ぼんやりと見上げれば、空は曇天。
あの鮮やかな色は、どこにあるのだろうか。
そんなことを思う日がくるなど、想像もしなかった。
どこまでもどこまでも、
あの空間こそが呼吸を許される、
場所………だった。
………………そう痛感するまでは、まだ大分時間があったのだけれど。
木下闇(こしたやみ)の眠り
首を巡らせれば透き通る海の青。少し視線をあげるだけで抜けるような空の青。
微妙な色彩の違いでしかない青の共演を目に映しながらシンタローは欠伸を噛み殺すとぐっと上半身をのばした。子供たちが遊んでいる間、その様を見ながら空豆を向いていたせいですっかり肩が凝っていた。
暑さには大分慣れたとは言え、さすがに南国で暮らすことには体が追い付かない時期がある。猛暑というほどではない今の内から、きちんと栄養を考えて体調を整えなければ無様な姿を晒すことにも繋がるのでここ最近は夏の風物詩のような栄養があり口当たりのいい料理がテーブルを賑わせていた。
夕飯の豆飯にあわせるおかずを考えながら耳に響く水飛沫に、自然と追いかけるようにして幼い姿を探す。
昼下がりの海は子供たちの独壇場だった。
毎日毎日同じことの繰り返しだというのに、彼らにとってはまるで違うのだろう。いつだって同じはずの遊びに、けれどまるで初めて見いだした宝のように楽しそうに打ち込んでいる。
それを見遣りながらかごの中に山となったさやとそれに比べればずっと量の少ない空豆を木陰に押しやると、今度は噛み殺し損ねた欠伸が口をついて出た。
数度の瞬きを繰り返し、苦笑する。
そういえばこのところ珍しく寝苦しくて睡眠不足であった。そうだからといって朝寝坊ができるわけでもなく、当然、昼寝もあまりとらない。午睡の時間はあくまでも子供たちのためのものだ。その間に自分はやるべきことが山のようにある。
世の主婦がのんびり出来るのはあくまでも便利さに埋もれているからであって、このサバイバル生活のような島の生活ではそうもいかない。全てが手動であり、食料調達だって買い物というわけにはいかない。どれが食べられ、なおかつ質がいいか、自分の目だけが頼りだ。
たかだか材料集めに数時間がかかってしまうのだから暇などあるわけがない。うとうととし始めた自分に喝を入れるように首を振り、立ち上がる。日差しが強まった気がした。
「パプワ、チャッピー!」
そのままの姿勢で海の中で遊ぶ一人と一匹に声をかけるとすぐに気付いて顔が向けられた。
それを確認し、こちらの言葉を待っている子供たちの様に苦笑する。随分と慣れてしまった仕草だ。
「ちょっと俺は夕飯の材料調達にいってくるぜ」
「その前におやつだろう」
きょとんと目を瞬かせたあと、咎めるように子供が返した。おやつは思いきり遊んだあとのご褒美のようなものだ。欠かすことは出来なかった。
拗ねたような物言いにシンタローは木陰から一歩外に出た。むっとするような暑さとは違う、からりと乾いた風と肌を焼く日光は気候としては湿気がない分体への負担は少ない。それでもそこで生まれ育ったわけではない自分にとってはこの暑さは辟易とするときがあるが。
足早に砂浜を横切り、声が届きやすいように波打ち際までくれば、子供と犬も同じようにそこへと寄ってきた。短い跳ねるような鳴き声の後、チャッピーが濡れたままの毛皮をものともせずに駆け寄って体を擦り付ける。
じっとりと足元が濡れる感触がするが今更なので特に咎めず、途中で攫ってきたバスタオルでその毛皮を軽く拭ってやる。気持ちよさそうに目を細めているチャッピーを尻目に自分の体をきちんと拭いているパプワに目を移せば、まっすぐな視線が無遠慮に注がれている。
一瞬息を飲み込みそうになる海のように深い視線を苦笑いをかみ殺すような困った笑みで霧散させ、シンタローが言葉を次いだ。
「おやつはシャーベットを作ってあるから、それを食べとけ」
冷蔵庫のないこの島では洞窟の奥の冷所にある氷結した氷の空間がその任をまかなっている。昨日の内から用意しておいたそれがもう十分食べる頃合いになっているはずだ。
そう伝えたなら………少しだけ子供の目に拗ねた色合いが濃くなった気が、した。
気づいてしまうには、それはあまりにも過ぎた感情だ。瞬きの中でそれを隠し、シンタローは小さな腕で自分の頭を拭おうとしているパプワの指先に取って変わるように腕をのばす。
「ただし、食い過ぎるなよ。一緒に置いてあるスプーンで一掬いだけだからな」
からかうようにいって、表情を見えなくさせるようにバスタオルを動かす。
時折ひどく遣る瀬無い気持ちになることが、あった。それが何故の感情か解らないわけではない。それでも解るからこそ、どうしようもない現状に溜め息が出そうになる。
信頼……なんて、与えられるに値しないのだ。自分は身勝手な理由で組織から逃げ出した人間だ。それ故の柵が時に子供さえ巻き込んでいる。子供の実力云々は、この際関係はなかった。ただ守られるべき年代の子供に危険を与えている、それだけが自分の中の事実だ。
その事実を有耶無耶なまま、ただこの島にいることで心安らかになれている自分が、ひどく浅ましい生き物に思えた。………もっともそんなことを言ったところでこの子供たちは誰一人としてそれを咎めず、それならばずっといればいいのだと、事も無げに自分を受け入れてくれるのだろうが。
………それはあまりに心苦しい、過ぎた好意だ。過信に近いほどに。
自分の髪を拭うのすら辿々しい丸く短な腕で、それでも自分に何かあれば守ろうとするのだろう。そうして事実、幾度も助けられているのだ、この超人的な子供に。
「子供扱いするな。それくらい解っているぞ!」
明るく響く、子供独特の高らかな音。それは耳に優しい音色だ。
他愛無いじゃれあいのように言葉を返し、シンタローは乾いた髪が風に揺れる様を眺めた。自分と同じ色というものは、どこか不可解でくすぐったい感覚だ。
僅かに遠くなった視線の先、子供はふと、不思議そうにその揺れを眺め、霧散させるように彼の長い髪を引っ張る。戻ってきた視線と微かな叫び声にチャッピーとともに砂浜を駆け出した。
太陽はもう中点を過ぎた。おやつを食べても叱られない時間が近付いている。あともう少し駆け回った後、あの涼しい洞窟に行って彼の作ったおやつを食べよう。そう思いながら。
自分のいたずらを咎めるような声が背後で響くが、それはどこか優しく刺がない。それをチャッピーと目配せして笑いあいながら、振り向きもしないで手を振り、そのままジャングルの中へと隠れてしまう。
きっと彼はしばらく砂浜で自分達の残した荷物の整理をして、それらを家に持って帰ってから出かけるだろう。それならちょうど自分達がおやつを食べる頃合いだ。
もしかしたらこちらに寄ってから一緒にと誘いにくるかもしれない。
そうだといいと思いながら、きっとそうだといつの間にか決めてしまった。そうしてそれなら夕飯に何を作ってもらおうかと追いかけっこをしながらチャッピーとじゃれるように話をした。
たった一人の人間が………自分と同じ手足をたずさえた生き物がいるというだけで、どうしてこんなにも生活が様変わりするのだろう。
我が侭ばかりが溢れてくるのだ。
それを仕方なさそうに叶えてくれるから、嬉しくて、また我が侭を言いたくなる。
彼の中の寂寞は自分とは違うものだけれど、それでもその穴を自分という存在で埋めることができるかもしれない。その事実は気恥ずかしくも誇らしかった。
それは今までのどんなともだちとも違う感覚だった。
彼の中で欠けているものと、自分の中で欠けているものは違うもので、それでも、相手の中に蔓延るものがなんとはなしに気づけて……だから、与えることが出来ると、そう思いたい。
自分が願うのと同じように、彼に願われたならどんなに嬉しいだろうか。
こぼれそうな笑みを遊びの中に埋めながら子供は駆ける。島の中、知り尽くした遊び場は少し走り回るだけであちらこちらに沢山のともだちが現れる。
いつの間にか始まった盛大な鬼ごっこは、刻々と刻まれる太陽の動きを忘れたかのように広まっていった。
鬼ごっこも終わり、体は程よい疲労感に包まれていた。集まっていた友達たちは暑さが強まったせいで駆け回るのではなく涼む場所を探すようにバラバラになっていった。それぞれが見つけたとっておきの場所は、どうしたって少人数しかいけないのだ。
そろそろチャッピーと一緒に洞窟に行こうかとふと気づくと太陽は鬼ごっこが始まるときより大分傾いていた。これではきっとシンタローは一人でいってしまっただろう。
おやつを食べたら散歩がてら探しに行こう。そう思いながらチャッピーに声をかけようと目を向ければ、よほど疲れたのか、木陰で欠伸をして丸まっていた。
ここから洞窟まではそんな遠くないとは言え、あくまでも自分達の感覚の中でだ。疲れきった中ではそれなりにきつい。そう考え、それならおやつをチャッピーの分も一緒に持ち出してここで食べようとパプワが一言声をかけると寝息が返された。
目を瞬かせてそれを見ながら、いま持ってきたらシャーベットが溶けるだけかもしれないと笑う。仕方ないと、とりあえずどんなシャーベットかだけでも確認しようとチャッピーが起きないように気をつけながらまた歩き出した。
見慣れた景色を歩きながら大分初めにいた海から離れた場所まできたことに気付いて、遊ぶと見境がなくなってしなう自分達にふと気付く。だからきっと大人である彼はそんな部分を心配したりもするのだろう。もっとも心配なんてしていないと必死で自分に言い聞かせている気もするけれど。
いつだってどこか彼には負い目があり、そんなもの気にもしていない自分達が、だからこそ、彼には遣る瀬無いらしいことは解っているのだ。
それでも彼は子供の自分の言葉を聞いてくれる。他愛無いことだと疎かにしないで、だ。
たったそれだけのことをと彼がいったとしても、それはどれほど尊いことだろう。
そんなことを考えていればいつの間にか洞窟が近付いていた。
一口くらいなら味見をしてもいいだろうかと思った頃、洞窟の入り口が目に入り……息を飲んだ。
「…………………」
ちょうど日の光が入らない、少しだけ洞窟の中に入った位置に、見慣れた腕と足が伸ばされていた。
背を壁に預けて、動かない。たったっと少し小走りになって彼に近付く。自分と同じ手足を持つ生き物は、この島には彼と……彼の仲間くらいだ。そうして自分は見間違えることなどないのだ。
初めて見つけた、自分と同じ種の生き物。海に抱きしめられた彼を見つけた時、目に焼付けて手放さないと決めたのだ。
洞窟の中はひやりとしている。それは入り口付近でも同様だった。奥にいけば肌寒いが、この辺りであれば外の温度と相まってちょうど心地よく過ごしやすい。だからだろうか。こんなにも間近にまでやってきた自分に気付かないほど、彼は随分よく寝ているようだった。
近くには彼が食料調達用に使っている大きなかごがある。きっと沢山採れたからと保存しにきたのだ。そうして中のおやつが減っていないから………待って、くれていたのだろうか。
それなら家で待っていればいいのに。ここは過ごしやすくても結局は岩肌のあらわで据わり心地も寝心地も良くないのだ。そう思いながら起こそうと腕をのばし………眉を顰める。洞窟の中の薄暗さ故か、あまり顔色が良くないように感じた。
いつも寝息も微かで、まるで息を殺すような態で眠る彼を知っている。彼よりも早く寝て遅く起きる自分は滅多にそれを見ることはないけれど、時折一緒に昼寝をすれば微動たりともせずに気配を殺している。
どんな場所で生きてきたか、なんて……聞かない。それは彼にとって傷でもあるのなら知らないままでいい。
ただこの島は、そんな風に眠らなくてもいい場所だと、それだけを教えたいし知ってほしい。
眉間に寄せられたしわを短な指先で撫でて、いつもであればしゃがんでもらわなければ見えない高い位置にある彼の顔を覗き込む。
いつもいつもひっそりと、影の中で眠る人。日差しのある場所では休めないというように。
…………まるでその存在を隠せる場所でなければ安らげないと、いうように。
思いいたる言葉に、胸が痛い。
絶対にそんなことは、ないのに。この島では自分がどんなことからだって守れるのに。
こんなにも清廉な命なのだから、覆い隠さないでと、いつだって願っているのに。
「………シンタロー………?」
小さくその名を呼んで、ひんやりとした肌をあたためるようにぎゅっと抱きしめる。小さなこの体ではとてもあたためられないけれど。
それでも湯たんぽくらいにはなれるかもしれないと彼に背中をもたれかけてひざの上に腰を下ろす。
…………起きたなら、彼は驚くだろうか。
不覚だと少し顔を顰めて、それから……笑ってくれるだろうか。
溶けた体温の心地よさと先ほどまで遊び回っていた疲労感が誘う眠気にうとうとと小首を傾げながら、パプワは長い彼の腕をとって抱え込む。思った通りに暖かく、心地いい感覚に知らず笑みがもれた。
一人影の中で眠るより、誰かと一緒の方があたたかい。
きっとそんなこと考えられないのだろう彼に、少しずつ伝わればいい。
冷たく凍った肌だって、こうして寄り添いあえばあたたまるのだ。
たったそれだけの法則だ。
…………難しいことなど考えないで、傍にいて。
言葉には換えがたいその願いを溶かすように彼にくるまり瞼を落とした。
……………どうぞこの時間が彼にとって優しい時間でありますように。
キリリク39000HIT、パプ&シンで幸せな一時でした〜v
なんつーか、前半部分だけで終わらせて良かった気もしますが、でも実は主題は後半部分だったんですよ。
……………私にとっての幸せな一時って、一体(遠い目)
今回はまあ……某日記で閲覧しました抱き枕が………! 脳裏を離れなくて、幸せそうだなーこの光景〜vと思ったせいでラストこんなです。
ん? シンタローからアプローチするわけないじゃないですか。うちのシンタローさん、パプワが本当に聖域だもの。
そしてパプワは子供なので遠慮しません(笑) うん、ちょうどいいコンビだよ。
この小説はキリリクを下さったゆづきさんに捧げます。
相変わらずな作品で呆られないことを祈るばかりです(汗)
05.6.21