柴田亜美作品

逆転裁判

NARUTO

突発。
(1作品限り)

オリジナル
(シスターシリーズ)

オリジナル



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暗闇が来たりて星が沈黙を贈る。

吐息は細く白く色づく。


空に浮かんだ穴がじっと見下ろす。


壊れた世界は、なんて奇妙なのだろう。
太陽は割れて月は飲み込まれた。
風は囁きを掻き消し、祈りの声は重厚な沈黙に変えられる。


見上げた世界のくだらなさが、
バッドトリップのせいだなんて

誰が言い切れるのだろうか…………?





銀の雫をティースプーン一杯分



 ほうと吐き出した息が、白く彩られてそのまま闇色に溶けた。鼻先で一瞬だけ現れる鮮やかな白に小さく笑い、けれど少年は吹きかけた寒風に肩を震わせて、首に巻いたマフラーを口元まで引き上げた。
 寒さは苦手だった。元々体温が低いのだから寒さには強いのではないかと、不思議そうにいわれることもあるが、どちらかというと逆だった。
 もとが低い体温なのだ。あっという間に身体は冷やされて、保温が効かない。そもそも体温が低い時点で体内循環は悪いのだ。指先の凍るような冷たさに、子供の頃はよく驚かれたものだ。
 マフラーに埋もれるようにしても、皮膚は当然露出している。風が吹けば肌がピリピリと痛むような感覚があった。その感覚が不快だからこそ、ちゃんとクリームを塗って保湿しているというのに、本当に面倒な時期なのだ、冬期というものは。
 眉を顰めて風に乱雑に掻き混ぜられた自身の長い髪に触れる。髪を止めていたリボンに数房からまってしまっていて随分不格好な手触りがした。
 「大丈夫?」
 髪を撫でるようにしてほどこうとしていると、不意に湧いたように声が降ってきた。
 見知った声にもう買い終わったのかと振り返る。僅かに見上げた視線の先には、想像どおりの青年が立っており、ほんの少しだけ寄せられた眉が、困っているらしい彼の心情をあらわしていた。
 もっともその両手には、抱えきれないほどの荷物を持っているのだから、端から見たなら荷物持ちをさせられて不機嫌なだけに映っているかもしれない。
 そんな様に小さく笑い、差出した手で荷物を一つ奪う。それでようやく同等くらいの量だ。嵩張り具合が追い付いただけで、実質的な重さは彼の方がずっと上ではあるけれど。
 「それはこっちの台詞だろ?面倒なものばっか担当してさぁ。ハイジって器用貧乏なタイプだよな」
 からかうような物言いは、仕方なさそうな受容の苦笑に添えられていた。
 どんなバイトもそつなくこなせるけれど、きっと青年は苦労の絶えないタイプだ。しかもそれを苦に思わない。いつも自分にとって出来る限りのことに力を注ぐのだろう姿が容易に想像出来て、少年は楽しそうに笑った。
 「………よく言われる」
 「バイトの友達?そういえば、そっちの方で予定とか大丈夫だった?」
 突然のことだから迷惑がかかったのではないかと気付いて少年が申し訳なさそうに青年を見上げた。実際こうしてクリスマスの準備のために買い出しにいくことさえ唐突なことだった。
 本当なら探偵業の方の依頼が込み入っていて、そちらに時間がかかりそうだから今年はクリスマスは返上かとぼやいていたところ、あっさりとその問題が片付いてしまい、突如事務所の全員が暇を持て余してしまったのだ。
 それなら折角だからと、片付けた仕事の勢いのままパーティーの準備が始まった。飾り付けすら簡素だった室内からどうにかしなくてはいけないと、所長でありこの場合の財布の紐を握る若菜と意見が一致した。
 この際だから新たなオーナメントを購入させてもらうことにしたのはいいが、いかんせん量が多い。
 たった一部屋を飾るだけだとしても、広すぎるのだ。その上事務所の人間はみんなどこかブルジョアなところがあり、手抜きを許してくれない。彼らの認めるだけのレベルにするのは、一般人としてはなかなか大変な作業だ。
 それでも元々お祭り騒ぎは好きな方だった。当然手伝いを希望すると、料理は若菜が調達することとなり、少年は今回はパーティー会場の設置が役目となった。
 そんな話がまとまった頃、バイトが終わったと顔を出した青年が、怒濤という言葉が正しい状態でパーティー参加を義務付けられたのは、ほぼ一瞬の出来事だった。
 楽しいことであれば出来るだけ大勢でと考えていたせいで、まるで考え及ばずにいたが、青年が今回のパーティーに巻き込まれることになったのは、その場の流れが有無を言わさず飲み込んだ状態でしかなかった。
 ………思い返してみれば、誰一人として彼に予定など聞きはしなかったのではないだろうか。
 急に不安になり問いかける少年は、幼く映る面に一杯の優しさをたたえていた。
 聖夜というべき今日を、そんな存在と一緒に過ごせる方が青年としては嬉しいし、ずっと探し求めていた存在がそれを許してくれるなら、それだけで他のどんなものもいらないほどに満たされる。
 もっとも、そうしたバロメーターをあまり理解していないらしい少年から見れば、新しい友人である己が昔からの仲間との間に亀裂を作るのでは、という危惧にしか映らないのだろうけれど。
 執着の薄い自分は、初めましてとさようならがセットであることを、悲しいとはあまり思わない。絶対になくせない、そんな存在ではない相手にまで心血注げるほどに自分の心は広くはないから。
 目の前のいと尊き存在にうっすらと微笑みを浮かべ、静かに彼が心痛む必要がないことを伝えた。
 「大丈夫。いつもは実家の手伝いだったし」
 「え?!ますますダメじゃんか!」
 青年の言葉を聞いて、少年は思わず叫んでしまう。それに青年は驚いて軽く目を見開いた。労るつもりで囁いた言葉は、少年の笑みを引き出すのではなく、更に必死で辛そうな顔をのぞかせたのだ。
 不可欠の存在を知り、それを見つけだした青年にとって、重大事項に加えられることがなんであるかを、少年は少し欠けた理解をしている。
 それ故に、少年は彼がバイトに明け暮れてあまり家族と一緒に過ごせていないことや、彼が家族をとても大切にしていることをこそ、気にかけてしまうのだ。
 この世に代わりのない家族という絆以上のものを、少年はまだ理解していないから。
 そのもっとも尊い、あの視界が霞んでしまいそうなあたたかな家族との時間を、自分が巻き込んだことで削らせるなどとんでもないことだと、その眼差しがありありと語っている。
 そう慌てて言い募る少年の優しさに目を細め、青年は頷くような仕草をしながら、落ち着かせるようにのんびりと言葉を綴る。
 「平気。ちゃんと言ってあるから」
 もともと今日は事務所に顔を出した後は、そのままそこで過ごすつもりだったのだといえば、まだ心配そうに眉を垂らした少年が、探るように青年を見据えていた。
 青年は誠実だけれど、その優しさ故にたまにつく嘘は、ひどく上手だ。気にかけた相手を傷つけないように上手にくるめた言葉は、大抵がその棘を己の方に向けているに過ぎない自己犠牲だ。
 そんな機微ばかりは何故か感じとってしまうらしい少年に微苦笑を浮かべ、青年は歩を進める。
 あと少しで公園が見えるはずだった。そこを目指す足を繰り出しつつ、静かな声が白い吐息と一緒に流れた。
 「本当だ」
 そういった声は穏やかで、すんなりと少年の中に染みる音だった。それに気付いてようやく納得したのか、少年は一歩駆け出すように歩を進めると自分よりも歩幅の大きな青年に負けじと肩を並べた。
 そうすると途端に彼の歩調は緩やかになり、まるで不自然さを感じさせない所作で少年と青年の歩幅が同じに変わる。
 そうしたちょっとした気遣いに笑みを落とし、少年は腕の中の紙袋を抱え直した。
 二人ともかなりの荷物を持っていた。突然これだけのものをこの時期に買う男二人というのも、かなり奇妙だろう。
 そんな風に思ってみたが案外珍しいものではないのか、歩いている途中、幾度か似たような学生を見かけた。やはり仲間同士集まって、室内の味気なさをかき消すために色とりどりの飾りが欲しくなったのだろうか。
 案外、クリスマスの準備には沢山の買い物が必要なのだ。進んで手伝いを申し出たとは言え、それでも不平を言いたくなるほどの量だ。当然自分一人で運ぶことは難しい。
 スラスラと当然のようにリストアップされていく品物の数々を、泣きながらメモをとっていた少年の隣で顔を顰めて聞いていた青年は、軽く息を吐き出して手伝いを申し出てくれた。
 そんな気の優しい青年は、さも当たり前のように嵩張るものや混雑しているコーナーの品物を購入してきてくれた。
 セールも重なっていたりして思ったよりも安く買えたものもあり、折角だからと余ったお金であたたかなものでも飲もうと提案したが、時間帯が悪かったのか今日という日であれば当たり前なのか、辺りの店は軒並み繁盛が伺える混み具合で、この寒空の下で待たされることは請け合いだった。
 その上、当然といえば当然ながら、周りは年頃からご年配までの男女二人組が一杯だ。中には微笑ましい家族連れもいるが、それはそれで自分達にとっては痛みがある。
 たいした強さでもない風がひどく寒くて、抱えた荷物に力を込めていたら、ポンと背中を叩かれた。まるで子供を慰めるような、勇気づけるような、そんな気安くさり気ない力で。
 目を瞬いてどうかしたのかと首を傾げれば、青年は軽く顎をしゃくってセルフサービス系のカフェを示した。
 勿論、中は混雑していて、自分達のような大荷物の客が入り込める余地はまるでなかった。けれど飲み物くらいは購入できると青年はいい、そのまま背中を向けた。
 大きな背中は、ずっと昔憧れたものに似ている。父が仕事をしているときの背中だ。
 麺棒やボール、泡立て器にお玉。普通にいえば変だと笑われるような道具で、父は誰もを笑顔に変えるのだ。それが幼心に誇らしかった。
 手を伸ばすと大きく温かな手のひらが包んでくれた。寒くて氷にでもなったような自分の指先が、じんわりあたたまっていくことを感じることが嬉しかった、頃。
 こんな風にやっぱり一緒にクリスマスの準備をしていた。洋菓子が主役の行事で、けれど和菓子職人の父はそれでも楽しそうに色々なオーナメントを見ていた。全部それが自分のためだなんて思いもしていなかったけれど。
 寒い夜に色とりどりの電飾。きらびやかに化粧された街の中、両手を愛しい人たちに包まれて歩いた家路には、綺麗な月が浮かんでいた。
 思い出した風景が一瞬、フラッシュバックする。既視感にせり上がりそうな吐き気を飲み込んだ。
 だから……本当はとても驚いていた。そんな時にタイミング良く彼は自分に問いかけたのだ。大丈夫、と。
 軽く躱して、店に入る前には奪えなかった荷物まで奪えて、我ながら上出来だったけれど、それでも囁かれた音が消えるわけではない。揺れた思いがなくなるわけでもないのだ。
 細く息を吐き出して白い靄に顔を通らせると、公園が目の前に広がった。もっとも公園といっても小さなもので、固定遊具さえ2、3ある程度の簡素なものだ。まるで都会の中置き忘れたように残ったその公園には、申し訳程度のベンチが一つだけあった。
 そちらに足を向けながら、青年は先ほど少年が外で待っている間に購入してきた飲み物の入った袋を持ち上げた。
 そんな様子を盗み見ながら、少し休んで帰ろうと彼がいう前に伝えようと、青年の方に振り返った。その時、不意に青年を見上げた視界の中に月が入り込んだ。
 優しい家族の家路を思い出させる月。凍えた両手を包んでくれるあたたかなぬくもりの記憶。
 だから………吐き気が込み上げる。
 苦々しげに唇を噛み締めて瞼を落として頤を逸らした。出来れば、見たいものではなかった。
 ちょうど青年が差し出した耐熱紙コップが少年に向けられた時に、タイミング良くその反応は重なった。まるで、青年の腕を拒絶するかのように視界から掻き消された。
 「…………篠原…?」
 目を瞬かせ、驚きの中に困惑と怯えを滲ませて、青年が少年の名を呼んだ。
 その声の恐れに、どうしたのかと青年に顔を向けかけた時、月の弧の一部が視界に入り、瞼を落としてしまう。
 「嫌い、だったか?」
 そんな様子にどう声をかければいいのか解らない青年は、戸惑いながら手の中のココアと少年を交互に見つめた。
 何がいいか聞かずに買ってきたことは確かだけれど、以前あのカフェで飲んだことのあるものを選んだつもりだった。それとも嫌いになってしまったとか、飲んだけれど美味しくなかったとか、そんな理由だろうか。
 …………とてもそんな単純なものが原因には思えないけれど。
 まるで、先ほどの少年を見るようだ。風に攫われたまま砕けてしまいそうな、そんな儚さを時折彼は身にまとうのだ。
 それが何故かを知りはしないけれど、ただ自分がそれから彼を守ることが出来ないということだけは、痛切に感じていた。
 傍にいても彼はそれを感じ、痛んでいるのだ。どこかに沈み込み、一人抱えた傷を縫合する術もなく、眺めては乾き凍結されることを待っている。
 それでは意味などないのに。…………傷は乾いて癒すものではない。潤いの中で再生を促すものだ。
 それでも術を知らないが故に、自分は少年の癒し方が解らない。
 かたかたと彼の小さな肩が震えていた。風が少し、強かった。寒さに弱いといっていたけれど、それとは少し違う気がする。…………青いその肌の色は月の色に染まったように憔悴した陰を偲ばせていた。
 何かが、彼の中にはあって。自分はまだそれを知らない。
 だから多分自分達はどこかチグハグだ。掛け違えたボタンのように時折相手の願うものを与えられないもどかしさを味わってしまう。
 それでもこの腕は求めている。
 自分の生きる意味。その理由。この命の限り守るべき人。その、清らかに澄んだ魂の旋律を。
 どさどさと荷物が落ちる音が簡素な公園の中で響いて、寒さに震えるようにして消えていった。
 抱えていた荷物の代わりに今、腕の中にはあたたかなぬくもり。少しだけ寒さを抱えている、それでもとてもあたたかな命。
 「……………寒い…?」
 小さな身体を抱きすくめて、風がその肌に欠片ほども当たらないようにと、コートの中に彼を隠し込む。
 子供のような抵抗が返されるけれど、本気ではなかったので黙殺してしまう。もしも彼が本気で抗ったなら自分の腕などあっさりと解かれるに決まっている。それだけの瞬発力と破壊力を、この細やかな身体は秘めているのだから。
 ぎゅっとその顔も覗けない体勢に押さえ込んで、子供を抱きしめるように甘えさせるようにその背を撫でながら、やんわりと出来うる限り静かな音で囁きかける。
 「寒いなら、ココア飲むか?」
 「………………………」
 「マシュマロもあるから、浮かべられる」
 「…………ガキ扱いしてるだろ」
 ゆったりと話す青年の声は優しく静かで、まるで包み込むぬくもりと同じで息苦しくなる。
 彼は優しくて、自分のためにさえ命をかけてくれる。そうだというのに、自分はといえば身勝手な思いで一人、別の世界に飛んでしまうのだ。そんな自分が、ひどく浅ましい生き物のような気がしてしまう。
 憮然とした声にそんな思いさえ滲みたのか、どこか寂しそうに響く青年の声が耳をくすぐる。
 「違う。………他の方法、知らないから」
 妹の世話くらいしか焼いたことのない身には、悲しんでいる人をどう慰めればいいか解らない。
 もっと色々知っていればよかったと思うけれど、それでもいま持てる精一杯のことを、せめて捧げたいのだ。悲しくて苦しくて……寒さと痛みを勘違いして震える、少年のために。
 その言葉の深い部分の切なさは、多分自分が作り出している。そう少年は感じて、押し付けられた青年の胸で硬く目を閉ざした。
 思い出す原因の全てを恐れて、生きていられるわけがない。それくらい知っているのだ。それなのに……どうしてこんな弱さを晒してしまうのか。
 本当ならこの優しい人には、そんな部分何一つ見せることなくいたいというのに。あまりに居心地が良くて、何も言わなくても知ろうとしてくれるから。
 …………隠していようと思っていたものさえ、知らず漏れて甘えてしまう。
 もっと強くならないとと、そう息を吸い込み少年は目を開く。唇を動かして笑みを象れることを確認すると、青年の胸から顔を離して笑顔を向けた。
 「ハイジはそのままで十分ってことだろ」
 「…………………?」
 「ココア、飲もうぜ。寒くなったからさ」
 もう大丈夫と笑う姿はどこかまだ儚いけれど、それでも一歩を踏み出している少年を否定することでもきず、青年は腕を解くと自分の手にあるココアを見た。
 そこには袋がありココアが二つ入っている筈だった、のだが。………先ほど青年が少年を抱き寄せた際に落とした荷物共々、当然地面に落ちてしまっていた。
 手を見ていた青年の視線が、そのまま地面に落ちたのを一緒に追っていた少年は、仕方なさそうに笑いつつしゃがんで被害の様子を確認してみる。
 きちんと固定の紙ホルダーに差し込まれていたカップは倒れてはいなかったけれど、衝撃で蓋が開いてしまって両方あわせてどうにか1杯分という量だけが無事だった。
 それでも全滅でなくて良かったとほっと息を吐き、青年は散らばった袋の中からマシュマロの袋ともう一つ何かを取り出して少年に渡した。
 「篠原、量増(かさまし)用」
 「……………まあ否定はしないけど。ってこっちは何?」
 差し出されたマシュマロの影にもう一つ、なにかあるのが解る。薄暗い街灯の下でなんとか目を凝らしてみると、それはチョコレートだった。幼児が好みそうな、イチゴのスプーンの形をしたチョコレート。
 「スプーンの代わり」
 目を瞬かせてみれば青年は至極真面目そうな顔でその使用用途を教えてくれた。
 マドラーをもらい忘れたか必要ないと断ったかは解らないけれど、確かに袋の中にはなかった。だからその代用品ということなのだろう。ココアとの相性も考えれば確かに最適だ。
 礼を言って受け取り、まだ開けられていないマシュマロの袋を開けようとするが、寒さでかじかんだ指先では上手く開けられなかった。
 それに気付いて、青年はすぐにまた袋に手を伸ばし口を開くと、中から数個のマシュマロを少年の手の中のカップに落とした。
 とろりと溶けたマシュマロが、濃い闇色のココアの湖面の上でゆるゆると円を描き、白い月を浮かび上がらせる。ぎくりと身体が強張りかけた時、青年の手がチョコレートのスプーンを握る手に添えられた。
 そうして真っ白な月を、甘い夢で溶かすようにかき混ぜる。
 甘くとろけたココアを促されるまま一口飲むと、ほっと息を吐き出す。月が喉を滑り身体の底に触れても、それは凍える寒さではなく身体を癒すぬくもりだ。
 あの凍えた月があたたかなものに変わるのだと、驚いたように青年を見上げてみれば彼の後ろにはあんなにも目を逸らしていたはずの月が照っていた。
 それはとても優しい、青年の髪と同じ色の輝き。
 どうしてこれを恐れていたのだろうと思うほど、それは優しくあたたかな色だった。見惚れるように月を見上げる少年を風から守るように、青年はもう一度腕の中に彼を引き寄せると愛しい命に陰る影がなくなったことを祝すように微笑みかけた。


 怖い悪夢はたった一本のスプーンですくいとることが出来るのだと。


 悪戯の成功したような目で、そう囁いた。








 以前から書こうと思っていた月の小説。やっぱりどんなジャンルでも月をコンセプトにしたものは書きたくなってしまう。月大好き。

 なんだかとっても庶民的な感じの話が書きたかったんです。
 いつもジバクとかだと別世界なせいもありますが、あまり現実感ない描写が多いので。自然のままの森に囲まれたような場所とか。少なくとも東京に住んでいては有り得ない。
 イチゴスプーンのチョコは正確には棒がスプーンになっているだけでチョコは立体のイチゴの形なんですよね。マドラー代わりだからまあいいか、とそのまま採用。小さい時好きだったお菓子です。

05.10.10