静かな静かな音が響いていた。
それはどこか物悲しく
けれどひどく美しい音。
耳を澄ます必要すらなく響く音。
それを手繰って探って
どこから奏でられているのかと、焦がれた。
それを見つけたかった。
探すための手足が欲しかった。
そうして願いのままに手に入れた身体は
代わりにその音を消し去った。
そうしてやっと気づくのだ。
願ってやまなかったその音は
もうひとりの自分の鼓動だったのだと…………
うたかたのまま
小さく息を吐き、ごろりとベッドの上で寝転がる。
………眠くは、なかった。それでも横になっているのは少しでも身体に休息を与えなくてはいけないと解っているからだ。
本当であればこんな時間すら勿体ない。今にも立ち上がり、残した仕事を仕上げたい衝動に駆られる。それでもそれをどうにか我慢しているのは、隣のベッドに横たわる影があるからだ。
もう一度ごろりと身体を転がす。布団の擦れた音が広い室内に響いた。眠りの浅い相手を起こしはしなかったかと眉を顰めて伺ってみれば写ったのは端正な寝顔。
目蓋は閉ざされ金糸の髪は闇夜で淡く輝く。ベッドライトも落とした中で不思議な事この上ないその煌めきはゆっくりと揺れて白いシーツの上を踊った。
それを視線だけで追い、シンタローは溜め息を吐くようにゆうるりと息を吐く。
…………なにが悲しくていい大人がきちんと寝るようにと監視つきでベットにもぐらねばならないのか。しかもご丁寧に相手は自分の行動も思考回路も逐一理解し熟知しているのだ。わざわざ自分が起きだせば一緒に起きるのだと釘まで刺してきた。
これではどうする事も出来ない。彼が自分同様、随分消耗している事くらい解っているのだ。そうと知れないように気遣ってくれるから、余計に文句も言えない。
それでも誰かと眠るという事は息苦しい。
昔はずっとひとりで眠っていた。父との決別以降、室内に他者を入れた事すらなかった。
そうしている事に慣れた精神は自分以外の息遣いや鼓動にひどく敏感になってしまった。気遣いだと解っているけれど、こうして同室にいるというだけで自分にとっては眠れない環境だ。それが解らない彼でもないと思うのだがと苦笑する。
息を吸い込み、そろりと布団を剥ぐ。………余計なことを考えていたせいで更に目が冴えてしまったこのままではとてもではないが眠る以前の問題になってしまう。
ベッドの上にいる分には問題もないだろうと上半身を起き上がらせ、ベッドヘッドに背を預ける。闇に慣れた目はしっかりと室内を映していたが、その全てがひどく手のかかった高級家具だ。自分好みと言えばその通りなのだが、何故かいっこうにこの部屋に馴染む事が出来ない。もちろん急ごしらえの二人部屋だから、と言う事も解る。むしろそれが理由だと思っていたのだ。
けれど違う。幾度目かの、こうした夜に至ってなんとはなしに気づかないでいた事に気づいてしまった。
溜め息が漏れそうになり、飲み込むように唇を引き締める。
………それは決して彼が悪いわけではない。それなのに陰鬱に落ち込むなど、失礼にもほどがある。
だから飲み込まなくてはいけないのだ。これは、気づいてはいけない事だったから。
「………寝れないのか?」
深く自身の奥底に沈ませた感情に気を取られ、その声が肌に触れてもなお、シンタローは言葉を返せなかった。視線すら、どこか見当違いな場所を見つめたまま凍っている。
言葉を綴ろうとした唇は開閉し、音を忘れたように呼気を落とす。それを眺めながらようやく自分がひどく驚いている事を知った。
「シンタロー?」
柔らかな低音が室内に響く。ひっそりと、まるで包み隠してしまうようなその音。
………まるで全て見透かしたような、その声。
ゆっくりと、ぎこちないままに視線が動き、シンタローの目がキンタローを映す。交わったようで交わらない視線はどこかチグハグだ。
曖昧な笑みを浮かべたままシンタローは腹に力を込める。声を零すその瞬間すら、緊張した。自分が呟くだけでこの空間が壊れる硝子の箱のような気がしたのだ。
「いやノノもう寝る」
「寝れないのか?」
答えれば返される同じ言葉。壊れたテープのように抑揚すら同じく綴られたそれに訝しそうな顔をつくって睨んでみれば、どこか切なく染まった瞳が返された。
まるで何かに耐えるような、顔。
それすら受け入れ甘んじているその仕草に本格的に眉を顰めてみれば小さく笑われた。
「お前は誰かそばにいると寝ないな」
確認と言うよりも、それは思い出話。
キンタローはシンタローの記憶を持っている。自分の全てを、自分の感じた感情さえも、彼は知っている。あるいは自分以上に理解しているかもしれないとさえ、思わせる。
だから返答に詰まった。
これは答えていい部類の問いかけかが判断がつかなかった。言ったなら傷つける、そんな刺を含んだ言葉ではないのかと、疑った。
…………それさえ承知で、言葉は晒される。
麗しく闇夜に瞬く金糸の髪とともに。
「でも……あの島では寝ていたな」
痛みを耐えるように目蓋を落とし眉根を寄せてそう囁いたなら、否定した。
傷つけたくないからではなく、本当を晒したくなくて。
それでも彼はまっすぐに自分を見て静かに言葉を落としたから。
ただ呆然と……頷いた。
………………こぼれ落ちた涙にすら気づかずに。
「あの島はお前の聖域だな。剥き出しの警戒心さえ、消えていた」
「………違う」
「なによりあの島が大切なんだろう? 一族すら比較出来ない」
「違う」
「俺は…………」
まるで機械仕掛けのオルゴールのように同じ音だけを返す相手を見据えたまま、キンタローは起き上がった。
泣いている、わけではないのだろう。ただ与えるだろう痛みをそのままその心に映してしまっているだけ。多分それはあの島にいたからこそ花開く事を思い出した彼の元来の柔らかなる性情。
一度は枯れかけた。枯れる事を潔く受け入れて土に還る事を願っていた。
けれどそれは光を知ってしまった。幸か不幸かなど、解るわけもない。知らないままでいれば安穏とした生活は手に入っただろうに。それでも彼は幾度同じ痛みを繰り返そうと敢えてその道を選ぶ。たったひとりの小さな子供に出会いたいが為に。
それが悪いなんて言わない。だからこそ自分が生まれたのだ。それでも、思う事はある。
頬を彩るその筋を指先で辿り、擦り付けるように強く拭えば揺れた瞳。緩やかに振られた首がそれ以上の言葉を拒んでいた。言葉を紡ぐ事で傷付くのがどちらかなど、解り切っている。
「俺は、時折お前の中に戻りたい時がある」
それでも、呟いた。多分それは自己中心的な我が儘で。
項垂れたようにシンタローの首が落ちる。わかっているのだ。この言葉は彼を傷つける。そう思う事こそが自分を最も抉る傷だからこそ、彼を傷つけるのだ、と。
不器用なまま生きることしかできない青年は、不器用なまま男となって、今もまだ辿々しく歩く事しか出来ない。
その頬を包み、額を混じらせるように頤を持ち上げれば固く閉ざされた瞳。映す事すら痛いとでも、言うつもりか。
呼気すら交じるほどの間近さで無防備に晒されたままの涙に濡れた頬。
「………あいつの、身代わりにもなれないからな」
間近すぎる唇が囁く音は耳に触れるよりも熱い吐息の動きで音を伝える。
ゆるゆると振られた首は、なにを否定しているのか解らない。
………もう一度、同じ身体に戻りたいと、思うのだ。
彼を何よりも理解したい。彼がどれほど打ち拉がれているか解っていたから、腕を伸ばしたい。それでも今は別の身体を得てしまって、触れる音は歪んでしまう。
もう聞こえはしない彼の鼓動。心地よかった母体のような場所。………手放す事を願っていた場所こそが、探し求め続けていた場所だった。
同じだったはずなのに、別々になってしまったから、自分達はもう元には戻れない。
他の誰よりも近しいはずなのに………彼に眠る場所すら与えられないこの滑稽さ。
「………身代わりなんか、いらねぇよ」
どこかか細い声で、それでも落とされた音はどちらにむけての言葉なのか。
彼の身代わりがいらないのか。自分が身代わりである必要などないと言う事か。
そんな単純な事さえ解らない不便な身体。別々の鼓動はもう交わりはしない。
固く閉ざした目蓋の奥、浮かぶのはあの島。自分の生まれ故郷であり、彼の聖域。
美しさしか知らない楽園は、だからこそいまは苦しかった。
「知っている」
せめてもの強がりで呟いた言葉に、きっと彼は苦笑しただろう。
どれほど隠しても自分の感情は筒抜けだ。彼のそれは大切なものであればあるほど汲み取る事が困難だというのに。
それでも笑んでしまったのは、不覚と思うべきだろうか。
…………交わったままの額が離れ、抱き締めるかのようにその腕が背へと回された。
キリリク91500HIT、PAPUWAでパプシン根底のキンシンでした〜v
この二人好きなので嬉しかったです♪
シンタローはなにがあってもどうなっても、絶対にパプワが顔を覗かせるので、結構他の人だと痛いものです。コタローも大切ですが(笑)それとは別次元の問題で。
今回はなにも出来ないキンちゃんで。
安心も息抜きも自分じゃ与えられないって解っていて、それでも支えたいからそばにいる。
自分の出来る限界と、与えられるものをちゃんと理解しないといけないと思い始めた頃、とでも言いましょうか。
それまでは多分、悔しさが結構強かったと思います。
同じだった自分までどうして一緒にいられないんだって感じで。
ノノノある意味ブラコンなのかしら、キンちゃん(笑)
この小説はキリリクを下さったショウさんに捧げます!
遅くなってごめんなさい! このリクもらえてかなり嬉しかったですv