柴田亜美作品

逆転裁判

NARUTO

突発。
(1作品限り)

オリジナル
(シスターシリーズ)

オリジナル



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ボロボロに傷ついて、それでも立ち上がる。

正直そんな美学に興味なんてなかった。

もうとっくにボロボロで、もうとっくに立ち上がる気力もない。

それでも、魅せられる。

傷つく事も厭わない真っ直ぐな視線。


…………傷を、誇ってもいいのですか?
痛んだ事を哀れむ事なく、自信に変えてもいいのですか?


伸ばされる腕に微かに怯えながら、それでも祈った。

ボロボロになった自分を受け入れてくれる事を。

ボロボロな彼を、愛しいと思ったから………………





キズのカタチ



 夕日が落ちていった。
 ………久しぶりに見る落陽は昔に見たよりずっと赤く感じて、目が眩し気に細まる。考えてみればこんな風にのんびりと太陽を眺めたのは、どれほどぶりだろうか。
 ぼんやりと見遣った先には、まだ白みを帯びた月がかかっていた。もうあと数刻もしないであれは淡く輝きを身にまとい空に浮かぶのだろう。
 そうして空は月のモノに変わる。光り輝く太陽とて、いつまでも空を独占するわけではない。静かに静かに己の場をわきまえ佇む月が、どこか律儀な彼に重なった。
 「そういや…遅いよなー………」
 ふと周りを見回してみる。辺りにはもう着替え終わった者がちらほらとグラウンドに手を振りながら校門や駐輪場に向かっている。まだ着替えもせずにここに立っている人数は少なく、その大部分はグラウンド整備に駆り出されている自分たち一年生だけだ。
 そこにさえ見当たらない影。気にもしなかったが、気づいてしまえば気になって仕方なくなる。
 どこまでも実直でお人好しな彼が、グランド整備をすっぽかすという事は考えられない。とすれば、そんな時間だという事にも気づかないほど練習に没頭しているという事か。
 思いついた考えは、おそらく正しいだろう。冷やかしに行こうかと思い、次いでこれが終わってからだと自分に言い聞かせる。途中で行ってしまえば、彼は泣きそうな顔で慌てて謝罪に来るに決まっているから。
 「兄ちゃ〜ん?もう解散だよ?」
 そんなことを考えていたら、唐突に眼前に顔が現れた。いつまでトンボを持っているのと、兎丸が首を傾げて覗き込んでいる。
 ぎょっとして、思わず取り落としかけたトンボを、そのまま勢いよく手放して兎丸の額に命中させると、子供のような悲鳴が響いた。
 「コ〜ラ、ガキ!大人が物思いに耽っている時にしゃしゃり出るんじゃねぇよ!」
 「うわ〜ん、兄ちゃんが苛めたー!」
 「ってなに凪さんに抱きついてんだ!離れろスバガキ!!!」
 「あ、あの、猿野くん落ち着いて……私は大丈夫ですから」
 「大丈夫じゃないっすよ!凪さんの柔肌が穢れるー!!」
 凪にしっかりと抱きついたままの兎丸はもう泣いてなどいない。元から嘘泣きなのだから当然だ。それくらいは十分解っているが、だからといって苛立たないわけもない。
 「さっさと離れろっての!」
 自分の腹辺りまでしかない小さな身長の兎丸の、首根っこを掴んで引き剥がす事は容易い。まるで大木の1本でも引き抜くつもりではと疑わせるような迫力と勢いで猿野が腕を引けば、あっさりと兎丸は凪から手を離した。
 自由になった凪に何より早く清熊たちの方に避難するように訴えると、彼女は困ったように笑ったまま、またマネージャーとしての仕事に舞い戻っていく。その後ろ姿をホッと息をつきながら見送ると、何やら今度は自分が身動きが取りづらいことに気づいた。
 おかしいと視線を下げてみれば、子泣きじじいのように自分にくっついている子供がいた。正体不明の妖怪の方がまだ可愛げがあると顔を引き攣らせるが、きっと効果はないだろう。先ほど自分が引き寄せた勢いのまま自分にしがみついた兎丸は、子猫が甘えるようにゴロゴロと懐いていた。
 「じゃあさじゃあさ、兄ちゃんが遊んでよ。ゲーセンに新機種出たんだよ〜♪」
 帰りにみんなで行こうと誘いかける様はとても同い年には見えない。傍から見れば弟分にでもじゃれつかれているようにしか見えないだろう。悪い気はしないが……どう扱っていいか、本当に時折対処に困るのだ。
 付き合える時はいいが、今日のようにもうすでに予定を決めている時は、特に。
 「あーと、スバガキ……」
 悪いが、と言おうとした瞬間にジッと兎丸が顔をあげて猿野の顔を覗き込む。ちょうど、身長差からいって縋るように見上げる風に見えてしまうのは……これから誘いを断ろうとしている後ろめたさ故だろうか。
 ヒクリと喉が鳴った気がした。空気の出入りが一瞬止まった喉からは渇いた音がする。なんと言って断るつもりだったかを一瞬にして忘却してしまった。そんな猿野にぶら下がった兎丸はにっこりともう一度笑い、誘いかけた。
 「ね?いいでしょ?」
 幼い笑顔にだめ押しされ、もう断り方など考えている余裕がなくなった瞬間、自分が引き剥がすより早く兎丸の身体が離れた。勢い良く前に出された自分の腕は空を切り、少しよろけそうになったところを誰かの腕が軽く受け止める。
 「…………………………」
 「あ……司馬」
 小さく笑いかけられ、軽く首を傾げられる。彼が大丈夫かと問いかけているらしい事に気づき、軽く手足を振ってみせて平気だと言うと、ほっとしたように息を吐いている。………言葉が少ないどころかその声すら聞いた事はないが、それでも何となく伝わるのだから人間は不思議だ。
 よくよく見ると、司馬の自分を支えてくれたのとは逆の腕には、兎丸が抱えられている。どうやら困っていた自分の為に彼が引き離してくれたらしい。
 司馬はその状態のまま兎丸に子供の癇癪のような非難をされているが、やんわりと困ったように笑いかけられ続けていると、さすがに理不尽な怒りは長続きしない。
 段々静かになった兎丸がつまらなそうに溜め息を落とすと、それを合図とするかのように司馬は手を離した。兎丸の足がグラウンドに戻る。
 そうしてそのまま拗ねている兎丸に、ジェスチャーのみで猿野は用があるのだろうと代わりに司馬が訴えてくれているらしい。なだめるように優しく伝えてくれる司馬の態度は嫌いじゃないが、折角猿野も巻き込もうと思ったのにと兎丸はむくれた。が、それでも拗ねた声のまま承諾を表した。
 「チェッ。じゃあ司馬くんは付き合ってよね。絶対だよ?」
 「……………」
 ふんわりと笑い、司馬が頷く。そうしてすっと手を持ち上げてどこかを指差す。
 その先を目で追いかければ犬飼と辰羅川がいた。彼等も誘おうと言っているのだろう。
 「ん、ま、いっかな。じゃあ兄ちゃんまた明日ね。今度は僕に付き合ってよね」
 割合あっさりと標的を変えた兎丸にほっとし、駆け去って行く彼についていく司馬に手を振って謝意を表すと逆にぺこりとお辞儀をされてしまう。
 人のいいその仕草に苦笑する。なんだか……ちょうど今から会いに行くつもりだった人物を思い出させて。
 にっこりと、珍しく笑った自分に気づいた。振っている手のひらが随分軽く感じる。
 重く……枷のはめられたように重い手ではない感覚に、奇妙な違和感とともに覚える、安堵。
 小さく息を吐き見送った仲間たちが見えなくなると、見遣った空は赤から濃紺へと変わる最中だった。なんともいえない微妙な色合いの空の下、ひとり歩き始める。途中、何名かの知り合いにすれ違って交わした挨拶以外は静かだった。土を踏み締める音も木が風に踊らされる音も耳に触れない静寂。
 奇妙なものだと思うと同時に襲う懐かしさ。
 随分、この感覚も忘れていたと苦笑する。
 遮断されていく感覚。五感が閉ざされていく安堵。………なにも感じないという事は、そのまま…………
 思い至った時、不意に耳に風が掠めた。自然の風ではない。誰かが巻き起こしている、風。
 「…あ……………」
 掠れた声が喉から落ちる。
 何かが空気を振動させ、閃光のように飛来する音。破壊と再生を促す雷のような、衝動。
 それを作る人が誰だかを知っている。思い描いた姿に微かに唇が笑みを作った。
 「おーい、子津ッチュ〜?」
 この辺りにいるのだろう彼に、声をかける。突然の訪問は彼の特訓の邪魔になる事は解っているので、先にいる事を知らせるのはいつもの癖だ。
 「え……あ、猿野くん?!」
 驚きと歓喜に染まった返答は、純粋に飛び出てしまった音。計算もなければ偽りの入り込む余地もない、至純の声。
 それが耳に触れ、ふと過った感情に曇らせる事なく猿野は笑った。
 「いよ、熱血サボリ少年。特訓はどうかね?」
 「へ?サボ………っってあああああああっっ!!!??」
 きょとんと何を言っているのだろうかと手にはめていたグローブをはずしている途中、彷徨った視線が置き時計を認めたのだろう。見事な悲鳴が響く。
 大体予想していたので間近にいながら瞬時に耳を塞いだ猿野は、実質被害は受けていない。むしろ精神的ショックは子津の方が大きかった。
 「も、申し訳ないッス!時間をすっかり失念していて……ああ、とにかくまだ何か片付け……」
 「イヤ落ち着けって、子津ッチュー。もう全部終わったし」
 あっさりととどめを刺して奈落にでも落ちそうなほどに悲壮な顔をしている子津に思わず吹き出してしまう。
 まさかここまで予想通りとは、思わなかったのだ。気にはするかもしれないが取り乱すまでは……と思っていた。が、実際はこんなものだ。真面目すぎるのも問題だと、喉奥で止める事の出来ない笑いが唇をついて出る。
 腹の底からの、笑い。本当に飽きない人だと、思う。
 「ちょ……っ!猿野くん?!」
 からかったのかと顔どころか首まで真っ赤にさせて叫ぶ子津は、笑って腹を抱えたまま蹲っていく自分に合わせてしゃがみ込む。
 怒って背でも向けてしまえば簡単なのにと、心の中で苦笑する。こういうお人好しさ加減は嫌いじゃないが、少しだけ痛みがある。
 それを有耶無耶にさせるように、猿野は間近にいる子津の頬を、勢いよく両手で叩いた。景気のいい音と、痛みを訴える声が重なる。………猿野の両手もまた、頬を包むように重ねられたまま。
 じっと、見上げるような視線。膝立ちに近い子津と、土の上に胡座をかいている猿野では元々の身長差があっても今は子津の方が視界は上だ。
 「ホント、お前って変な奴」
 軽やかな笑いが、夕日に溶ける。
 …………ぞっとして、思わず猿野の腕を掴んだ。そのまま砂のように掴む事なく砕けるのではと思ったのとは裏腹に、しっかりとした質感を手のひらに感じる。
 多分、かなり強く握り締めたと、思う。さして力があるようには見られないが、それでも平均以上の握力は維持していた。だから痛みもまた、強かっただろう。
 それなのに、彼は笑う。
 痣さえ出来るその力を感じないとでも言うように。
 「あ……の…、猿野くん………………?」
 「子津」
 なにを問いかければいいのか解らないでその名を呼べば、真っ直ぐにいつもの笑顔で名を呼ばれた。
 戸惑うように視線で答えれば、困ったように彼の眉が垂れた。
 「手、ボロボロだぞ?こんなんで思いっきり握り締めたら、血がまた出るって」
 赤い夕日が猿野の頬を染める。おそらく、自分自身も。
 困ったような笑みはさして珍しくもない。むしろ、いつもの馬鹿笑いよりは彼らしくて……安心は、する。
 それでもこの衝動を、何といえばいいと言うのか。
 「子津?とりあえず、手当てしようぜ」
 手を離して欲しいと、暗に言う。その癖、彼は自分の顔を包む両手を動かそうともしない。
 まるで離れる事を畏れるような指先と、離れる事を祈るような言葉。
 どちらが彼の本心か、なんて………本当は解らない。
 …………解らないから、自分の祈りのまま。
 掴んだ腕を、そのまま引き寄せる。多少は予測していたのか、さしてバランスを崩す事のなかった猿野が足元に目を向けた瞬間に、掠めるように口吻ける。
 触れるだけの、やわらかいぬくもり。視界に納めてもいなかった猿野には、触れた部分がどこだったかもよく解らないほどの瞬く間の出来事。
 「………へ?って、ここ…学校なんデス…が」
 「………………………解っているッス………」
 何をどうツッコめばいいのか混乱しかけながらも、とりあえずなにか話さなくてはとついて出た言葉は、かなり間抜けだった。それでも改めて自覚させられて、仕掛けたはずの子津の顔まで夕日と同じ色に変わっていく。
 傷だらけの手のひらがしっかりと捕まえたままの腕を見遣って、猿野が小さく笑う。ボロボロで、格好悪い手のひら。包帯さえ泥にまみれて何の意味もない。
 いつもいつも自分の無茶を諌めるくせに、彼も結構無茶をする。しかもそれを上手に隠すのだ。
 隠すなと、いつもは彼が言うくせに。………人のいい彼のたった一つ妥協してはくれない部分。
 傷なんて見えるわけがない。流れたものは血ではない。斬りつけられたものは身体ではない。それでも、気づく人間がいるなんて信じてはいなかった。…………信じる事が怖かった。
 「子津の手って、いっつもボロボロだよな」
 ちゃんと養生しないからだとからかえば、包み込まれる。
 信じる事に怯えて笑う事を覚えた自分に、それでも差し伸べられる腕。自分と同じようにボロボロで傷だらけで、けれど自分とは違ってそれを誇って笑える人。
 ボロボロの腕は、それでも暖かい。傷を負っているからこそ、優しくて………ぬくもりに満ちている。
 馬鹿な感傷だと、思う。傷ついた分優しくなれるわけではない。暖かくなれるわけではないと、自分が一番よく解っている。
 だから時折、こうした優しさに包まれると居たたまれなくなる。いつもの悪ふざけではなく、真剣な仕草にたいして捧げられるほど清らかなものなど……携えてはいない。
 抱きとめるにはあまりに眩しい。鮮やかな落陽が、目を射抜いた。畏れるように瞼を落とせば、一面の赤が視界を覆った。
 だらりと垂れ下がったままの腕は動かない。それを視界に端に納めて、子津は目を瞑る。
 抱き寄せて重なった頬には、濡れた感触。 
 「ちゃんと養生しないのは……どっちッスか?」
 ゆったりと響く音。決して追いつめないように。
 人の傷ばかり目に見えて、きっとこの人は自分の傷を知らない。
 見えなければ大丈夫と、笑う。………感じなければ痛くはないと、笑う。
 そう出来るだけの胆力は、きっとあるのだろう。感覚すら麻痺させ笑う様は痛々しいけれど。
 それが彼の強さだと言うのなら、少しだけ悲しい。もっとずっと気楽に生きてもいい歳、なのだ。自分達は。
 頬を寄せ、流れるものに唇を近付ける。夕焼けに染められた雫は、微かに赤く瞬いていた。
 怯えている。いつだって、自分が触れる事に。
 ………その恐れは、自分を傷つけるという、どこか滑稽で的外れなものだけれど。
 大丈夫なのだと、どうすれば伝わるのか解らない。だから触れる。触れる事が恐れの対象ではないのだと、教えるように。
 微かに震えながら、閉ざされていた瞼が開かれる。僅かに濡れた睫毛が夕日に瞬いた。
 惑う微かな逡巡。………次いで、背に添えられた腕。
 ほっと息を吐き、抱きしめる腕に力を込めて顔を覗き込めば、泣き出しそうな顔で彼はやっぱり笑っていた。
 「じゃあ、ちゃんと……お前が気づけ」
 震えないようにと捧げられた声。
 どんな時も気丈な仕草は、縋る事をとうに放棄した証なのかも、しれない。
 それならもう、いっそそのまま。
 ………気丈なままでも構わないから。
 「許してくれるなら、もう逃がさないッスよ……………?」
 追いかける事、捕らえる事。多分彼が最も恐れているそれらを、構わないのだというのなら。
 この腕で抱きしめて、離さない。
 「…………」
 真っ直ぐな視線には、真摯さ。逸らす事のないそれは、あるいは独占欲も含んでいるかもしれない。
 怖い事に……多分変わりはないだろう。それでもと、思うのだ。
 どうせ同じ思いを味わうのであれば、この腕がいい、と。
 微かに震えそうな腕を叱咤して、引き寄せるように子津の背を押した。意図に気づき、静かに近付く瞳。
 重なる視線とぬくもりに怯えるように伏せた睫毛にも口吻けて、抱きしめる。
 彼の腕が、確かに背にある事を感じながら。


 もういっそ、気丈なままでいい。
 そのままのキミでいいから。

 だからせめて、その腕を。

 自分に捧げて、頼りとして……………………





 妙に長くなりました。久しぶりのミスフル。
 ………おかしいな、初めに考えていたのは全然違う話だったんですけど。
 ハンサム様にヤキモチ焼く子津の話だったはずなんだけどなー。
 相変わらず私の書く兎丸は黒いですねー。自分で書いておいて怖いな、と思う辺り本当にどうしようもない。
 そして当然のようにやっぱり猿野は何か抱えています(きっぱり)
 ほら、なんというか……私の書く猿野のアイデンティティー(ちょっと待て)

 お互いボロボロだけど、お互いボロボロの意味が違う。
 そうして傷ついた部分を互いに敬意を払っている。
 傷は恥ではなく誇りなのだと、そう思えるのがいいなと思います。
 自分を哀れむよりも前に進む勇気が欲しいから。

16.7.21