柴田亜美作品

逆転裁判

NARUTO

突発。
(1作品限り)

オリジナル
(シスターシリーズ)

オリジナル



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一人でいることは慣れた。
早く慣れようと、ずっと思っていたから。

自分がいるというだけで
誰かが傷付くのだ。
もう二度と、自分を守るため
失うモノなんてつくらない。

一人でいることは慣れた。
だから。
寂しいなんて、嘘だ。





物問う紙片



 チャイムが鳴ると途端にざわめきが大きくなる。それは教卓にいる教師が一番理解しているらしく、すぐに教科書を閉じてホームルームを始めた。
 担任が6限目の授業を受け持っているため、今日だけは他のクラスより自分達のクラスは早くにホームルームが始まり、その分早く下校時間を迎える。
 もっとも帰宅部でありながら毎日をバイトに勤しんでいる四月一日にとって、それはたいした意味もないことではあったが。
 ぼんやりと教師の声を聞きながら配られたプリントを無意識に後ろへとまわす。日直の声とともに席を立ち、礼を型通りにして、突然大きくなったざわめきに目を瞬かせた。
 …………知らないうちにすっかりホームルームが終わり、生徒たちは鞄を手に部活に向かうもの、家に帰るものと別れている。掃除当番だけがつまらなそうな顔で机を動かしていた。
 それを横目に教室を出ようと四月一日もまた、鞄を肩にかける。
 「…………オイ」
 「なっ」
 そうして歩き出そうと向きを変えると、そこには壁があった。………否、壁と思いたかっただけで、実際には自分よりも背の高い人物の制服が俯いた視界に入ったに過ぎなかったが。
 それから発されたと思わしき声は、確かによく知っている声だった。が、今日だけは……否、毎週のことではあるが、その腹立たしい声を聞かなくともバイトに向かうことの出来る、数少ない日だ。
 そう思っていたからこその油断。他のクラスは今頃ホームルーム真っ最中のはずだ。目を瞬かせて顔を上げて確認してみても、そこにいるのは確かに自分が想定した人物と変わらない顔をしていた。
 思わず漏れた声の、二の句が継げない。間の抜けたように口を開閉しなかっただけでもましかもしれなかった。
 「今日、バイトか」
 少し強張った顔のまま無意識に頷く。その後ようやくざわめきが脳内に到達し、今現在彼がここにいることがおかしいという結論を理解した。
 反射的にすぐ目の前の相手を指差し、喚くような甲高い音が喉から飛び出た。
 「ってなんで百目鬼がここにいるんだよー!!」
 「うるさい」
 これ見よがしに横を向いて、晒された左耳を片手で塞ぐ。いつもと変わらない光景だ。少し遠くでそんな様子を見ているクラスメイトの数名は忍び笑いを漏らしていた。近くを通る生徒たちもまた、その声に振り返る。
 けれど普段はそうした反応に敏感な四月一日も、目の前の対象が相手のときだけは全てが鈍感になる。周囲への鋭敏な感覚が掻き消されてしまう。………それはおそらく、張りつめる必要のない精神的圧迫の、弛緩した結果だ。
 言葉を変えれば気を許しているととれなくもないが、それを本人が認めることはまずもって当分の間、不可能にほど近かった。
 「うちは今日はホームルームなしだ」
 担任が午後から出張に行ったとついでのように付け足された上、軽く息まで吐き出される。他意はなくとも気の立っている四月一日にはそれが呆れた溜め息にしか見えなかった。
 全身の毛を逆立てた猫のように警戒と殺気を漂わせる四月一日を後目に、相手は飄々としたまままた声をかける。
 「バイト、7時には終わるか?」
 まるで四月一日の状態など意に介していないかのような態度とは裏腹に、声はやわらかい。………もっとも、それに気付ける者がどれほどいるのかは甚だ疑問ではあったが。
 顔を顰めて、その上視界に入れることさえ厭うように顎を逸らした四月一日は、それでも相手の言葉を無視はせずに棘ついた声で応対した。
 「だったらどうなんだよっ」
 「じゃあ寄るから家にいろ」
 「はぁ?!」
 噛み付くような声に淡々とした声。まるで対照的な雰囲気の二つの音は奇妙に馴染んでいる。勢いよくまた顔を動かす四月一日の視線の端に、クラスメイトが写った。
 掃除当番が遠巻きに、まだ部屋を出ないで何やら言い合いをしているらしい二人を見ている。もう既に教室内には掃除当番しかおらず、しかも掃き掃除もどうやら自分達が立っているところ以外は終わったらしい。
 声をかければいいものの、激昂している四月一日に戸惑っているらしかった。それに気付き、四月一日はようやく足を動かした。当然のように相手の腕を掴み、教室から出ていく。
 ざわめきは廊下の方が強かった。そろそろホームルームが終わるクラスが増えていく。そのせいで廊下は段々人がひしめき合った空間に変貌していった。
 「なんで?」
 唐突に声をかけた四月一日に、腕を掴まれたままの相手は特にそれに対しては文句を言わず、平坦な声をこぼす。
 「この間いってた本、取りにいく」
 「本って……」
 「九軒の。続きを預かったっていってただろ」
 委員会もそうはない。月に一回の定期報告以外は、特別な行事でもない限りは会議は開かれなかった。それ故になかなか多忙な向日葵と、部活の大会に向けての集中練習に明け暮れている百目鬼とでは、会う時間がどうしても重ならなかった。
 その上、昼食の時にでもと思いつつも、百目鬼が昼練のないときはちょうど向日葵が女友達に誘われたりと、どうにも縁が薄かった。
 仕方なく困っている向日葵を見るに見兼ねて預かることを申し出たのは四月一日だ。そしてそれがちょうど帰り道の途中だったため、そのまま本は家に保管されることになってしまった。正確には、保管せざるを得なくなってしまった。
 …………本当はさっさと学校に持っていくつもりだった。預かっているからと百目鬼に押し付けようと思ったとき、忘れたことにようやく気付き、忘れたといって呆れられるのが腹立たしくて、つい、取りに来い、などと喚いた記憶は新しい。
 新しいが、まさかそれを実行するなどとは思っていなかった。そもそもこうして本を渡すだけであれば学校で十分事足りるのだ。特に用のない自分は、向日葵にも百目鬼にも顔を会わせる機会が多い。
 だから一言学校に持ってきてくれと、そういえばいいだけなのに。彼はそれを言わず、わざわざ部活帰りの疲れた身体で来るというのか。
 そうは思っても、さも当然そうな声には厭味も何もない。本人が厭っていないのならば、言い出した四月一日には拒否の言葉は紡げない。
 「…………解った」
 苦々しい顔で頷き、深い溜め息とともに鞄を抱え直すと、話は終わったとばかりに四月一日は歩き出す。その背に付け足すようにして、声がかかった。
 「腹減るだろうから、飯作っておけ」
 「偉そうにいうな!てか、そっちが目的かーっ!」
 背中越しに振り返り噛み付く声を飄々と受け流す百目鬼もまた、歩きはじめる。四月一日とは、逆の方向へ。その背中を睨みつけてももう振り返りもしない。そのことに若干ほっとしている自分に不機嫌そうに眉を顰め、荒々しい足取りで四月一日は廊下を進んだ。


 バイトを終えて家に帰るのはさほど遅くはない。四月一日の体質を四月一日以上に理解している店主は、それを考慮して帰してくれる。どうしても危険そうなときはさり気なく泊まるように促してもくれる。
 軽い足取りでアパートに着くと、幼い頃から慣れた仕草で鍵を開ける。そうしてひんやりとした暗い部屋の中に足を踏み込んだ。
 自分の匂いの染み付いた室内はがらんどうだ。不要なものが一切ない、質素な部屋。それでも寝起きするのに困ることはなく、生活に不自由を感じたことはなかった。
 電気をつけて鞄を脇に置き、学生服を着替える。一連の動作もまた、スムーズだ。その間脳内では今日の夕飯の献立を組み立てていた。
 ふと考えて、そろそろ米が少ないことを思い出す。自分一人ならと思っていたが、百目鬼も相伴に預かるというのであれば、明日の弁当の分が足りないかもしれない。
 米びつを確かめ、ぎりぎりというその量に軽く溜め息を吐く。一切遠慮などしないのだから、全くもって厄介な客もあったものだ。
 仕方がないかとざっと冷蔵庫の中身も確認する。いくつか購入する野菜類をチェックし、それを頭に入れながら時計に目をやった。
 時間は………後もう30分もしないで百目鬼がやってくるかもしれない。
 方向的には学校のそばのスーパーに行くつもりだった。それなら少し迂回することになるが、一度学校に寄って声だけでもかけた方がいいか。しかし終わっている保証もないのだから、それなら少し買い物に出ていると言付けか、急がしそうならメモでも渡してもらえばいいだろうか。
 一瞬そう考えて、慌てて首を振る。
 …………百目鬼が家に来る理由は本を取りに来るため、なのだ。それをわざわざ帰宅後彼を迎えにいくかのようにまた学校に行って、あまつさえ本を渡さずに夕飯を誘うような真似、出来るはずがない。
 さっさと買い物に行ってしまえばいい。もしその間にやってきたとしても、それは単に間が悪かっただけだ。もし彼が夕飯を食べていくなどといわなければ、買い物に行く必要もなかったのだ。だから、結局悪いのは、彼だ。自分は気に病む必要など何もない。
 「…………………」
 ポケットの中の財布と鍵を確認して、室内を振り返る。
 玄関の靴に足を向け、ほんの数秒、立ち尽くす。
 「……………〜〜〜っ」
 少しだけ乱暴に靴を脱いで、揃えられていないそれを振り返りもせずに四月一日はイライラとした足取りで室内に立ち返った。
 買い物のメモをするために置かれている小さなメモ用紙を無造作に破り、その傍に立てられているボールペンを握る。
 憤懣を表すかのように、普段の整った字体からはほど遠い、崩された文字がメモ用紙の上に書き連ねられていく。それにテープをつけ、また四月一日は玄関に戻っていった。
 ドアをくぐり鍵をかけ、ドアノブの裏側にこっそりとたった今書いたメモ用紙を貼付けた。本当ならこんな不用心な真似はしたくない。それでもこれならあの無遠慮な男が無造作にドアを開けようとして気付くはずだ。
 人としての礼くらいはちゃんと守ったと憮然とした顔でドアノブを見つめ、四月一日はそれから逃れるように背を向けると、不要な駆け足でアパートを後にした。
 ちらりと、名残惜しそうに背後を窺う。ぽつんとした、ちっぽけなドアに更に粗末な自分のメモ用紙。
 誰かに向けたメッセージ。一人暮らしで、そんなことずっとなかったのに。
 振り切るように前を睨み、相変わらず駆け足のまま、スーパーを目指す。学校になどわざわざ迂回などしない、最短距離で。
 ちくりと、なにかが痛んだ。それがなんであったか四月一日は解らない。解らないまま、また、振り返る。もう見えないはずの自分の部屋のドア。



 …………誰かに言付けるための言葉、なんて。いつ以来だろうか。
 そんなことをふと思い、忘れるように、首を振った。





 一人じゃどう足掻いても出来ないこと。誰かのために記す言葉。
 たとえば一人でも日記を書くことは出来るだろうけど、誰かに読んでもらうための言葉は、関わりある誰か、が、必要だから。
 誰にも深入りさせずにきたのだろうな、と思うと、一人暮らしで家族もいない四月一日はずっとそういうことをしないできたのかなと。
 何となく寂しい気持ちで思いました。

06.9.6