別にそれはたいしたことじゃない。
そう思っていた。
その方が気楽だったから。
だから差し伸べられていることにだって気づかなかった。
残酷なまでに幼い瞳に写らないことさえ知っていて伸ばされていることなど………………
月見の夜
空には穴が開いたようなお月様。
濃紺色の夜空が星に彩られていて見るものの気持ちを和ませ、魅了する。
「ふう………本当に月見にはいい季節だな」
それを眺めながらシンタローは声に出して周りに聞こえるように言ってみた。………無駄だろうと自分自身でも思いながら。
なんの反応も返ってこない背後に溜め息の1つや2つ吐きたい。吐きたいが………それもまた無駄な事。
ジト目で振り返ってみればそこに広がる光景は想像通り。………いや、それ以上なのだろうか。もうすでに想像力の限界を越えてきている。
死屍累々というに相応しい潰れた友人たちと、うわばみかと疑わせる勢いで酒を飲みこんでいっている叔父。それに掴まったまま涙目で絡まれている従兄弟とどうしていればわからなくて固まったままの従兄弟。
なんでこんな事になったのやら。考えるのも馬鹿馬鹿しい。別にたいしたことでもなかったのだ。たまたま久し振りに会った従兄弟同士、酒でも飲み交わしつつ月見と洒落こむ筈だった。
そこにさも当たり前のようにやってきた叔父が原因でどこまでも広がっていった輪に辟易としてももう遅い。すでにこの後片付けは確実に自分の役目だ。総帥だろうがなんだろうがそういった役回りは変わらないらしい。もうこれは性分というべきなのか……………
どんよりと仕掛けた思考を吹き飛ばすように、背中からなにかがのしかかってくる。
……………顔の間近から酒臭い息が感じられる。いま現在動けるものでこんなにも酒気を孕んでいるものなど一人しか思い付かない。ましてそれが自分に気配を伺わせる事なく近付けるのならなおさらだ。
「あ〜ん? テメェ……全然飲んでねぇじゃねぇか!!」
「…………ついさっきまであんたの我が侭なつまみの準備で忙しかったんだよっ!」
誰が原因だと噛み付いてみれば馬鹿にしたように鼻で笑われる。………ピキッとシンタローの顳かみから音がたった。
あれこれと昔からやたらと自分に口煩い叔父は、こういった時はとことんまで妥協してくれない。
まるで我が侭をいうことを楽しんでいるかのようだ。それを一蹴すれば一蹴するで子供の癇癪のごとき盛大なデモを繰り広げてくれるのだ。
それを知っているからこそ被害を拡大させないためにもわざわざ我が侭を聞き入れてやってはいるのだが……それでも勿論許容量というものはある。
馬鹿にしたようなハーレムの態度に思わず眼魔砲の1つも喰らわせてやろうかとも思ったが自分の部屋が破壊されることは避けたいのでぐっと我慢する。………相手の半分ほどしか生きていない自分が我慢するというのもおかしな話だが。
そしてそれさえきっとわかっているのだろうハーレムはニヤニヤと笑ったままだ。いっそ部屋を破壊してでもという物騒な考えが湧かないわけではないが、如何せんここにはすでに酔いつぶれた友人が何人もいる上に、戦闘に関してまったくむかない従兄弟も一緒だ。
ここで自分がキレて怪我をさせるわけにもいかない。後々が面倒だということも勿論あるが。
「ねえねえシンちゃ〜んv」
甘えた声を出して唐突に自分の傍にやってきた足音に顔を向けてみれば……思った通りにいるのは顔を赤らめて酒気を帯びたグンマだった。ヨロヨロと色々なものに当たりそうになりながらも器用に避けて歩けているあたり、ある意味酔拳だろうかと悩みたくなる。
同じことを考えていたのだろう、呆れたようにグンマを眺めながらもいつ倒れても大丈夫なようにと控えているキンタローと目が合う。互いにわかる程度に苦笑を交わしてキンタローもまたシンタローの傍に寄った。
「これおいしーよー? シンちゃんも飲んでv」
グンマが差し出してきたコップにはハーレムが作ったらしいカクテルが注がれている。情緒など無視したコップではあるが、その中で揺らめく液体の不思議な色は綺麗で、確かにグンマが好みそうだと笑みが漏れる。
なんだかんだいいながらもハーレムも面倒見はいい。その方法がひどく不器用であったりするのだから始末が悪いが。
…………深い溜め息を吐き出したシンタローを眺めながらハーレムはこちらを睨んでくる前に視線を逸らして手に持っていたウオッカを飲む。ビンに直に口をつけていることへの非難も込められている視線はアルコールへの耐性のあまりない従兄弟を心配してか。
それをからかうこともできるが余計に機嫌を損ねると目的が達成されないことを知っているハーレムははぐらかすように近くにいたキンタローの肩に手を回した。半ば強引に肩を組んでおきながらもたいした抵抗がないという点では多分ある程度の信用は獲得しているらしいことが伺える。
「大人なんだから酒の1つも嗜
たしな
まにゃいけねぇよな、キンタロー?」
「日本人の半分はアルコールが飲めない遺伝子だって知っての発言か?」
返答に困っているらしく眉を顰めたまま口を噤んでいるキンタローに代わり冷たくあしらうシンタローの声が即返される。
大体予想していたらしいその言葉を鼻で笑い、体勢もそのままに再び呷ったウオッカの匂いを充満させながらハーレムが答える。
「英国系の俺になにボケたこといってんだぁ?」
「……………ハーレム叔父貴…いい加減離れろ」
あまりに間近なハーレムからはかなり堪え難いほど酒気が放たれている。グンマほど弱くはないがハーレムほど好んで飲むこともないキンタローは、少々辟易とした感を響かせながら叔父の顔を遠くに置くように引き離す。
それでも首が痛まないようにと力加減されている指先に淡く笑いながらハーレムは流れるような仕草でその指先を外す。………掴んでいたはずのキンタローが気づかないほど自然に逸らされた力に本人が呆気にとられる暇もない。
顰めかけた眉もそのままに唐突に口に含まされた液体にぎょっと目を見開く。舌への刺激と濃いアルコールの香りでそれが先程までハーレムが飲んでいたウオッカであることは充分知れる。
………わかるのだが、正体を見極めたところでアルコール分が減るわけでもない。まして純度のかなり高い物を好むハーレムの飲むものは、自然初心者にはかなりきつい部類のものばかりだ。
「まったく近頃の若いもんは口の聞き方も知らねぇな? こいつを1本空けられるようになってからタメ口はきくんだな♪」
絶対に無理とわかっていていっているハーレムの口調は明るい。ほとんどおもちゃで遊ぶ子供そのものだ。
同じ手で潰されていった友人たちの結果は虚しいほどわかっている。止めに入ろうにも下手に動くことが出来ない。…………大分酔っているらしいグンマがまとわりついて離れてくれないのだ。
「ちょ………っ! グンマ離れろ! キンタローがぶっ倒れるぞ!?」
「え〜? キンちゃんなら大丈夫だよー。ハーレム叔父様が一緒にいるもん」
「このボケ〜〜ッ! そのハーレムが潰そうとしてんだろうが!!」
「平気平気〜v だってハーレム叔父様、キンちゃんのこと可愛がっているから♪」
「………むしろその方が質が悪い!」
きっぱりと言い切ったシンタローにグンマがほえ〜っと笑う。
………わからなくもない、返答。でもちょっとだけ違うのだ。
正直乱暴者の叔父が苦手であることは認めるけれど、だからといって嫌いなわけではない。戦う力に秀でた一族の中、たった一人の非戦闘員である自分を、一度だって冷たくあしらったことはなく、まして必要以上のプレッシャーも何も与えなかった人。
それは、希有だった。
まるでそこにいて当たり前と言うように普通に構って普通に話して。かといってその会話の中には決して戦うことを組み込むことはなかった。
人を気遣うことを、よく知っている。そしてなによりも相手の中にある劣等感をよく見抜く人。
もっともだからこそシンタローの言うように質が悪いこともしばしばなのだが。
「あ、でもほら……もう遅いみたいだよ」
「は? ……………あ……」
ちょっと目を離していた隙にビンに残っていたウオッカを全て飲ませたらしく、キンタローの膝が折れてしまっていた。…………よくよく思い出してみるとこのウオッカの前も何杯かハーレムの作ったカクテルを飲んでいたのだから、多分潰すことをきっちり計算に入れて度数の調整をしていたのだろう。妙な所で頭脳プレーに及ぶ叔父に顔を引き攣らせた所でもうすでに遅い。
この離れにある布団の数が足りるのだろうかと少し計算するが、もうこの際全員で雑魚寝しかなさそうだという判断くらいしか出来ない。この時点でかなり酔っていたのかもしれないとは考えの及ばないことだったが。
「ったく、キンタローもだらしねぇな。この程度で潰れるなんてよ。お前はどうだ?」
「これ以上人を潰そうとするんじゃねぇよ」
にやりとどう見ても悪人役の顔で笑いかけられても警戒心しか湧かない。
ふんと顔を逸らして乱雑な室内の整理でも始めようかと歩き出そうとすると、ズイッと眼前にコップが差し出された。
ハーレムは自分の背中側にいるのだから目の前でコップを差し出すわけがない。ということは、必然的にこの室内で起きている最後の人物、グンマになる。
「はい、シンちゃん。ずっと動き回っていたから疲れたでしょ? このジュースおいしいから、これ飲んでから片づけしようよ」
幼い頃からあまり変わらない無邪気な笑みで勧められたコップを少し胡散臭げにシンタローが眺める。ソフトドリンク用にと置いておいた大きめのグラスの中でカラフルな液体が踊っている。香りからアルコールの類いは感じられないし、グンマがわざわざ自分を潰そうとする理由も思い付かない。微かな逡巡の間に近付いたらしいハーレムの腕が唐突に首を押さえた。
「なんだ〜? グンマの飲みたくねぇなら、俺の飲めよ♪」
「ウオッカをあけるな〜!!! こっち飲むからあんたはそれを片付けてろ!」
新たなビンを開けようと手をかけているハーレムに慌ててストップをかける。いい加減、飲み過ぎだ。いくら強いとはいえ分はわきまえなければいけない。うわばみな叔父はまったくそんな言葉に耳を傾けてくれたことはないが。………幼い頃からただの一度も。
溜め息をつきながらハーレムが手に持ったビンを諦めて机に置く姿を見つめ、シンタローはグンマからコップを受け取る。正直、喉はかなり渇いていた。初めの数杯を一緒にしただけで酔いの回ったハーレムの我が侭に付き合いっきりだったのだ。その間なにも口にした記憶がない。
一口飲んでみれば乾きが自覚され、一気にシンタローはコップの中身を呷った。何のジュースかはよく判らないが、喉越しも悪くないし味も甘酸っぱくて飲みやすい。ほとんど一気に飲み干したシンタローは笑顔でからになったコップをグンマに返した。
「結構うまいな。お前が持ってきたのか?」
自分の用意したものではないと問いかけた瞬間、クラリと脳の奥が歪む。…………なんとなく覚えのある症状に思わず表情が凍った。
それを決定付けるように変わらず無邪気に笑った従兄弟は、もしもこんな状態でなければ確実に相手に殴られる一言を返してくれた…………
「違うよ? ハーレム叔父様がさっきシンちゃん用に作ってくれたんだ♪」
明るい声を耳に残しながら、爆弾のように一気に身体の中で弾けたアルコールを受け止めきれなかったシンタローはそのまま眼前のグンマへと凭れるように崩れるのだった。
自分よりも体格のいいシンタローを支えきれるわけもなく、そのままグンマもろとも倒れ込んでしまいそうになった所を控えていたらしいハーレムの腕が支えてくれる。軽々と片手で支えたままコップの中のウイスキーを呷っているあたり、悪役の方が確かにむいているな、などのんきなことをグンマが考える。
「あ〜あ……明日シンちゃんが目を覚ましたら僕まで怒られちゃうなー……」
「けっ、こんなガキに怒鳴られるのが怖くてどうする」
「…………叔父様から見ればガキでも僕達同い年だもん。シンちゃん怒ると怖いんだよ?」
拗ねたような視線で酔ってもいないグンマはハーレムに反論する。明日の朝が少し憂鬱だ。
それでも後悔はしていない。怒鳴られようと殴られようと構わないからと、ハーレムに組みしたのは自分だ。
…………はじめ、シンタローを潰すと言い出したハーレムに反対はしたのだ。ただでさえ近頃仕事が忙しくて会えなくて淋しかった。今日くらいは一緒に遊んではしゃぎたかったから、子供の楽しみをとらないで欲しいといったのだ。
そうしたなら真剣ささえ帯びた青い瞳が、燃えた。
なんとなく、わかった。それだけで十分だった。……………不器用な叔父は、自分なりに甥を心配していたのか。
言葉でいってもはぐらかされるだけ。それくらいの精神力を持っていなくては総帥などやってはいられない。………まして人のよさをどうしても拭えないシンタローでは己をすり減らすことは出来ても癒すことは不得手だ。
だからこそ、か。無遠慮を装って我が侭を貫く振りをして。
そうしてハーレムは休息を与えることを望む。自分へのイメージも印象も悪化させることなど物ともしない剛胆さ。………ほんの少しだけ、その強さが羨ましくて、それに従った。
自分ではシンタローに嫌われるかもと思ったことを出来ない。休んでよと泣きつくことは出来ても慰められるだけでなにも支えにもなれない。腕の中で眠る安らかな息に心和むのは、それでもこの常識はずれな叔父のおかげだ。
やわらかな視線を注げるくせに、相手が目の前にいる時はいつだって不遜で意地悪で。不器用なくせに人を思ってばかりだ。
だからこそ、きっと真直ぐに前を向いて傷つくシンタローが危うくて、犠牲にばかりなるなとその足を休ませようとするのだろうけれど。
仄かな月が窓から注ぐ姿をいまは見る人もいない。一緒に騒げるくらい、身体の余裕のある人も、いない。 それはやはり淋しいから、心を休ませて、一緒にまた月を見上げたい。
「ま、なんだな。明日はどうせな〜んも出来ねぇから、ゆっくり遊んでもらうんだな」
我が侭を飲み込んで自分に付き合った甥の頭を軽く撫で、ハーレムは人の悪い笑みを浮かべながら煙草に火をつけた。
一体何のことをいっているのか判らないグンマはきょとんとしながらその背を見送る。
腕の中の従兄弟をどうやって寝室まで運べばいいのかまでは考えていなかったことに、その背が完全に見えなくなってから気づいたけれど……………
翌日、本部の方からの緊急コールがグンマの耳を劈いた。
未だ眠っているシンタローたちを起こしてはと慌てて受け取ってみればその内容に顔を青ざめさせた。
…………曰く、ハーレムが総帥室を酔った勢いでめちゃめちゃにしてしまったのでその修理に数日間かかると。
休暇がなければ強制的に休暇を作れ。そんなハーレムの声が聞こえそうな行動に頭痛がする。
起きたシンタローにどうやって伝えれば、ハーレムの真意を知らせることができるのだろうかと、たったひとりグンマは涙ぐみながら考えるのだった。
月見の夜………?のほのぼの(?)編ですv
初めはこっちを考えていました。ハーレムがシンタローを心配しているという話(笑)
でもハーレムだから。絶対に普通にはその心配を口にはしません!(きっぱり)
ので、こんな感じ。
休んでね。ちゃんと寝てね。疲れているんでしょ?なんて普通にいうハーレムがいたら怖い!
四の五の言わずにも問答無用で潰れろ!です。
でもハーレム、さり気なく優しい人だと思います。それを表現するのえらくへたくそですが。
つうか、自分の悪人ヅラにでもコンプレックス持っているんですかね(笑)
進んで悪役ばっかやっている感じですわ。