幸せな幸せな光景。
ずっと傍にいたのは自分だけど。
自分だけでは埋められないものを知っていたから。
傍にいて、本当に嬉しい。
笑い方を知らない子供に
どうぞ
笑顔、を………………
内に潜み、そして、広がるもの
空は快晴。変わらない青空は鮮やかな雲とともに海の先に広がっていた。
ばしゃばしゃと勢いよく波をきって泳ぐ。涼しく楽しい水遊びだ。
全身の毛並みが濡れそぼって重く感じもするが、それ以上にわくわくと浮き立つ感覚が心地よい。上機嫌で波を縫っている自分とともに海に入り込んだはずの子供を振り返り、明るく問いかけるように鳴きかけたなら…………後ろは無人だった。
きょとんと目を丸める。まさかあの子供に限って波に浚われるということはあり得ない。海以上に波を知っている、そんな子供なのだから。
それでもいないというなら、それは自分の意志で海から離れただけのこと。
どうしたのだろうかと首をひねり、チャッピーは波を掻き分け砂浜へと鼻先を向けた。
たいした距離ではなかった。それでも昨日のスコールのせいで遊べなかった分の鬱憤が溜まっていた自分のはしゃぎっぷりに、きっと子供は遠慮してどこかにいくのに声をかけなかったのだろう。どこか分別がある子供だから。
相手を気遣うことを忘れないし、自分の我が侭に被せてそれを与えるところもあって気付かれなかったり流されたりも多い。それでも結局誰もが最後には思い知るのだ。自分と一緒に生きたあの子供は、誰よりも何よりも優しく尊い生き物だと。
人の評価などきにはならない動物の身だけれど、それでもこの島は人とその他の生き物が同じラインに肩を並べて生きることのできる唯一の場所だから、誰もが認める子供が自分の隣にいつだっていることは誇らしかった。
そう思いながら、ふと脳裏を掠めたのは、長く黒い彼の髪。
きゅうんの知らず情けない声が鼻先から漏れた。砂浜にたどり着いた前足がじゃりっと音を生むことさえ忘れたように。
いつの頃からいるのか解らないくらい溶け込んだ人が、この島にはいる。
たった一種の生き物だった子供の、たった一匹の同胞。
自分と同じ視線しかないあの小さな体は、その身に抱えきれないほど求めているものがあったことを、多分自分は子供よりも知っていた。
だから、少しだけ、寂しい。
………だから、少しだけ、誇らしい。
複雑な胸中を思いながらチャッピーはその身を揺すり毛先に含まれた水分を外へと散らせた。
くんと鼻先を鳴らしてみれば香るのは潮風。それに微かながら異質な生き物の気配が混じる。よく見知った気配だ。この島の中、彼ら二人の匂いだけはひどく浮いていて、すぐに解る。
多分、人という生き物だけは居着かない、そんな島なのだろうと自分は感じる。それでもこの島を守り治めるのは、あの子供だ。
そうしてその子供がたった一人甘えることを求める相手もまた、どこかこの島に馴染みながらも、異質だ。
異邦人であるというその事実だけではなく、彼はどこか、子供とは違ったから。
それがなんであるかなどということを問われれば首を傾げるしかないのだから一度としてそんな疑問口にしたことはないけれど、それでも時折、二人を見ていれば胸が締め付けられる思いがするのだ。まるで、互いを映しながらも混じることのない空と海のように似通っていながら決定的に違う、二人。
「………………」
思い、息が漏れる。
一緒に海に遊びにきて、自分に声もかけずに消えた子供。
それだけで十分解る。きっと、彼が見えたのだろう。
そしてそれは自分を呼び戻せないくらい、子供にとっては放っておけない状態で。自分のことを気にかけながらも、その腕は彼へと伸びて癒すための思いを必死で注いでいる。
子供は……優しいから。
傷に敏感で、悲しんでいる魂にいとも容易く気づき腕を伸ばすから。
だから、だろうか。二人の空間は時折自分でさえも、不可侵、なのだ。
二人にはきっと互いにしか解らない言語がある。それは音というものではなく、思いというものですらなく、互いが存在している、たったそれだけで伝わる言葉。
そんな、まるで欠けあっていたピースが巡り会ったような二人に割って入る気はない。ただ……どこまでも優しくどこまでも寂しい二人を自分は包みたいと思うだけ。
ふるりと頭を振って、チャッピーは砂浜を駆けた。匂いは消えていない。もう少し先、密林の中の、どこか。
待っているわけではないだろう。二人は互いにしか癒せない傷がある。
求めているわけでもないだろう。二人は充足するために必要な要素を互いこそが補う相手であることを知っている。
それでも二人は自分のための腕を残してくれるのだ。
互いにのばした腕をしっかりと繋いで、そうして残った片腕を、まるで初めから約束していたかのように自分に与えてくれる。
それはどこか、絵画の世界に迎え入れられたような、擬似的な郷愁。あるいは、追想か。
未だ彼らと共にあり、離れる未来は約されてはいないのにそんなことを思う。
悲観ではなく、いつの日か必ず訪れる日、子供の隣で彼の代わりに抱きしめることの出来ない自分には、覚悟がいるから。
泣くこともできず笑う術すら彼から教わり覚えた子供。そんな子供の抱える深き虚
うろ
を、自分はどうやったなら、埋められるだろうか。
同じ皮膚を持たない自分は、どれほど長く子供に寄り添っても教えられない感触があり術がある。
だから、どうかと、祈ってしまう。
砂浜が薄れ、ジャングルが近付く。匂いが濃くなるのと同時に緑の香しさが深まった。
こうして緑の檻の中、彼らは二人、寄り添っているのだろうか。まるでそこから救い出す英雄にでもなったようだ。もっとも、その幸せな檻が拒まれるべきものかの判断は自分にはできないけれど。
それでも知っている。
二人きり、寂しさを自覚して、それでも互いを癒すあの命たち。
悲しくて切なくて息が詰まるのに、どこか神聖で。踏み止まりそうな前足を、子供は気づいて笑いかける。どこか、あの青年に似た深みある形で。
決して留まり内に収縮していくような、そんな絆を彼らは求めてはいない。
全てを内包できるような、そんな途方もない広がりをこそ、求めているのだから、苦笑を禁じ得ない。
それでも……きっと彼らにはそんなものこそが似合うのだ。
鮮やかに生きることの出来る、無難な道を選ぶことの出来ない不器用な人たち。
だから駆ける前足を踏み止まらぬように力を込めて地面を蹴った。
自分は、彼らにとっての、鍵。
外界をはじめに映す、鏡。
だから彼らに寄り添って、同じく浮きに染まっていたい。
彼らと同じ場所は、ひどく香しく心地よい香りに満ちているのだから。
そうして、彼らは自分に腕を伸ばす。
一時の収縮の果て、また果てなき遠大さを示すように。
チャッピーから見たパプシンというリクでした。
まるでジバクくんから見たカイ爆ね。
でも誰よりも何よりも二人の理解者はチャッピーですから。
一番初めに傍にいて欲しいです。
二人っきりで満足できるはずのない二人だから、なおさらに。
05.3.12