柴田亜美作品

逆転裁判

NARUTO

突発。
(1作品限り)

オリジナル
(シスターシリーズ)

オリジナル



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見ていると想起するのは、城壁

高く堅固な
人を決して受け入れない
入り口すら作られていない、城壁

 その城壁の内側で
 細く細く吐き出される
 吐息に似た命の音

容易く朽ち果てそうなその音を確かめたくて
城壁など壊れればいいと
幾度となく、思った



その腕、掴んで。



 夕焼けも終わりそうな中を一人歩いていた。赤く空気が染まったような風景の中、急速に闇が浸食をはじめている。おそらく家に着く頃には辺りは赤など忘れ果てた色に変化するだろう。そんなことを考えながら足早に道を行く。
 寒さに弱いわけではないが、好きなわけでもない。部活で流した汗が身体を冷やさないように防寒は完璧だが、それでも露出した肌は寒気に強張った。
 軽く吐き出した息は白く染まる。自分一人しかいまは歩いていない道は間延びしたように広く感じた。
 もともと大通りから離れているせいかあまり人通りのない道は、この寒さのせいかよりいっそう閑静としている。
 歩を進め、また軽く息を吐き出す。通りかかったそこは、公園だった。そこでの一騒動を思い出し、青年は微かに顔を顰める。
 目に見えるもの、見えないもの。自分には解らないけれど、確かにあるもの。それの善も悪も自分はさして興味がなかった。それらに危害を加えられることはなかったし、祖父の話を聞いていたせいで受け入れ間口は広い方であろうが、ただそうだというだけだった。
 祓う力があるといっても自覚のなかった潜在的なもので、自在に操ることが出来るわけでもない。
 だからあのときの言葉は、確かに彼にしてみれば当然のものだったのかもしれない。
 「…………………」
 自分には警戒心を丸出しにして毛を逆立てる野良猫のような顔ばかり見せるくせに、彼はあっさりとそれに懐いていた。慕って、いた。
 幼い頃に失った情を求めてのものだったのかもしれないし、その代償行為だったのかもしれない。それがどんな感情からだったかなど、自分には解るはずもない。
 ただ、解る。
 己の命を縮めるとしても、その人のために何かしたいのだ、と。
 ………その単純極まりない一途な願いを携えるほど、それに心を預けたのだと。
 思い知らされるように、知った。だからこそ路地に倒れ込んだ彼を抱えて家に連れて帰っても、きっとまた抜け出すと自分は予感していた。予感を持ちながらも、彼が抜け出さないように見張ろうとしなかったけれど。
 彼の意志は彼の意志のまま、自由だ。自分が身勝手に思ったのと同じように、彼もまた、己の自由に選ぶ権利はある。
 もっとも、自分の言葉を彼が受け入れるなんて、考えもしなかったけれど。
 それは決して自分に反抗的だからとか、そんな理由ではなかった。
 薄く開かれた唇からは緩く吐息が漏れる。白い筋を細い道のように靡かせながら、能面のように無表情な顔をただそのベンチへと注いだ。
 躊躇うような笑みで、儚げな吐息で。一枚一枚彼を覆っていたものが取り除かれ、素のままの顔がそこには寄る辺なく彷徨っていた。取り繕っていない、強がってもいない、彼の中の根源的な寂しさと悲哀の面。
 決して誰にも見せはしなかったそれが、そこにはあった。
 ………彼を見てるといつも城壁が思い浮かぶのだ。あるいは、卵、だろうか。
 目に見えないものに狙われ続けたせいか、あるいはその生い立ち故か。彼はどこか人を拒んでいる。
 厭世的とは、違う。そうではなくて、他者と自身の秤を持っていない、危うさだ。
 それが自己犠牲への陶酔であったなら糾弾も出来る。自惚れるなと批判も可能だ。けれど、彼のそれは少々質が違う。
 きっと知らないのだ。早く一人で立ち上がろうとし続けたせいで、誰かに守られるという素地を放棄してしまった。それ故に彼は、己の身の守り方を覚えていない。
 だからこそ、命の天秤をかけられない。己の身を顧みるというその行為が、ひどく下手くそだ。
 悲しみに染まった瞳が脳裏に蘇る。己の命が助かったことではなく、失ったものへの思慕が宙に浮いてしまった、瞳。
 憤り以上の悲嘆に、震えることを忘れた声が綴った、音。
 それが何より痛かった。憎しみや恨みならば、まだよかった。その覚悟はあったから。けれど彼のそれは、違ったのだ。
 生きていないものだから、消すことが正しいのか、と。
 取捨択一の結果が、生者と死者のその理由だけなのか、と。
 ………彼だからこその結果だなど、まるで考えていないその声。
 赤の他人を救うのと同じ理由故の結果だなんて、本気で思われたのだろうか。
 「…………………………」
 また、唇が白く空気を染めた。今度のそれは吐息ではなく、人の名を綴ろうとしたためだった。
 出会いは最悪だったし、その後もあまり改善はされなかった。たまたま相手が歩み寄り、それをきっかけに親しくなった。たったそれだけで、相手のことをよく知っているなど口が裂けてもいえない。まして、心を許されているなんて………
 この公園の中、彼は毎日それと出会っていたのだ。情を交わし、心を交わし、互いの持つ埋まることのない寂しさを寄り添わせて。
 非難できるはずがない。それが悪なのだと、たとえ命を掠め取るものであったとしても、いえるわけもない。
 人間同士以外が心を通わせることが許されないなどと定義するというのならば、人はあまりに薄情だ。惹かれる心があるのであれば、それは求めあう資格がある。
 頭では解っている。人は人だけでは生きられない。その他の生き物も、中には目に見えに何かも、必要だ。
 それでも自分は選ばざるを得なかった。どちらかの未来を選択する瞬間が与えられたなら、いつだって自分は後悔しないように即決する。
 先延ばしに出来る問題は少ない。その時その時、選ばなくてはいけない。
 今までの全てを捨てる覚悟で、それでも失いたくなかったから、選んだ。それが理解されないだろうことも知っていた。
 それなのに。
 「………なにやってんだ?」
 脳裏に描いた人物の声が突然背後から響いた。
 それに少しだけ目を見開かせ、次いで、後ろを振り返る。そこには思い描いた通りの青年が訝しそうに顔を顰めて、胡散臭げな態でこちらを見ていた。
 こんな時間に出歩くなど珍しい。宵の近付くこの時間帯、彼にとってはもっとも危険の増す時だ。
 それに思い至り、微かに眉が寄る。不機嫌にも見える弧を描いた眉のまま、現れた青年に声をかけた。
 「バイトの帰りか」
 「俺はな。お前は部活か」
 数歩の距離を近付き、声をかけた相手に負けない仏頂面で答えた青年は、ふと立ち止まった。
 変なところで止まっていると思って、嫌だったけれど声をかけた。自分と違ってアヤカシに魅入られることのない彼が、それでも凍ったように動かない理由がなんであるか気になったのも事実だ。
 その公園は自分にとって思い出深い場所だった。それが相手にとっても記憶に新しいこともよく解っている。
 今も時折惹かれるようにしてあのベンチに歩み寄る。そこに腰掛けて、空を見上げて。何をするでもなく風に吹かれて目を瞑ったり、する。
 そうして目蓋の裏にあの優しく物憂げな女性を映し出す。決してそれはもう蘇りはしないけれど、思い出すようにあの声をリフレインする。優しくて、それはとても物悲しい。寂しくあたたかいぬくもりの中で、ほんの一時たゆたうのだ。
 それを彼にいったことはないし、目撃されたこともない。それ故に彼がそれを知っているはずもない。だからこそ、ここで彼が足を止められている理由が解らなかった。
 もう全て終わったことだ。彼にとって心を置くものはない。それなのにどうしてと思いながら、また一歩、前に進んだ。
 一瞬だけ、いつも期待してしまうのだ。もしかしたらそこには、あのたおやかな着物が見えるのではないか、なんて。あり得るはずのない、寂しい夢想だ。
 それを忘れるように踏み締めたその歩を、いっそう顰めた眼差しで立ち尽くしていた青年が見つめる。
 「……………まだ、か」
 「は?」
 溜め息のように小さな声が一瞬だけ落ちた。それを聞き取り損ねた青年は問いかけを含めた声を上げた。
 同じ年齢で同じ性別を有しながらも決定的に体格が違うため、どうしてもお互い小さな声は聞き取りづらい。だからこそ示した疑問の声に、けれど返される答えはなかった。
 代わりに、青年が半歩足を後ろに引き、近付いてきた相手に向き直った。
 まっすぐに、相手を射すくめる。和弓を引き締めるように見据えた先の相手は、不可解そうに眉を持ち上げた。
 ここにはまだ、自分は足を踏み入れられない。彼がまだ、あのベンチで寄り添っていた相手を思っているから。
 「………さっさと帰るぞ。寒い」
 「お前がぼーっと突っ立ってたんだろうがっ!!!」
 ぼそりと簡潔に希望のみを伝える物言いに、いつもどおりの威勢のいい声が返される。さっさと歩き始めた青年の後を、それでも律儀についてくる影が一つ。
 ………それを確認しなくなったのは、一体いつからだったか。
 ふと思い、ゆるまった歩調に追い付いた相手が自分を見上げた。怒声を吐くだけでなった口や睨む以外の眼差しを帯びるようになった目。まるで当たり前の友達のような瞬間も、今はある。
 少しずつでも変化は確かにある。それに自分が気付くかどうかは別問題だけれど。
 自分はまだ、あの公園には入れない。あのベンチに近付くことは出来ない。………あのたった一瞬だけ出会った女性のように、この青年の心をほどくことはまだ無理だ。
 それでもあるいは…もしかしたら。



 堅固な城壁。幾重にも包まれた殻。
 ついてきているか、振り返り確認しなくなったように。
 ひとつずつひとつずつ、
 近付けるのかも、しれない。

 …………あのベンチは多分、自分の願い。





 四月一日は自分と他人の境界線がしっかりあるような気がします。自分の事情に誰も巻き込みたくないからこそ、強く。
 そういうの、本人にとっては安堵できるものだけど、周りの人間にとっては歯がゆいものだと思いますけどね。頼ってほしいとか、心を許してほしいとか。そういうのは親しいからこそより強く思う感情だから。
 大切だからこそ、遠く離れたいっていうのは、理解は出来ても奨励は出来ない感情ですね(苦笑)

06.7.18