柴田亜美作品 逆転裁判 NARUTO 突発。 (1作品限り) オリジナル (シスターシリーズ) オリジナル enter |
私は心に誓った。 同じ道はもうないけれど 頬に当たった風が生温くなり始める。もうすぐ梅雨がくるだろうことは、空模様から見ても明らかだった。 小さく息を吐き出す。雨が降れば嫌が応にも外での練習は切り上げだ。そうなれば当然、球を投げる場所がない。 見上げた空はどんよりとした灰色だった。まだまだ時間が足りないというのに迷惑な話だと、小さく舌打ちをする。もっと、自分は投げなくてはいけないのに。 そう思った瞬間、気の強い眉が顰められ悔しそうに唇が噛み締められる。 「叶?どうしたー?」 空を見上げたりしながら、なかなか球を投げない叶に立ち上がり、畠が声をかける。 球筋はいいし、決して不調そうには見えない。時間的にも運動量的にもオーバーワークでもない。まさかとは思うが指でも痛めたかと顔を顰めるが、相手は軽く手を挙げてなんでもないと首を振った。 そうして、いつもどおりの綺麗なフォームから球を投げる。練習用ではない、先月の練習試合で初めて見せた、深く落ちるフォークの握りで。 なかなか捕球の出来ない畠は、それでも懸命にその球を追いかける。秀でた才能はないけれど、その分畠は堅実だ。もっとも、だからこそ贔屓とか不正とか、そうしたものに対して過剰な反応を示す面もあるのだが。 ミットに吸い込まれずに弾かれた球を拾いにいく畠を見送りながら、もう一度叶は空を見上げた。 ………雲しか見えず暗い空は、今にも雨を滴らせそうだ。 気も滅入るものだと、そんな殊勝な心持ちなど持ち合わせていない筈の勝ち気な自分に、小さく笑う。そんな風に天気に気持ちが動じてしまうようでは、人を引っ張ってなどいられない。 ずっとリーダー的な位置にいたせいか、自然と弱味を見せないようになったのはいつの頃からだろう。 幼い頃みんなで遊んでいた時は、こんな日はわざと大声を出して走り回ったものだ。ガキ大将だったせいで、自分が不安そうになると誰もが落ち着かなくなるのを肌で知っていたから。 そのおかげか今もその癖は抜けず、傍目からは随分クールで沈着だと過大評価をされていることを知っている。もっともプラスになる評価であれば、わざわざ否定も肯定もせずに好きにさせておくけれど。 見上げた空からぽつりと、頬を濡らすものが注がれた。………ついに降り出したかと頬を拭う。 一瞬、それが冷たい雨ではなく熱い涙のように感じて顰められた眉は、けれど誰に咎められることもなかった。きっと降り出した雨が気に入らないという、そんな単純な意味に取られたのだろう。 しとしとと降り出した雨はあっという間に本降りになり、ほんの数球を投げた頃には監督の声が響き、練習は中止となってしまった。………本当についていないと、口元が不機嫌に引き結ばれるのが自分でも解る。 クールダウンのあとの掃除に点検、整備。一年生が行わなければいけない、いくつかの雑務をこなして着替える頃になっても、雨はまだ勢いが衰えなかった。部室の窓の外からは雨音が響く。 ざわめいた部室内には、もう一年生しか残っていない。それでもかしましさに変わりはなく、壁に近い位置でなければ、外が雨であることなど解らないだろう喧噪だった。 制服に着替え終え、段々と減っていく部員を見送りながら、バックの中に投げ込まれたままの携帯電話を何気なく取り出す。 別段野球以外でなにかをするわけでもないので、特に持つ必要性はなかった。それでも一応と持ち歩いているのは、ごくたまに必要に迫られることがあるからだろう。 もっとも時計をつけていないせいで、すっかり時計の役目に落ち着いているのが実情だったけれど。 どうせまだ普段であれば練習も終わっていない時間だろうと思いつつ、鞄を持ち上げながら画面を確認する。 メールの届いた旨を知らせる味気ない文字に、もう手慣れた風に叶はボタン操作を行う。返信することは少ないが、それでも他愛無いメール自体はよく入っていたので、操作はもう十分慣れていた。 しかし自分にメールを送る相手など、野球部の連中か家族くらいのものだ。誰だろうかと首を傾げながら、叶はロッカーを閉め、外に出ようとドアの方に身体を向けた。 「…………………………!」 そうしてその画面に繰り出された名前に、息を飲みそうになった。 「じゃーな、叶。肩冷やすなよ」 「また明日ー」 気軽な声をかけるチームメイトへの返事もそこそこに手を振って、外に出る。 雨は相変わらずの振りで液晶画面が濡れそうになる。それを避けるように歩く。こんな時はきちんと屋根のある道はありがたかった。 小さな画面には幼なじみの名前がある。機械音痴な訳ではないはずだが、過去の出来事からか滅多に電話すらしない彼の名前。 震えそうな指先でメールを開いてみれば、内容はチームメイトのメールのようにとても他愛無いものだった。 確認した後に強張った身体をほぐすように、小さく息を吐き出した。妙に緊張している自分に苦笑する。 ずっと………彼は自分の後ろに隠れてばかりいたのだ。身体が小さいとかそんな理由ではなく、新しい何かに対してとても不安がる子供だったから。 それでも彼は野球が大好きで、グローブを持っていた自分と初めて対面した時の反応は、ただただ驚くばかりだった。 女の子の背中に隠れていた筈の彼は、おっかなびっくり顔を覗かせていた。 男の子が遊びにきたと期待して顔を見せにいったが、きっとなよなよした奴なんだろうと興味を失いかけていた自分に、突然その相手は激突してきたのだ。 泣きそうな顔、で。 ぎょっとして目を見開いてみれば、震える声が響いた。野球…できるの、と。 それはもしかしたら、自分も一緒にという意味だったのかもしれなかった。けれどその足りない言葉を補えるほどには大人ではなかった自分は、バカにされたとカチンときて、当たり前だと怒鳴って彼の腕を引いて広場に連れていった。 それが、自分達の始まりだった。 ボールを捕ることさえ辿々しく、投げられた球に怯えるクラスメイトとは違い、野球が好きだった彼は恐れることもなくボールに立ち向かう。 あのオドオドとした姿からは想像もつかないほどに、生き生きとした嬉しそうな姿に、あっけにとられたことを覚えている。 それでもあの頃から彼の投げることへの執着は並外れていた。否、野球というものへの、といった方が正しかったのかもしれない。 メールには単純な言葉。応援団が出来たのだというその短い文章の中に、どれだけ言葉を尽くそうかと彼は悩んだだろう。きっと自分にこんなメールを送っていいのかとか、そんなところから悩んだに違いない。 それでも送った理由は、きっとそれが、野球に関することだったからだ。 「……やっぱ、変わらねぇよなぁ」 少しだけ声が懐かしさに綻ぶ。多分きっと、彼の中でこの学園は最悪な記憶だろう。全てが敵のような世界だった。 野球に力を入れているだけあって、野球部に所属している生徒は多い。そこから派生した噂や態度があっという間にクラスや学年を巻き込むことは容易かった。 思い出せば、歯痒さに胃が軋む。 ……………小さい頃から彼を背中に庇うのは自分だった。要領が悪くてたまに自分でさえ苛つくことはあったけれど、それでも彼はとても誠実だったから、周りのような対応は出来なかった。 真っすぐに見上げる目は、勝ち気な自分とは正反対で柔らかい。それでもその分、とても優しく暖かいのだ。 それを自分は知っていた。そして自分が大好きな野球を、彼は他の誰よりも一緒に行うことが出来た。初めの理由は単純だったけれど、それはとても重要だった。 彼が野球が好きで、それへのこだわりが並外れていることをもし自分が知らなかったなら、自分もまた、あの泥ついた環境の一環にしかならなかっただろうと思うから。 吐き出した息は、重い。空に広がる雲のように。 もっと、もしかしたらなにか方法があったのかもしれなかった。言葉を尽くして自分が彼に劣っていることをいっても、まだ幼いチームメイトには、速球こそがエースの必須条件とでも思い込んだように聞き入れてはくれなかった。 彼ほど投げることに執着し、努力を惜しまない人間はいないのに。贔屓とか、そんなベールを取り払って彼を見てみれば、こんなにも簡単に解る筈なのに。 彼のことも、自分を思ってくれるチームメイトのことも大切だったから、結局自分は何も出来なかった。言葉を尽くしても伝わらないことがあると、多分自分よりもずっと痛感していたのは彼だったのだろうけれど。 彼を庇えば庇うほど、チームメイトの彼への当たりがひどくなることも知っていた。 投げられなくなればいいのだと、まるで呪詛のように言い始めたチームメイトに危機感を持ったのは、いつの頃だっただろうか。 どこか、彼らの憤りは度を超しているところがあった。まるでその命を己の自由に扱っていい、家畜を手に入れたような、そんな残酷性。 ゾッと、した。微かな恐怖を持った頃、その残虐性が具体的なものに変わっていった。………腕を折ってしまえという言葉が、今も克明に脳裏に響く。 庇えば庇うほど火に油を注いでしまう。守りたくて、守れるつもりだった自分が、彼を余計に苦しめる。考えていたほどには強くなれない自分が、悔しかった。 だから、彼の前では庇うことはなくなった。…………傍によって慰めれば周囲の憤りが増すことを知ったから。 真っすぐに自分の背中を見つめる視線は相変わらずなのに、目も合わせなくなったのはいつからだろう。 それでもそれを問いただせなかったのは、恐かったからだろうか。怯えた目で彼に見られ、友達ではないのだと、危害を加える人間なのだと、そう認識されていることを突き付けられることが恐ろしかったのは確かだ。 きっと彼の中では自分もまた、所詮は同じ、記憶の中の影。決して灯火ではないだろう。 「………長かった…よな」 思えばもう、学校さえ変わってしまった。初めて出会ってから何年だろうか。 それほどまでの遠回りをして、ようやく彼の才能は周知のものになった。…………彼の努力は認められ、花開くことを許された。 もしも自分がいなければ、贔屓があってもなくても、きっと彼はここでエースだっただろう。自分がいたからこその比較であり、その結果だ。………贔屓という大人の都合への反発が重なり、彼を排斥させたのだから。 本当はずっと知っていた。自分が彼の前からいなくなれば、もっとずっと彼は楽になっただろうと。 それでもそれを彼が望まず、自分が傍を離れたくなくて、ずっと傷を増やし続けた。 守りたいといいながら増やした傷を、見ない振りをした。………身勝手極まりない、感情だ。 けれど自分は手放せなかった。正確無比なあのコントロールのせいだけではない。 投げることへの情熱をひた隠しにして、どんな嫌がらせにも屈さない頑なさを秘めたまま、彼は怯える視線で、それでもたった一人戦い続けた人だったから。 投げる彼の姿は自分の支えだった。彼に追い付こうと、怠けることさえ忘れてどれほどの努力を積み重ねただろうか。 もしも自分に力があるというのなら、それを引き出したのは紛れもなく彼なのだ。 ずっとずっと、本当は一緒にマウンドに立ちたかった。彼が疲れたといったなら、その後を任されたかった。 けれど彼はあまりに強く、一度だって自分に助けを求めなかった。 もうきっと一緒のマウンドには上がれない。別々の道を歩み出した彼は、彼の力を認め引き出してくれる仲間とともに、たった一つの舞台を求めて歩み出したから。 遣る瀬無さは消えない。………胸の痛みだって、きっととれないだろう。 それでも彼が野球を続ける限り、自分達を結ぶ糸は途切れることはない。 もう一度彼からのメールを見つめる。短い文を読み終えて、目を柔らかく細めた。 何と、彼に返そうか。 また一緒に野球をしようと、彼がそう真っすぐに自分を見た時の喜びを思い出す。恐れることなく自分を見上げる瞳は、どれほど振りだろうか。彼と目を合わせることを恐れていたのはきっと彼以上に自分だった。 与えられた優しい感情に、泣きそうな思いで応えたことを、きっと彼は知らないだろう。………こんなメールへの返信一つに、柄にもなく緊張していることも。 不馴れな手つきで普段はあまり返さない返信を打ち込む。短い、文。けれど多分ずっと彼に言いたかったこと。 送信を終えると知らず唇がほころんだ。 見上げた空は相変わらず、雨。けれどそれは涙には感じはしない。 雨は必ず止み、虹とともに太陽を呼ぶだろう。 泣き虫の彼が笑顔とともにボールを投げる姿のように。 ただひたすらに三橋が大好きな叶ですね。 笑いたければ笑って下さいな。幼なじみであの関係はかなり切なかったんですもの。 蟠りも消えて同じ場所で同じものが見れれば良かったんですけどね。 でも私も三橋の球は阿部以外に受けてほしいとは思わないので、離れ離れのままでいてほしいよ(オイ) 冒頭部分は旧約聖書の詩編から抜粋。 きっと中学時代叶はそんな気持ちだっただろうなーと。嘘もつけないし、かといって庇えば余計に三橋が辛い目に遭うのだろうし。 黙って貝のように口を閉ざしても、決して痛みも苦しみもなくなりはしないし感じなくなることもないだろうな、と。 そういった意味では叶も三橋を責めた周囲の犠牲者だなーと思います。 難しい問題だけどね。 05.12.22 |
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