柴田亜美作品

逆転裁判

NARUTO

突発。
(1作品限り)

オリジナル
(シスターシリーズ)

オリジナル



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価値あるものとは何であるのか。

それすら解らず生きている。


ああ


自分はこれほどまでに無価値なのだと

思い知るというのに………………





接月花



 走ることが得意だった。幼い頃からそれだけは自慢できることだった。
 成長して後は背も伸び、貧弱な体つきではあったが、脚力だけは人一倍で、運動能力は人よりずっと抜きん出ていたのだと、知った。
 ………初めての、その盗みの晩、に。
 人という人がどこまでもどこまでも自分の後ろにいるのだ。あっという間に振り切れてしまって、初めてのその出来事に呆気にとられたのは多分、自分自身が一番だ。
 己の価値も知らぬ自分が、手にした初めての宝石。たまたま花屋にやってきていた主人が愚痴にこぼしていった高利貸しの家にあった、きらびやかな赤い石を玉座に埋めた胸飾り。
 走り帰った貧民街の隅の破れ長屋に踞り、月に透かしてそれを見つめる。
 「…………なんていう石なんだろう。真っ赤で、綺麗で………」
 それでもその石の名前すら自分は知らないほど、無知で。
 価値あるその石を手にしていながら、自分はどこまでも無意味な存在なのだと、突き付けられたようで絶望が目を掠めた。
 ぽたりぽたりとこぼれ落ちたものの名が、涙と言うことくらいは知っている自分を嘲笑うように含み笑い、声を押し殺してただ泣いた。
 知りたいことすら知らぬくせに、知らないということは知っている。
 そんな自分を産み落としたこの世界の意味すら、やはり自分は知ることはできないのだろうかと、嘆きながら。
 …………こぼれたのは、尽きた涙のあとの、虚無の笑み。

 その後どれだけのものを盗んだだろうか。
 自分の後を追うものたちの足は遅く、本気で走っていったならその声すら自分には届かなかった。
 この月の下、隠した顔のまま自分はどこまでもどこまでも自由だった。このときだけは自分を否定するものはなく、己という存在を誰もが認め求めてくれる。
 盗んだものはどれも価値あるもので、あといくつこの身に飾ったなら、自分というものがいつであっても求められる確かな存在となってくれるだろうと、微笑んだ。
 そうしてのばした足の先、ぼんやりと浮かんだ青い宝石。
 …………目の端に止まったそれに息を飲んだ。
 青く青いその腕は、月明かりに透かされ透明に変わる気がした。
 不可思議なその腕が生身の腕とも思わず、ほっそりとした指先を愛でたくて、知らず近付いていった。いくら無知な自分でも、盗みのその後に下手人が人に会うことの危険性くらいは、知っていたというのに。
 何も頭の中にはのぼらず。ただ、花に惹かれるミツバチのようにふらふらと、その腕の差し出された窓の目の前の屋根に、舞い降りた。
 「………気味悪い」
 瞬間に、その腕は言葉を発した。それは未だ自分を認識する前の、心の吐露。
 月明かりに透かされたその腕に惹かれやってきた自分を知らない、己を否定する音に驚き、窓の中、たたずむ美しい人を見つめた。
 何か、語りかけなくてはと、焦る。
 学もなく、洒落た物言いなどとは無縁の暮らしにいる自分が、この豪奢な屋敷に住う娘の心に残るような言葉を知っているわけもない。それでも必死に考えた。彼女の瞳が驚きに広がり、息を飲むその僅かな間。
 叫ばれる、とか。……捕らえられるとか。そんな当たり前の危険性を脳裏は描くこともなかった。ただ真っすぐに自分を映したその目が瞬くこともなく捉えた己の姿に魅入られる。
 ああここに、自分はいたのだ、と。
 そう感じながら、昔花屋を出している路地で誰かが女性を呼んでいたその言葉を思い出す。滑らかなその音が清らかな女性を表す言葉だと、問いかけたなら気のいいその人は教えてくれた。
 誰何(すいか)する彼女の言葉に微笑みが零れた。心が温まり微笑めることがあるとも思っていなかった。価値を求めてからずっと、笑うときは心が動かないときだけだった。
 祈るような心持ちで、月夜の幻のように佇むまっさらなままの瞳を自分だけに与えてくれるその人に、応えた。
 「月光と、月光とお呼び下さい………レィディ」
 どうか、自分の名を囁いてと愛おしむ心を溶かしながら。

 幾度そうして逢瀬を重ねたか。
 彼女にとっては暇つぶしかもしれないし、警視である父親への当て付けかもしれない。
 証拠のように、彼女は近付くことを許さず、牽制ばかりを仕掛ける。
 そうして………彼女に似合うだろうと手繰った宝石を一つとして欲しいとは言わなかった。
 美しく己を飾るだろう石の煌めきを必要とせずとも十分に美しい人は、けれどどこかいつだって寂しそうだった。笑ってほしくて、声をかける。微笑みを自分に教えてくれた人の笑顔を、自分が産み落としたかった。
 「レィディ、あなたはどんなものが欲しいんですか?」
 問いかければ億劫そうに窓縁に腕を絡め、身体を支えながら遠く月を見上げる。蒼い月明かりに照らされて、彼女は彫刻のように美しく煌めく。
 「どうして?」
 「僕に盗めないものはありませんから」
 欲しいものがあればプレゼントしようと、笑う。喜んで欲しくて。………求めるものを、知りたくて。
 無邪気に笑う男に彼女は困ったように溜め息を落とし、月から視線を落として真っすぐに眼前の男を見つめた。何もかもを見透かすように澄んだ瞳で。
 「盗んだものなんていらないわ」
 「赤い石の収まった胸飾りは?」
 「いらない」
 「緑の宝石の王冠は?」
 「王様じゃないもの」
 「月の色をした指輪は?」
 「持っていても仕方ないわ」
 あらゆる……今まで盗み出した美しく価値あるモノたちを欲しくはないかと尋ねても一瞬の躊躇いもなく否定する。あんなにも美しく、この人がその身に飾ったなら自分とは違い価値あるものと誰もが羨望の溜め息を吐くだろうに。
 「あなたがつけたならきっと価値あるものだろうに……」
 「間違わないで」
 ぽつりと零した言葉に、鋭い声音で彼女は応えた。
 あまり体調が良くないのだろう、彼女の顔色は蒼く、月明かりさえもその色を染められないほどだった。
 それでも気丈な声音は清々しいほど耳に響いた。
 「身につけたものでなんて、価値は決まらないわ」
 「……夜風は、体に障りませんか、レィディ…………」
 彼女の言葉はもっともすぎて、空恐ろしいほど自分が実感したことを突き刺していて、息を飲む。それでもそう呟いた彼女の顔色の悪さに、不安が過る。
 自分が求める言葉を、視線をいつだって真っすぐに与えてくれるこの人が、月に奪われ消え失せる、恐怖。声音を震わせないことが、精いっぱいの虚勢だった。不安は視線に溶け、縋るように彼女を見つめてしまう。
 「………そんな風に扱うのはよして」
 気遣いを、悲しそうに彼女は拒否する。まるでそうされることで己が消えるのだと、そう言うかのように。
 身体が弱い、それが己の価値ではないのだと、消え入る声は切実に訴える。それは……あるいは彼女の弱さの形だったのかも、しれない。
 自分が己の無知を思い知り存在の無価値に溺れそうだった頃と同じで。
 彼女は己の身体の弱さを憎み、そうであるが故にそれを真っ先に気にかけられ己を見られることのない扱いに、己の価値を見いだせない。
 ……………思い知る。
 こんなにも、自分達は同じであったのだと。
 それでも自分はこんなにも彼女に惹かれるのは、自分にはない何かを、彼女は持ち得、そして知っているが故の真っすぐさを、求めているからだ。
 泣きそうな思いで、微笑む。
 「僕は……」
 身体の弱さを愛しんでいるのではないのだと。
 彼女自身を求めるが故に、その身さえもいたわりたいと、そう思っているのだと。
 焦がれる思いのままに、いたわることを許されたい声音を紡ぐ。
 祈りのように粛々と訴える声音を彼女はぼんやりと見上げ、不器用に小さく、笑った。
 受け入れたくとも受け入れることのできない、その現実を知っている、真っすぐな瞳で。
 「レィディ………」
 問いかけは、するりと落ちた。
 深く考えもせず、願うままの声音で囁く、出会ったときからの望みを。
 「もし…僕が泥棒をやめたなら、貴方は僕を愛して下さいますか………?」
 微笑みを浮かべて、愛しさを込めた囁きは月明かりに混ざり彼女の耳に触れる。
 一瞬の空白の後、彼女はきっぱりとただ、答える。
 「いやよ」
 名前さえも未だ教えてはくれない彼女は、節度と言うものをよく知っているのだろう。
 今はもう、盗むものに価値のないことは知っている。泥棒を、意味のあることだとは思ってはいない。
 彼女を知り、彼女に恋をして………あらゆる不条理の更に奥にある心理を、自分は見つけることができたから。
 「………それは残念」
 にっこりと笑い、一歩、彼女の窓から遠ざかる。
 泥棒に意味のないことをもう、自分は知っている。それでも続ける、そのわけを愚かと彼女は笑うだろうか。
 「それではレィディ、また月夜の晩にお会いしましょう」
 屋根を蹴りあげ、風に乗る。そうして彼女さえも手の届かない遠くに、自分は帰る。
 愛されないから盗むなど、愚かなことは言わない。
 ただ、盗んだその帰り道、彼女に会えるのであれば……今、この盗みをやめるわけにはいかなかった。
 愛される公算などない、一方通行の想い。
 それでも彼女の顔を見たくて、また月の出るその夜に自分は空を舞う。


 盗んだものに価値はないのだと、自分と同じ解答を携える美しい彼女に会いに。
 盗んだものを抱えながら、屋根を駆ける。


 月の下でのみ許された逢瀬を、どうか告げないで。

 怪盗月光でなければ、あなたに会うこともできない愚かな僕をどうか許して下さい。





 はーいはいはい。こんなの知っているわけがない、なパロでごめんなさい。
 単行本なんてないですよ。連載ですらないですよ。
 「花とゆめ19号」の読み切りであった「せつげつか」というストーリーのパロです。
 著者は「モリエサトシ」本誌初登場だってさ。そんなの書くなよ、という感じですか?(苦笑)
 でも設定がね、書きたいな〜と思わせるものだったのですよ。
 今回の話の中でちょっと書ききれなかった会話もありますが、まあそれはよしとしましょう。
 蛇足ながらこのタイトルは「せつげつか」に漢字を当てはめたらこうだ、と書かれていたので拝借しました。

 ちなみにちょっと設定も書いときましょうね。
 「怪盗月光」は月夜の晩に現れる正体不明人相不明の評判の悪い金持ちのみを狙う大怪盗。
 その月光は盗みの後、必ず警視の家の隣家の屋根、娘の部屋の前に現れる。
 早い話、口説きにね。
 幾度も幾度もそれがあるようなので、今回はその中の一コマ、的に書かせていただきました。
 ちなみに余談ながらこの原作の中では実際の名前も月光で、娘は月花。月光は昼間は花屋やってますが、計算できないので相手が花に見合うお金をくれたり物を貰ったり、ただであげたり、という感じです。
 ま、そんな二人の想いが通じ合うまで、というのがストーリーでしたわ。

 私は想いが通じ合うその前まで、を書くのが好きなのだがね。恋愛中の感情の推移は想像ができん。

 16.9.25