柴田亜美作品

逆転裁判

NARUTO

突発。
(1作品限り)

オリジナル
(シスターシリーズ)

オリジナル



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おそらのほしはいくつあるの?

おつきさまのうさぎはいつねるの?

どうしてよるはまっくらなの?

他愛もない不思議を一生懸命問いかける。
必死な顔で、真剣に。

そんな姿が愛らしくて。
頼ってくる小さな手のひらが誇らしくて。
たくさん詰め込んだ知識。
世界の真理などまだ解らないけれど。
それでもこの小さな手のひらが望むなら。
きっといつか手に入れる。
そう、確信する。





たった一人のための、特別な言葉たち。



 空が明るくなってきた。夜が明けるらしい。ふとベッドの上でカーテンの先を見遣って、そんなことを思う。いつの間にベッドで眠ったのか記憶にはないが、きちんと布団もかけられていた。
 室内を見回せば昨夜遅くまで手繰っていた分厚い専門書が所在無さげにテーブルの上に鎮座している。その傍にはきちんと消された卓上ランプ。書き留めていたノート類もまとめられ、綺麗に並べられていた。
 それを確認して、もう一度室内を見渡す。けれど目的の対象物は見当たらない。
 「……………………」
 首を傾げて少年は起き上がった。ギシギシと身体が痛むのは、長時間本と格闘していた名残だろうか。
 ベッドの端に腰掛け、サイドテーブルに乗せられた自分の上着を取り上げる。それに袖を通しながら、いつの間にかほつれていた袖がきちんと縫われていることに気付いた。
 それを見つめ、瞳を細める。愛しそうに、やわらかく。まばゆいものを見つめるように眇めた視界には、袖を包む自分の手のひら。
 それに重なる、もっとずっと小さかった可愛らしい手のひら。
 落とした瞼の裏、それが蘇った。鮮明に、まるで目の前にそれがあるかのような姿で。


 芝生の中、楽しそうな声を上げて丘陵の上から滑ってくる弟を見遣りながら、エドは落陽の長さを感じた。もうそろそろ帰路につかなくては、家に着く前に日が暮れてしまう。
 久しぶりの、しかも子供だけでの遠出。年下の弟を守るのは自分の使命で、母親からも言い含められている。名残惜しいと後ろ髪を引かれる思いは勿論あるが、なんとかそれを堪えてエドは近くまで転がってきたアルに手を差し出した。
 「おーい、アル。もう帰っぞ」
 「えー!もっと遊びたいよ」
 土と草で汚れた手のひらを兄の手のひらに乗せ、立ち上がるのを手伝ってもらいながらもアルは不満そうに顔を顰めた。
 父親が帰ってこない日が続く中、ずっと塞いでいた弟をなんとか立ち直らせようと思っての遠出だった。それは確かに正解で、久しぶりにアルは満面の笑みを浮かべていた。家の中では見れないほどにはしゃいでいたし騒いでいた。
 けれどどんな楽しいことにも終わりはある。特に子供の遊びには時間制約がつきものだ。不満を目一杯顔に浮かべるほど楽しんだ弟に満足そうにエドは笑い、ポンとその頭を叩く。
 「ダーメ。そろそろ帰らないと母さんが心配するだろ?」
 一人家で待っている母親だって寂しいはずだ。そういって見れば不貞腐れていたアルの顔は見る見る沈んで、悲しそうな顔になる。喜怒哀楽の落差に、一瞬エドの喉が呼吸を止めたような奇妙な音を鳴らした。
 待っている、というのはある意味失言だっただろうか。そんな風に思いつつ、消沈した弟の頭をもう一度叩いた。今度はそのまま手を離さず、ぐしゃぐしゃとその後頭部を掻き混ぜるようにして撫でる。短い髪が指先をくすぐり、知らずエドの口元は笑んでいた。
 「今から帰ればちょうど夕飯だぜ。母さん何作ってくれたかな」
 からかうような明るい声でいい、まだ俯いている頭に答えを催促するようにして突いた。
 芝生を転げ回ったせいでアルの短い髪は所々が草原色だ。それを手で払いながらボサボサになってしまった髪を撫で付けると、ようやくアルが顔を上げる。
 笑顔ではないけれど、少しそうなるように努力している、顔。
 まだ小さいのに、この弟は笑うことを覚えてしまった。思わず顰めそうな顔を息を飲んで耐えた。………それを教えてしまったのは、他ならぬ自分だったから。
 旅に出たきり帰ってこない父親を待つ母が、寂しそうで。どうすれば寂しくないだろうかと、そう問われた時にいってしまった。アルが笑っていればいいのだ、と。
 それは当然の話で、無難な解答でもある。大人の誰がそう問われても同じように答えたはずだ。いつもと同じようにしていればそれが一番だと。心配をかけず、母さんの手伝いをすれば……と。そんな風に思っての言葉だった。
 けれどこの小さな子供はそれを健気に実行しようとした。
 いつでも笑えるように、頑張ってしまうのだ。どこか生真面目な性質を持っていたらしい弟は、それ故に必死だった。幼い故の執着だったかもしれない。そうしていなければいけないのだ、という、ある種の強迫観念がないともいえないけれど。
 まだ小さな弟は、それ故に周囲の言葉に従順だ。いっそ滑稽と思えるほどに。
 必死になって自分に出来ることを探している。小さな手のひらで自分の服の裾を掴むように、母親のために何か出来ること、と、心砕いて。
 自分もまた、まだ幼くて、言葉を知らない。この小さな弟に与えるべき最上の言葉さえ、まだ解らないのだ。
 「………帰るか」
 「うん。おなかすいたね」
 首を傾げるようにしていうアルは、今度は本当に笑った。幼い笑顔だ。それにほっとしてエドは小さな手をぎゅっと掴む。
 きょとんとそれを見た後、アルもまた、兄に負けない力でぎゅっとそれを握り返した。まるで何かの約束の印のように。
 何も言葉の必要のない、こんな瞬間が好きだった。血の通った兄弟だから、という理由以上に、それは自分達だからなんだと、そう思える。
 たった一人の弟。
 たった一人の兄。
 それは陳腐な表現で、当たり前のことだと大人たちは歯牙にもかけないラベル。
 けれど、と、まだ少しだけ自分よりも小さなアルに目を向ければ、同じタイミングで彼もまた、自分を見上げた。重なる視線にお互いに目を瞬かせて、吹き出すようにして笑う。
 …………当たり前が、とても大事なのだ。こんな風に彼が笑える、当たり前の日常こそが大事なのだ。
 どこへ行ったかも解らない父親が、この笑顔を奪う権利があるわけがない。これは自分と母のための笑顔だ。
 暗くなってきた道を二人、手を繋いで一緒に歩いた。
 途中で眠気に襲われた弟を引きずるように家まで歩いた。………一緒に、ずっと歩いてきた。苦楽を共に分けた、たった一人の兄弟。
 大切な大切な………最後の家族。

 「………さん?」
 不意に耳に響いた音に驚いたように目を開ける。薄暗かった室内にさっと光が差し込んだ。
 その眩さに目を眇め、エドは無意識に手をかざす。その指の合間、鋼色の巨体が窓の前に立っているのが見えた。
 「ア……ル…」
 「あ、起きた?声かけても反応ないから、どうしたかと思ったよ」
 喉奥で笑うような声。カーテンを手繰る指先まで、鎧で固められた身体。同じように鎧だけで構成された顔を振り返らせてアルはエドを見遣った。
 真っすぐに自分を見て、どこかほうけたようにしながらも凝視し続ける兄に首を傾げる。
 小さい頃から変わらない弟のその仕草。痛む胸がある自分がいっそ煩わしい。………代われるものならと、何度思っただろう。
 足音もなく、まして鎧の無様な音を響かせることさえなく、アルは歩む。それ手慣れた仕草だ。
 ベッドの端に座ったままのエドの足下、膝をついて視線を合わせる。空洞しかないはずの胡乱としたその穴に、けれど確かにアルの視線を感じる。心配をした、柔らかな視線。瞳がなくても、それを自分は感じることが出来た。
 歪みそうな顔を必死で笑みに変える。その姿が醜悪だなど、思わない。哀れだとも思いたくない。
 姿形が違うとしても、これは弟だ。たった一人の、自分の大切な愛しい弟。
 「どうしたの?もしかして嫌な夢でも見た?」
 無骨なラインで描かれた鋼の手のひらがエドの頬に触れる。熱を持たないそれは、少し冷たい。泣き笑うようにしてそれを受け止め、エドは自身の手のひらを重ねた。………少しでも、熱を分けられはしないかと、そんな愚かなことを考えて。
 「……………」
 そんな顔を晒す兄を見上げたまま、アルは何をいうでもなくその額を彼の肩に埋めた。高い金属音が空しく室内に響く。
 互いの皮膚すら合わさることのない、身体。ぬくもりを分かち合えるはずの抱擁すら、どこか寂しかった。
 それでも少なくとも、と、アルは閉ざすことの出来ない眼差しを意識を沈めることで暗めた。
 「ばあちゃんたちに会いたいね。ウィンリーにも」
 やわらかく響く声は優しい響きしか残さない。空ろになったはずのその身体の中、それでも魂だけは残された、中途半端な存在。それでも受け入れ認めてくれる人たちがいる。喜んで迎え入れてくれる人たちが、確かにいるのだ。
 頬を寄せるようにして声に耳を傾け、両手で自分を包む兄の不器用な腕を背中に感じながらも、その感覚すら疑似の身体が少し………歯痒い。
 「機械義肢の調整もそろそろしないといけないし、ちゃんと…帰ろうね」
 たとえ家を手放しても、思い出までは失うわけではない。愛しく思う人たちはちゃんと待っていてくれる。
 諭すように言い聞かせるように、自身にさえ、言い含めるように。
 声帯さえなく舌も唇もないはずのその身で、それでも自分よりもずっと優しい声を紡ぐ弟を見遣る。鎧の背中に縋る、滑稽な自分の腕が見えた。
 「…………怒られっから、ヤダ」
 幼い子供の我が侭のような不条理な理由でそう呟けば、背中が笑うように揺れる。
 視界が霞みそうで、エドは強く目蓋を閉ざす。………優しい弟は、腑甲斐無い兄が立ち尽くさぬよう、願うまま望むまま、その心を魂一つで示す術を身に付けてしまう。
 辛くないはずがないのに、感情や感覚の全てを記憶だけで賄うことがどれほどの労苦か、解らないわけではないのだ。
 それでもそれをもう、失えない。




 寂しい冷たい身体を互いに寄せて、たった二人きり。

 眠いのだと駄々をこねることも。
 お腹が空いたと喚くことも。
 まして殴られて痛いと、泣くことさえも。
 全てを失ってしまった、優しい弟。
 それでも彼は一緒にいてくれる。
 二人、元の身体に戻れる日まで。


 ずっとずっと……二人きり。





 小さい頃のエルリック兄弟、をちょっと考えて。
 どんなに小さくてもやっぱりアルはアルだろーなーと思い。
 誰かのために自分を示すことを、選ぶかなーと。
 間違っていても、それしか術が解らないから一心に頑張ってそうするかな、と。
 ………寂しいけどそんな風に想像してしまったのです。

 大人になった時に立ち上がり続けることが出来るように、子供時代は幸福であってほしいと思うのですけどね。それでも残念なことに世の中ままならないものですよね。
 …………だからこそ子供は幸せであってくれと、いつも願わずにはいられないのですが。

06.8.24