たゆたう時間は悠久だった
たった一つ残ってしまった自分は
壊されることもできないまま

ただ 生きていた
ただ 存在していた

残されることを恐れていたはずなのに
誰もこの手に残らなかった

何を成せば許されるのか
まるで己の作り出した生き物たちのように
ただ贖罪だけを求めた日々

朽ちることのない黒髪に抱かれたまま
ただ考え続けた

あの時自分は何を成すべきだったのだろうか…………





墓標



 朽ち果てた地上に緑が芽吹きはじめた。
 壊された地表は、それでも生命のすべてを断絶させることはなく、緩やかに、ほんの僅かながらもそれらは増えていった。
 二つの聖地によって成された滅亡の葬送曲は、それ故にその地にあった恵みを地表に、あるいは海中に流し、世界は今までとは違う形に変貌していった。
 それは誰もプログラムしてはいなかった結果。作り出したはずの意志にすら依らない、生み出されたものたちの総意による変化。
 ゆっくりと流れるそれらをただずっと眺めていた。自分が何を成すべきかも分からぬまま、どれほどこの地に留まっていただろうか。
 一人で在ることは恐ろしくて、風を招き水に漂い己の座していた地から時間をかけてここまできて、何一つ行動を起こすことはなかった。………否、ただ一つだけ行ったことはある。
 それはこの、今自身を包む真っ黒な波のような髪を所有する生き物たちを修復し、腐らぬように時を止めたこと。
 それもまた愚かな選択であり愚かな行為だ。古より生きる全てを司り導いてきた創造主としてはあまりにも浅はかだ。それでも一人で在ることに、どうしても耐えられなかった。
 己の力に冒され、外面だけでなく内部すら手の施しようがないほど破壊されていた肉体。自分が作り出した初めの命の末裔。………最後の、末裔。
 愛しかった。自分とともに生きる一族の忘れ形見は、まるで奇跡のように理想的に育ってくれた。
 己一人違う種族である現実すら受け入れ、それによって卑屈になることもなく全てを愛し慈しんでいた子供。それでもその心に寂しさがなかったわけではないと、本当は知っていた。
 本来であれば番人が同じ形を模して傍にいるはずであったのに、自身の片割れを取り戻すために壊された彼を未だ修復しきれていなかったが故に、生まれたときから子供は単独種だった。
 そうして……自分すら知らない運命という名の下に、子供はたった一人の友を手に入れた。それが悲劇の始まりだなど誰も信じることの出来ない鮮やかな絆を咲かせて。
 彼らならばと、思ったのに。
 きっとこの世界、作るべきではなかったと後悔した生き物さえも鮮やかに導いてくれると、そう思ったのに。………そして事実、そうなるはずだったというのに。
 結局はまた、創造主というその傲慢さが、全てを骸と変えさせた。
 自分の罪はあの生き物たちの犯し続けた罪より深いだろう。止めることは出来たのに、拒まれることを恐れてただ見守っていた。憎まれ疎まれることが恐ろしくて、己の傍にいてほしいと、そう祈ることしかしなかった。
 なにもしなかった。………それはどんな行為よりも罪深い。
 さわさわと風が吹き、身を包む黒髪が揺れる。二人分の黒髪は豊かにのび、まるでそれこそが台座のように赤く瞬く秘石を包んだ。
 一族の末裔の力を、長いときの果て濃縮され研ぎ澄まされていたその力を解放させた因となった肉体も、今は傍らに眠っている。まるで長い間離れていた子供を守るように寄り添って。………その肉体を修復したそれよりもずっと前に、その肉体を包んでいた意識は消えたというのに。
 それでも見える。最後のとき、荒涼とした世界の終わりのときを見つめていた自分に語りかけた最後の意識。
 掠れ、形も朧なそれは、それでも生あるときと変わらぬ豊かな響きで語りかけてきたのだ。

 『なあ……聞こえるか?』
 姿を認識できないような破片の意識は、語りかけた。頷けば苦笑するような吐息が聞こえるほど、それははっきりとしていた。
 『俺は……会いたかっただけなんだ。昔、俺に生き方を教えてくれた奴だからさ』
 知っていると、そういいかけて口を噤む。知っていながら彼らを引き離し、あまつさえこの結果を導いてしまったのは、確かに自分の咎だ。たとえ何も手を汚していなくとも、それが故に、自分は片棒を担いだ。
 それを知っているから、何も答えられなかった。
 『それだってのに、あいつに一番させちゃならねぇ真似、させちまった』
 沈むような声。悲痛な、けれど己の罪状を真っ直ぐに見つめる、声。
 何故そのように淀まずに咎を見つめられるのか。不可解な生き物だった彼は、その肉体を失い意志のみとなった今でさえ、やはり不可解だった。
 『俺は結局アスのヤローに操られ続けた傀儡と変わりゃしねぇ』
 事実を受け止め、咎を知っている声は、それでもそれに屈することなく響く。
 『なあ、赤の秘石。トチギは、地下に行っちまった』
 アスによってさらわれた幼子は、その淀んだ意志のままに染まるだろう。この世界の崩壊は、それを助長するのには格好の材料だ。
 頷き、いずれは地上に舞い戻るであろうことを示唆すると、彼は小さく笑った。
 だから、と、彼はいうように、その意識を自分に向ける。真っ直ぐに他の何も介入できないほど、強く。
 『地上がまた元に戻ったら、パプワを連れていってやってくれねぇか?』
 言葉の意味を掴みかね、分からない振りをした。それはあまりにも難しすぎる選択だった。
 また二つに別れ、そうして争いが始まってしまう。同じ苦しみを繰り返してしまう。それはあまりにも………
 悲痛な雰囲気に、彼は笑んだようだった。恐れることはないと、そう示すようなその気配。
 『青は地下に。赤は、そうだな、空に。それで……俺は、地上』
 赤でも青でもなく、そうでありながらどちらをも混じった自分は、その接点へ。最も過酷であろう場所に戻してくれと、彼はいった。
 了承しかねるその申し出に拒絶を表してみれば、彼もまた首を振った。そうしなければいけないと、まるで予言者のような力を込めて。
 『トチギの件は俺に責がある。パプワだって……』
 結局は自分に原因があるのだとそういって、二つの諍いの合間、その余波と打撃と全ての災禍が及ぶであろう地にいると、彼はいう。
 それがあがないかと、問いかけた。そうすることで償うつもりかと。そんなものは自己満足に過ぎないのだからと、そう訴えるように。
 けれど彼は首を振る。あがないでも償いでもないのだと、彼は笑う。
 それならば何故と問うてみれば、彼はやはり笑った。
 …………かつての子供が、あるいは地下へと去った幼子が、愛しいとそう思い続けていた、全てを包み、受け止めてくれる、笑み。
 『二人にいつか会うために。ちゃんとまた、俺があいつらに会うために、だ』
 どちらかを選ぶのではなく。………片方を捨てるのではなく。どちらとも関われるように。もしも時の最果て、また決別と戦火が生まれるとしても、そのどちらとも触れあえるように。
 原因となった自分がそれに終止符を打つことは出来ないだろう。きっとまた、誰かが悲しみを請け負い、それを背負って決着を付けなくてはいけない。それでもそのとき、自分の意志を受けた命が、見過ごすことなく関われるようにしたいのだ。
 けれどそれは彼が請け負うべきことではない。もしもそれを受けるべきものがいるとすれば、それは傍観者であり続けた自分なのだ。
 自分の片割れが暴走したにもかかわらずずっと見過ごし、最悪の結果を招いてもなお動かなかった、自分なのだ。………そう訴えるはずの声音は、けれど微睡むように穏やかな彼の音に覆われた。
 『なぁ、最期の我が侭だ、叶えてくれ』
 叶えたところで苦痛しかないであろうその願いを、それでも幸せそうな笑みを浮かべてねだる。殉教者などではけしてない彼が、それでもそれを求める意味を、自分は理解できなかった。
 瞬くように明滅しながら、彼の声は小さくなる。もう意志を留めることも出来ないのだろう。当然だ、そもそも肉を持たぬ影が存在し続けることなど不可能なのだ。
 それでも最期の言葉を告げるために、崩壊したこの地に留まり、自分に囁いたのか。
 欲望から生まれ、希望を背負った生き物は、最後の最後までそんなにも輝き………消える。
 その輝きが掻き消される一瞬前に、その光を掴みとり取り込んだ。決して失わないために。………その、希望を。
 答えは見つからない。何が最善かなど、分かるわけもない。分かっていたのなら少なくとも自分は、遥か過去のあの日、青の戯れ言に付き合って人間など作りはしなかった。
 こんな哀れで惨めで、悲しくて醜い…………愛しい存在を、作ることなどなかった。
 嘆きの波動を空間に残しながら、沈痛な思いで取り込んだ輝きを思う。
 ………何が正しいのか、そんな決定、こんな無様な創造主に勤まるわけがないと、そう思いながら。

 あれからどれだけの時が流れたか分からない。
 地上は災禍から蘇り、自分達のいるこの島を包むように七つの島が連なった。それぞれの島で聖地の影響を受けた生き物たちが独自の発達を迎えている。
 そろそろ決めなくてはいけない。………たとえこの地が今は自分の意志により他の生き物が入り込めなくとも、いずれはそれすら薄れ消える。そうしたなら、この朽ちることのない肉体たちがどう扱われるか分かりはしない。
 決断を、下さなくてはいけないのだ。あの遥か昔、煌めくように生き、そして死んでしまった命との最期の言葉のように。
 空へと舞うか、地上で塵芥と変わるか。
 どちらが最善か、今も自分には判断出来ない。ずっと考え、今度こそ間違うことのないように選ぼうと、そう決めていたというのに。
 瞬く赤は、想起する。
 ………自分が取り込み、今もまだ輝きを失わないあのちっぽけな意志の欠片を。
 幾度も幾度も問いかけ、幾度も幾度も答えを探す。

 

 審判の日はもう、すぐそこに………………








 物凄い久しぶりに『眠りの声音の神話』を書きましたよ。
 その後というか、『至空の墓石』の中の話の前段階というか。
 結局神話シリーズの中では赤の秘石はほぼ出しませんでしたし(むしろパプワ島の生き物はパプワ以外誰も出さんかった)地上に一人残された秘石の葛藤を。
 でも正直、もしも神というものを想定するのなら、このシリーズの中では赤の秘石が一番私にとってはイメージが近いと思います。
 創造するだけ創造して、その後の責任まではとれない、そんな作ることだけが万能の、不完全な神様。

06.9.23