柴田亜美作品

逆転裁判

NARUTO

突発。
(1作品限り)

オリジナル
(シスターシリーズ)

オリジナル



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ずっとずっと遠くにいる人。

決して手の届かない人。

何者にも屈する事なくまっすぐ立ち上がり続ける人。

………こんなちっぽけな腕、必要としない人。

そう思い諦めようとしていた。

求める事すら、浅ましいと。

それなのに。

…………差し出され続けていた、御手。





溶けた背中のぬくもりと。



 小さく荒い息。土に汚れた指先で額を拭い、(したた)る汗に泥が更にこびりつく。そんな悪循環すらさして気に止めず、それらが目に入らないようにとだけ注意している仕草。
 随分、その仕草を見る事に慣れたものだと不意に思った。
 少しだけ離れた位置。届きそうで届かない距離。
 かける声は届いても、決してぬくもりは届かず、それ故に心が添えられる事もない。
 ふと思い、苦笑する。近付き触れあわなければ伝わらないと思うには、あまりに彼は敏感に自分の感情を察してしまうと思ったから。
 「お〜い、子津ッチュ〜!」
 元気良く弾んだ声でその名を呼び、その場で手を振りながら笑いかけた。
 手の中のボールをいじっていた彼は響いた声に驚いたように顔を上げ、すぐさま音の発生源を確認する。鋭敏、というよりは驚きによる条件反射。
 「猿野くん!あれ……どうかしたッスか?」
 疲れきっているはずの子津は、相変わらずの静かな笑みを讃えていつもと変わらない声を返していた。
 やわらかな、包むような声。音というよりはその性情故に心地よいのだろうと感じるのだから、自分自身どうかしていると、思う。
 だからこそ……きっと、こんな風に近付く事になったのだろうけれど。
 軽く辺りを見て特に誰の気配もない事を確認し、猿野は子津の方に歩み寄る。それに気づき、子津も手にしていたグローブとボールを下に置き数歩近付く。
 さして二人の間の距離はなかったのだから、その間にもう間近に猿野はいた。
 「んー…どうかしたっつーか、うん、まあとりあえず、こっちこい」
 「……………猿野くん?」
 視線を逸らして極まり悪気に猿野はいい、どこか悩むように口元に指を持っていく。
 多分、顔を顰めそうになるのを隠そうとする無意識の仕草なのだろう。それをする時は大抵ちょっとした我が儘を口に出来ずにどうしたらいいか悩んでいる時だ。どうしたのだろうと問いかけるより早く、彼の腕が伸びた。
 そうしてそのまま強く引かれた。…………情けない話ではあるが、純粋な力勝負で猿野に敵うとは到底思えない。案の定、予期していなかったという事も含めてではあるが、あっさりバランスを崩して猿野に体当たりをしそうになる。
 なんとか踏み止まりはしたが、危うく額から猿野の顔面に激突してしまうところだった。
 危なかったと怪訝そうな顔を猿野に向けると、そこには極まり悪気な顔がまだ晒されている。寄せられた眉と、引き結ばれた唇。微かに目元が赤く感じるのは……夕日のせいだろうか。
 照れた仕草を晒すのはあまり好まない彼がそれを晒す上、その原因がまるで解らない。別段本当にぶつかったわけでもないし、本当に理由が解らなかった。
 解らない時は手に持った情報の中から分析し推察するのが常だが、こと彼に関してはあまり使わない。
 ………そうする事で使うほんの数瞬の逡巡や躊躇いが、時に彼にとっては無数の針で心臓を刺し連ねるほどに苛むことがある事を知っているから。
 解らなければ問いかけなくてはいけない。それが、彼の傍にいるようになって初めに覚えた、彼への関わり方。
 「猿………っわ?!」
 問いかけの言葉は最後まで綴られはしなかった。掴まれた腕に手を添え、安心させるように軽く握り、彼を見上げた状態のまま………何故か突然間近でフラッシュがたかれたからだ。夕日とは違う人工的な光。
 何事かと顔を顰めて光の発生源を見遣ってみれば、そこには猿野と同じく学生服を着た人物が立っている。未だカメラを構えたままなので顔は覗けないが、背格好やシルエットからだけで十分に誰だか伺えた。
 「ちょ……沢松?!」
 同じように慌てた声を出した猿野は、けれどどちらかというと困惑した雰囲気だ。
 思い当たった人物が正しかった事は解ったが、だからといって現状把握には何一つ役に立っていない。むしろ謎が深まった気がする。
 「よし。喜べ。ベストショットだ!」
 「いや、いまのは違うだろ?!っていうかお前、話が違うー!!」
 「たわけ。お前に言ったら誘う前に逃げるだろうが。俺様の配慮をありがたがって神のように崇めんか」
 「俺は無宗教派だー!!」
 段々訳の解らない会話に移行しつつある二人を見守ろうかとも思ったが、如何せんいつものことながら全く状況が掴めなかった。
 話から察するに、とりあえず猿野は状況を理解してはいるらしい。いるらしいが……すでに沢松との会話モードに突入していて、自分の存在をすっかり忘れ去っている。
 それを責めは、出来ない。
 そこまで心を狭くはしたくないし、束縛もしたくない。彼の交友関係は彼の自由だ。口出しなど出来ない。まして、彼にとってどれほど重い絆かを知っているからこそ、割り込む事も出来ない。
 でも気づいて欲しいと、願ってしまう。握りしめる拳が僅かに痛かった。
 無理な練習を重ねた手のひらはボロボロで、ちょっとした加重で簡単に出血してしまう。
 「………とりあえず離れろっ!ったく、本当に落ち着きねぇな」
 目の前では仲睦まじい親友同士の劇が展開されている。自分はそれの観客。決してその舞台には立つ事のない、観客。
 「だったらやり直せっての!不意打ちなんて卑怯だぞ!」
 彼は必死になって腕を伸ばす。でも、それは決して本気ではない。
 もしも彼が本気であれば、その力だけで十分相手を拘束出来るのだから。………まるで、ままごとだ。
 結果が解っていながらもじゃれあっている。幼く優しい、ままごと。まるで、そうする事で何かを守るように………包むように優しい仕草。
 「だ〜め。諦めな。言っただろ、ベストショット。見たくねぇの?」
 言い包めるように宥めるように。でも、あたたかな音。ほんの少しのからかいの中の、真実気づかう音。
 ああ、と、息を飲む。こんな時ほど自分の卑小さが恨めしい。
 馬鹿らしいと思えなくなる。こんな……悔しさの入り交じった感情、抱える事は愚かしいと。
 互いの立ち位置が違うのだから仕方のない事だと、そう納得出来なくなるほど……あまりにも彼が無防備だから。
 「…………見たい、けど…」
 「なら感謝しとけ。……ほら、置いてけぼり喰らった子津がほうけてるぞ?」
 微かに俯き答える音がどこか遠くで聞こえた。こんなにも、近いのに。
 微かな苦笑。それだけを残してカメラを抱えたまま役者は舞台から消えた。鮮やかな退場の仕草。深く、この胸に印象づけられるその存在の重み。
 息を飲む。否。それすら、出来なかったのかもしれない。呼気の仕方すらも忘れて、その舞台に見入っていた。決して自分の上がれぬ、美しくも儚い舞台の姿を。
 「………子津?悪い。驚いた…よな」
 目を瞬かせてその言葉に無意識に頷いた。驚いた原因は、多分互いに違うモノを想起しているが。
 困ったような笑み。ああ、と、息を飲む。今度のそれは先ほどとはまるで違う意味で。
 間近のその笑みをもっと見ていたくて、離れてしまった腕を伸ばした。あっさりと重なった指先に力を込め、笑いかけた。
 ほっとしたように彼が笑ったから、今度はそれを独占したくなって……重なった影は無意識のまま。
 触れた瞬間の怯えるような震えは相変わらず。畏れるように固く閉ざされた瞼には誰が映っているのだろうか。
 ………あんまりにも人に関わる事に怯える人だから、触れる禁忌すら許されたことに未だに実感が湧かない。特にああして二人の親密な絆を目の当たりにすると、場違いな嫉妬と解っていても留める事の出来ない感情も、湧く。
 目を開けて欲しいのだと……その目に映して欲しいのだと、乞うように瞼を撫でれば震えた睫毛が困惑げに揺れ、躊躇う仕草を残しつつも琥珀の瞳を覗かせた。
 それを見つめ、問いかける。逃がさないと脅迫めいたモノではなく、安心して欲しいのだと、包めるように微笑みながら。
 「さっきの……何だったんスか」
 苦笑を混ぜたような囁きはやわらかかった。触れる熱より何より、この声が心地よい。ゆったりと響く音は、ささくれだった精神さえ穏やかに撫でてくれる。
 小さく息を吐き、猿野はあちらこちらに視線を逸らす。……誤魔化す、というよりは言葉に迷っている風だった。
 暫くそれを続けたあと、先ほどより深いため息。次いで、真っ直ぐに注がれる視線。
 いつもいつも最終的なところで、彼は決して目を逸らす事はなかった。逃げる事すら知らない至純さは、どこか生き難かっただろう過去を彷佛させて遣る瀬無かったけれど。
 「誕生日……プレゼント」
 「…………?」
 「俺の。……だから、お前との写真、あいつが撮ってくれるって」
 でももっと簡単に、気軽な感じで撮るはずだったのだと、悔しそうにむくれて言う猿野の言葉は素通りしていく。………もっと重要な言葉があった為に。
 「……………聞いていないッス」
 「うん、まあだから悪かったて……」
 「違うッス!誕生日!聞いていないッス!!」
 チェックをしなかった自分も間抜けだが、もっと事前に言ってくれればもう少しマシな状態で、ちゃんとプレゼントだって用意して過ごせたはずなのに。
 自分自身の事を言うのを忘れがちな猿野に恨めしそうな顔でそう訴えれば、きょとんと目を瞬かせていた。
 何を怒っているのだろうというその姿に、言っている意味が伝わっていないのかともう一度口を開きかければ………笑いかけられた。
 それはふざけた笑いでも困った笑いでもない、極当たり前の笑顔。あまりに自然過ぎて風景に溶け込んでしまいそうなほど静かな、笑顔。
 「だから、我が儘を言いに来たんだ」
 そうして慈雨のように注ぐ声が、静かに流れた。
 「今日はもう練習終わりにして、一緒に帰ろうぜ?」
 もう何週間も同じ道を帰っていないのだと、小さくぼやいてみれば衝撃が走る。
 それが抱きしめられたが故だと気づくまでの数瞬のあいだ、幸せを思った。
 あんまりにもそれは静かに佇んでいて自分は気づかなかったのかもしれないと。
 ………怯えて逃げて恐れて、そうする事で可能性すら摘み取ってしまうのは、あまりに勿体ない。
 だから、触れられる事に怯えながらも……待っている。


 ずっとずっと差し出してくれていたその腕を…………。








 うを(汗)微妙に間に合っていないよ、7月25日猿野の誕生日〜(汗)
 でも一応書き上げたのは当日です。タグ打ちのせいですから大目に見て下さい。

 とりあえず、前回ので言っていたネタを誕生日絡みを加味させてみました。
 元の方がカップリング色が強いのでまあ……このくらいでいいや。
 しかしまあ見事に沢松と猿野に間に入れないで悶々としている子津の小説、という感じに。
 ………でもこれ一応猿野誕生日おめでとう小説ですから!
 子津じゃないから!

 16.7.25