世界の果ての楽園。
静かに凪いだ海が優しく全てを包み込む様子。
濃い緑のにおいが身体を浄化する感覚。
心深き生き物たちが癒してくれる情景。
…………全てが、まるで夢物語のような島。
ああ……しっている。
本当はコレを求めていた。
求めて求めて……与えたかった。
真実これを欲していたのは、誰?
与えたかったのは、きっと自分。
でも出来なくて、だから悔しかった。
そうして思い知る。
…………自分もまた、それに包まれることに焦がれていたのだと……………
注がれるべきもの
遥か彼方には地平線。
美しくのびた丸みあるそれは180度全てに渡って遮られることなく続いている。
こんな光景、狭い島国で生まれ育った自分には実感の湧かないものだった。父に連れられて各国を回りはしたけれど、それでも感動というにはあまりに浅い感覚で焼き付いただけの景色。
それなのに、何故だろう。
ふと視線を奪われた自分に気づいて小さく呟くように心の内で問いかけた。
この光景を、自分は美しいと思う。かけがえがないと、そう思える。
もしもこれを奪うものがいるのであれば自分はそれと対峙し容赦などすることはないだろう。自分よりもよっぽど強い子供が矢面になど立つことなく退けられることを祈りながら。
そう考え至り、苦笑が込み上げる。
結局は、きっと、それが原因。この島が尊いと思う、一番初めの理由。
硬い硬い岩だった自分を丸く柔らかく変質させた。
もうずっと、自分ですら見失っていた本質。一片の疑いすらなくそれは信じられ愛しまれた。
本当であればあり得なかったこと。それでも、それは現実となってこの身に還った。
感謝……とは少し違う気がする。
「シンタロー!」
ふと自分の考えに落ち込んでいた耳に触れた、まだ高い子供の声。続いて響いた犬の鳴き声。
それに小さく笑い、シンタローは視線を海原から砂浜に戻す。そこには水浴びを終えて砂を落とした子供と犬がタオルに包まりながら自分を見上げている姿があった。
まだ水滴がしたたる髪はしっとりと濡れていて拭いていないことが伺える。チャッピーに至ってはタオルすらようを為していない。
「ほら、お前らちゃんと乾かせよ。身体だけじゃなく頭も!」
パプワの肩にかけられていたタオルを再び頭にかけて乱暴な仕草でその髪を乾かす。こそばゆそうに眉を顰めて目を瞑りながらも、パプワもあえてそれに対して反抗はしない。世話を焼かれることをどこか楽しんでいる感のある姿に苦笑しながらすぐに水分のなくなっていく様子に口の端が奇妙に歪む。
太陽の日差しも強く乾いた風が身体を冷やさない程度に吹きかける気候からすればそこまで気にしなくても大丈夫なのかもしれないが、それでも長年培われた癖は抜けない。日本でこんな姿で放り出したら、即風邪を引いてしまう。…………子供は、弱いから。
ふと思ったフレーズ。瞬間、手が凍りついたように動かなくなった。
それを直に感じ、訝しげな視線がタオルの間から覗いた。
まっすぐな……まっすぐすぎる視線。
何もかも知り尽くしているよいうな純乎さで示されるそれに息が詰まりかける。
これは過去にも向けられていた。自分だけを世界の救いのように腕を伸ばす小さな弟。無垢過ぎて、だからこそ何故自分が迫害されるかも解らない幼気な瞳。
あんな、小さな手のひらだった。自分の指の長さほどしかない小ささで、世界を呪うように泣いていた。
切なくて……悲しくて。求めるものを何一つ与えることの出来ない自分が腑甲斐無かった。
笑ってと、泣きそうに乞えば慰めるように小さな腕が泣かないでと胸の軋む笑みを浮かべる……あまりにか弱き命。
人を思うこの子供を何故戒めるのか解らなかった。父にとってこの弟がどんな意味を持つのかなんて興味もなかった。
ただ生かしたかった。この優しさを。こんな狭い部屋が世界の全てという弟は、それでも兄を気づかい微笑んでくれるのに。
こうして太陽に包まれて、木々のにおいを嗅ぎながら一緒にどこかで笑いあいたかった。そんな極普通の平凡な光景が欲しかっただけだったのだ。
………自分達兄弟の願いは、そんなにも難しいものだったのだろうか。荒唐無稽など、言うことも出来ない当たり前のものだと思うのに。
「シンタロー?」
どこか遠くを見つめるように自分を見るシンタローに躊躇う響きを滲ませることなくパプワは声をかけた。まるで帰ってこいと言うかのように。
時折。本当に時折、こんなことがあるのだ。
何でとか問うことはないけれど気付かないほど小さなことでもない。自分に重ねられる影があることくらい十分知っているから。
代わりでもいいなんて思わない。自分にとって彼が特別なのだから、彼にとって何かの代わりだなんて嬉しいわけがない。…………独占欲とは微妙に違う感覚で、それでも自分を見ろと思うのだ。
はっと気づいたように瞳が瞬く。深く…どこか傷付いたように深く染まる黒い瞳。荒んで刺だらけになっても摩滅することなくそれは人を見つめることをやめない。
だから、気づいてしまう。見ていないその瞬間を。
「あ……悪い…。もう、帰るか」
ぼんやりとしたのは一瞬のこと。すぐにいつものどこか苦笑を含んだ笑みを浮かべて立ち上がる。まるで今の瞬間を痛ましく思うかのように急いでタオルをリュックにしまい、波打ち際で戯れているチャッピーに声をかけるその背を見つめる。
…………本当に不器用だなと、思う。
幼い自分にだって彼が傷を負っていることくらい解る。きっと、誰の目からだって明らかだ。そのくせ本人はそんなこと気づかないで不敵な態度をとるのだ。
ボロボロになったって、きっと笑う。傷に気づかないで、笑う。
行くぞと声をかける振り返ったシルエット。近くに駆け寄ったチャッピーが楽しげにその足下に絡み付く。
もう……ずっとこの島にいるようなその光景。違和感なんてない。この島は彼の生きる島になったから。
…………だから。
駆け寄ってその大きな指先に自分のそれを絡める。ぎくりと一瞬シンタローの身体が震えたことに気づかない振りをして。
「シンタロー」
そうして声をかける。いつもと変わらない彼の名を呼ぶ自分の声。早く慣れてと願うように意味もなく繰り返すことさえあった、それは呪文。
逡巡の間もなく視線が注がれる。ついいまさっき、自分が手を握ることには怯えたくせに。
優しく深い、まっすぐな視線。誰のためでもなく自分のために捧げられているこの瞬間が好きだった。
「大丈夫だぞ」
なにがなんて、知りはしないけれど。
それでも大丈夫。なにかあればきっと自分が守り抜いてみせるから。
シンタローのことも、シンタローが守りたい全ても。望む全てを叶えてみせるから。
だからここにいればいいのだと言葉にはせずに強く握りしめるその指先に祈りとともに織り込めた。
驚いたように見開かれた瞳は柔和に眇められ、一瞬……本当に一瞬泣きそうに微笑んだ。
そうして小さく礼の言葉を捧げてくれる。
きっと……何一つ自分達は言葉にしていないのだから願いの姿も祈りの意味も解りあえてはいないのだろう。
それでもなんでこんなにも確信できるのだろうか。
……………互いがこの島で生きることを望んでいるという、その小さな思いだけは。
かたく握りあった指先はほんの少し痛い。
それでもそれは解かれることはなく、約定を定めるが如く緩まることもなかった。
本当はずっと知っていた。
この島を自分以上に必要としている幼い命を。
もしもこの島を知ったなら、きっと弟は優しく微笑み輝くことを知るだろう。
それでも、今もまだこの島をあとには出来ない。
深い罪悪感と、郷愁の念。
身を引き裂くそれらは、けれどいつも光に掬い取られる。
子供の言葉はいつだってまっすぐで。
………そうして人を包み込む。
願うことすら傲慢で、祈ることすら浅はかだけれど。
いつかこの島にくるであろうなにも書き込まれていない命を。
どうか、自分を受け入れたように受け入れて………………
キリリク79500HIT、シンタローとパプワの話でした。
ロタくんも近頃書きたい気がしてならない。
シンタローにとってパプワ島がかけがえがなかったように、コタローにとってもかけがえがなかったから。
必要としていたのは兄弟どちらもで、パプワ島にいるとき、ずっと閉じ込められているコタローを思うとシンタローはどんな気持ちがしただろう。
幸せだっただろうけど、そのときだけはきっと、ものすごく悲しくて自分までコタローを裏切っている気持ちになったんじゃないかな、とか。
うちのシンタローさん悩み上手だからねぇ(そんな言葉は存在しない)
この小説はキリリクを下さった由沙さんに捧げます。
シン&パプ+αっぽいですがどうぞお納め下さいv