透き通る蒼天。
どこまでも続くまっさらな海。
白い雲に溶けて……鮮やかな青が浮き立つ。
そこは楽園。
……人の入り込むことの出来ないエデン。
その島に住むたった一人の子供は……それでもその小さな腕を伸ばして自分を迎えた。
剥がせないそのぬくもりに……涙が溢れる………………
水晶砂に包まれて
熱い陽射しを全身で受け止めて、青年は小さく息を吐き出した。
この島に来てから日課となっている子供と犬を連れた海水浴。
………特別泳ぐわけでもなく、青年は犬と戯れる無表情な子供を視界の片隅に入れ、目を閉じた。
緩やかな風が前髪を揺らす。清涼なその感覚にくすぐったそうに眉を潜めれば、瞼に降り注いでいた陽射しが遮られる。
誰かが顔を覗いていることの気付き、青年は目を開けた。
………………視界に広がるカタツムリの巨大な顔に一瞬思考が停止する。
問答無用で殴りつけ、無気味に近かったその顔を強制的に遠ざけ、ふうと大きく息を吐く。
「ひ、ひどいわシンタローさん!顔は乙女の命なのよ!?」
「じゃかーしい!! カタツムリの分際で乙女とかぬかすんじゃねーよ!」
泣きながら訴えるカタツムリにむかい、シンタローは一刀両断で切り付け起き上がった。
……あのまま眠ってしまいたかったが、このカタツムリが来てしまえば寝ているような暇はない。
なにをしでかすかわかったものではないのだから、監視するのが一番いい。
軽く息を吐き出し、青年は海にいる子供を眺める。
変わらない……表情。考えてみれば笑った顔を自分は見たことがない。
不意にそんなことに気付き……けれど自分には関係ないことだと心の中で吐き捨てる。
自分達は家族じゃない。なんの関わりあいもない……他人だ。
そう言い聞かせるように囁いて青年は子供を視界に入れることを厭うように俯いた。
視界に広がる異物の一切ない白い砂浜。
怖いほどに澄み切った島は……子供さえ純粋に大らかに育てた。
………関わるだけでなにかが崩れる。この島には自分の常識が成り立たない。戸惑った腕を引っ張る子供と犬は……心地いい空間を与えてくれるけれど。
それでもそれに包まれて溺れるわけにはいかないのだ。
睨むように白を見つめ、青年は耐えるかのように強く拳を握る。……掴まれた水晶砂が悲鳴をあげるように零れ落ちる。
それを見つめ……ゆっくりとカタツムリは息を吐く。
大概……不器用な男もいたものだ。この島に生きるものはみんな気楽で…この青年のように深い悩みも苦しみも持ち合わせていない。
苦悩し……その全てを背負ってもなお笑える強さに惹かれ……子供と共にある時の幼さに微笑んで……ただ見つめているけれど。
その重みを少しくらい肩代わりさせてくれてもいいんじゃないかとも……思うのだ。
種族の違いなんて関係はない。………この人の生きる姿に感銘を受けた。
ただそれだけなのだから………
吐き出した息に気付いたのか、青年が振り向く。
視線を合わせ、軽く笑いかければ訝しげに青年が見返す。
「………イトウ…?」
「あのね、シンタローさん」
青年の声に応えず、イトウは視線を海に向けて囁く。
………さざ波の音が優しく耳に触れる。語る声を包む音に、イトウは小さく笑った。
「私達はシンタローさんから見て頼り無いでしょうけど……でもね」
すーっと、微かに前に進みながらイトウはその背を向けて微かな声で言葉を紡ぐ。
まだ……大した絆も形成されていない自分達が、この青年になにか囁いても苦しみを肩代わりなど出来ない。
それでも……いいたいことがあるのだ。
それでも……知って欲しいことがあるのだ。
語る言葉に嘘はない。
「……あなたの手を開かせるくらいの役には……立てないかしら?」
爪を立て……痛みに歯を噛み締めて。
不安そうに揺らめく瞳さえ判ってしまうのに。
それでも彼は一人でいる。
共に生活している子供にも何も言わない。
ただ……その唇を震わせて噛み締める。
けれど彼は知らないのだ。
………開かれない唇に苛立つことがあることを。
それくらいは知って欲しい。………役に立ちたいと思うこの気持ちくらいは……邪険にしないで欲しい。
そう囁いたなら……呆気にとられた青年の顔を覗くようにイトウは振り返る。
軽くウインクをし、悪戯っぽく笑ってイトウは手を振った。
「私達、あなたのこと気に入ってるのよ?もちろんパプワくんだって。……話して…あげてね」
少しだけ寂しそうにそう言って、イトウは邪魔はしないと小さく呟いてゆっくりと砂浜から去っていく。
その背を見送り……少し青年は顔を赤くする。
…………気づかれているとは思っていなかった。
殺し屋として生きてきて……自分の心情を隠すのは得意だった。
けれど何故だろう……この島に来てからはひどくそれが困難になった。
疼くのだ。………意味もわからずこの胸が。
痛むのだ。………なんの力も秘めていないこの眼が。
それが苦しいのだと……吐き出せるわけがない。
自分はただの来訪者。
いつかは去っていく……そんな存在。
それなのに、関れるはずがない。
この心情を打ち明けるにはあまりに相手は幼く……自分達の関係は微妙だ。
たてた片膝に顔を埋め……青年は小さく息を吐き出す。
まだ生まれてからたった24年しか経っていない。それでも世の中の汚さも不条理さも知っている。
この腕は絶対に超せない壁を知っている。
この眼は決して宿らない力を知っている。
冷酷に瞳を輝かし……自分だけを可愛がり必要とする父の姿。
………愛し…尊敬していた幼い頃。それはもう昔のこと。
世界が広がると同時に……その全ては反発と別離にすり変わった。
守りたかったのだ。大好きな母の代わりに生を受けた嬰児を。
たった一人自分と同じ血を受け継ぐ片割れを。
それを阻んだのも……奪ったのもその背を追っていた父だった。
あまりに自分の生きてきた世界は醜くて……穢れないこの島にいるには血が染みつきすぎている。
吐き出したくないのは……決して嫌っているからではない。
わかっている。むしろ自分はこの島に憧れている。
………失ったかつての楽園。微睡みしか知らなかった過去の自分の浸かっていた世界。
それはただの見せ掛けだけの幻だったけれど。ここはあまりに穏やかで幸せだった頃を思い出させる。
苦しく……なる。喉が押し潰されて息が出来ない。
固く閉じた瞳から零れそうになる熱き思いを飲み下し、青年は固く自身を抱き締めた…………
「おーい、シンタロー!!」
まだ浜にいるまま海に来ない青年に声をかけ、子供は少し反応を待つ。
暑いこの島では水浴びは日課だ。青年はすぐにこの島に順応していまではすっかり一日のリズムをその身体に刻んでいる。けれど今日は付いてくる途中もずっと上の空だった。
……夢見が悪かったと朝言っていたけれど、それでも自分が傍にいる時くらいなにもかも忘れればいいではないか。
この島には死以外に哀しみはない。
生きる苦痛が存在しない。それに吐き気を覚えると……独白している姿を見たことがあるけれど。
哭いて……いたのだ。
気持ちが悪いといいながら青年はこの上もなく愛しそうに切なそうに……哭いていた。
まるで手に入らない泡沫を求めるような瞳で……その腕を伸ばそうともしないで。
まだ子供の自分に大人である彼は遠慮するのか…決してそうした醜さを晒そうとはしない。
……友だちだと、幾度囁いても困ったように笑って躱される。
バシャバシャと海を横切り、子供は犬と共に浜まで戻ってくる。
青年の傍まで来てみれば、蹲ったまま青年が寝ていることがわかった。
呆れたように息を吐き、子供は青年の傍に座る。
水をきっている犬に子供は顔を向け、変わらない表情のまま小さく呟いた。
「チャッピー、僕はシンタローに用があるから、散歩に行って来ていいぞ」
しばらく起きそうにない青年に付き合っていると囁けば、犬は嬉しそうに小さく吠え、邪魔をすることを厭うようにシッポを振って浜を後にした。
犬の大きなシッポが見えなくなるまで見つめ…子供は透ける空気に先にある青を見つめた。
空の青と海の青の混ざる地平線。同じ言葉で表されるのに……全く違う色。
………きっと人の思いも同じなのだ。
青年がたとえ子供にその心を語ったとしても、その全ては理解出来ない。必ず子供の主観が入り…青年の思いとは微妙に食い違ってしまう。
それを厭うのかと…少し寂しい思いで子供は青年の頬に腕を伸ばす。
自分と同じ滑らかな肌。同じ黒い髪。まだ自分のそれは小さいけれど…同じ手足。
ずっと……願っていたのだ。
人間の友だちが欲しかった。………この島に自分だけはたった独り。仲間のいない単独種。
願って願って……諦めかけたある日海が青年を届けてくれた。
嬉しくて、困らせることばかりしていた。少しでもこの島に馴染んで欲しくて無茶ばかり要求した。
それでも青年は決してそれから逃げないで……自分の傍にいてくれたのだ。
………厭っていたならば子供にはわかる。どれほど上手く隠したとしても、子供の瞳に宿る力は簡単にそれを暴いてしまう。
青年の目元に微かに残る水滴を指先に絡め、寂しそうに子供はその顔を覗く。
瞼に触れたぬくもりに気付いたのか、青年の唇が震えた。
「………パプワ……?」
微かな音で名を囁かれ、子供は顔を近付けて聞き返す。
覗き込んだ青年の瞳は閉じたままだ。
「………なんだ、シンタロー」
長い黒髪を掴み、軽く引っ張る。
………それでも起きない。
なんで大人は気付かないのだろう。こうして眠っている時に傍に一緒にいても起きない。……そういう関係を友だちだと…いうことに。
なにか夢を見ているらしい青年はまた微睡みに沈み、子供の声に応えはしない。
その腕に顔をのせ、子供は青年の隣に横になる。間近な顔を見つめ、切なく歪む眉根に顔を顰める。
幼い手の平で青年の頬を包み、緩く抱き締める。……青年がなにに怯えているか自分は知らない。
だから……せめてずっとこの言葉を囁く。
青年が信じ……応えてくれるまでずっと。
「………シンタロー……お前は僕の友だちだ」
だから泣かないで欲しい。
小さな腕に絡む涙に胸が痛む。こんな切なさ……知りはしなかった。
教えたのは青年。深く関われば痛みが附随するのだと………
その痛みさえ構わないから。
……青年の抱える痛みから…守るから。
「……お前も友だちだって……たまには言え」
閉じた瞳にもう青年の涙は見れないけれど。
ゆっくりと流れた一筋の涙は青年を包む子供の胸に消え……もう湧き出ることはなかった。
必要なら…この腕にすり寄ればいい。
ぬくもりに餓えているのはお互い様だから。
凍える南国の夜、不意に落ちてきた星屑。
その輝きが愛しいから…守りたい。
この腕を掴んで。
―――――今日からお前も友だちだから。
キリリク8000HIT、なんと私の好きなリク……!
いいんですか本当に! と、いうわけで我が侭通させて頂いて『パプワ』を書かせて頂きましたv
書きたかったんです、パプワとシンタロー。
キリ番消化したらかこうかなーとか思っていたんですが、思いもかけず書かせていただけることに!!
幸せでした〜☆
この二人はとってもほのぼのしてるんですけど、シンタローは異分子に近くて…劣等意識もかなりあるこなので初めのうちはまだ溶け込め切れなくてお互いやきもきしてるんじゃないかなーと。
イトウくん。さり気なく好きみたいです。タンノくんより書きたかったんです(笑)
いやー、楽しいですね、ナマモノは(違う)
とっても楽しかったです。パプワ……もう一回読みたくなってきました(遠い目)
この小説はキリリクを下さったれいこ様に捧げます!
私の好きなもの書かせて下さってありがとうございます!
こんな二人でOKですか??