柴田亜美作品

逆転裁判

NARUTO

突発。
(1作品限り)

オリジナル
(シスターシリーズ)

オリジナル



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しとしとと、雨が降る

季節外れの長雨

しとしと しとしと

窓を濡らし、アスファルトを濡らし

……肩を、爪先を、そうして

知らぬ間に、その髪を。
その、玲瓏なる白き面、を。

しとしと しとしと

雨が、濡らす。





睡蓮の花。



 軽く伸びをして、肩をほぐす。ずっと室内に籠りきりで窮屈さを感じる身体はその程度の動きでは到底ほぐれはしなかった。
 それでもあまり意味のないその動作を、やるとやらないとでは気分が違う。腕を動かせば、その手首から垂れ下がった鎖がカチャリと金属質な音を響かせた。
 それを出来る限り意識しないように振る舞い、肩を回すようにして捕われていない腕を動かす。もっとも、歩くという動作の中ではどうあってもその音を消すことは出来なかったが。
 パソコンの画面を睨み続けてちかちかする眼を落とした瞼での裏側で感じながらも、(ねんご)ろに扱うように眼球をゆっくりと動かす。眼精疲労故か、それとも純粋にディスクワークを長時間続けているせいか、首筋や肩が痛む。
 軽く息をつき、月は鎖が張りつめるより早く首だけを背後にまわし、背中を向けたままの監視人に声をかける。
 「竜崎、コーヒー入れるけど、飲むか?」
 「お願いします」
 月の声に従うようにして、身じろぐこともなくパソコンを見つめ続けていた相手が答える。音で理解していたのだろう、声をかけると同時に竜崎は椅子の上に揃えられていた足を床に下ろし、立ち上がった。
 片腕同士を互いに拘束しあっている手錠が、それに合わせて音を響かせる。もう慣れてもいいだけの時間は過ごしているが、やはり気分のいいものではない。
 軽く嘆息しながらも、月は竜崎の腕に負担がないように彼が近付くのを待ってから歩き出した。
 たかがコーヒーを入れるだけだ。正直、自分たち二人が一緒にいくより、片方が残って処理をしていた方が時間活用としては有意義だろう。
 それでも文句を言うでもなく諾々と月は手錠を受け入れたままキッチンへと向かった。その後ろをまるで観察でもするかのように竜崎が続く。
 監禁から解放されて以来、彼の従順さには頭が下がるほどだ。現状を理解し、憤りや憤怒の全てを実質的に手を下した竜崎ではなく、その元凶たるキラへと向け、意欲的に捜査に貢献してくれている。
 実際、月の発言は重用するに足るものばかりだ。頭がいいことは周囲も理解していたが、そのレベルの高さに今は本部の人間で彼を疑うものはいない。
 最も発言力があり、権威を握る竜崎を除けば、ではあったが。
 それでも多少の不自由を強いられ、24時間自身を監視する人間と手錠で繋がれているこの状況で、けれど彼には疲弊した感は見られなかった。夜もきちんと眠っているし、挙動に不審な点はなかった。もっとも容易く見破れるようならば、捜査の初期に夜神家に施した監視カメラだけで検挙は事足りた。
 「………………」
 湯を沸かし、インスタントコーヒーをセットする月の背中をじっと竜崎は見遣る。月が動く度に邪魔にならないように、まるで背後霊のように竜崎は物静かに付き従った。それに対しては特に文句らしい言葉も、非難を混めた視線も与えられることはない。
 一切手を出さないのは、以前いわれて手伝おうとした際、手錠の存在が邪魔をしてカップ類を惨澹たる姿に変えてしまったせいだ。
 日常生活に関する所作は自分よりは月の方が物馴れている。そうであれば自然、手を動かす対象は決定してしまう。………存外面倒見がいいのは彼を監視していた際の妹とのやり取りで知っていたが、まさか自分にもそれが適用されるとは思っていなかった。
 「………竜崎」
 「はい」
 「手伝え、とはいわないけどな」
 「ええ」
 「いい加減、観察し続けるのは不躾じゃないか?」
 明晰な頭脳を有している割に、どうもそうした人間的事情には鈍い友人に、月は溜め息まじりに呟いた。
 からん、と、月はカップの中にスプーンを入れる。そこに注がれた湯が醸す湯気の先、竜崎の淀んだ闇色の目がぽっかりと取り残されていた。
 それはまるで真夜中の光景を反転したかのようだ。真っ黒な満月と、真っ白な夜空。奇妙な光景だと、月は微かに笑う。
 「ですが、私は月くんがキラだと疑っていますから」
 それ故に挙動の全てを自身の目に映さなくては安堵がないと首を傾げていう様は、まるで常識を問われて困惑するかのようだ。それに月はまた、軽く息を吐き出して深くなりかけた溜め息をやり過ごした。
 終始一徹して彼は自分をキラだと言い続ける。そんなはずはないといくら言っても聞きはしない。頑迷なまでの依怙地さは彼の本質にほど近いのだろう。もっともそんな理由で全てを許すには、彼が自分に与えている嫌疑は軽いものではなかったが。
 「僕はキラじゃないよ」
 「いいえ、月くんはキラです」
 もうすでに慣れてしまった、言葉遊びのような問答。が、互いに本気であり、譲るつもりがないという点において、あまり微笑ましい光景にはなり得なかった。
 また小さく息を吐き出し、無駄なやり取りだと先に引くことを知っている月が冷蔵庫に手を伸ばした。
 もう議論はないのかと竜崎は首を傾げる動作で月を見遣り、ついで彼が取り出したホイップクリームの箱に視線を移した。
 自分の頬に当たっていた視線が緩んだことに気付いた月は、手の中のものの効果の偉大さに吹き出しそうになる。しかし同時にそれは微笑ましさと背中合わせの警告を竜崎に与えなければいけないものでもあった。
 「………竜崎、量は少なめだぞ」
 「たっぷりがいいです」
 「駄目だ。お前は甘いもの摂り過ぎなんだよ。栄養が偏るどころじゃないだろ?」
 今日も食事を残していたと、叱りつけるような視線で月が呟く。今までは特にそうした場面を目にしなくても、忙しいから自分が帰った後にでも摂っているのだろうと思っていた。が、それはとんだ思い違いだった。正真正銘、彼は自分が目にしていたもの以外の食料を摂取していなかった。
 それを知ったときの不毛な問答を思い出して、月の眉は更に寄った。
 「ですが……」
 「嫌なら今日はブラックで飲むんだな」
 砂糖すらまだ入れていないカップの、銀色のスプーンをすくいとって月が笑んでそれを竜崎に掲げた。
 それを見上げながら顔を顰めるようにして竜崎の唇が引き結ばれる。拗ねるというより、それは若干の困惑を呈している。
 時折竜崎はそんな風に月を見た。まるで別人をそこにあてがわれて途方に暮れたかのような、そんな顔。
 「………月くんは、朝日さんに似ていますね」
 小さな溜め息のような、そんな声。
 それに不思議そうに目を瞬かせた月は、誇らしそうに微笑む。綺麗に………それは、まるで最上の褒め言葉を与えられたかのような喜びを示していた。
 それを見つめて、竜崎はひっそりと息を吐き出す。………月が意地悪な真似をしても、それは決して悪意からではない。正真正銘の、善意だ。むしろ常識を教えなければいけないという使命感かもしれない。
 それは、以前にはなかったものだ。自分を前にして、………否、常に周囲に対して何かを張りつめて一歩退いていたはずの月が、その一線をなくした。そうして鮮やかに示されるのは、呆れ返るほどの純朴な、無辜の正義感。
 それは誠意と実直さを誰もが感じ取る、彼の父に由来する性質だ。
 「そりゃ、親子だからね」
 嬉しそうな笑顔で、けれどそれを少し隠すように月が答える。親子であるが故の敬意は、他者には気恥ずかしいものなのだろう。やはりそうしたものも、以前には見られない幼さだ。
 型にはめられたような、信じられないほどの優等生の姿が、人間味を帯びてそこに展開されるこの奇妙さ。あの人形じみた、現実味のない彼はどこに消えたのかと問いかけたいほどだ。
 「……以前は」
 「ん?」
 控えめの砂糖とクリームを入れたカップに再びスプーンを添え、月は小さく囁く竜崎に差し出した。そのカップに目を向けず、また自分を見上げるようにねめつける相手に苦笑するように笑いかける。
 優しさを滲ませた、顔だ。鋭さもなく、誠実さと優美さをたたえた笑み。その外見を柔和に変化させたものが何か、誰にも解らない。そしてその変化に気付いたのは自分だけ。
 彼は、彼ではなくなった。それは解るけれど、それでも事実は変わらない。だから、彼以外にキラはいない。存在しないのだから、いるわけがない。
 こんなにも明白なのに、誰も気付かない。そのことこそが驚嘆に値する。
 仄かな湯気の先、まだ幼さを垣間見せる青年の面が揺れるように佇んでいた。
 「名前のままの人だと、思っていました」
 「僕?」
 突然何を言い出すのかと眉を顰めて、月は一歩竜崎に近付く。軽くスプーンでクリームを掻き混ぜ、もう一度カップを差し出す。が、やはり竜崎は目もくれなかった。軽く息をついて月はカップを手近なテーブルに置いた。
 竜崎は一度思考にはまると、周囲に目も向けない悪癖がある。いい加減慣れてきたが、こうして手錠で繋がれて日数を重ねれば、その元凶が自分であることくらい、すぐに気付いてしまう。
 ………それを思い、微かに月の表情が曇った。
 友達だ、と、彼はいった。そして自分もそれを受け入れた。憧れた人だ、それが当然だ。それなのに同じ声が自分がキラだと糾弾する。この途方もない落差は一体なんなのか。自分こそが彼を詰りたいはずなのに、彼の落胆を知っているから、それも出来ない。
 殴って、彼がまた歩き出せるならそれで良かった。落ち込んだり力が抜けたり、そんな姿は許せなかった。でも本当は知っている。そんなのは周りへの言い訳だ。
 友達だと、そう言ったくせに疑い続けて裁くことを願う彼を、本当はずっと殴りたかった。
 …………結局は自分の憤慨をぶつけただけだ。彼がやり返してこなかったら、さぞ自分は極まり悪く落ち込んだことだろう。
 思い出したその居たたまれない憤りが、一瞬沸き起こる。が、それを自制し、月は竜崎の言葉の先を待った。
 小さな、まるで空気を震わせることさえ躊躇うような声で、竜崎が言葉を綴る。
 「夜の中、燦然と輝く。そういう、玲瓏で無機質な……………」
 それでも淡々とした声音が紡いだ言葉は、どこか人間味を感じさせない機械へ向けたような、そんな酷薄さを寄り添わせている。
 ひくりと唇が引き攣りそうになりながらも竜崎のそんな応対に慣れ始めたせいか、月はゆっくりと息を吸い、吐き出す呼気と同じ平淡さで彼に返した。
 「…………竜崎、失礼だっていうこと、解っているか?」
 「そうですか?」
 目を瞬かせ、不思議そうに月を見上げる。それを見つめ、月は軽く額に手をあて、呆れたように息を吐き出した。
 竜崎は不躾だと、つい先ほどいったばかりだ。能力は文句なく世界でもトップレベル……否、おそらくはトップの彼は、けれど対人間関係というカテゴリーに対しては無頓着な愚かしさがあった。
 厭味でもなんでもないらしいその言動は、けれど変化の乏しい能面故に冷笑にさえ受け取られる危うさがある。それを自覚してなお彼は改めないのだから、自業自得というものなのかもしれないが。
 自分の分のカップを手に取り、月は真っ黒な液体に口を付ける。ひと呼吸入れた後でなければ、感情的に彼を責めることしか出来そうにないと判断しての行動だが、その間さえ惜しむように竜崎は唇を動かした。
 「でもいまの月くんは、夜は眠っているような感じです」
 「………僕は竜崎ほど睡眠に対して淡白じゃないから」
 「いえ、現実的な話ではなくて」
 揶揄するように眠りが浅く短い竜崎に笑って返した月の返答に、至極真面目に訂正を入れる。その声と一緒に、竜崎はのそりと緩慢な動きで月の傍に近付いた。
 そうして手を伸ばし、月が竜崎用に入れたコーヒーに引き寄せた。ホイップも溶け、表面は月の飲むブラックとは似ても似つかない白に覆われていた。
 それでも、これは元は同じものだった。
 「………………」
 じっとカップを見つめ、竜崎はその視線を月に送り、またすぐにカップへ戻す。
 この表面の白い、もう既に甘く味の変わったコーヒーと、月の飲む苦く濃いコーヒー。異質でありながら、元は同質だったもの。
 まるで……と、そう思っていると、かすかな苦笑の溜め息が聞こえた。
 「それ以上はダメだからな」
 自分とカップを見比べる竜崎の行動をホイップの量への不満と受け取った月が、仕方なさそうな苦笑で軽く竜崎の額を叩く。それを受け、目を瞬かせるより早く、竜崎の口が開いた。
 「残念です。あ、いえ、違います。そうではありません」
 保父のような笑みで我が侭をやんわりと包んだ月の声音に従って答えてしまった言葉に、けれど竜崎はそのまま否定を加えた。それが今の行動の理由ではないと。………勿論、若干そう思ったことも否めはしないのだが。
 「ん?なに?」
 首を軽く振っていう竜崎に、何かまだあるのかと問うように視線を向け、月はまた一口カップの中身を口に含んだ。
 それを見遣りながら、竜崎は自身の手の中のカップをずいと、唐突に月の眼前に押しやる。まだカップに唇をつけたままの月の目の前に、クリームの白に混ざりきらない黒が滲んで見えた。
 「………………?」
 行動の示すものが解らずに、月は一歩後ろに下がってカップに当たらない位置になってから唇を離す。それは予想していたのだろう、特に気にせずに竜崎がそのままの体勢で言葉を紡いだ。
 「元は同じだったはずなんです。が、月くんは別のものを手に入れて色を変えた」
 詩を朗読するような滑らかさで告げられた言葉は、けれど要領を得ない言葉だった。
 コーヒーと自分と、一体何を重ねてそんなことを言い出したのか。途切れた竜崎の声が続きを奏でるまでの間、脳裏で整理しようとするがきっと無駄な行為だ。彼は自分の中の流れを他者もまた感じると時折勘違いしてしまう。
 それは一から十を知る人間にありがちな身勝手さ。説明の言葉が続かないであろうことも予想し、月は仕方なさそうに竜崎を見た。
 そうして、彼に解るように困惑を示して眉を寄せる。
 「………?何の話だ?」
 「朝日さんに似ているという話と、夜は眠っているという話です」
 「…………繋がっていたのか、それ」
 即返された返答は、やはり不思議そうな顔だった。呆れたように吐き出す溜め息は、今のやり取りだけで何回目だろうか。そんなことを考えながら、月は苦笑を浮かべながらその話に付き合う。
 名前も年齢も、その経歴の全てが不明の男。それが少なからず自分に興味を持ち、知ろうとしている。それはどこか拙く、無邪気で残酷な手腕だ。
 それを思い、彼がいままで肩を並べて誰かと言葉を交わすことがいかに少なかったのかを、何とはなしに想像してしまう。
 竜崎の言動は不躾だし、相手を不快にさせる場合が多い。それでも彼は悪意からそうした応対をするのではなく、それ以外の方法を知らず、憤る相手の反応を理解しつつも他の手段を持ち得ていない赤子のようだ。
 そんなことをいえば確実に気分を害すだろう男は、真っ直ぐに自分を見上げて何かを探している。
 …………自分の中に、キラを。彼が捕らえると宣言し、自分もまた、許すことの出来ない類を見ない大量殺人犯。
 微かに眇めた視界の中、竜崎が口を開いた。もうとうに慣れてしまった、無機質さを孕む声。
 「朝日さんと今の月くんは同質です。正義感と善意と誠意。そんな祝されるもので固められた人間に見えますから」
 その声が紡いだ最上の賛美に知らず細めた視界が和み、唇は笑みをにじませる。
 敬愛し、他の誰よりもその人の力になりたいとその背中を見続けて生きてきた。父を褒められることはもちろん、そんな父に近付いていると認められることは素直に嬉しかった。
 柔らかな笑みを光の射さない闇のようにポッカリと開いた瞳に映しながら、複雑さをたたえた声が、ゆったりと響いた。
 「一度は色を変えたはずなのに……どうして月くんは同じ色に戻ったのでしょうか」
 「……………それは、僕がキラとしての記憶をなくしたって、そう結論付けたいのか?」
 笑みを浮かべていた唇を不満げに歪ませ、優美な眉を隆起させて睨むように月が呟く。
 それにゆっくり頷き、至極当然そうに竜崎は付け加えた。
 「はい。ですが結論付けるのではなく、確定ですから、証拠が欲しいだけです」
 「…………僕はキラじゃないし、キラにもならない」
 「月くん以外、誰もキラにはなれません」
 苛立ちを押さえようと息を飲みながら返す月に比べ、竜崎の声は凛と返された。すぐに戻される言葉は迷いもなく、躊躇いもない。………それはいっそ、渇望しているかのような、声。
 手にしていたカップをテーブルに置き、その手を組んで月はすぐ間近にいる竜崎の顔を見る。友達だ、と、先に言ってきたくせに。それでもこの男は自分を捕らえ死刑台に導きたいという。
 それを非情だとは言わない。罪を犯せば償わなければいけないのは、どんな人間でも同じだ。近しい人間だからと罪を見逃すことは許されないし、そうあってほしいとも思わない。
 それでも、自分はキラではなく、彼を友人だと、そう思っている。……その思いの差だけは、どこか切なくて苦かった。
 「悪人を許せないなら、誰だってなれるよ」
 「いいえ。月くんでなければ、無理です」
 震えないように呟く声は、切実だ。今まで疑われるような行為をしたことはないし、まして糾弾され続けるような思想も行動も持ち合わせてこなかった。
 誠意を込めて、素直に、自分を見てもらい続ければきっと解ってもらえる。嘘を吐いていないのだから、誤解は必ず解ける。そう、思うのに。
 同じ確かさで月は知ってしまう。同等の頭脳を持ち、その思考を追えるからこそ、解ってしまう。
 この先、何があろうと竜崎が自分を疑わずにいることはないと。………キラだと、そう言い続けるということを。
 「………なんで」
 遣る瀬無さを覆い隠すように微かに俯き、か細く吐き捨てるように、問いかける。
 「朝日さんと同質で、それでいて、あなたは若く柔軟だからです」
 返される声はやはり鮮明で、揺るぎない。当然だろう。彼の目に映る自分は、凶悪な殺人犯だ。それはもう、永遠に変わらない。変えられない。…………どれほどの純乎な意志を捧げても、それは無駄な足掻きだ。
 「………それでも今の月くんは、名前とは逆のものに、見えます」
 ぽつりと落とされた声に、躊躇うように床を彷徨っていた視線がゆっくりと彼を追う。
 相変わらず、何を考えているかなど誰にも伝わらない淀んだ瞳とその下には消えることのない濃いクマ。………自分と手錠で繋がるようになってから、それは一段と濃さを増した。
 彼が、自分と一緒では心安まらないことくらい、知っている。
 友達でも、自分達は……少なくとも彼にとっては、裁くべき対象であり、最強の敵だ。
 「夜ではなく、日差しの中でしか花開かない、睡蓮のように」
 「…………優雅なたとえだね」
 それがただ消沈した自分を慰める、友達としての竜崎の言葉だとしても、それでも感謝するように月は淡く笑んだ。
 それは儚くて、寂しい笑み。疑われていることも、それ故に与えられる精神的負担も、肉体的な拘束も、全てを許し、眼前の友人ではなく、友人をそうまで惑わす己と、未だ捕まえることの出来ないキラを憎しみの対象にする健気さ。
 純潔な命だと、思う。そうしてその度に困惑し、眼前の綺麗な青年が誰であるのかを問いかけたくなる。
 彼こそがキラであり、そして、自分は彼がキラであることをこそ、悦んでいる。命さえかけて戦える、同じ世界を見ることの出来る唯一の…………敵。
 「…………………………」
 残酷なことだろう。未だ大人にはなりきれない彼は、その柔軟な精神さえ疑われる対象として見られている。
 友達だと、そんな甘い言葉を与えておきながら常に疑っていると宣言されるその矛盾。自分を憎むのではなく、悪を憎む、その健全ささえ、信じてはいないのだと。
 じっと、瞬きすらせずに淡く笑む青年を見遣る。誰だろうかと、問いかけたくなる困惑と同時に、脳裏には整理しラベル付けされた情報が次々と浮かび、その対象を解析している。
 人間味がないのは自分もまた同じと、自嘲と自戒を込めて、竜崎は微かに視界を細めた。
 「コーヒーも入れたし、もう戻ろう」
 この話は終わりにしようと、暗にそう示して月が歩きはじめる。
 その後ろ姿は細く、その肩は軋轢に疲弊し壊れそうだとも、思う。
 それでも同等の強さで願うように、確信する。………その整った肩に乗った、多くの罪人の魂の重み。それを抱え耐えることが出来るのであれば、自分との確執など些細なことだ、と。
 瞼を落とし、鎖の音が響くに任せ、彼が歩く足音を聞く。鎖はさほど長くはないので、すぐに自分も歩かなくてはいけない。
 不審がられるわけにはいかず、付け入る隙を見せてもいけない。………互いに、条件は同じはずだった。

 だから、彼も大丈夫。

 祈るように、そう、確信する。





 …………友達だと、そう伝えた相手が、壊れることはない、と。








 久しぶりにデスノート。ここ最近原作読み返したからね☆でも映画は見ていません。
 やはり私はLが好きで。それから、月との微妙な関係が好きだったので。第二部になってからは自然と疎遠でしたね(苦笑)

 睡蓮の花の花言葉、は、清純・心の中の純潔・信仰などがあります。月とキラの関係に何となくあてはまる感じがして面白かったので無理矢理詰め込みました。結果、妙に長い文になってしまって(汗)
 二作品にでも分ければよかったかなーとちょっと思いました。まあどっちみちリンクする話なら一緒でいいですよ……ね?(汗)

06.8.7