柴田亜美作品

逆転裁判

NARUTO

突発。
(1作品限り)

オリジナル
(シスターシリーズ)

オリジナル



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手の中には空虚感

心の中には虚無感

それでは今、この身体には何がある?



ただ生きているだけの肉塊
熱を持つだけの人形
盲しいた魂の入れ物

壊れることは容易くて
けれど
同じほどに難しいことを知っていた





この腕をまわせるもの



 青天の霹靂のような勢いで仲間に加わった青年が家に遊びにくるようになるまで、さして時間もかからなかった。もともとジャンもよく出入りしており、同居している義兄は留守がちで、尋ねてくる人は誰でも大歓迎する少年のもとには仲間が案外よく立ち寄っていた。
 もっともその理由の中には彼の不調を気遣う場合も含められていたが。
 満開の花を思わせるように屈託なく笑う割に、少年は時折ひどく消沈して幽鬼のような覇気のなさで地に埋もれてしまうことがある。実際、出会ってさして時間の経っていない青年でさえ憔悴した少年の姿を見た時に心を痛めたほどだ。付き合いが長い分、そんな姿を見る回数も多いだろう仲間たちが不安や心配を抱えても不思議はなかった。
 初めて赴いたマンションのエレベーターを下り、少年の住う部屋の前に辿り着く。機嫌のいい少年は鼻歌さえ歌って先導してくれるが、それとは裏腹に招かれた青年は少し緊張した面持ちで開かれた玄関を通り抜けた。
 ………あまり自分と馬の合わない彼の義兄がいないことに少し、ほっとする。別段彼のことを気にすることはないのだが、自分の言動は彼の気に障るらしくどうしても怒りを触発させてしまう。そしてその結果この少年が間に入って仲裁し、彼の義兄に殴られてしまうことが、自分が彼の傍にいるようになってからの通例だった。
 自分のことで彼に危害が加わるのは避けたい。けれどうまく立ち回れるほど器用でないことは自覚していた。ならば出来る限り関わる時間を減らすという消極手段しか思い浮かばず、実際それを実行していた。もっとも少年の傍にいるには、どうしても避けて通ることのできない人物なのだが。
 短い廊下を歩きつつ、少年は後ろを振り返りながら青年に声をかけた。
 「じゃ、俺の部屋で待っててな」
 弾むような声でそう伝え、指差した先のドアを軽く開けてから少年は笑った。子供が客を喜ぶような、そんな楽しそうな笑み。迷惑ではないかと思っていたが、少年にはそんな意識は微塵もないらしい。
 すぐにお茶を持ってくると背を翻した少年の髪が目の前で舞う。室内灯の下でも煌めく金の髪は、まるで生まれたときからそうであったかのように自然だった。頭の上でくくってなお腰まである髪を染めたりしたらもっと傷むだろうに、そうした様子が見られないのだから不可解なものだ。
 軽く頷いて言われるがままに少年の自室に入り込むと、そのまま青年は眉を顰めて一点を睨んだまま立ち尽くしてしまう。
 それがなんであるか、知っている。けれどそれにまとわれるものが肌をざわめかせた。それはとても微弱な反応ではあったのだけれど。
 「お待たせ〜ってハイジ、何してんの?座れば?」
 トレーに適当に乗せたお菓子と茶を持って戻ってきた少年は、いまだ室内に入り込んだままの状態で立っている青年に目を瞬かせながら声をかけた。
 まさかとは思うが、いいと言われるまで立っているつもりだったのだろうか。どこか融通の利かない真面目な彼のことだからそんなわけがないとも言い切れずに、少し眉をひそめて少年は猫の抱き枕が寝そべっているベッドに腰を下ろしながら床にトレーを置いた。
 「とりあえず座れよ。………ハイジ?」
 まだ立ったままの青年にどうかしたのかを少年が立ち上がる。そして彼の顔に僅かに浮かぶ険しさに眉を顰めた。
 この家は義兄の結界に守られていて、そう簡単には霊体は入り込めない。もちろん自分達が招き入れた相手は別ではあるが。
 だからこそ青年が固まっている理由が思い付かなかった。自分を守るものとして存在しているといった彼は、当然ながら自分に危害が加わることに対して敏感だ。普段ののんびりした姿からは想像も出来ないほどに彼は自分のことに関してだけは、微かな機微すら見逃さぬよう努めていることはこの短い期間で十分に知れていた。
 この家の中で自分に危害を加えることのできる存在はないのだ。それなのに何故と思えば、困ったような青年の視線が返される。
 先ほどの微かな険しさが沈み、どこか言い淀むような…問いかけの言葉を選べない困惑に染まっていて、少年は首を傾げて促すように視線を瞬かせた。
 その仕草に励まされたのか、青年は困惑したように僅かに寄せた眉のまま、すっと一点を指差した。
 「………それ…」
 「ん?それって………ああ、こいつ?」
 青年の指差した先には猫の抱き枕が転がっている。かなり大きめで、ジャンが包まるのにちょうどいいくらいだ。そのせいか彼のお気に入りで、この部屋にくると必ず彼はそれを抱き寄せている。
 姿は自分よりも年長者だが中身はずっと年下のジャンの、その様は滑稽でありながらひどく愛らしい。
 そんなことを思いながら笑って猫を手繰り寄せて、青年によく見えるようにと近付けると………何故か眉間に寄った皺が、困惑から微かな憤怒を思わせるものに変わった。
 よく見たいとか、そういったことではなかったらしいその反応に、困ったように少年は差し出した手を戻し、猫を抱えたまま彼の名前を呼ぶ。
 「ハイジ?」
 怒るようなことはないはずなのだがと戸惑いを乗せた視線で伺ってみれば、それに気付いたのか、青年の視線に孕まれていたものがゆっくりと溶けて消えていった。
 ホッと少年は息を吐き、少し寂しそうな笑みがその口元を彩った。
 どうしても、怒気は怖かった。それが親しい人間の発するものであればあるほど恐ろしかった。自分の醜さも汚さも嫌になるほど味わったことがあるのだ。そんな自分にあたたかな気持ちを与えてくれる人たちから拒絶されることを思うと、恐怖に足が竦む。
 「なんか……怒ったのか?」
 少しだけ震えそうな声をなんとか平素と変わらぬように保ち、問いかける。………同じことをして相手に呆れられることも怒りを触発させることも嫌だったから。
 けれどそんな不安を知りもしないように青年はぷるぷると首を振って、あっさりとそれを否定した。
 怒ったわけではないと、その視線が呟いている。言葉に変えることが不得手な彼はその分視線やちょっとした仕草の中に気持ちが溢れている。それを汲み取ろうと見上げてみれば、ポンと大きな手のひらが頭に乗せられた。
 優しくその手が頭を撫でるような動きをして、ほんの少し子供扱いをされていることに棘つきそうな気持ちが綻んだ。
 「少し……邪気があったから………」
 そんなものを抱えて寝ているとしたら、悪夢でも見ないかと思っただけなのだと、青年が告げる。
 その言葉に驚いたように目を見開くが、考えてみれば不思議な発言でもなかった。
 あまりにジャンに慣れ親しんでいる自分には感じられないが、どうやらこの室内にはいくらか彼の残り香のように霊気が染み付いているらしい。ジャン自身に自覚がなくても彼は魔王であることに変わりはないのだ。当然、それらには濃い邪気が付きまとってしまう。
 そのせいかと理由に思い当たり、ほうと少年は長く息を吐いた。
 そんな少年の反応に誤解が解けたらしいと知った青年の腕は離れ、答えを求めるように柔らかい視線で彼を見つめる。
 先ほどの視線は憤怒ではなく不安だったらしい。過保護な気もするが、自分の交友関係をまだよく把握していない彼であれば、勘違いしても仕方はないだろう。まして自分はついこの間、彼が仲間となったあの日、眠ることが出来なくてかなりひどい姿をしていたのだから。
 思いながら苦笑する。そんな些細なこと、気にしなくても問題はないのにと。
 不器用な分、彼はとても優しい。その優しささえ相手に気付かれないくらい不器用で、それ故に誤解も招きやすいのだけれど。
 「これは平気。それに、こいつらいないと俺、寝れないしさ」
 そういいながら少年は手にした猫の抱き枕の頭を撫でた。これだけではなく、枕元においている大きなテディベアも。もし、もっとベッドが大きかったなら他にも色々な種類を置いていただろう。
 眠れない、のだ。夜が恐ろしいとか、そんな理由ではない。人恋しいわけでもない。
 ただ純粋に眠りが訪れない。寒くて不安で、何かに縋りたくなるけれど、夜というものは眠る時間であり、誰も自分の部屋に訪れない。………まして人恋しいわけでもないのに、安眠を邪魔してまで誰かを呼び寄せられるわけもない。
 まんじりともせずに朝日を迎えることがよくあった。特にこの部屋にやってきた当初はひどかった記憶がある。もっとも麻薬中毒に陥っていた自分には、あまり正確な記憶は残されていないのだが。
 義兄は夜いないことが多く、たとえ居たとしても自分は彼にこんなことを訴えるつもりもない。食べるものを与え寝る場所を与え、そして人らしく感情が動かせるように仲間までも与えてくれて。これ以上、彼に一体なにを望めというのか。
 不器用さでは目の前の青年に勝るとも劣らない義兄は、なんだかんだ言いつつもきっと自分の願いを叶えてくれるに決まっているから、言えるわけがない。
 これは自分の問題だ。自分で乗り越えなくてはいけないことだと、解っている。
 「…………………?」
 小さく呟いた少年の言葉の意味を知りたいと、青年の視線が動く。軽く俯いていた少年には自分よりも身長の高い青年のその視線の動きは見えなかった。それに気付き、青年は腕をのばすと少年の手の添えられた抱き枕の猫を撫でるように触れた。
 その指先が視界に入り、顔を上げた少年は、見上げた先の視線の深さに少し息を飲む。
 ずっと……ずっと探していたと、彼は言っていた。自分という血筋の末を探し求めていたと。そしてようやく見つけたのだと、幸せそうに教えてくれた。
 それがどれほどの渇仰か自分は知らない。
 ただ彼の持つその視線は心地よかった。それだけは確かに自分が感じるものなのだから、解る。
 解るから、唇が解かれた。濁してしまおうと、いつものように笑って流してしまおうと少しでも考えていた自分を恥じるように。
 「俺、さ、たまに寝れないときがあるんだよ」
 ぽつりと呟く。震えそうな思いをねじ伏せて笑おうとしながら、飲み込んだ。
 青年は誠意を持って接してくれるから、それに答える声もまた、誠意でありたい。……誤魔化しや適当な言い訳で躱してはいけないと、そう思わせる。
 本当は言わない方が無駄な心配をさせないのかもしれない。それでも彼はきっと今日感じた不安をなくせず、いつも以上に自分を気にかけるだろう。だから、事実は事実として彼に知ってもらった方がいい。
 ……………それは多分の甘えと我が侭の入り交じった願いでもあったのだけれど。
 「怖いとかじゃなくて、本当にただ眠れないだけ。でも……夜は長いだろ?」
 苦笑して見上げる人に同意を求めれば彼は至極真面目そうな顔で頷いた。
 きっと彼はバイトに明け暮れるか、あるいは自分を探すために奔走していたか、そのどちらかばかりで、満足な休息すらせずに今までを過ごしてきたのだろう。
 だからきっと彼も知っている。途方もない夜の長さを。
 何もかもを飲み込んで、永遠にこのまま自分一人目覚めているだけの世界が続くと思わせる、その凍るような寒さを。
 そう感じると不思議と身体が軽くなる気がした。自分と同じ思いを知る人間などいない方がいいに決まっているのに、それでも慰めの同情ではない、本心の共感は得難いほどあたたかい。
 そして同じほどに、寂しい。………優しい人が、そんな悲しいことを知らない方がいいのに。
 腕の中の抱き枕に縋るように力を込めて、言葉を継いだ。戦慄きたいわけでは、ないから。
 「そういうとき、こういう……なんつーのかな、でっかいぬいぐるみとか、ぎゅっとしていると安心できるんだ」
 まあ気休めに過ぎないけれどと、苦笑を浮かべて笑いの中に濁そうとすれば、猫の抱き枕に触れていたはずの青年の腕が動き、少年の頭を抱えると……そのまま自身の胸元に抱き寄せた。
 互いの身長差から、引き寄せるだけであってもどうしてもこの体勢になってしまうのだろう。なんだか間抜けな構図だと少年は口元を綻ばせる。
 「別にさ、こいつら抱えてれば寝れるとか、そういうわけでもねぇけど。やっぱり、ないよりはあった方が寝た気がするんだよな」
 囁きながら深く息を吸った。青年の匂いが肺に満ちる。優しい音色に似ている気がして、唇は知らず柔らかな笑みをたたえていた。
 男の自分が男の胸に顔を埋めることがあるとは思わなかったけれど、それでも人の体温も匂いもやはり心地よいものだ。………同じくらい、怖いものでもあるけれど。
 なんだか父親に泣きついた子供のようだと思う。大きな手が背中を撫でて、穏やかな気持ちを思い出させてくれる。
 さして歳の変わらない青年に対して失礼かとも思うけれど、それでも彼の感性はどこか慈しみが深い。
 「今度……」
 「え?」
 ぬくもりと心音に浸っていた少年は、不意に響いた音が声と気付かず問いかけるように声を添えた。
 それに気を悪くするでもなく青年は言葉を続ける。
 「今度またあったら、電話して」
 背中を撫でてくれていた手が、ぎゅっと抱きしめるように包むものに変わる。まるで自分が眠れぬ日にぬいぐるみを引き寄せるような、たった一つ縋るものを見いだそうとする姿に似た必死な指先。
 「眠くなるまで、つき合うから」
 あの寒い夜を一人で抱える必要はないと、少年を包む腕と同じ暖かさで青年の声が肌に滲みる。
 この身に宿る能力故の危険からだけではなく、自分という命故にまつわる闇からさえも守りたいのだと、まるでそう囁くかのような言葉に柄にもなく胸が暖かくなる。
 自分の弱さを知っている。いまだに肉親の死を受け入れられないで不様な姿をさらして、その度に周りを心配させているのだから。
 だからこそもっと強くならなければいけないと、そう思う。こうして自分を支えようと心砕いてくれる人がいるのだからなおさらに。
 青年の言葉に照れ隠しを込めて吹き出したように笑い、顔を押し付けるように抱きつく。そうして、からかうようにして感謝を込めた声を返した。
 「……ハイジ、電話したってほとんど話さないじゃん」
 「………………………………。努力する」
 少年の言葉にまじめに受け答える青年に、本当に馬鹿だな、なんて、身勝手なことを思いながら。それでも満足そうに少年は顔をあげると、見上げた先の青年のために極上の笑みを浮かべると柔らかく音を捧げた。
 「いいよ。俺の話聞いてくれるだけで十分だって」
 だからいつか真夜中に携帯が鳴ったら訝しがらずに出てほしい。
 泣き言なんて言わないけれど、ぽつりぽつりと昔話をさせてほしいから。
 ぎゅっと、今はいない両親を思うように青年に抱きつきながら、それでも身に溢れるものが凍える寒さではなくあたたかなぬくもりであることに安堵する。
 言葉の足りない青年は、けれど言葉以上の何かで自分の心を救い上げてくれるのだ。本人にその自覚がまるでない、彼の本質の優しさ故の所作。
 「………………」
 怯える子供を抱きしめるように優しい抱擁をおくりながら、この小柄な少年の身に課せられた重すぎる荷を思う。
 もっと力が欲しい。…………彼の心は柔軟だけれど、傷だらけでボロボロな核を携えているから。
 全ての痛みから守れるほどの強さが欲しい。こうして抱きしめ言葉を聞くだけで十分なのだと言われても、その思いが消えなかった。
 もっと早くに出会えていれば、と。埒も明かないことを思いかけてやめる。
 今こうして傍にいることのできる尊さを感謝しよう。………これから彼に降りかかる災厄は全て自分が薙ぎ祓うから。
 不器用で拙いこの腕で、小さな少年を抱きしめる。



 彼の願うがままの、優しさで……………





 一樹の部屋には大きなぬいぐるみがいくつかあったなーと思って。
 やっぱり寝付けない日とか用なのかしら、と。
 眠れない日に大きなぬいぐるみを抱きしめても眠れるわけではないのですが、それでも何となく安心感があって息苦しさが消えるのです。
 真っ暗な中で溶けて消えちゃうかなーとか、漠然とした不安とも安堵とも取り難い逃避的な思考から脱却しやすいというか。
 安眠効果は解りませんが、何かを抱きしめるということで生まれる安心感はやっぱりあるのだと思います。
 しかし……彼らの関係上どうしてもハイジがナイト的な感じになって、一樹が守られるもの的立場に。
 その上一樹が女顔なだけにたまに本当に女の子と間違えて認識してしまっている余波がちらほら見られます。もっと精進せねば…………(涙)

05.10.5