柴田亜美作品

逆転裁判

NARUTO

突発。
(1作品限り)

オリジナル
(シスターシリーズ)

オリジナル



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それは幼い頃のおとぎ話。

力ない小さな腕で
戦う勇者の物語。

大丈夫だと笑ったその顔

あふれた涙でかすんで見えなかったけれど。

力強い声に、駆ける足が励まされた。





何もない腕の勇気



 「本当に不思議なんだけど」
 どこか不満げな可愛い声がそう唇を尖らせて言うさまに苦笑し、少年はあたたかな紅茶を注いだカップをテーブルに置いた。
 自分達の勤務する事務所に度々押し入ってくる元気な少女の声は、静かな事務所内によく響いていた。………もっとも騒音を好まない自分の上司は、背後で苛立たしそうに睨んでいたが。
 「そんなこともないんだよ?」
 こっそりと内緒話をするかのように答え、少年もまたソファーに腰を下ろした。
 昨日作っておいたクッキーをお茶菓子にと手繰り寄せると、目を輝かせて少女が手を伸ばす。美味しそうに口に頬張る様を見ていると、こちらまで幸せになるから不思議だ。
 少女がクッキーを飲み込むまで一口紅茶を飲んで間を置くと、待っていたかのようにまた明るい音が響く。
 「そうはいうけどさ、ロージーくん、あんまり待遇よさそうに見えないんだよね」
 「でもほら、僕は失敗ばっかりだし、今はムヒョに育ててもらっている身だから」
 それは仕方のないことなのだと、困ったように少年が笑う。
 住み込みで働いているといっても、仕事で奉仕ができない分の代わりに近い。給料の大半は家事労働や雑務に対して支払われている気がしてならないくらいなのだ。
 魔法律学校に行けなかった分、自分はどちらかというと、なにかしらの職人の下についている見習いに近い立場だ。
 そう考えれば、たいして待遇が悪いわけでもない。もちろん、自分を育ててくれる相手が自分より年下で、かなり口の悪い子供であることをのぞけば、なのだが。
 「私だってその辺は解っているわよ。だけどさぁ、あいつ、口悪過ぎない?」
 実力あってもむかつくと、これ見よがしに相手を睨んでいうあたり、陰口ではなく堂々としたものだ。
 竹を割ったような性格なだけに陰湿さがなく、そうした話題に対処しきれない少年でもほっとするほど清々しい。
 「うるせぇよ。カスをカスといってどこが悪い」
 「ほらー!やっぱりむかつくって。そう思うでしょ!?」
 まるで自分に対していわれたかのように憤慨しだした少女の沸点は、かなり低い。それを承知でからかうのだから、相手も十分悪いのだが。
 なだめるように両手を挙げ、少年が落ち着くように声をかける。堂々としているわけでもない、どこか弱々しさの残る少年の仕草は、実際に戦う場に身を置くというより、確かにこうした事務所内で雑務を行う方に長けているように見える。
 そう考えて、ふうと落ち着くために息を吐く振りをして、少女は溜め息を落とす。
 実際、少女にも解ることはあるのだ。この少年はあまりにも優しすぎるし、相手を思いやり過ぎる。霊という、情緒も観念も既に人間とかけ離れた世界に住うものを裁く場に身を置くには不具合なほどに、だ。
 才能と性格は別物だ。どれほど戦う才能に満ちていても、相手の傷ばかりを思い痛めることを恐れる人間は戦えない。
 そう考えたなら、確かに一見冷酷無比に相手を裁き、その中に救いを混ぜるこの事務所の執行人は少年にとって最良だろう。
 ただ……と、思う。
 彼がどうあるべきかを知っていて、その上できっとこの執行人は導いている。性格はもちろん意志も情緒も行動も全部解っていて。
 それなら、思わないのか。…………この優しすぎる人間にこの世界は酷だ、と。
 自身で裁く立場となったなら、この少年は毎日だって泣き続けるだろう。救いきれない命に対して。導ききれなかった魂に対して。罰を与える以外に方法のない、その悲しさに。
 助手という今の立場でさえ、いつも涙を流すのだから。
 「あのね、ナナちゃん」
 ふんわりと、紅茶の湯気の先で小さく少年が笑う。
 呼気さえ紅茶の中に溶けそうな、そんな微弱さで。
 一瞬己の考えに浸っていた少女は、その湯気の先の少年の面影のあやふやさにギクリとする。あり得ないけれど過ったのは、全てを涙に換えてしまい、蜃気楼のように溶けてしまった少年の姿。
 「な、なに?」
 馬鹿なことだと苦笑いの中に思いを濁す。それでは彼を霊という、あの悲しい生き物に見立てたに過ぎない。
 「僕は正直、本当に力がないし」
 カチンと小さなガラスの音が響き、少年の持っていたカップがソーサーの上に戻されたことが解る。
 じっと、二つの視線が少年を見つめる。………そんなこと気にもしていないようにふうわりと小さく少年は笑い、思い出を手繰るように目を細め、音を綴った。
 「昔っから幽霊とかに悪さばっかりされてて、どうしようもなかったんだけど」
 「………魔法律家目指しているくせに情けねぇ」
 「ちょっとは黙ってなさいよ!」
 またいらない口を挟んだ小さな執行人に、少女が噛み付くように睨む。と、彼はつまらなそうにまた手の中の漫画に目を戻す。
 もっともそんな仕草は形だけで、彼の神経のほとんどが今こちら側に向けられ、少年の言葉の続きに耳を寄せていることは解るのだが。
 素直でない上に見栄っ張りだ。そんな風に仕方のない子供を見遣るような面持ちで執行人を見た後、いつものように困ったように二人を止めようと腰を上げて手を伸ばしかけた少年を見やり、笑った。もう大丈夫だと示すように。
 少しの間二人を交互に見遣りながら、ようやく安心したのか、少年はホッと一息つくとソファーに改めて腰を下ろした。
 しばしの沈黙の間、少年が少し逡巡するようにティースプーンでカップをかき混ぜる音だけが響いた。
 数度それが聞こえ、後一回繰り返されたなら気の短い執行人の怒声が飛ぶかと思われた時、ぴたりとそれが止んだ。
 そうして響く、小さな優しい音色。
 「あのね、ナナちゃん………」
 「ん?」
 「僕……もっと子供の頃、助けてもらったんだ」
 愛しい、大切な宝物をそっと披露する子供のような顔で、少年が囁く。微かな音は、それがとても大事だから仰々しく見せびらかしたくないと、そういっているかのようだ。
 いまいち少年の言葉と今までの会話がうまく繋がらず、目を瞬かせている少女は返事が出来ずに首を傾げる。
 もっともそれに気付いてはいない少年は、また手の中のティースプーンで紅茶をかき回していた。多分、照れ隠しを込めてなのだろうけれど。
 「その時は全然魔法律のこと何か知らなかったし、相手がそう言ってくれなければ今だって知らなかったと思うんだけど………」
 カチャカチャと、言葉の合間にカップとティースプーンのぶつかりあう音がする。仕草の大人しい少年にしては珍しいことだ。
 思い出を語っているというよりも、その思い出の中の相手を思っているが故の反応のような気が、する。
 なんとなく、今ここにいる自分達では遠く及ばない気がして、去来した寂しさに少女は微かに眉を顰めながら、笑った。
 顔を顰めてしまってはこの少年は驚いて悲しむと、思ったから。
 「じゃあロージーは、その人がかっこ良く霊を裁いたのを見て、憧れてこの世界にきたんだね」
 「え?………あ、と……違うんだ」
 悔しさを紛らすように、少女が紅茶を飲みながら口元を隠して、からかうようにそう呟く。と、少年は驚いたように目を瞬かせ、次いで焦ったように顔を赤らめた。
 「違うって……だって、執行人の人が助けてくれたんじゃないの?」
 少年の反応に訝しそうに首を傾げると、困ったように少年が眉を垂らした。幼い子供を見守るような、そんな柔らかい笑みで。
 「ううん、その子はだって…魔法律学校の生徒だったんだもん」
 「生徒ってことは……何も出来ない子供ってこと?」
 つまらないというような顔をしていう少女に、困ったように少年は言葉を継ぐ。
 「本当に、小さな子だったんだよ、その子」
 庇うというよりは、事実を必死に説明しようとする声は耳に心地よく響く。
 別にその子供がここにいるわけではないのだから、多少笑い者にされたところで誰も文句はいわないし、むしろそうした扱いの方が、話が弾む場合だってある。
 けれどこの少年には、そんな考えは浮かばないのだろう。
 どこか頑な純朴さだ。楽しいからと事実を曲げることを好まない、心底の純乎。
 「僕を狙ってきた霊だったのに、僕があんまりにも泣いていたから、助けてくれたんだ」
 「助けるって…その子、ロージーみたいにお札作れたの?」
 それなら役には立つと少女がいってみれば、しょんぼりと少年が項垂れる。
 何か間違えたかと顔を引きつらせて、少年と彼の監督者たる執行人を見遣ってみるが、少年は項垂れたまま首を振るだけだし、執行人に至っては顔を顰めてそっぽを向いてしまった。
 明らかに自分に非があるというような、そんな態度にまた何か叫ぼうかと思った時、少年の弱々しい声が響く。
 「……ううん……………」
 「えっ?」
 「何も…出来なかったよ、その子。だから、僕の代わりに……霊を誘き寄せてくれたんだ」
 小さすぎて何と言ったか解らず焦ったように声をあげれば、聞いているものの耳が痛むほどに消沈した声が、己を引き裂くように絞り出される。
 俯いた顔は、きっと涙に濡れているのだろう。それでもどうにか隠そうとする小さな努力は徒労ではあるけれど、泣くまいとするその心情だけは相手に伝えていた。
 「…………………」
 霊が、恐ろしいものであることは少女も知っている。優しかったり愛しかったり、そんな思いも内包することもあるけれど、それ以上に、やはり恐ろしく危険なモノだ。
 何も出来ない小さな子供が、たとえ魔法律学校の生徒であったとしても、無傷でどうにか出来たとは到底思えない。
 それは自分以上に、この事務所で数々の霊と相対してきた少年には、骨身に滲みて解ることだろう。  かける言葉も、なかった。
 ………否、かけられる言葉など見つかる筈がない。半端な慰めなど、彼にとっては鋭利な刃物と同等の意味しか持たない。彼は哀れなほど優しいから、傷付きやすい。
 「………随分前のことだが」
 沈黙が重く室内に立ち籠めていた時、不意に思い出したように、まだ高い声が響いた。子供独特の、高音にも低音にもなりきらない、声。
 「性質の悪い浮遊霊を、学校まで引き連れてきた馬鹿がいたナ」
 「………それって…」
 呟いたのは、少女。
 少年は俯いたまま、怯えるように大きく身体を震わせただけだった。震える指先は、膝上からゆっくりと胸元へ。………そのまま耳を覆いたいのだろうそれは、けれどどうしても出来ず、執行人の裁きを待つように堅く握り合わされた。
 じっと少女の視線が注がれ、少年の全身の怯えでもって注目を浴びた執行人の声が、語る。
 「ケケ、肩と腹がちょっと爛れただけで、霊は執行人たちが勝手に裁いていたゾ」
 重々しい内容とかけ離れた気軽さで、その声は響いた。
 「………やっぱり……………」
 低く掠れた声で呟いたのは、少年。
 それを痛ましく見守るのは少女。
 そんな二人を冷めた視線で見据え、執行人は己の助手に問いかけた。
 「ロージー」
 「…………………」
 「オメェは何度か霊にやられて、怪我してんな」
 問いかけは、責めとは違い気安い音だった。脅えた肩の震えに苛立たしそうに目を細めながらも、執行人の声にマイナスの要素は滲まなかった。
 それに気付き、少年は俯いた面をひっそりと持ち上げる。滲んだ涙がまたあふれそうで恐かったけれど、それでも己の上司の音を拒むわけにもいかない。
 小さく頤を引いて肯定を示してみれば、ニヤリと笑われる。少しだけ怖い、彼独特の笑い方には、皮肉とも嘲笑ともとれる赴きがあるのに、時折何故かひどく…痛ましい。
 「それは、依頼人のせいか?」
 「ちがっ…………!それは僕がまだ、未熟だからで……!」
 なんてことをいうのだろうかと驚いてその言葉を否定してみれば、ふんとつまらなそうに相手は顔を逸らしてまた漫画に目を向ける。
 まるでそれだけで十分だとでもいうように。
 「………ムヒョ?」
 結局なんなのだと、問いかけるようにその名を呼んでみれば、視線すら返さずに呆れたような声が与えられた。
 「馬鹿かオメェは。この業界にいる奴の答えなんざ、同じに決まってんだろうが」
 これだからカスはと憎まれ口を付け足したけれど、その声は優しくて。
 目を瞬かせた少年は、じわりと肌に滲んだその音の響きに、再び目頭が熱くなるのを感じた。
 「うん…そうだね、ムヒョ」
 呟いて、頷く。どこか踏ん切りをつけるような必死さで。
 小さな腕は力も弱く辿々しく、声に震えはなかったけれど、きっと自分と同じくらい、恐かった筈だ。
 それでも自分は一般人で、あの子供は魔法律学校の生徒で。たったそれだけの違いで、彼は己を奮い立たせたのだろう。
 何も携えてはいない、今の自分よりもずっと小さく力ないあの腕で。
 そう思った時、ぽろりと涙が頬を伝った。それは悲しみでも苦しみでもない、不思議な涙。
 じっと自分を見つめる少女に気付いて、その顔を笑みに象らせながら少年はそちらに顔を向け、小さく口を開いた。
 「……ロージー……?」
 「あはは、ごめんね、情けないところばっか見せちゃって」
 「いいんだけど!あの、大丈夫………?」
 「うん。あのね…多分、あの時の子も、確かに同じ答えで僕のこと守ってくれたと、思うんだ」
 泣き笑いながら、けれど痛ましくはないその雫を頬に彩らせて、少年が言葉を綴る。
 「だけど僕はやっぱり、あの子が凄いと思うよ」
 愛しい愛しい思い出を、大切に包むように慈しむように。
 「何も出来ないことを解っていて、それでも守ろうとしてくれたんだから」
 「…………実力も見極められない馬鹿ってだけダロ」
 憎まれ口をたたく執行人の声に優しく微笑み、少年は頷いて、告げる。
 「うん。だからいつか…僕もあの子の力になりたいんだよ」
 「…………………」
 「まだ僕も何も持ってないけど、あの子と同じ勇気だけは、持ちたいんだ」
 そう呟いて、少年は目を瞑る。瞼の裏には幼い頃の、記憶も朧な恩人の子供の影。
 けれどきっと、と。
 そんな確信に満ちた思いが思考を占めた。

 「僕は…だから、認めてほしいんだよ………?」

 問いかけよりもあからさまな願い。
 愚者の祈りのようなそれは、けれど幼さのままの、廉潔な意志。
 小さく息を吐き、執行人は目を瞑る。とうに視界におさめていた漫画の内容など脳に届いていないのだから、今更読もうとしても無駄だ。
 そうして、脳裏に浮かんだ幼い頃の助手を思い、辟易とした溜め息を落とす。
 「そう思うなら、もっと役に立ってみるんダナ」
 意地悪く返して、漫画を顔に乗せるとそのまま眠ったふりをする。
 騒がしく息を巻く少女の追求は助手に任して、執行人は微睡む意識の奥に鮮やかに蘇った記憶を追った。



 それは未だ何も知らなかった頃の、記憶。

 己の中を揺さぶった初めての意識。


 湖面に広げられた波紋を作り上げたちっぽけな石。








 いや、ロージーは幽霊嫌いなくせに魔法律界になんぞいるから。何か理由があるのかな、とか。
 盲目的なくらいにムヒョに従順だから何か理由があるのかな、とか。
 色々思っていたら何となく形になってしまったので書いてみました。まあ実際原作ではロージーはムヒョのこと何も知らないっていっていたし、こういうことはなかったのかと思いますけど(苦笑)

 そしてどこまでいっても素直でない上に偉そうなお子様が好きです。普通にコンビ組んでいる相手にカスと言い切る辺りが漢らしい(笑)

06.2.8