…………出せ。
この身体は俺のもの。
お前は偽者で、影ですらない紛い物。

出せ。この茨を取り払え。

そうしたなら、この牙でその喉を切り裂いてやる。
俺の生きる筈だった時間。
生きる筈だった場所。立場。

貴様に譲るために生まれたわけじゃない。

ずっと呪いのように囁き続けた言葉。
それでも知っている。

………誰よりも生きた時間を苦しみ、傷を負ったのが誰であるか。




紛い物の絆



 窓に映された自分の顔を通り越し、憂鬱な眉を染めあげた曇った空に小さく息を吐く。
 なにもよりにもよって今日…こんな天気でなくてもいいと思うのだ。
 もしも明るく晴れ渡っていればもっとずっと雰囲気が変わったかもしれない。………そんなことを考えてしまうくらい、いまの空気に自分は耐えられない。
 あの島から帰ってきたのはつい昨日。
 傷心のシンタローを慰めたいと思って特製のハーブティーでお茶会をと誘ってみれば……何故か別の人物までおまけにやってきてしまった。
 ソファーにゆったりと座ってカップに口をつけている様を窓越しに盗み見てみる。………金の髪が長く揺れているが、自分のそれとは光沢も質もまるで違う。
 ましてはずっと一緒にいた従兄弟とは似ても似つかない。それでも認めている。あの、自分さえも加わった戦いの最中、彼の中に自分の心を揺らす姿を垣間見たから。
 ただあの極限の状況で突然示された事実をいま……一時の休息に身を浸したいまは、計りかねている。
 いっそあのまま判りあえていなければぶつかってしまえたかもしれないけれど、一度心許した相手をそんなくだらない理由で責めることも出来ない。
 ………せめてシンタローがいれば少しは間を持たせてくれるのに。
 人好きがするとか、そんな理由ではなく、シンタローは人の機微を計ることがうまい。不思議と望んでいる言葉を口にしてくれるから、居心地がいい。
 少し用事があるから遅くなるといわれたけれど、それならいっそ始める時間自体をずらしてしまいたかった。幼い考えだとは思うのだが…………
 幾度目か判らない溜め息が口をつく。外を眺めているのもそろそろ時間的に切り上げなくてはいけない。そうしたらまたあの無表情な顔を前に味も判らない液体を飲み下さなくては…………
 陰鬱な空と同じ色が心を蔓延りそうになることを必死で自制し、グンマは息を飲み込んで振り返ろうとした。
 瞬間、まるで見計らったようなタイミングで相手の口が開かれた。
 「オイ。…………お前…」
 名も呼ばない低い声。少し眉をあげて批難してもどこか戸惑ったように視線を逸らすだけ。
 …………遠慮なんて知らないような態度をとっていた癖に、ここに帰ってからは妙によそよそしい。溜め息もでるに決まっている。なにをいいたいかなんて自分には判らない。いっそずけずけと、言えばいいのだ。言いもしない癖にまるで気付けというように途中で止められれば気分も悪い。
 少しだけ睨むような幼い視線で相手を見上げる。昔からの癖か、どうしても気押される感覚がある相手には下から伺うように見てしまう。………子供のようだと思ってもなかなか治らないそれは、実際している時は自分でも気づかない。
 沈黙が流れる。ハーブティーの香りが充満して心地いい筈なのに、居心地が悪い。………垂れ幕のように互いの間を隔てている静けさが原因とわかっていてもお互いどうすることも出来はしない。
 また溜め息が出そうになった瞬間、ドアを叩く音が響く。
 パッと、グンマの顔が上がった。喜色に濡れ、楽しげに瞳が輝く。待ち望んでいた来訪者に意識の集中してしまった彼は気づきはしない。ホッとしたように肩から力を抜いた金の髪の揺れる様を。
 「シンちゃん!? 遅かったね、ほら早く!」
 幼子のような声の弾み。変わらない従兄弟の様子に苦笑をこぼしながら手に持っていた紙袋を押し付けた。
 ほんわりとあたたかい、甘い香りと芳ばしい香りが混ざった嗅覚をひどく刺激する袋の中身をこっそり覗く。…………すぐに見て取れた魚のシッポにパッと顔を輝かせ……次いでグンマは少し拗ねた仕草を見せる。
 「もーシンちゃん……今日はハーブティー入れて待っているっていったのに、なんでお土産がタイ焼きなの〜?」
 どこか甘えたような仕草の不満を流すように間近な額を爪弾き、少しだけ憮然とした振りで背中を見せる。
 「ケッ、お前特製じゃなく、高松特製だろ? どっちにしろ怪しさに代わりはねぇけどな。番茶もらうぜ」
 グンマを通り越えて使い慣れたキッチンに足を向ければ、途中に鎮座する憮然とした強面。………見慣れた金の髪が揺れて、一瞬動こうとしたらしいことが窺えた。
 その意図に気づき、シンタローが吹き出すように小さく笑う。突然のことによくわかっていないグンマがきょとんと二人を見やった。
 「グンマ……お前、こいつにもハーブティーやったのか?」
 「え……? うん、だって嫌だって言わなかったし」
 無言のまま席について、なにか探すように辺りを見てばかりだった。だから多分……シンタローを待っているのだろうと思って、取り合えず型通りに紅茶を勧めた。不思議そうに首を傾げて答えたグンマをシンタローは苦笑して見やり、ぽんとキンタローの肩を叩く。
 睨むような視線を向けられても躱すように笑めば不貞腐れたように視線を逸らす仕草。………まるで幼子だ。
 「お前も番茶飲むか? グンマもどーだ?」
 「……………僕が渋いの飲めないの知ってる癖に………」
 もともとこの家には日本茶なんて置いていなかった。それでもそれを好むシンタローがいつ来ても大丈夫なようにと用意しているのだ。…………結局、自分では飲まないから量を見ればどれくらい来てくれているか計ることができるようになってしまったけれど。
 不貞腐れたグンマを横目に、シンタローはもう一度ぽんとキンタローの肩を叩く。今度は立てと促すように。それをきちんと受け止めた相手は不可解げに立ち上がる。背を向ければ意図を察して一緒に歩き始めた。
 まるで言葉を必要としていない二人に珍しいものを見た気分になったグンマが、やっぱり後ろからついてくる。結局男3人して広くはないキッチンへと入り込むことになってしまった。
 「ほら、茶の入れ方くらい判るだろ? そうそう、急須はここな。1煎目は捨てろよ」
 「あれ〜? キンちゃん、随分入れ方うまくない?」
 なんとなく全部人任せにして、ふんぞり返っていれば好きなものが出されるようなイメージがあったから、意外だ。驚く声に、シンタローが苦笑する。少しだけ無邪気さというのは、罪だ。
 たしなめる言葉を口にしようとした瞬間、それを飲み込ませたのは……真直ぐなキンタローの視線。
 戦っていた最中はいくらでも向けてきたそれは、けれど島から立ち去ろうとした時から……向けることを恐れるように萎んでいた。
 真直ぐな視線。………滞ることなく流れる声が、シンタローにむけられる。
 問いかけたグンマさえも通り越し、はっきりとぶつけられた音。
 「……ずっとこいつの中にいた。こいつの経験したことは、覚えている」
 いまはこうして別々の肉体を持っている。けれどほんの数日前まで自分達は同じだった。
 同じものを見て、同じ経験をともにした。双児以上の繋がりと共感。………同時に沸き起こる嫌悪と自分達の価値観の違い。
 脳に響いていた悲鳴のような叫び声。救いを求めながら伸ばす腕も、相手すらも携えていなかったちっぽけな子供。手に入れたいものがあまりにありふれたものすぎて、気づかれることすらなかった幼さ。全部、自分は知っている。流せない涙をひとり耐えていた夜も、蟠る喉を飲み下して堂々と立ち合っていた日も。
 ……………なによりも愛しいものを見い出し、願った生活に幸福だけを感じていた日々も…………
 知っている。覚えている。……忘れることなんか出来ない。呪い続けた日々。同時に、憐れみ続けた日々。
 自分の代わりに生きていた男。………自分の代わりに傷を負い続けた男。決して同じ人生を作り上げることなどできないと思い知らされる。世界に降り立った自分は……戸惑いと遣る瀬無さと、どうしようもない孤独感に襲われるから。
 人はたったひとりで生きているのだと、初めて知った。誰かと経験を共有し続けることなど不可能で、それが当たり前。自分の24年間の月日は紛い物。目の前の男の視線でものを見て、感じて。そうしてゆっくりと吟味しながら咀嚼出来るだけの時を与えられた。………自由になれない代わりに与えられた特権。
 ………いまはもうない。孤独に泣く魂を抱き締める腕が茨に捕らえられていたように、自分を抱き締める腕もない。流れる時を肌で感じて立ち向かうために動かなくてはいけない。ずっと、自分を捕らえていた魂と同じように。
 「………ずっと、一緒だったんだもんね、二人は」
 不意に響いた幼い響き。
 ………どこか悔しささえ滲ませた音にやっとその存在を思い出した視線が注がれる。
 青い瞳。自分と同じ色。………自分がずっと追い掛けていた従兄弟とは色すら違う。それなのに、共有していた全て。自分ではわかれないことさえ、きっとキンタローは知っている。
 唇を噛み締めたなにかに耐えているグンマを見やり、シンタローはキンタローの手から急須を受け取ってゆっくりと湯飲みに茶を注ぐ。あたりに茶の匂いが充満して、どこかホッとする。
 それを肺いっぱいに吸い込みながら、緩く吐き出した吐息とともにシンタローが囁きかけた。
 ………どちらか一方ではなく、二人に注がれたやわらかな音。
 「だからお前のことも知っているな、キンタローは。で? お前ら、名乗りあったわけ?」
 自分を介してでなければかかわり方がわからないと戸惑う二人。
 なにも、変わってなどいないのに変わったのだと不安に思っている。
 今更の言葉に、きょとんと目が合う。そうして、気づく。視線すら絡ませることがなかったのは、お互いに直視することを避けていたから。父は、確かに逆だった筈なのに………それでも相手の中に本当の父の面影が見えてしまうから。
 躊躇う思いに一瞬唇が閉ざされかける。それを支えるように差し出された湯飲みをキンタローが、タイ焼きをのせた皿をグンマが受け取った。
 「ま、これでも食いながらにしようぜ。こんな狭っ苦しいとこじゃゆっくりもできねぇしな!」
 ニッと笑った力強さ。
 …………それだけで安心出来る存在感。
 それを眺めてやっと気づく。

 いまこの時、やっと自分は歩き始めている。
 本当の、自分の絆を形成するために…………………








 キリリク62000HIT、シンタロー・グンマ・キンタロー出演のパプワ話でした!
 キンタロー……考えて見れば正真正銘の初書きですね。神話シリーズではあと少しすれば出てきますが。

 キンタローはシンタローのこと憎んでいるわけではないと思うんですよね。
 突然自由になって、どうしようもなく不安でどうしたらいいかわからなくて。
 ………ずっと一緒だった人間をもう一度戻せば不安がなくなるかもしれない。
 戻せるわけもなく、戻ってくる意志もないならせめて存在を消せば目的を完遂出来るんじゃないかって感じ。
 シンタローの視線でずっと同じように世界を見てきたなら、シンタローのこと嫌えるわけがないと思うし。殺そうと本気で思ったら、それこそヒーローのアラシみたいになるね!(笑)

 この小説はキリリクを下さった華鈴さんに捧げます!
 キンタローとグンマの関わり方が書いていて楽しかったです。お互いに嫉妬?(笑)