「あら………?」
 「え?」
 思わず目に入った光景に同じ驚きに染まった声が重なった。
 そうしてどちらともなく顔を見合わせる。
 互いに開きかけた唇を思わず交差した手が隠した。
 …………なにせ、こんな事は滅多にないのだから。
 先ほどまでは無遠慮に歩いていた足音が鳴りを潜めてゆっくりこっそりそこに近付いた。
 島の中でも太いヤシの木が大振りな葉で足下に陰を作っている。からりと渇いた風は微風で、日差しさえ避けれる事が出来ればなんとも快適な天候だ。だからこその姿か。
 微かな微かな寝息がそよ風の吐息に混ざって耳に触れる。柔らかな陰がそれにあわせるように微かに揺れていた。その幾何学模様の下、すらりと伸びた四肢がゆったりと微睡んでいた。
 長い黒髪は括られて背中へと回っているが、時折風に遊ばれ顔を覗かせている。
 「珍しいわねー、シンタローさんがひとりで昼寝なんて」
 「ホントよね。パプワくんたちがいれば一緒に寝る事もあるけど……大抵その間に家事やっているものね」
 小声でひっそり話しているとそれに触発されたようにぴくりと眉が動く。起こしてしまったかとびくついたがそういうわけでもないらしくそのまま首を軽く巡らせて寝息は続いた。
 ホッと息を落とすと日差しが柔らかくなった。空を見上げてみれば薄雲に太陽が包まれたところだった。まるで太陽すらシンタローの眠りを守るようで、二人は少し含み笑う。
 いつも文句ばかりいって不貞腐れたり反抗したり……どこか子供じみた真似もするくせに、結局最後の最後、彼は何もかも自分で背負う。
 その上結構完璧主義だ。自分がやると決めた事は何が何でも完遂させてしまう意志の強さは、この島ではひどく珍しい。誰もが気楽にのんびり生きる中、彼の生き方は灼熱にも似ていた。
 でも永遠に燃え続ける火種があるわけでもない。燃やす要素が必ず必要だ。燃える為の材料は、彼の場合は加護するもののようだけれど、それが故の生き様は見ていて時折痛々しい。
 自分の我が儘と思い込み、生きているのだ。己以外の為にその身を捧げて。
 愚かと言われかねないその姿は、けれど無意識故に美しい。もっとも、そんな事を本人に言ったところでくだらない事を言っていると怪訝に見られるのだろうけれど。
 「ホント…珍しいわね」
 溜め息に近い囁きで呟けば沈黙が降り注ぐ。鳥の声がゆるやかに流れ、遥か遠く、さざ波が響く。
 しばしその絵画的な空間の一部に溶けたあと、イトウとタンノは互いに息を吐いて目を合わせた。
 ほんの少し茶目っ気のある、楽し気な視線で。
 言葉に変えなくても同じ事を考えている事は知れた。だから二人はやっぱり目を細めて笑い、そそくさとその場をあとにする。…………出来うる限り音を立てないように気をつけながら。
 あとに残されたシンタローの元にはただやわらかな日差しと穏やかな風、自然の営みの音楽だけが残され、その眠りの邪魔をするものはしばしの間訪れる事はなかった。


 「ハロー、パプワくん」
 「お邪魔するわねv」
 突然ドアをノックして声をかければ中ではパプワとチャッピーがんばば踊りの練習をしていた。ちょうどフィニッシュを決めたところだったのでその姿のまま停止して首だけ巡らせると、パプワは二人に答えた。
 「やあ、イトウくん、タンノくん。シンタローならいま出かけているぞ」
 ぱっと取り出した扇子を開いていう声はどこか弾んでいる。それは隠そうにも隠しきれない躍動に似ていた。お気に入りの人間のいない時のその様に少しだけ違和感を感じ、イトウとタンノが同時に問いかけようとした時、背後から別の誰かの声が響いた。
 「パプワく〜ん! 用意できたー?」
 「準備ばっちりできたから早く行こうよ!」
 ワクワクと弾む声はどこか歌うようだ。少し上気した顔が急いでやって来た事を知らせている。
 「あら……エグチくんにナカムラくんじゃない。なーに、パプワくんとお出かけ?」
 背中のリュックを見ながらイトウが問いかけると二匹が照れたように顔を寄せて笑う。どこか子供同士が秘密の話をする時の仕草に似通っていた。
 その微笑ましさに目を細めたイトウとタンノだが、続いて聞こえたパプワの言葉にざっと顔が青ざめた。
 「はっはっは。今日はシンタローが弁当を作って一緒にピクニックに行く約束をしたんだ。な、二人とも」
 「そうそう〜v すっごく楽しみにしてたんだ!」
 「近頃忙しいからってあんまり遊んでくれなかったからね」
 はにかむように顔さえ赤らめて嬉しそうに言った二人は心からそれを待ち望んでいる事が見て取れた。
 島に来てさほどの時間が経ったわけでもないが、それでもシンタローはもう既に島にいるものたちみんなに島の住人として受け入れられている。むしろ好感を持たれていると言って差し障りはなかった。ただそれに対して未だ他人行儀な面が…………どこか息苦しそうな顔がのぞきはするけれど。
 けれど誰もが同時に知っているのだ。どれほど彼が拒む素振りを見せても、帰るのだという言葉を口にしても、心はこの島に染みている事を。………こここそが彼の生きる場所なのだと、彼自身より先にみんなが知っていた。受け入れられた命だからこそなどとは言わない。
 ただ彼の傍にいる事が嬉しくなるのだ。その腕に頭を撫でられる事が嬉しい。その声で名を呼ばれ約束を交わす事が嬉しい。ただ………心地いいのだ。彼という命の醸す風の感触が。
 だから久しぶりに遊べる、しかも一日を独占できる。それが嬉しくて仕方がない。
 そう顔を綻ばせている二匹と、一緒に同行するパプワとチャッピーは浮かれていた。それこそ、未だ帰ってこないシンタローに疑問を持つ事も忘れるくらいには。
 少し顔を青ざめさせ、ぽつりと確認するようにタンノが隣に立っているイトウの殻を軽く叩き問いかける。
 「え…………でも……」
 「シッ! タンノくん、行くわよ!」
 ぎゅっと口を閉ざさせ、慌てたようにイトウが叫ぶ。きょとんと、驚いたようにエグチとナカムラが顔をむけた。そのあどけなさに一瞬痛むものがあるが、いまはしかたがない。優先事項が、あるのだ。早く彼をここに連れてこなくてはいけないと使命感にさえ燃えてイトウとタンノは駆け出そうとした。もはや彼の代わりに家事の代行を、などと言っている場合でもないと十分理解していた。
 その背中にのんきとさえ聞き取れる声が響いた。
 「早く用意してこないと置いて行くからな〜」
 シンタローが来次第出発だと明るく報告してくれる声に応えるように手を振ってイトウとタンノは全速力で先ほど来た方角へと舞い戻って行った。
 不思議そうにその後ろ姿を見ていたエグチとナカムラの更に奥、パプワとチャッピーはきょとんと顔を見合わせていた。………なんとなく、嫌な予感を感じさせる背中だと思いながら。

 日差しは柔らかい。南国の島の割に今日は存外太陽が優しかった。
 だから……かもしれない。
 普段なら考えられない失態だ、と思わず顔を覆う。
 「シンタローさん、ほら、落ち込んでいる暇ないわよ!」
 「そうよ! みんな戻ってくるのすっごく楽しみに待っていたもの!」
 慌てたように自分の周りを行ったり来たりしつつ喚いている声が脳まで到達しない。…………かなり混乱していたのだと理解出来るだけの理性も動かなかったが。
 ゆっくりと息を吸って吐き、脳内に新鮮な酸素を入れると何があったのかを思い出してみる。慌てないように……けれど出来る限りスピーディに。
 はじめは……そう。今日は約束の日だとパプワに朝早くに起こされたのだ。
 そして渋々ながらピクニック用に弁当を作り始め………弁当は完成したがデザートがなくて、時間がまだあるしと取りに来た。ここまではちゃんと記憶にあった。が、しかし……この『取りに来た』からウロウロ動いている二匹に声をかけられるまでの記憶がまるでなかった。
 どう考えてもこれは居眠りをしていた。いくらこのところあまり寝ていなかったとはいえ………約束をし、時間の迫った頃にうたた寝をしてしまうなんて失態、いままでした事もない。
 「ほら行きましょ。今なら大丈夫よ。誰も気づいていなかったし」
 「あ、でもまだデザート……」
 「そんなのあとあと!」
 グイグイと背中を押されてようやく思い出したように立ち上がればすとんと頭の中に入ってきたのはなんとも言えない罪悪感。
 ………別に、絶対に守らなくてはいけない事ではなかった。むしろ強引にとりつけられた約束だ。反古したところで痛くも痒くもない。いずれは帰るのだ。この島に居続けるわけでもなく、慣れ合う気もない。弟の元に、行くのだ。何もかもを振り捨てて。それならば丁度いいではないか。自分などを信じて甘え、心を許す必要はないのだと、そう教え込むいい機会だ。約束すら守らない最低な人間と…………
 それなのに……なんと言えばいいのだろうか、この心持ちを。
 胸が締めつけられる?
 喉が嗄れる?
 …………息すら、掠めとられる?
 まるで泣き出す前兆のような感覚とともに渡来する、この心持ち。
 「…………シンタローさん?」
 ポッカリと抜け落ちたように考えが浮かばない。なんと言って戻ればいいというのか。
 他愛無いことな筈なのに忘れてしまった。ちょっとした過ちを許してもらう為にする方法。言葉も態度も思い出せない。………あんなに、楽しみにしていたのだ。あの小さな子供は。
 無表情で解りづらいと思ったのはほんの初めの頃だけ。すぐに言葉の中、仕草の先、あらゆる感情とともに自分を迎え入れている事が知れた。この島と同じように、異邦人すら受け入れ認める広く深い心。
 時に大人すら凌駕するそれは、約束の日だと、ひどく浮かれて楽しそうだったのだ。
 ただの子供と同じ、ただただ遊び相手がいる事を喜ぶ心とともに差し出された指先。
 …………守りたいと思っていた。あの幼い笑顔。たったひとり自分と血を分けた弟。いまは遠く離され会う事すら禁じられた愛しい存在。
 それだけを思い生きていた自分を、一時だって忘れる事はない。けれど、いまこの島で感じるものは……それが手に入ったときに感じるはずのものばかりなのだ。
 「なにを惚けているんだ」
 唐突に響いた、音。
 何よりも揺るぎなく妙なる響きで人の耳に触れる幼い声。とたとたと近付く足音が一緒についてきた。
 シンタローの背を押していた二匹がびくりと固まった。けれどシンタローはそんな事に気づかないように呆然と前方にいるパプワとチャッピーを見遣る。その後ろにはエグチとナカムラもいた。二匹は少しだけ不安そうな顔をしている。………いや、心配、と言うべきか。
 「デザートを取りに行く程度で時間がかかり過ぎだ。ほら、さっさと行くぞ」
 むっとしたように視線を鋭くし、パプワが急げと手を差し出す。たった数歩の距離だ。シンタローの足であればそれこそほんの一歩で届く。その一歩は自分ではなくシンタローが歩むべき距離というように子供は動かなかった。
 「あ……………」
 なんと、言えばいいのだろうか。
 悪かったも、ごめんも、何もかも許すように……なにもなかったかのように振舞う者の前ではあまりに空しい言葉だ。綴る音が見当たらない大人は無辜の子供を前に動けずに佇む。
 それを見遣った幼い視線がやんわりと暖かみを醸す。
 …………大人は本当に不器用だ。横暴に振舞おうと思えば出来るくせに、それすら忘れてどうすればいいのかと息を飲む。
 簡単ではないか。何もかもなかった事でいいという相手ならば、忘れていつもと同じ笑顔を差し出せばいいだけなのに。それなのにその顔は悪いのは自分なのだと、まるで罰を欲するかのようだ。
 「シンタロー」
 声に願いを込めて名を呼んだ。その手の動きは視線を合わせる事を願う仕草。それを知っているシンタローが躊躇いがちに膝をつく。
 伸ばされる小さな丸みある腕。自分の指先ほどしかない手のひらが真っ直ぐに自分に向かってくる。
 そうして、ぺちりと、子供の力を考えたならそれこそ触れるほどに優しくその指先が罰を与えた。
 「待ちくたびれたぞ」
 甘えるように、たった一言。早く早くと願っていたのは自分だけではないけれど、それでも見えないその姿にずっとワクワクと待っていたのだ。ただいまと、そう言って帰ってくる姿を。
 こここそが帰る場所と言って欲しいのは自分の我が儘。だから言いはしないけれど……いまこの時、自分の傍らでこそ、帰ってくる言葉を囁いて欲しいと願う事くらいは許されたいのだ。
 小さな小さな我が儘は深い祈りと願いを折り込んで捧げられる。そんな事知りはしないはずの大人は、けれど困ったように笑って、子供の頭を優しく撫でた。
 「悪い……待たせたな。一回家に帰って荷物取りにいかねぇとな」
 「……大丈夫なの、シンタローさん」
 「一緒に行ける? 具合悪くない?」
 ドキドキと心配そうにエグチとナカムラが傍に寄ってくる。ぺたぺたと肉球のある手のひらでシンタローの身体に触れて問いかける。
 もしここで具合が悪いのだと、そういったならきっと泣きそうな顔をしてピクニックの事など忘れ、早く帰ろうと言うのだろう。幼さは、時に深い優しさと同じだ。自分の事すら忘れて誰かを思いいたわる事の出来る心。
 それをこそ、好んでいた。知っている。…………この島の居心地の良さとともに息苦しくなる神聖さ。
 「…………大丈夫だって。ほら、今日は沢山弁当作ったんだ。気合い入れて食えよな?」
 小さく笑い、あやすように二匹に腕を差し出せばじゃれつくように肩に乗りしがみついて離さない。
 それを見遣って少しだけ不貞腐れたように視線を逸らし先頭を歩き始めようとしたパプワの小さな腕を引いた。両肩には動物を、指先には子供を。………少しだけ滑稽で歩きづらいけれど、それでもぬくもりを分かち合いたいという時はあるから。
 苦笑のように笑い、振り返る幼い子供の嬉しそうな笑みに深まる安堵を感じた。
 そうしてふと、すっかり忘れていた存在を思い出し、首だけを巡らせて背後にいるはずの二匹に声をかけた。
 「ああ、イトウ、タンノ。荷物持ちを手伝うんなら一緒に行くか?」
 ぶっきらぼうで照れ隠しをした、誘いの言葉。
 押し掛けるつもりではあったけれど、こうして一緒にと誘われて嬉しくないわけがない。
 「もっちろん!」
 声を揃えて答え、いそいそと二匹もまたシンタローたちについて歩き始めた。








 キリリク14082HIT、パプワリクで「シンタローとナマモノの日常話」でした〜v
 …………………遅くなり過ぎです。ごめんなさい(汗)

 今回はナマモノと言う事でいつも通りのイトウ&タンノの他にエグチ&ナカムラにも出ていただきました〜v この二匹は初めてかしら??
 ちなみになんで今回の小説の冒頭部分にいつもある詩がないかと言いますとですね。
 ……………イトウくんの恋愛詩になったからです(遠い目)
 違う。これは内容にまるっきり添っていない。いや、個人的には書いてもいいけど!!(汗)と自分でつっこんで破棄しました。
 半分くらい書いていた辺りでかなりキリリク小説ではなくこのまま二匹のほのぼの恋愛話で別のモノにしようか悩みましたよ。アッハッハ。
 でも結局他の子たち出してナマモノ多くしてキリリクにしましたよ。
 理由→パプワがあまり出ていなかったから。
 ……………それが理由もどうでしょうか(本当にな)

 この小説はキリリクを下さったリンドウさんに捧げます。
 本当に長々とお待たせしました。月が変わる前にお届けできて良かったです〜(汗)
 これに懲りなければまたお声をおかけ下さいませ…………(涙)