながら目が合ってしまう。その情けなさそうな互いの顔に、一瞬の間のあと、吹き出してしまった。
 まるで、子供同士の友情の確認だ。
 遠く離れてしまっても確かに絆は続くと、あやふやなものを信じられないくせに必死で願っている、そんな幼い手綱のやり取り。
 多くの血に染まった両腕を携えていても、結局そうした点では何一つ普通と変わることが出来ない。それが幸せなのか不幸なのかは解らないけれど、少なくともこうしてそれを分かち合えるものがいるということは、心地よいものだった。
 「あー笑った!なんだか久しぶりですよ、こんなに笑うのも」
 「そうだな……俺も、久しぶりだ」
 もともと馬鹿笑いなどしないせいもあるが、考えてみると楽しいと感じる時は、大抵は隣に沖田がいたとふと気づく。
 傍にいることを許されていたから、知らず情が移ったのか。心開いたのか。自分でも解らないけれど、多分、彼とは近しいなにかがあるのだろうと、思う。
 感性でもなく意志でもなく主義でもない。けれどそれら全てに必ず関わる何かが、おそらくはひどく近似、あるいは酷似しているのだろう、と。
 「あんたといると、自分も人間だと思わされるよ」
 小さく笑いを含みながらいう斎藤の言葉に目を瞬かせ、沖田は呆れたような顔をして空を見上げた。
 薄く刷かれた浅葱色。鮮やかに鮮やかに翻る、自分達の隊服。
 誰よりも真っ先に彼の顔が浮かぶ、その色。
 「それをあんたが言いますか。そっくりそのまま返しますよ」
 たった一人のたった一言に逆上してしまうような、その命にしがみついてしまうような、そんなちっぽけな人間に自分をしてしまうくせに。
 何を言っているのだと、からかいを込めて呟いてみれば、思いのほか真面目な瞳が返される。
 深く澄んだ、湖畔の色。凍えるほどに冷たいくせに、それは真冬の大気のようにひどく清浄だ。
 「人間だろう、あんただって。だから…………」
 一瞬の躊躇いを見せて途切れた言葉。おそらく、その続きを自分は知っていた。
 知っていて、それでも言って構わないと示すように笑いかける。彼のその声で、聞きたかったから。
 顰められた眉。喉の蟠りを、自制している仕草。そうした姿を見ると本当に、思うのだ。巻き込んでしまったのだろう、と。
 彼は多分後悔もしていないだろうし、今更袂を離れたところで一人同じ道を歩むだけに決まっているのに。
 それでも時折思う。自分の望むままに巻き込んでしまった、と。
 一緒であれば楽しいだろうと。そう思ってしまったから。
 「だから、生きろよ。動乱はまだ終わっちゃいないんだから」
 まだ息絶えることは許さないと、彼は言う。
 「無茶言いますね」
 「………あんただって、ずっと言っていただろ」
 「まあそうですけど」
 呆れたように息を吐き、苦笑する。彼はきっとその言葉の意味を正しくは理解していない。あまりにも清らかなものは、清らかであるが故に、汚濁の意味を知りはしない。
 「大丈夫ですよ。ここにいますから」
 「………………」
 「一さんの報告、結構楽しみにしているんですよ。ここ、話し相手もいないですし」
 こくりと頷くだけで答えはしない、人。解っているのだろう、破ることを前提の、この約束を。
 それでも縋ってくれるのか。こんな泥まみれの命を、人として生きる標のように。
 笑みが浮かぶ。今生を、惜しむのではなく、ただただ愛しいと思えるのは、隣に座るこの人のおかげなのだろうと思うから。
 「あんたが戦い続ける限りは、私も戦いますよ」
 「………ああ」
 「置いてけぼりはごめんですからね」
 「解っている」
 穏やかに笑うその顔を見つめる勇気のない自分を、こんなにも当たり前に許してくれる。(まなじり)が濡れそうになるのを必死に耐えるだけで手一杯の情けなさ。
 せめて声だけは震わせぬよう、気丈に答えよう。

 遠くにある青空の高さが、恨めしい。
 もっと濃く深く、そして近かった空の頃、彼は確かに傍らにいたというのに―――――――――。








 無頼の沖田&斉藤です。今回の姫金の新撰組特集号が。
 …………まさかあらゆるもの飛び越えて一気に油小路の変になるとは!というびっくりさに。
 といいますかね、書いて欲しくないような気もするとはいえ、山南さんの切腹が一コマの回想シーンで終了?!いずれ彼メインで書いて下さることを祈ります。
 しかし、このころになると沖田も大分労咳悪くなったものね………。出てこなかったなー、見事に(涙)
 解っちゃいましたけどね、先に進めば進むほど沖田の出番ないってことは。
 でもちょっと寂しかったので。
 今回の話は斎藤が御陵衛士から新撰組に戻ってきた直後くらいのイメージで。
 あー……次から彼は山口になるのだろうか。斎藤にままがいいな…………(無理いうな)

04.11.18