息が詰まる。

世界の果てにたどり着いた、そんな感覚。

この腕では掴みきれるはずもない全てが眼前に並べられ

その手で選び掴めと迫る。

息が、詰まる。

いままで選んでいたのは自分ではない。
自分はそれを傍観し、苛立ち痛んでいただけ。
そんなもの選ぶなと、叫んでいただけ。

毅然とした風を装って寄る辺なき子供は不敵に笑う。

その背を支える者のない空虚すら、受け入れて。

選ぶ自由をえたのなら、なにを選ぼうか。

………漆黒の影を思いながら黄金は瞼を落とした。




水面に埋もれた影



 項垂れた背など、きっと誰も知らない。そう解っているからなにも言わなかった。
 言ったところでどうする事も出来ない事くらい、自分には痛いほど解るから。
 「……………」
 仲間たちと引き上げる背中は少し遠い。今まで同じ身体を共有し、その思考を眺めていた身にはこの距離が不可解でならない。親しいわけではなく、彼になりたいわけでもない。もう一度同じ身体に戻ろうなど、思う気もない。
 それなのに、微かな寂寞がこの身を空虚にする。
 …………24年間、自分はいなかった。影が居座り己を殺し、そうして我が物顔で生きていた。
 こんな苛立たしい事があるだろうか。だから、消そうと思った。彼の痛みが染み着いたこの身は、彼を見ると慟哭したくなるほど切なくなるから。
 だから伸ばした腕は彼を貫き赤く染まるはずだったのに、彼はそれすらなんて事はないように躱した。
 己を殺そうとした者をあっさりと許して、受け入れて。なんでこれほどまでに愚かになれるのかと、罵りたくなる。
 俯き半ばまで瞳を閉じていたキンタローは不意に近付いた気配に眉を上げる。それはあまりにも近しすぎて気配と感じないほどの空気。傍に来るはずがないと思い込んでいたから、さぞかし自分は間の抜けた顔を晒しただろう。もっとも、周りの反応からいって険しい顔を浮かばせたに過ぎないようだが。
 「ちょっと…いいか」
 微かな笑みが口元に浮かぶ。声は、低く静かだ。彼らしい深みのあるそれに辺りに走った緊張が解かれた事を知って忌々しそうに舌打ちをしそうになる。……この声のどこに、安心を喚起させるものがあると言うのか。
 こんなにも、打ち拉がれている。手放さなくてはいけなかった愛しい島と、いなくなった無二の友を思って泣いている。
 それに気付かせないだけの胆力をその身に携えた男は、知っているのだ。己の身にどれほどの視線が常にまとわりついているかを。だから、気を休めるときすらなく不遜な笑みを身につけるに至ったのだけれど。
 どれほどの人がそれに気付いているのだろうか。………否、誰も気付いていないからこその、この仕草と言うべきか。
 誘導するように前を歩く同じだけの背を見遣りながら苦々しさが胸裏を占める。背後には、視線。微かな不安を灯して捧げられるその視線の主たちは、それでも眼前の男が倒れる事はないと疑いもしない。
 信じる事は正しいだろう。………けれどそれは同時に相手を縛る枷だ。
 愛しいと囁く事で籠の鳥にした者と大差ない。その愚かさが無自覚だからこそ、質が悪い。
 いっその事、破壊しようか。この腕にはそれだけの力が秘められている。そうすれば自分も……彼も、自由を得る事が出来るのかもしれない。世界にたった二人きりになれば、他のなににも束縛される事なく互いを見る事が出来るのかもしれない。そうでなければ周りの情報と視線に晒され続けて、なにも見えなくなってしまう気がする。
 「…………そんなことも、ねぇからな」
 わずかに開閉される相手の指先を知ってか、ぽつりと晒された音に身体が凍てつく気が、した。
 その声を自分は知っている。
 幼さに耐えかねたように微かな震えとともに落とされる音。噛み締めるように、己の無力を呪いながらも進む先を求めて足掻く響き。
 ずっと。…………ずっと…響いていたのだ、これが。
 痛み続けて傷つき続けて。そのまま朽ち果てればいいものを深き心は疲弊を灯しながらも何一つ見限れず、僅かずつ壊れながら歩んでいた。そうしていつも、呟いていた。大丈夫なのだと。立てると、言い聞かせるようにまっさらな音のまま。
 なんの飾りもなく、誰かに与える為の声ですらないそれは内なる音色。
 己自身以外に知る者のない音を晒す意味に気付かないほど、未だ自分と彼は隔てられていない。
 「なんで………」
 愕然と呟いた自分の音もまた、同じ響き。
 一度として自分を知った事のないくせに。それでもどうして解るというのか。
 壊したい理由。その深さ。………憧憬とともに嫌悪を覚える性情さえ、彼は知っているのか。
 ………感じ取って、しまうのか。
 「この先どうなるかわからねぇし、同じ場所にいるとも限らないだろ」
 自分の出生を知り、その確執も知ってしまった。同じような時間が流れると断言も出来ない。溺愛されているからこそ、己を戒めるように断罪する声はいっそ美しいほど透明だ。
 「まあ俺は一人でも平気だけど、お前はそうもいかねぇだろ」
 生まれたばかりの赤子と同じで感情表現すら稚拙だ。もしも片方しか残る事が出来なければ、打ち消される方がどちらか覚悟しているのだと晒す音。
 ………他の誰が反対しても、己は賛同するその道を歩むと、その声は言う。一人消えるつもりなのだ、と。
 過剰なまでに期待して、磨り減らす事しか知らなかった一族の為に、また再び己を犠牲にするつもりなのかと眉に憤りを秘めて睨みつける。
 振り返った誰かは、笑った。
 …………そんな顔は、知らない。睨む視線すら影を潜めて呆然とそれに見入った。
 泣きそうな、笑み。感情をそのままに残したそれは晒されるはずのない内面の色。決して、他者に与えられるはずのないものが現れている事実を受け止めきれない。
 息を飲む。自分は言葉が稚拙だ。それだけでなく、表現というもの自体がまだ解らない。それの意味を感じ取っても、違うという言葉をどう伝えればいいかが解らない。
 そう思い至り…………腑の奥に落ちたモノがある。
 苛立ち憤り妬みに憎悪。あらゆる負の感情の底辺に残されたまま誰にも触れられること厭っていたモノ。自分自身ですら穢す事を恐れて近付かなかった根源の唄。
 ゆったりとそれが流れ、身体を満たす感覚に溺れそうになる。
 その小さな変化を自分の言葉に困惑していると受け止めたのか、微苦笑はゆったりと消えて俯き、あの島にいた子供に向けるような穏やかなそれに変わっていく。
 形の良い唇が動き、音を綴る。
 「だから、俺は…………」
 美しい音色。穢される事をいつも厭っていた原始の唄。
 その綴る先は聴きたい唄ではないと無骨な指先が唇を覆う。語るなと戒めるように。
 言葉など知らない。感情の爆発すら、軌道を逸れるのだから。
 どう表せばいい。………この不可解な思いの所存を。
 開きかけた唇は閉ざされ、再び開かれる。幾度か繰り返されたその行為の中に眠る思いに気付いたのか、覆った指先の下で、笑みが落とされる。
 ふんわりと細められた瞳の中、覚悟と贖罪が混じり……流れ落ちた。
 拭うという仕草すら思い出せず、その水を舌で掬えば苦く身を流れた。
 幼いその仕草を微かに身を竦めて受け止めて、己の言葉を覆ったままの指先に触れるとその戒めを解かせた。
 「わかってんのか? 後悔……するかもしれねぇぞ」
 別離の言葉を拒否するのであれば、傍にいる事を認める事になる。それはつまり、いまも変わらぬ愛情を注ぐ父を思えば頂上に座る機会を逃す事でもある。
 そんなものに興味のない自分を残してどれほどの意味があるのかと自嘲げに言ってみれば、何故か包まれた身体。
 …………微かな心音が同じ速度で流れる特異の一瞬。それを受け止めつつ、晒された初めての言葉。
 「かしずく気は、ない。が………」
 躊躇うような一瞬の空白の後、込められた力とともに幼い音が捧げられる。
 「貴様以外が、まだ見えない……………」
 憎しみでも憤りでもなく。ただただその影だけが自分を占める。
 己が消えるようで恐ろしくて消したかったものは、けれど消えると解った瞬間に求めるものに変わった。
 それがなんであるかなどわかるはずもない。
 わかるのはただ……手放せないという感情だけ。
 だから消えるなと願う唄はすんなりと身に染みて、再びあふれかけた涙をゆっくりと瞼に溶かした。
 意味も願いも後々誰かが定めるもの。
 それなら今はただ、この腕を伸ばす。
 拙く辿々しい腕は躊躇いのない所作で捧げられ、幼い子供を抱きとめるように深い腕に包まれる。

 同じ者に戻る事は不可能で。
 そんな事願いもしないけれど。

 それでも自負が、生まれた。

 彼を知る事の出来るのは自分なのだと。
 そして。
 自分を知る者はまた、彼だけなのだ、と…………








 キリリク2600HIT、パプワでキンシンでした!
 書きはじめて速攻のリクなのでちょっと幸せ。同志はいるものです。

 今回はパプワ島からガンマ団に帰る最終回の補完のようなイメージで。
 見事な変わりっぷりの彼の初めの一歩。
 この時はパプワいなくなった直後なのでうちのシンタローは普段以上にすばらしい落ち込み具合です。いっそ鬱陶しいわ(笑)
 でもそういうの飲み込んで笑おうとする不具合を、内側に居たからこそ知っていると示す手がほしいな、と。思ったのです。
 ひとり立とうとする意志は誰かに認められて初めて強さに変わると思うので。
 そうでなければただの独り善がりの自己満足さ。

 この小説はキリリクを下さった才堂エリナさんに捧げますv
 ひっさしぶりの申告嬉しかったです〜v またなにか機会がありましたらお声をかけて下さいませv