理由なんてさしてない。
ただそれだけが全てと思える瞬間があるのだ。
常だなどとは言わない。そんな執着、狂気じみている。
だからせめて時折、そう思うことを許されたい。

己の感情の不確かさなんて、
嫌になるほど解っているのだから…………





傷痕の残すもの



 何が悪かったというのだろうか。
 一瞬、そんな陳腐極まりない台詞が脳を過った。それを自身で確認し、シンタローは小さく溜め息を吐いた。
 今日は珍しく一日フリーだった。ガンマ団に戻ってからというもの、ただひたすらに引き継ぎ事項と改革案のまとめ、組織づくりと休む暇がなかった。だからこそ今日という休暇を周りは正式な政権交代を行う前に与えてくれたのだろう。そうでなければ自分が休まないと解っていて。
 その心遣いは正直くすぐったくはあるが嬉しかった。なんだかんだいっても自分には味方がいると励まされる。
 だからこそ甘受した休暇は、けれど今まさに休暇でなくなっている。
 「なんだってこうなるかな………」
 「それは日頃の行いというものだろう」
 溜め息のような呟きが聞こえていたらしい隣の人物がそれに答える。現状などおかまいなしに、いつもと同じ無表情な顔だ。
 それを眺めながらむっとしたように眉を寄せ、シンタローは小声で反論する。
 「テメー、厭味まで覚えたのかよ」
 「…………? そういった言葉のときの常套句ではないのか?」
 「…………………もう一度教育やり直させた方がよさそうだな………」
 心底不思議そうなキンタローの言葉に辟易とした顔で答える。どちらの声も、普段の横柄なものではなく、小さく聞き取りづらいくらいだ。
 辺りはしんとしていた。バスに乗っている途中なのだからもっと雑音があってしかるべきだが、何一つ音がしない。大分走っているが場内アナウンスもない。窓から見える景色は流れるように過ぎ去っていくだけで、まるで止まる気配もない。
 ちらりと車内を確認し、漏れそうになる溜め息を飲み込んだ。一体なにが悲しくてこんな状況なのだろうか。
 「……久しぶりの休暇はコブ付きで、久しぶりの日本じゃバスジャックかよ。世も末だな」
 「ガンマ団に比べればマシだろう」
 「だからテメーは……」
 「そこ、何しゃべっている!」
 二人の小声の会話に気付いたらしい二人組の男の片方が金切り声を出した。手に持っているのは小型の銃だ。女の手のひらの中にさえすっぽり収まってしまうほどの小ささなのだから、男が持っているとかなり違和感が強い。それでも威力はあり、それを初めに証明された手すりには穴があいていた。
 もう一人の犯人はサバイバルナイフを運転手に向けている。もっとも持ち方が不自然で、おそらくは見た目の派手さだけで選んだのだろうことが見て取れた。
 本来ならば自分達がいるのだからこんなチンピラ風情、一瞬で地面におとせるのだが、如何せん立ち位置と間が悪かった。目的地が近かったせいで出口に立っていた自分達と、入り口からの乱入者には距離があり、場所の確認をしていたせいでその間合いをつめるタイミングを逃してしまっていた。
 しかたなく機をうかがっているが、外はあまりにも鮮やかな青空だ。こんな風にバスに押し込められて行きたくもない場所に無理矢理連行されているのは気分を害した。
 この後のことを考えれば目立つわけにもいかず押し黙ったが、正直イライラはかなり募っている。あともう一押ししてしまえば弾けるのではないかというほどだ。
 それを感じたのだろう、キンタローが軽く袖口を引いた。ちょうど自分達の身体が重なっているせいで他の人間には見えない。意図を察し、手のひらを差し出せば素早くひらがなが書かれた。文字は『かみ』。一瞬考え、そのままキンタローの尻のポケットにしまわれたメモ帳を取り出す。僅かに動く肘は不自然でない程度に身をよじって隠した。
 手のひらにそれを持ってみればそのままキンタローがまた何かを書いていた。メモ帳には律儀な彼らしくそのサイズにあったミニペンが付いており、サラサラという音は静かな車内に響きそうで冷や汗が出た。
 しかしタイミング良く喧騒が生まれた。運転席の方で何事か話している。途切れ途切れ…というよりは犯人側の声だけが聞こえるのだが、もっとスピードを上げるよう要求しているらしい。今でさえかなりのスピードだというのに、万一のことを考えれば運転手が拒否するのは当然だろう。
 それを見ながら心臓の音が静まっていくのを感じる。今、繰り出すべきだろうか。二人の内一人は運転手にかかりきりだ。もう一人は苛ついたような顔でこちらを見ているが、彼の反射神経を計算しても、自分が間合いをつめる方が早い。あるいは多少の傷を被ることがあったとしても、最終的には何の問題もなく終結するだろう。
 爪先に体重が移動する。タイミングを計るように呼吸を深くすると、また手のひらに指先が滑った。次の文字は『うえ』。
 いいところをと思いつつ、何か彼なりの考えがあってだろうと犯人恐れたように振る舞い僅かに視線を落とし、横を見た。視線の端でキンタローの上部を確認すると、運転手が昇降口の安全確認をする際に使用する鏡が見えた。遠目でも見えるよう幾度もなぞられた線は『つぎ しんごう ぶれーき』。
 それが誰に対しての合図かは言わなくても解る。が、ある種危険な賭けだった。運転手に解るだけのサイズの文字ということは、犯人にも解るということだ。先に気付く方がどちらかによって対処の差がかなり出る。
 それでもまんじりともせずにタイミングを待つよりは動くべき瞬間が早く来るように思われた。
 しかたないかとその策に乗ることを承知するように爪先に乗せていた体重を解放し、キンタローの背中にわずかに預ける。
 運転手と犯人、どちらが先かは解らない。それでも動きが見られればそこからがスタートだ。
 静かに鼓動を大きくする心臓を聞きながら、どちらかの動きに異変がないかを油断なく観察する。と、さして時間もかからずに運転手が叫んだ。
 「乗客のみなさん、スピードをあげます。危険ですのでしっかりと捕まっていて下さい。立っている方は、座って下さいっ」
 ざわめきが生まれる。満足そうな犯人の顔。そして、その先に見えるフロントガラスには、信号。
 にやりとシンタローが笑った。こぼれ落ちたそれを急いで隠し、心の中で感心する。なかなか肝の座った運転手だ。観念したように見せ、乗客に安全を促す。その上で、立っている自分達が座るタイミングで、急ブレーキ。
 ちょうど姿勢的にはクラウチングスタートと同じだ。普通に立っているときよりも初期加速がしやすい。その上相手は己の成功に酔っており、油断した瞬間だ。その間を逃すほど、残念ながらこちらは甘くはなかった。
 加速のままに突き出した肘が犯人の鳩尾に沈む。加減はしたが、おそらくひびくらいは入っただろう。それもまた、自業自得だ。悲鳴の嵐。がたがたと荷物や人の落ちる音。それに次いで、何かの飛来物の成す空気の擦れた音。
 瞬間的な勘の良さで上体をひねる。と、髪先を何かが通り抜けた。背後の上部で金属音。
 次いで、伸ばした自分の腕。………より早く、何者かが犯人を押し倒していた。
 もちろんこの状況でそれを成せるものはたった一人しかおらず、わざわざ援護しなくても大丈夫だと心配性の彼に言おうとした瞬間、目を見張る。
 メキリ、と。他の人間が聞いても仄かに信じがたいであろう、骨が軋み砕ける音。そのショックで既に相手は気絶しているが、膝で胸元を押さえたまま、キンタローは動かない。砕いた腕も離してはいない。
 ごくりとシンタローは息を飲む。目の前に、久方ぶりに見る獣がいた。
 生まれ変わったわけではないと知っていた。彼が学習をとおし、その野生が好まざるものであるとしたが故に閉じ込めたに過ぎないことも。
 そしてそれがもう二度と顔を見せないだろうことも知っていた。その証のように、彼はあの髪を切り、スタイルを変え、腕力以外の武器を身につけようとしていた。それだというのに、いま目の前にいるのは誰だろうか。
 「………やめろ」
 苦々しく、唇を噛む。
 誰かなど、解りきっている。原因さえ解ってしまっている身でその問いはあまりに愚かだ。
 「……………」
 見上げる視線には狂おしいほどの、恐怖。奪われるかもしれない可能性への、畏怖。
 まっすぐに捧げられるにはあまりにそれは痛々しかった。場違いなほどの静謐さが身を占める。周りは変わらぬ混乱の悲鳴と歓喜の声。それでもひどく自分達は静かだった。
 「聞こえなかったのか? やめろ」
 「……………なんで」
 「自分の力加減もできねぇ馬鹿が、手を出すな」
 あまりにも強大な力を身に付けていながら、絶対的なまでに経験値がないキンタローは、ひどく力加減が不得手だ。100%の破壊は得意でも50%の破壊ができない。それはそのまま人への対処にも同じだった。
 一般の人間と自分たち一族の力の差が掴めないままだ。未だ彼は幼い精神性を引きずっている。もっとも彼が地を歩くようになってまだ半年も経っていないのだから仕方のないことなのかもしれないけれど。
 戦慄くように開閉する唇。必死で言い訳を考えているのだろう様子は滑稽なほど幼い。それを振り切り、自分の足下にのびている犯人の片割れを彼自身が着ていた上着をはぎ取って縛り上げた。縋るような視線はただひたすらに自分に与えられている。気づかぬ振りをしたまま、キンタローがのしかかったままの犯人の腕を掴んだ。………だらりとしたその感触に顔を顰めるが、指先は冷静なままに応急処置を施す。
 それをただ見つめている視線。何も言わない自分に叱られることを待つように縋る子供。
 「おい、運転手」
 「は、はい!」
 「俺らは急いでるからこれで帰る。警察になんかいわれたらガンマ団に連絡するよう言え」
 「は? え、あの………」
 「おら、名刺だ」
 言いたいことだけをいい、シンタローは胸元から出来たばかりの真新しい名刺を取り出すと運転手に一枚投げ付ける。そうして声をかけられぬようキンタローに視線で促すとドアを開くとそのまま車外に出ていってしまう。
 外はかわらず青空だった。空気も新鮮だ。大分郊外に来たようだが、これでは迎えでも呼ばなくてはどうすることも出来そうにない。本当に、とんだ休暇だ。
 「おい、キンタロー」
 「……………」
 「返事もできねぇのか、お前は」
 「……なんで怒っている」
 どうしてあんな目で自分を責めたのだと、ふて腐れているように彼はいう。もっとも彼を知らないものから見たなら、彼こそが怒り狂っているようにみえるだろうが。
 まるで解っていない彼に小さく息を吐く。やはり、もう少し情操教育を増やすべきかと思いながら。
 「言っただろ、力加減もできねぇ馬鹿」
 「………殺していない」
 小さく、呻くような反論。彼の信条を破っていないと弁解するように。
 「単に加減が出来なかっただけの癖して言い訳してんなよ」
 それを厳しく切り裂く、男の声。たった一人の、男の声。
 他のどんな人間の声でもこんな風には響かない。決して、こんなにも抉られるような感情は生まれない。
 それでも彼だけは自分に傷を与える。言葉というそんな不確かなものによって。
 「他を求めるのも大切だけどな、忘れるなよ」
 ゆっくりと、言葉が与えられる。
 「自分が持っているものを制御するっていうことの難しさを」
 噛み締めるように、悔やむように。
 彼の中の消えない傷痕。眠り続ける弟の悲しみの原因。
 だから忘れるなとそんなにも苦しそうに彼はいう。自分も同じようにならないでほしいという願いを込めて。
 …………そう自惚れることは、許されるのだろうか。
 「………………」
 「…………おい」
 恐くて、腕をのばす。先ほどの恐怖が身体の中に甦った。
 自分が生まれ落ちるための原因。かつては殺そうとし、そして今は守ろうとするもの。もしも彼が消えてしまったなら、自分は生きられない。
 生き方が解らなくなってしまう。呼吸の仕方さえ、自分は彼に教わったのだから。
 腕の中、身じろぎながら抗議する変わらぬ背の男。……かつては同じ身体だった存在。
 その鼓動を感じ、頬に僅かに走る赤い線のような傷を舐めとる。傷にすらならないだろうそれが、確かに自分のスイッチだ。
 「時と場所と場合を考えてなつけよな…………」
 溜め息とともに、それでも自分の不安と焦燥を知っているからか、彼は力を抜いて抱きしめることを許した。
 それはどこか子供を甘やかすような雰囲気があるが、それでもいい。
 ただ目の前のその存在を確かめる。その鼓動が確かであることを感じる。それだけの時間。
 空を見上げながらきっと彼は思っているだろう。
 休暇にすらならない今日一日のことを。
 いまその身を抱きしめる、自分のことを………………。








 キリ番30280HIT、パプワリクでキンシン「何か事件に巻き込まれた二人が力を合わせて解決する」でした〜。
 まるで今読んでいる小説が『アルセーヌ・リュパン』であったことを見抜いたようなタイミングの良さでした(笑)

 久しぶりのキンシンです〜。というか、久しぶりのキリリク? ずっと減らしていましたから当然ですが。やっぱり読みたい、と思ってもらえるのは活動源になりますねv 申告ありがとうございました。
 事件……ということだったのですが、いまいちどんなものを指して事件というべきかが私に解らず、結果こんなものに。
 イメージに合わなかったらごめんなさい。アクション小説はあまり書いたことがないもので(汗)

 この小説はキリリクを下さったゆづきさんに捧げますv
 なんとも微妙なアクションっぷりな作品ですが、少しでも楽しんでいただければ幸いです。