柴田亜美作品

逆転裁判

NARUTO

突発。
(1作品限り)

オリジナル
(シスターシリーズ)

オリジナル



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優しい音が響く。
穏やかでやわらかい、包むような音。

ずっとずっとそんなもの与えられはしないと思っていた。

あの雪の日、チューリップに捧げられた優しさ。

不遜で居丈高で素直でなくて。
仏頂面になってばかりの自分にはきっと気づいてもらえない。
あの花のような健気さも優しさも儚さも、持っていない。

だから、与えされないと思っていた。


それ、なのに。

こんな優しいぬくもり、他に知らない………………





癒しの御手



 ひんやりとした感触が額に触れた。
 微かに荒い息が耳をつく。喉が熱く、干涸びたように乾いていた。
 水音が響く。
 ぼんやりと、目を向けた。
 微かな光の中に影がある。最小限の動きで出来る限り音も気配も殺して。決して気づかせないようにと心砕いて伸ばされた腕の仕草。
 やわらかな、ぬくもり。微かに彼女の香りが届く。
 …………匂いなんて、判るわけもないのに、それでもかいだ(かぐわ)しさ。
 布団の中で寝返りも打てない。ぼんやりと見遣った視線には気づかれない。ちょうど彼女は自分の汗を拭う為のタオルを冷水につけているから。
 未だ春先で、冷たい水は肌を切るようだろうに。嫌な顔などしないでこんな夜中に一人傍にいて………そうして甲斐甲斐しく自分の世話をしてくれる。
 それがなんでなんて、聞けない。
 …………好きだと、ずっと思っていた人。
 初恋を忘れる事などできず、彼女以上に自分を包んでくれる腕も知らない。
 だから求めて求めて求めて………そうして強制とさえいえる状況の中、承諾させた。
 全てを美しく解釈してくれる彼女は、自分の薄汚い願いや祈りさえも浄化して、どんどん優しく穏やかなものでいっぱいにしてくれる。
 もっと、自分は汚かった。汚濁にまみれたような匂いがして、春の日差しのように柔らかな彼女を穢すのではと、怯えた。殊更幼い子供のような我が儘で困らせたのも、そんな自分を知られたくなかったからと、彼女を傷つけたくはなかったから。
 「さと……こ……」
 心配そうな顔。………当たり前だと心の中で舌打ちをする。
 自分がどれほど大人びていても、どれほど大人以上の事が出来ても、それでも未だこの身体は子供なのだ。
 それが歯がゆくて仕方がない。
 青白い彼女の顔を元気づけられるわけもない。………原因が自分なのだから。
 「どうしたの……風茉くん?喉、渇いた?」
 柔らかく響く小さな声。それを可憐と讃えられるほど素直ではないし、自分はいじわるだけれど。
 守りたいと、そう思った心だけは本当に本気だった。
 「馬鹿か…お前は。そんな、病人みたいな…面して………」
 掠れかけた音を切れ切れに訴える。いつものように自分が憎まれ口をきいて、少しでも彼女に笑って欲しかった。元気が出たんだねと、安心して欲しかった。
 伸ばされた腕を掴んで、平気だと強がりたかった。
 それでも、この小さな身体は願うほどの力は持ってはおらず、祈るほどの体力も備えていない。大の大人だったらこの程度では倒れないのにと唇を噛み切るほど悔しんでも、それは今はまだ手に入らない未来のものだ。
 見遣った視線の先にはきょとんとした咲十子の顔が写った。
 本当に読めない少女だ。あどけなく穏やかで、単純明快なくせに難解な人。笑ってと示す腕に難色を示した事なんて、珍しくもない。
 自分は優しくする方法なんて、知らない。咲十子のような人を幸せにする方法なんて………判らない。
 それでも願ったし望んだ。拒まれたくなどないから、なによりも強くその腕を掴んで離さないでいる。ガキのような我が儘と大人の駆け引き。………みっともない事この上ない。
 なんと言えば安心させる事が出来るのだろうか。威風堂々と、愚かな重役たちを見下すように鮮やかな手口で会社を創造する事は簡単なのに、こんなちっぽけな少女一人を心安らかにする事はなんて難しい事か。
 逸らした視線の先には高く遠い天井の闇。幼い頃から一人それを見てベッドで眠っていたのだ。熱があって苦しくても、関係はない。一人耐えて生きようと決めていた。………手に入らないと思っていたから。
 自分が優しい人を手に入れればどうなるか、これでも自覚しているつもりなのだ。この強大すぎる一族の中、咲十子のようなやわらかなモノを引き込めば、他の重圧に変形し壊されるかもしれないと………
 それでも願うこの浅ましさ。自分の願いと祈りの為に。
 「これくらい……なんともな……」
 だからせめて、平気だと。この程度ではどうなる事もないと。………不安など感じないで欲しいと、訴えたい。
 笑っている姿が好きなのだ。悲しんだ顔など見たくない。辛い顔など、願うわけもないのだ。
 噛み締めたい唇を自制し、大人の顔のまま言うはずだった言葉は……飲み込まれた。
 ふんわりと優しい御手。
 ………馨しき香りとともに頬を優しく撫でた。
 「あの、ね、風茉くん」
 キラキラと輝くように闇の中、小さな咲十子の声が聞こえた。潜めた息よりなお頼りないそれは、彼女自身のようで歯がゆくて…守りたいのだと頬を滑る指先を握りしめたかった。……未だ力の入らないこの身体ではどうする事も出来ないけれど……………
 悔しい。
 ………情けない。
 小さな小さな自分の身体。咲十子を抱きしめる事すら精一杯の短い手足。階段を何段先にあがってみれば彼女を追い越す事が出来るのかなんて、間の抜けた事まで考えてしまうほどだ。
 眇めた視界には闇。それを包むように長く垂れ込めた長くふわふわした柔らかな咲十子の髪。
 それが頬を掠めるように近付く。一瞬後、咲十子が近付いた事にようやく気づく。
 ひんやりと冷たいタオルの感触が頬を滑る。近付いた顔に心奪われ、逆手ではしっかりと役目を果たしている事に目がいかなかった。そんなもの感覚に残す事すら勿体ない。いま、この瞬間こんなにも間近に咲十子がいるのだから。
 「我慢しなくていいんだよ………?」
 傍にいるんだから、と。………小さく小さく淡い咲十子が微笑む。
 暗闇の中、そこだけが光をまとうように姿を讃えていた。
 ………涙が溢れそうな、瞬間。
 彼女を間近に置くようになってから幾度もあるその瞬間。悔しさや情けなさすら凌駕して、泣き喚きたくなる。
 そんな真似晒したくないから飲み込んで、いつものように不遜な態度でいじわるを言って………そうしてなんともなかった振りをする。
 それが一番、簡単な方法。誰も傷つけずにいられる唯一の方法。
 だから、笑ってみた。
 「…脳みそツルピカがなに言ってやがる………」
 泣きたい衝動と同時にわき起こる愛しさ。守りたいのだと、心底思える自分が信じられない。
 暗闇の中、咲十子の姿だけが浮かぶ。まるで救いの象徴のようで辟易とした。そんな、自分の為だけにしか存在しないように思えるわけもないのに。
 ………そうであって欲しくたって、現実がそれを許すはずがない。
 歳の差の障壁くらい判っている。誰よりも一番自分が身に染みている。
 それでも願った。望んだ。……それだけは誰にも覆させない。咲十子にだって、否定させない。
 だから笑ったのだ。いつものように大人びた笑み。ほんの少しの寂しさを溶かして、横たわった小さな顔は笑みを作り上げた。
 それをぼんやりと見つめる咲十子に苦笑しかける。いつもならいじわるを言うと泣きそうな顔をしていじけるか、言葉に窮したように唇を曲げるか。そんな不貞腐れ方をするくせに。
 呆然としていた彼女。
 なにか信じがたいものを見つめるようなそれに、疑問が湧くと同時に頬を撫でていた指先がふんわりと瞼を覆った。
 …………ようやく気づいた。闇のなか視界が掠れているのかと思えば、違った。
 こぼれ落ちた雫が目尻を伝って顳かみに到達し、咲十子の手のひらを湿らせた。拭うのではなく、包むように指先を動かしたたおやかな指に、びくりと身体が震える。
 なにを考えているのだろうか。この難解な少女は。
 解りたいときにこそ不可解な反応ばかりの人を見上げようと思っても、己の涙に恥じ入る気持ちが強く、目が開けられない。
 「小さいときにね、私、あのアパートに引っ越してから、嬉しい事が一杯だったの」
 頑な瞳を許すように覆った指先はそのままに、咲十子の声が響いた。………やわらかなソプラノ。
 耳に沁み入るように夜気すら安らぎに変え、ふうわりと揺らす音は怯えた耳を優しく溶かした。
 「手を伸ばすところにお母さんがいるの。私がなにかすると、喜んでくれるの」
 どんな顔でこの言葉を紡いでいるのか見る事は叶わないけれど、こんなにも深く透き通る声音を風茉は知らない。
 …………こんなにも優しい音を自分に与える人を、知らない。
 「ねえ風茉くん。私たちは手のところにいるからね…………?」
 だからゆっくり休んでと、微かな音が囁いた。優しい優しいソプラノの歌声。
 棘にまみれた心を優しく包んでくれる。傷すら恐れないそのしなやかさ。脆弱ですぐにでも手折られ果ててしまいそうだというのに、咲十子の芯はそんな弱さを孕みもしない清らかさ。
 溶けてしまいそうに熱い。………その声に触発された心が、持て余すほどに熱くなる。
 同じ思いでは未だない。咲十子は風茉が思うよりもずっと浅く極普通の感情しか寄せていない。好意はあってもそれはいまだ以上のものにはなっていない。
 それでももう、十分。
 いまこのときには過ぎるほどに寄せられている。
 瞳を覆われたその状態で、頷いてみる。落とされた瞼がそれを自身でも感じ取ると、急速に睡魔が襲って来た。
 何かを探すように睫毛を動かしてみれば、気づいたように咲十子の指先が離れ………感覚の薄くなっている風茉の指先を探し出し、握りしめた。


 闇夜の中、冷たく凍える記憶たち。
 それらを溶かしあたためる、優しいぬくもり。

 包むつもりで包まれた。


 それは未だ紡がれぬ糸の先の恋人の声。





 「ディアマイン」の風茉と咲十子でした〜!今回の話は1巻の終わり辺りの話の秘話っぽく。
 大好きな作品ですが先日ようやく全巻揃えました。………全4巻揃えるのに次作の「てる×てる少年」が来月には8巻が出ますよってくらいかかってます。
 …………大馬鹿ですか自分(切腹)

 なんか書いていたら爆(ジバク)とシスター(オリジナル)のような雰囲気に。
 途中で気づいて慌てて頭から追い出しました。危ない危ない。
 ちなみに現在花とゆめで連載中の「てる×てる少年」は主人公の女の子(姫)が爆みたいでその相手役の従者がカイのようです(笑)
 この方の作品はどれも好きですが、一番好きなのはおそらく「ディアマイン」でしょう。
 風茉と咲十子が大好きだから!
16.4.24