愚かだなと思っていた。
それはどこか稀薄で優しい生き物だったから。
きっと潰えるだろうと思った。
血筋が強さを与えても心は遺伝はしない。
彼はこうした世界で生きるには不向きな生き物だった。
さっさと消えてしまえばいいのに。
ここは冷たく凍った寒い土地。
ぬくもりを携えた人間がいれば凍てついて動けなくなる。
大丈夫と笑うその力強さがいっそ妬ましい。
平気である要素など、何一つとしてないくせに。
血に濡れることもできない
お綺麗な、その、腕。
嘆きの声の響く夜
日差しが暖かくて、眠っていた。珍しく家事も早く終わり、子供たちは遊びに出かけていて、暇を持て余していたのだ。
何がどうしたわけでもなく、家の近くを散歩して、手ごろな木の根元に腰掛けて眠っていた。ひなたぼっこなど、この島にくる前にはした記憶がなかったけれど。
暖かくて、心地よくて、眠気はあっさりと襲ってきた。それに逆らうこともなく落とされた目蓋には優しい日差しのぬくもり。
微睡みながら深く眠りに陥っていくその階段を楽しんでいた。そこまでは覚えていた。
気づいたなら、そこには日差しなどなく、目を瞬かせる。
寝過ごしてしまったかと慌てて起き上がった。日も暮れるまで気づかないなどとんだ不覚だった。子供たちは心配して探しに出かけてしまうかもしれない。いくら危険の少ないこの島といえどもいまは自分の命を狙った刺客が何人も乗り込んでいるのだ。
彼らが子供を利用しないとは限らない。もっとも彼らの手にあの子供が容易く陥落されればの話ではあるが。
思いながら、無敵な子供が脳裏を過って小さく笑う。
早く帰らなくてはと立ち上がろうと地面に手を置いた瞬間、手のひらに感じた違和感に眉を顰めた。
自分が眠っていたのは確か木の根元で、もし触れるとすればあの大きなブナの根か、あるいは芝生のように茂った草の感触のはずだ。
こんな………砂の僅かに張った岩肌の感触なはずはない。夜の闇の中、目を凝らしてみる。辺りは本当に暗くて、いつもであれば空に輝く月も星も見当たりはしないほど、厚い雲に覆われているようだ。
夜目が効かないわけではない。神経を集中させて辺りの気配を読む。微かな息づかいが間近でしたが、それはどこか薄く霞んでいて、まるで気配を悟らせまいとしているような気がした。
この島でそんな真似をするとしたなら自分の命を狙うものだけだ。そんな血なまぐささは、自分が生まれ育ったあの団体にしかない。
思い、振り返る。
「…………………っ」
瞬間に目に入ったのは、赤。
白い肌を侵すかのように短い黒い髪が風に靡き、その合間、浴びたかのような鮮血が滴り落ちていた。
息を飲んでその様を見入ってしまう。怯えているのではなく、痛ましいような、そんな息苦しさを感じながら。
その視線に気付いた相手は忌々しそうに顔を顰め、自分の頬に張り付いた血を拭い取って地へと振払うような仕草をこぼす。
「…………ほんまにアホどすか?」
問いかけというよりは確認するようなその響き。
「自分のこと殺そうとしはる相手に情けかけはって……あまつさえ、返り討ちどすえ?」
「……………ぁ………?」
「確かにあんさんはわてより強おます。でも、ガンマ団一、あんさんは弱いですわ」
目を瞬かせながら、薄ら笑う相手を見遣る。
何を、この男はいっているのだろうか。どうしてこんなシーンに自分は突然巻き込まれているのだろうか。
この男の身を染めるこの鮮血は、一体だれのものなのだろうか。
色々な疑問が浮かんでは沈み、そして何故か、どれ一つとして形にはならずに霧散してしまった。
多分、自分はその答えを知っている。ただ知らない方が都合がよくて気づこうとしていないだけだ。そう感じた。
「血が怖いんどすかぁ? ほんまに…育ちがよろしゅうおます」
どろりと、その血が近付いた。彼の指先が伸ばされたのだとは思わなかった。赤く染まったその指先はまるで死者のそれのようだった。
そして……まるで刻印付けるかのように、頬に触れる赤い印。他者の血にまみれた頬の、鉄錆の、胃の捩じれるような臭い。
目眩が、する。
……………………それが確かな現実と、そう解っているからこその眩みのまま、目を瞑ればあっさりと暗転した世界。
「…………最悪な夢見だな」
まぶしい日差しに目を眇めながら眉を顰め呟く声は低い。
本当に、最悪だった。あんな過去の夢、今更思い出すこともないというのに。むしろこの島でだからこそ思い出さずにいられそうなものを、よくよくこの体は血なまぐささを刻んだまま清らかにはなれないらしい。
溜め息を漏らすように息を吐き起き上がれば、間近では人の気配。
険しく目を細めればその視界の先には揺れる風のようにマントが翻った。
いつの間に近付いていたのか。否、いつから、そこにいたのか。問う愚かさよりは警戒心を。………彼は、刺客の中では一番厄介な人間だ。
「ずいぶんよう眠ってはりましたな」
「お前が傍にいたせいで夢見は最悪だったがな」
「それはまた光栄どす」
くつくつと笑う仕草はそれでも雅びだ。それこそ公家の厭味のように。
顔を顰めて不快を示してみればつい…と彼が近付いた。僅かに前屈みになり、いつでも地面を蹴って飛び跳ねられるように態勢を整える。正直、彼を相手に油断はしていられなかった。
実力などに関わらず、彼には負い目がある。それこそ、たった今見たあの夢のように。
不意に影が近付く。それは気配のないものというよりは、他意のないもの。それ故に反応が遅れ、皮膚が触れた。
…………ぞっと、する。
目の前には暗闇が広がり、岩肌が自分の背を支えていた。どろりと冷たい感触が背中を這う、あの血塗れた岩肌。そうして足下には幾人かの、ひしゃげ、焼け焦げた男。目の前には、傷一つなく返り血に笑う、彼。
「………昔でも、思い出しはりました?」
「………………」
交わる視線を拒むように横へと背ければ、頬をたどる指先が面白そうに戯れた。………その不愉快な感覚に眉間に刻まれる皺の数が増える。
「前にもありましたなぁ、こんな風にしたコト」
普段は一線を引いたように飄々とした彼があの血塗れた惨劇の場では無防備にその顔を歪ませていた。
あの、言い様のない、愉悦。
「まぁだ、おぼっちゃまは血が怖いまんまのようですわぇ」
くすくすと滑稽な劇でも見ているように彼は笑い、頬を辿る指先を顎へと落とす。体温の高いその指先が離れるとまるで冷や水でも触れた後のように風が冷たかった。
ぞくりと、する。あの日のあの血の感触が身を占める。
微かに震える体に一歩近付く。それだけでびくりと震えるのは、きっとタイミングのせいだろう。普段であれば触れることさえ許さない、彼は居丈高であることを教育された階級の人間だ。
たまたま過去に彼の代わりに血塗れた腕があり、たまたま彼がそれを思い出し、たまたまその時、自分がいた。
重なりあった偶然が導くのは必然だ。
衣服越しに熱が伝わるほどの、近距離。元々この島の気候にあわせて薄着なのだから数枚の布越しなど、自分達の鋭敏な感覚からすればあってなきが如しだ。
噛み締められた唇が赤く熟れている。このままでは噛み切るだろうが、たとえそうなったとしても彼はその顰めた顔を消しはしないだろう。不服であることを示せる、たった一つの拠り所。
「本当に……馬鹿どすな…………」
哀れむように呟く。こうしてその身を押さえる自分を、それでも彼はいとも容易く殺せるだけの実力を持っている。
知っているのだ。自分と彼の実力差。周りには互いに肩を並べているように見せかけて、彼は戦う相手の傷の心配すらもする余裕がある。
この、決定的なまでの違い。
そしてそれ故に彼は自分以上に弱くもなり、殺される可能性もまた、高いことを知っている。
自分達のように足を洗うことの出来ない深みにいる人間が、彼のように綺麗に生きることは叶わない。そうして血に濡れなければいけないその両腕を、それでも躊躇うその隙に、彼はきっとその屍骸を鮮やかに赤く染めてさらすのだろう。
自分よりも、強いくせに。彼はどこまでも甘く優しい、から。
「殺さな、殺されますぇ………?」
甘く甘く、柔らかく問う残酷な声。
いまこうしている間にも触れる皮膚から彼の体温を上げ、血を蒸発させることができる。それを知っていても彼は自分を振りほどき殺そうという気がない。
それはどこまでも自分達とは相容れない、楽観か。
「……………………この島で、そんな真似、できるか」
苦々しく呟くのは、唇。その面を長い髪の奥に隠すように俯いて。
小さく響いたのは、きっと真実の音。
本当に馬鹿な男だと、思う。そして哀れむべき生き物だと。
いっそ辛いからと全てを振払って逃げてしまえばいいのに、彼は懐に入れた全てを捨てることも出来ずに抱えたままだ。
そうして増える一方のその重荷を、それでも己のその腕だけで守ろうとしている、滑稽で美しい生き物。
「あいつらにそんなもの………」
見せたくはないと、そう呟きかけて、それでも生きなければいけない事実が頭をもたげる。
そうしたなら、自分はまた、あのときのように腕を伸ばすだろう。死を迎えさせるために、この腕を。
まるでそれを察知したかのようにあのときはこの男が代わり赤き炎で焼き尽くしはしたが。
それはいまは敵対する身であり、いつかは自分が殺さなければいけないかもしれない、相手のことだ。
そしてもう二度と、あんな不様さを晒すこともご免だった。己が傷付きたくなくて肩代わりしてもらうなど、相手を貶める行為以外のなにものでもない。
だからきっと、それを行いたくなくとも、自分は自分を守るために、血に濡れるだろう。
子供たちを守るため、なんて……大義名分を抱える気はないから。
「安心しなはれ」
うっとりと、まっすぐに自分を睨む相手の視線を見つめながら、彼が答える。
優しくさえ聞こえる、まろみある声音。
「そうなる前に、わてがあんさんのこと殺してますわ」
生死を分つその究極の瞬間、彼の躊躇うその隙に自分の腕は彼の身を貫くだろう。彼を相手に炎など勿体無いものは使わない。この身に彼の血すべてを浴びて、そうして果てさせてあげる。
「あんさんはお綺麗なまま、死になはれ」
囁いて、ふと過るのはこの島の存在。
この島に生きる小さな子供。………彼は、きっと子供の前での殺戮だけは、出来ないだろう。それは予想ではなく確信。
子供と一緒にいるそのときだけが、彼の心のままの生き様なのだから、それはもうどう足掻いても不可能なことだ。
それでも同じように自分は知っている。
子供は、どうあっても彼を守れないだろう。
同じ戦地、同じ戦場。決して彼は子供を引き連れることはない。
その時その場、自分は隣に立つか、対峙するかなど知りはしないけれど、それでもその身に濡れる赤は、自分が決める。
だからそれまでのあいだは、綺麗なままで。
あの超人的な子供の傍で生きていればいい。
彼が彼である限り必ずこの島は破滅する。
そうした存在に彼は愛しまれてしまっているのだから。
だから分たなければいけないその日は、確かにくるのだ。
その時にこそ、自分は立とう。
彼の前。あるいは。
彼の、隣へ…………………
キリリク32850HIT、パプワリクで「殺さなければ殺される、そういう頃の夢を見てしまったシンに「そうなったら自分が殺してあげる」と宣言するアラシヤマ」アラVSパプでパプシン。
やっぱりすごいはしょりっぷりなリク内容。
で。早速言い訳。
あのね、長くなり過ぎちゃったのですよ。頑張ってまとめようまとめようと思ったんですけどね。
見ての通りアラシヤマしか出てこなかったのですよ(涙)
好きなのは認めますけどね、この頃のアラシヤマ(あ、リクで南国初期〜中期くらいの頃ってあったのですよ)
このあとたまたまパプワが来て(家の近くですから!)というところがまた入る予定だったんですけど。
………まとまらなかったです。初っ端部分削ると本編部分のアラシヤマの会話が謎だし(汗)
なんとか頑張って書いてみますがもう少々お待ち下さいませ〜。
この小説はキリリクを下さった橘さんに捧げます!
ごめんなさい、思いっきり不消化です!(私にとっても!)←エ。
05.3.18