僕と一緒にいつもいたのは黒い髪の男の子。
活発で向こう見ずで無鉄砲。そのくせ全部きっちり計算していて無駄もない。
呆気にとられるのと惹かれるのは同時で、決して自分には真似できない輝きに目を奪われる。

ねえ、待ってよ。
もうちょっとだけでいいから歩こうよ。
そんなに駆け足で、一体どこに行くの?

隣にはいつも彼がいた。
見上げた先には雄々しく動くその背中。
肩を並ばせる事なんて出来ないんだろうけど、自分には自分の特技がある。
いつかそれで彼の手助けが出来ればそれでいい。
頭脳(ブレーン)としての位置あいが、自分には似合っている。
…………それなのに。

ねえ、待ってよ。
もうちょっとだけでいいから歩こうよ。
そんなに駆け足で、一体どこに行くの?

…………ねえ、その隣にいる人は、誰……………?





一定の距離



 むっとした顔が自分でも解る。我ながら幼い反応だと思わなくもないけれど、だからといってそれを隠すつもりもなかった。
 腹を立てる理由は十分あって、それをきちんと彼等は知っている。それなら聞き分けのいい振りをするよりも目一杯我が儘な顔をした方がましだ。
 「…………………」
 呆れたような溜め息が耳に触れる。これはシンタローのものだろう。重そうな溜め息が次いで聞こえた。こちらはキンタローか。
 普段の横暴さからは考えられないくらいシンタローは溜め息をつく事が多い。それはふとした拍子に漏れてしまったというようなもので、特に深刻なものは滅多にない。
 それでも自分は知っている。そんな癖を身につけたのは、結局は極稀にある深刻さを気づかせない為の隠れ蓑だ。
 わかっていたのは自分だけ。そんな癖がある事すら知らない人が大部分だった。誰よりもシンタローを知っている自負があったし、わかれるのは自分だけだと、誇っていた。
 はじめにそれを覆されたのはあの島だった。笑う事を忘れた彼が、笑っていた。苦しそうなそれではなく、心から零されるもの。
 悔しかった。あんな小さな子供に自分は負けたのかと、思った。一緒にいたそれまでの24年が、どれほど軽くちっぽけなものかと言われたようで、恥ずかしかった。
 噛み締めた唇の下、嗚咽ではなく憤りの息を落とす。それは気づかれる事を前提とした仕草。
 それに小さく笑い、シンタローが手に持ったカップをグンマの前に差し出して声をかけた。
 「なんだ、随分機嫌が悪ぃじゃねぇか」
 「おかげさまでね!」
 どうしてか、なんて全部お見通しのくせにと拗ねた目で睨んでみればそんなもの歯牙にもかけない不敵な笑みが返される。小さな頃から大好きな、王者の笑み。
 支えたくて守りたくて、いつだって傍にいたのに。それはいつの頃からか消えて………そうしてついには彼自身すら、消えた。苦しそうだと解っていたのになにも出来なかった自分を、それでも彼はまた認めて傍にいさせてくれている。
 それは嬉しい。たった一人の自分の従兄弟は、いるというだけで自慢な存在だった。隣にいてその肩を支えて、不敵な笑みが消える事のないように一緒に立ち向かうものでありたかった。
 だというのに、帰って来た彼の隣はいつも同じ顔が佇んでいる。唐突に現れたもう一人の従兄弟。どこか自分に似ている同じ色を携えた彼を、決して嫌ってはいなかった。
 嫌ってなどいないつもり、だった。それでも流れる時間とともに沸々と湧く感情が決していいものではない事も解っていた。
 子供のようなそれは、嫉妬。羨望でもあり、恫喝を込めた妬み。
 シンタローを見上げた時とは明らかに色の違う瞳で向けた視線の先には、先ほどから無表情に室内の片隅に佇んでいる影のようなキンタロー。それに気づかないわけがないのに相手は一向に無頓着に外など眺めている。まるで室内に自分などいないかのようだ。
 それに気づいたのは自分だけではない。自分よりもよほどそういった事に聡いシンタローが呆れたようにキンタローに視線を向けた。それにはすぐに反応があり、交わされた視線の中の言葉は……グンマには読み取れなかった。
 それに更に機嫌が悪くなる。昔、そうした仕草をシンタローが見せる相手は自分だけだったのに。
 渦巻く感情がはけ口を求めている事くらい解っていたけれど、それを吐き出す相手は……けれどこの世で一番傷つけたくはない存在だった。仕方なしに噛んだ唇でそれを飲み込み、おさめるようにシンタローが寄越したカップに口を付けた。
 「…………っつ!」
 途端に舌先に痛みが生じた。自分が猫舌と知っているシンタローが渡したのは、かなりの温度を保ったままの紅茶だった。ミルクも入っていないそれは緩和剤もなく火傷をしただろう舌先がジンジン痛む。
 「っと?! あ、悪い! 火傷したか?」
 渡したカップをのぞき、自分用と間違えたらしいシンタローが少しだけ慌てた声でグンマを伺う。口元を押さえて頷いたグンマに仕方ないと小さく息を落とす。
 「おいキンタロー、氷貰ってくるけどその間に逃げんなよ!」
 奇妙な言葉をキンタローに投げかけ、シンタローは不可解げな視線を向けたグンマに片目を瞑るだけで応えるとドアを開けて部屋を後にした。
 あの似残されたのは気まずささえ凍り付いた空間にただ押し黙る沈黙。
 わざわざそれを破る理由もないと痛みをやり過ごそうと舌先を転がして探っていたグンマの耳に触れたのは小さくとも長い溜め息。
 「言いたい事があるなら、言え」
 押し黙ったままでいられる方がよほど気味が悪いと響いた音の中にある、微かな憐憫か。
 カッとなったのが何故かなんて、誰も知らない。ただ自分だけが知っている。ヒリヒリと痛みを訴えていた舌先に取って変わり、眼前すら赤く染める痛みが全身を襲う。
 傍にいたのは自分だった。彼を知っているのも自分。親族の中で誰よりも近く、誰よりも彼に愛されていたのに。弟という立場以外で唯一彼が心開いてくれたのは自分だったのに。
 まるでそれら全てが夢想だと嘲笑うかのようにいる存在が気にいらない。
 自分から、彼を取っていく存在が妬ましくて………何よりもそれを見ていることしかできない無力な自分が歯がゆい。
 「じゃあ言わせてもらうけどね!」
 声が甲高く響く。ヒステリックな女のようだと自身を笑う声が脳裏に響く。
 愚かしくみっともない。こんな自分が、総帥として威風堂々と立ち向かっている人の隣に相応しいわけがない。
 それでも願いは尽きる事なく湧くのだ。どうしようも、ないではないか。
 「今日は僕と一緒に遊ぶはずだったんだよ! シンちゃんと、僕で! なんでそれなのに………!」
 勝手にメンバーに加わっていた彼。決して彼自身が望んだわけではあるまいとは、思うけれど。
 そしてそう仕向けたのが誰か解らないわけがない。彼が反目しあう自分達を望まない事だって知っている。血の……確かに血の繋がった従兄弟は自分達なのだと、どうせ寂しそうな目を見せる事もなく考えているのだ。
 知っている。解っている。こうして叫ぶ事すら彼を悲しませる要因だ。それでも止まらない。あふれる涙を塞き止めるだけで精一杯だ。
 「…………そうだな」
 糾弾するかのような叫びすら受け流すような無色の音がぽつりと落とされる。そこに込められてはいない感情に火照った頬が更に熱を持った。憎しみすら携えて向けられた視線の先には、知らない人間が佇んでいたけれど。
 静かな、面だった。
 能面のようだと、初め見たときに思った。いや、姿形であれば歌舞伎か。どちらにせよ、それは定着し崩される事のない仮面のようだった。迸る激情さえ、それは歪んだもので、頑なまでに閉ざされたその命の姿を現すものではなかった。
 今もそれは同じはずだった。否、それは初めて顔をあわせた頃よりもよほど無表情のままだ。変えられる表情全てが抜け落ちたようだと感じていた、整った人形の顔。
 それに命を灯らせる一筋の軌跡。瞳を下り頬を滑り、顎先から床に落ちたそれがシミを落とすよりも僅かに早く、静かな音は再び響く。
 「いつであってもお前は……あいつの救いだ」
 一族の中、全てが彼に求めるものがある。それから離れる事のないこの従兄弟は、けれどその中でも精一杯彼自身を見ようと腕を伸ばしていた。
 幼く滑稽で、けれど潔く美しい。
 何一つとして彼の携えるものを持っていない劣等感を、それでも鬱々と燻らせるのではなく笑みという煌めきの中で霧散させ慕う事をよしとする純正。
 他の誰にも決して真似は出来ない。それは至純の仕草。
 「俺には………出来ない」
 その肩を支えられるだけの力を持っている。諌め、塞ぎ止める為の力を持っていても、なんの救いもない。
 自分では疲れたものを癒す術がない。それを熟知しているからこそ、見るのが辛い存在がある。
 「俺ひとりでは…………どうしようも…ない…………」
 互いに求められているものが違い過ぎる。そして、相手に求めるものをこそ、自分達は求めて欲しいと思っている愚かさ。
 解っていても、止まらない。
 静かすぎる涙の下の、それは激情。………言葉に換えてもなお姿を見せないのは、かつての島で壊れた意志の欠片の歪みか。
 解るわけもなく、この先、解ろうと努力するかも断言は出来ない。
 それでも湧いたのは、憐憫。彼が自分に向けただろうものと同質のそれは、確かの互いに疎ましいものかもしれない。
 けれど……たとえ疎ましき感情であっても向けられれば関心に変わる。そうして……いずれは相手を理解し思う事があるのかもしれない。
 確信もない荒唐無稽な飛躍的解答。それでも…………きっと自分達の願う存在が求める解答はそれだった。
 馬鹿馬鹿しいと手放せるだけの勇気は、持っていなかった。それがどれほどのくだらなさを携えていても、それにいっそあやかりたかった。
 「………誰だって………ひとりじゃ無理だよ」
 かつて自分に言ってもらいたかった言葉を、いま自分自身で誰かに言う滑稽さ。痛ましいと思うのはきっと……彼があまりに幼い頃の自分に似ているからだ。
 だから疎ましかった。自分では出来なかった事をする彼が、まるで自分の夢想の中から生まれた化け物のようで。
 けれど違うから。………彼は彼で、自分ではなく。そして今、かつての自分と同じように悲しみと苦しみの中で必死でそれに溺れぬように歩いている。
 「ひとりで……誰かを完璧に支えるなんて……無理に決まってるんだよ」
 だから………二人でいいのだとは、まだいえない。
 彼の為に分かれた従兄弟。二人に増えた、血の繋がり。
 その全てを孤独に戦う彼の為と言うわけではないけれど、そう夢見てもいいではないかと言い聞かせる。
 互いに鏡写しのようにこぼれ落ちる涙を眺め、ふと思う。

 確かに血は繋がっているのだ、と……………………。








 キリリク10000HIT、パプワでキンシン←グンでした!
 これぞキリ番!と言う数での申告は滅多にないので嬉しいものです。危うく自爆するところでしたしね(笑)

 この従兄弟書くのは楽しいですね♪
 私は3人とも好きです。みんながみんな、それぞれ違う形でちょっと歪んで、それでも精一杯生きようとしている健気さが。
 グンマは結局はどこかおぼっちゃん。育ちの良さとかじゃなくね。誰かを永遠に憎み続ける事はまず出来ないな、と思う。一度でも相手の悲しみとかを知って、それに理解を示してしまったら最後、哀れみとか、そう言うものの方が強くなっちゃう。
 優しさと言うのか軟弱と言うのかは人それぞれ。
 戦う強さと同等に、戦わない強さはあるものだと思います。

 この小説はキリリクを下さったみかげさんに捧げます!
 パプワ→PAPUWAへの移行段階にしてみましたが……こんな感じでよろしかったですか?(汗)
 この辺はみんな持論がありそうでなかなか緊張するところです。