柴田亜美作品

逆転裁判

NARUTO

突発。
(1作品限り)

オリジナル
(シスターシリーズ)

オリジナル



enter






きれいな人を見つけた。

巫女の服に身を包み、その人は鮮やかに舞う

まるでこの世のものとは思えない光景

そうして、大分あとに知ったのだ

その人こそが、自分の許嫁だと。





蛍火の舞



 夕闇が押し迫っていた。そんな野原を風のように素早い影が横切っていく。
 幼いその影の息が、浅く短く口から漏れる。それでも精一杯駆けている足はよどみなく動いていた。
 もっと早く走らなければいけない。………もうすぐ日差しがなくなってしまう。滴り落ちる汗を気にも止めずに更に加速する。踏み締められた土が僅かに中空を舞った。

 「………姫様?」
 不意に立ち上がり縁側の障子に手をかけた少女に、不思議そうに侍女が声をかけた。障子を開けるくらい、自分の方が近いのだから申し伝えてくれればいいはずだ。どうかしたのかと用心深く侍女もまた、少女の隣へとかしづいた。
 それに僅かに振り返って微笑んだ少女は、ゆっくりと手のひらを翻らせ、その丸みある指先を柔らかく前方へと差し出した。
 それはまるでそこに誰かが平伏し、その手を取るような仕草だった。しかし覗き込んだ侍女の視界にはただいつもどおりの庭が広がるだけであり、当然、土の上には誰もいはしない。
 首を傾げて少女を見遣ってみれば、その口元は幼い微笑みが灯されている。けれどそれは決して悪戯などを行った笑みではなく、幸せそうな満ち足りた笑み。
 思わずつられて顔をほころばせた侍女は、同時に遠くから木々の間を縫う音が近付いていることに気が付いた。
 はっと顔つきを険しくし、侍女は少女を庇うようにして身体を前に出す。少女の安全は我が身に代えても死守しなければいけないと、緊張を走らせた肉体が克明に少女に知らせた。
 その忠心に微笑みかけ、少女は軽く侍女の肩甲骨の上を叩いた。庇う必要はないのだというそのたおやかな仕草に、前方への注意はなくさずに侍女が視線を向ける。
 それに頷き、少女はまた庭先へと視線を送る。もう既に走り寄る影の醸す音は間近だった。
 「約束の時間、守られましたね」
 ゆったりと、いっそ間が抜けているとさえ言いたくなるような、そんなのんびりとした口調で少女が場の緊張をなくすように囁いた。大きい声ではなかったが、それは広い庭に溶けるように響いた。
 ガザッと一際大きな葉擦れの音が響いた後、どさりという物々しい音とともに舞い落ちたのは影そのものだった。より正確に言うのであれば、それは影かと思い間違うほど黒い子供だったのだが。
 「なんとか、な!」
 弾むような声は息切れの合間になんとか聞こえるように響いた。相当走り続けていたのだろう、子供はその場に座り込んで空を仰ぐと、深呼吸を繰り返していた。
 全身を黒一色の服飾のみで統一した、真っ黒な髪をした子供だ。肌の色は健康そうな小麦色だと言うのに泥だらけになっているせいで見るも無惨な有り様だった。
 何者かと一瞬顔を顰めた侍女は、次いで素っ頓狂な声で叫んだ。
 「わ…若様?!どうなさったのですか、そのお姿は!」
 「ん?ああ…ちょっと修行。してたら崖から落ちちまって汚れただけだ」
 「い、医者を呼びます!お待ち下さいっ」
 「あー、いいって。たいしたことねぇし、これから出掛けんだから」
 「そうはまいりませんっ」
 侍女と子供…この城の城主の息子だが、二人はまるで様相の真逆な様で会話を続けていた。悲壮なまでに顔を青ざめさせた侍女の面持ちを気の毒に思ったのか、子供は困ったように眉をたらしている。
 実際、怪我はたいしたことはなかった。それこそ民家の子供であれば水洗いで放置されてしまうような、その程度のものだ。そこいらの子供よりも丈夫である自負のある子供にとって、そこまで大騒ぎをされる類いの傷ではない。
 首を傾げて大丈夫だと言おうとしたとき、今まで会話に加わらなかった少女が不意に縁側に歩を進めた。
 「………巫女?」
 どうしたのだろうと子供が見遣った瞬間、ザパンと勢いよく水が頭から飛沫を上げた。………一瞬何が起きたのか、子供も侍女も解らず目を瞬かせるばかりで、声も出なかった。
 その様に微笑みかけ、少女は水浸しで座り込む子供に、先ほど誰もいない庭に向けて差し出したのと同じように、その手のひらを差し出した。
 「濡れたついでです、湯の用意をしてありますから、泥を落として下さいませ。傷の消毒が終わるまで、私は外へは参りません」
 柔和な、少女が身に付けるにはあまりに柔らかい微笑みでそう告げ、子供に手桶の水をかけた少女は悪びれることなく湯を勧めた。
 惚けたようにその言葉を聞き、未だ目を見開いたまま動けない子供は、差し出されたたおやかな手のひらを見つめてようやく吹き出すように笑う。自分の格好の滑稽さもさることながら、相変わらず突拍子のない巫女だと楽しそうに。
 「み、巫女は無茶苦茶だな」
 「若様も同じでしょう」
 どうせ時間を忘れて修行をし、日が入るのに気付いて慌てたせいでこんな姿になったのだろうと、窘めるように子供の手を支えると溜め息を吐く。それはどこか甘い吐息だった。
 それを受けて、子供は苦笑を顔にのぼらせる。反論の余地もなかった。
 ぱたぱたと普段であれば足音などたてることなく優雅に去る侍女は、慌てた様を回りに知らしめるかのように走り去っていく。きっとそのまま医者の手を引いて戻ってくるだろう。
 そう思いながら子供は軽く息を吐き出す。これではとてもではないが出掛けることは出来そうにない。
 そもそも一緒にいなければ意味のない相手はあっさりとこのまま出かけることを拒否したのだから、その時点でどうしようもないことだが。


 空にはいつの間にか月が昇っていた。
 それを見つめるように見上げていた少女は、背後の襖が開かれる音に気付くが、あえて首を巡らせることはなかった。
 「……月が昇っちまったな」
 「今日は上弦の月ですね」
 ぼやくような子供の声に少女は微笑み返した。それに引き込まれるように子供は少女の隣に腰を下ろす。
 子供は胡座をかいて空を見上げながら、けれどどこか悔しそうに呟いた。
 「本当なら月じゃなく蛍だったんだけどな〜」
 「だめですわ」
 子供の声音に被さるように、やんわりとした可愛らしい声が、けれど有無を言わさぬ語気の強さで添えられた。
 それにきょとんとした目を送り、子供は不思議そうに少女を見遣った。今日の約束はお互いに交わしたものだ。当日になって気が変わったなどと言う我が侭とは縁の遠い少女が、まさかそんな風に約束の反古を臭わす言葉を吐くとは思わなかった。
 瞬く目には、まっすぐに自分を見つめる柔和な少女の微笑みが幾度も映された。多くの写真を残すように、その瞬間瞬間を惜しむように。
 少女の唇が、ゆったりと動く。祝詞を告げるように柔らかな唇の動きは、けれど少しだけ憂愁を帯びていた。
 「若が怪我をなさっていては、楽しくありませんもの」
 「……これくらいはいつものことだぞ」
 「いいえ」
 わんぱくを絵に描いたように動くことを好む子供は、それこそ毎日怪我だらけだ。今更と驚いて身体を乗り出し問いかけてみれば、少女の首が振られた。
 何が違うというのか。何一つ変わりのない現状だろうに。解らなくて首を傾げ疑問を示すように眉を顰めれば、笑みを消した真剣な瞳が子供を射た。
 「……私のために怪我をなさるなら、一緒に出かけることなど出来ません」
 負担となるべき存在であるなら意味はないのだと、少女は上弦の月を浮かべた美しいその瞳を瞬かせることもなく告げた。
 「ですから若様。決して無茶をなさらないで」
 「…………………」
 憂える瞳の震えすら制し、気丈に告げる少女の健気さくらい、子供であっても解った。
 けれどきっと破ってしまう誓いを少女に告げるなどという不実を拒み、子供は口を引き結んで俯いた。嘘を与えたくなどない相手に、告げるべき解答がなかった。
 悔しそうに顔を顰めた子供の額に、ぬくもりが落ちる。ふうわりと光るそれは、巫女が舞う時にまとう穏やかな内なる気。
 驚きを目に浮かべて惚けたように口を開いた子供は、けれど音を発することも出来ずに首だけを持ち上げて少女を見上げた。
 「無茶を止めることなど出来ないのでしたら、せめて私には告げて下さい」
 淡く光る少女は月の明かりを纏ったようにも蛍の化身のようにも見えた。
 面立ちの整った様もさることながら、少女にはそんな儚さにも似た清艶さが備わっていたから。
 「貴方様と、いつかは呼ぶ仲なのですから」
 お互いに隠すことは出来ないだろう無茶を、きっと重ねるのだ。
 巫女としてこの国を守る結界を張れば、必ずその負荷が身体を蝕むように。魔物の襲来をその身一つで防ぐ主が常に死線とともに生きるように。
 それはもう侵すことの出来ない互いの生き方なのだ。その覚悟も意志もあることだ。
 だからこそせめて、そんな自分達の思いを、互いだけは知り合っていなければ潰えてしまう。
 たった一人すべてを背負い微笑むことが出来る生き物など、どこにも決して存在などしないのだから。
 告げる少女の声は柔らかい。
 ………初めて出会った日、同じ光を身に纏って舞う姿に惚けていた。同じ人間になど見えないその清らかな美しさに目を奪われた。後日彼女が国を守るべき役目を担う、自分の許嫁と告げられたとき………絶望すらした。
 あの美しさを、自分が搾取するのだと。………自分と添い遂げるということは、その身を削り国のために結界を張り続けるということだ。
 けれど少女は軽やかに笑って事も無げに諾を示した。自分もこの国を守りたいからだと、そういって。
 何一つ子供には責めを求めず、己の意志のままに決めたことと微笑む姿が、今も脳裏に焼き付いて離れない。
 「姫は………俺の奥だ」
 「はい」
 「どんな無茶だって、もし俺が隠そうとしたって………きっと気付く」
 見上げる先には月明かり。燐光をその身にまとった少女の、触れる額が熱いのか冷たいのかすら解らない。
 けれどその手に通う暖かさを知っている子供は、願うようにその指先を包み、音を紡ぐ。
 「だから姫。姫も辛いときは俺に言え。どんなことがあったって、俺が絶対に守るから」
 きっとこの先彼女以上に情を寄せる相手はいない。ただ一人と思った人だったから。
 だから失いたくなどない。出来るだけ長く、互いに笑いあって生きていたい。この国を守りながら、この人さえも守りたいと思うことは、どこか矛盾した我が侭だけれど。
 「存じています」
 微笑む少女の腕が、甘やかすように子供の背を包む。あたたかいぬくもりが子供を抱きとめ、拙さで作られた祈りの全てを認め許すように受け入れた。

 何故か、瞼の裏が熱くなった。


 こぼれ落ちた一筋の雫。




 …………どちらのものかは、ついぞ知れなかった。








 そんなわけで「ツバサ」の黒鋼の両親です。マイナーもいいところだ!
 いや、理想的夫婦仲というか。家族仲というか。幸せ一杯な光景がすごく好きです。
 個人的に父の方が年下がいいかと。姉様女房(笑)
 本当は出会いの話を書こうと思っていたのですが、そうするともっと長くなってしまうので断念しました。そこまでしっかりした設定はまだ考えていないしね。
 本編ではやはり黒鋼が好きなのですが。父親のように小狼やサクラの面倒を見ているのが素敵(笑)でも出来れば彼は姫のところに戻って彼女の傍にいて欲しいなー。
 くっつかなくていいから、ただ傍に。

06.4.25