空に虹がかかるよ。
きみはしらないでしょう
ほら、見てごらん。

闇夜に鮮やかなこの虹を。

仏頂面で、それでも笑って。
綺麗な綺麗なこの虹とともに。
今年もまた、きみとともに過ごせますように。
言葉にはしない、それでも何よりも一番の祈り。
今年初めての太陽よ
僕と彼とどちらもが同じ祈りを捧げますように。





握った指先の小ささよ



 「おいシンタロー、今夜は起きているぞ!」
 「………まあ大晦日くらいかまわねぇが、大丈夫か?」
 大いばりで宣言したパプワをかき揚げを揚げながら顧みる。チャッピーとじゃれあいながらの発言ではあるが、どうやら本気のようだ。
 年越しを起きている、ということはどこかワクワクする。それは幼ければ幼いほど余計になのかもしれない。普段は許されない夜更かしを許される興奮もあるのだろうけれど。
 まだカウントダウンまで何時間もある。この調子で暴れていては確実にいつもどおりの時間には目蓋が落ちて眠ってしまうだろう。無理をさせない程度に起こしておくか、それとも大人しく眠らせるか悩むが、この場合は本人の意志を尊重し、自然に任せておこうとかき揚げの油をきる。
 出来立てのうどんを器に盛ってそれに揚げたてのかき揚げを乗せる。チャッピー用のうどんは汁を少なめにかき揚げもタマネギを抜いた一口サイズだ。それを心得ている二人はきちんと置かれた器を選んでテーブルの前に座った。
 「………? おいシンタロー、さっき作っていた煮物は?」
 「あれは明日のおせち用。今日は食べないの」
 「わう〜?」
 食べたかったらしいチャッピーが不満そうな声を上げるが特にそれ以上の抗議はなかった。行事ごとにしっかりとそれにあったことを教えてくれる相手の言葉を尊重するくらいの分別はある。
 温かなうどんをすすりながらふと思い出したようにパプワがシンタローを見た。
 「もう明日の準備は終わりか?」
 「…………? まあ、一応は」
 「そうか。なら食べ終わったら出かけるぞ」
 「はぁ?!」
 大晦日くらいはのんびりと過ごせるものと思っていたシンタローが素っ頓狂な声を上げる。わずかな抗議をはらんだそれに気づき、パプワがぎろりと睨みつけた。既にチャッピーは噛み付くための牙をのぞかせている。
 …………ひやりとその後の展開が解りきっているだけにシンタローの背中に嫌な汗が流れ、小さな溜め息とともに承諾の声をあげるのはすぐのことだった。
 「ったく、わかったよっ!」
 「素直に喜ばんか」
 「いきなり言われて喜ぶわけねぇだろうが!」
 憮然としたままうどんを食べはじめたシンタローを見ながら仕方のない奴だといわんばかりに息を吐き出し、パプワもまた残りのうどんを食べる。いつも思うが、どこかそれは大人びている仕草だ。普段の我が侭ぶりも辟易とするが、こうした幼さを隠したような態度は少し、胸が痛む。
 傍にいるものくらいには優しくしたいと思っているのだ。自分は不器用で、あまり多くのものを抱えることができない。だからこそ、抱えているものくらいは大事にしたかった。
 それを理不尽に奪われる悲しみも憤りも嫌になるほど自分は知っている。だから余計に、そう思うのに。
 現実は願いとなど無縁だ。思う程度の努力ではどうしたって埋めきれない壁がある。そのための努力は……あまりにも自分には難しい。
 小さく息を吐き、シンタローはこっそりと思考を遠くに飛ばした。今は傍にいることのできない、日本にいる弟のもとに。
 うどんを食べる合間、じっと見つめるパプワの視線は、まだ、シンタローには気付かれなかった。


 外は肌寒かった。風が冷えたのか、あるいはいつもと変わらぬこの服装のせいか、風がひんやりとしているように感じた。
 珍しいと空を仰ぎ見てみる。満天の星空だった。
 相変わらずこの島の空は美しかった。何もかもが浄化されるように、海も空も、この島にある自然の全ては純化されている。
 それを身に染み渡らせるようにゆるゆると深呼吸をする。
 目の前を歩く子供はきょろきょろと辺りを見回していた。そろそろ目的地なのだろうか。小さな丸みある腕が首が振られる度にわずかに動いていた。
 「シンタロー、こっちだ」
 道から外れた木々の合間を指したパプワの短い指先を見ながら、仕方なさそうにその指を包む。
 「…………」
 ちらりと見上げたパプワの視線は、けれど何をいうでもなくそのまま落とされる。
 自覚があってのことか、なくてなのかなど知らない。ただ、その指は幾度も自分の方に伸ばされようとしていた。我慢するように誤魔化しているから気づかない振りをしていたけれど、これ以上はさすがにできない。
 ちょうど、木々の合間を歩くのだ。はぐれぬために手を繋ぐのであれば、子供もまた、納得をする。己の我が侭ではないと。
 普段は尊大で我が侭しか知らないくせに、どうしてこうしたときは腕をのばすことを忘れるのだろう。そうしたときこそ、本当の願いをたずさえているくせに。
 大人になった自分は、それでも子供の頃のことを覚えている。願いって願って、本当に願ったことは言葉になどならない。確かな言葉になる願いなど、たいしたものではないとさえ思えた。本当に願ったことは口にすることすら恐かった。それを拒まれたなら、自分がどれほど傷つき壊れるか、知っていたから。
 それくらい大事な、祈り。
 それを子供は知っている。気づかなくても、知ってしまっているのだ。
 自分の心が吐き出す願いを。そしてそれを叶えることの難しさを。
 それ故に、飲み込んでしまう。傷つけたくないが故に飲み込まれた祈りの声は、こぼれ落ちたしずくのように時折肌を滑り指先を捧げそうになるけれど。
 本当に……難しい問題なのだ。彼が願うことで自分にいえないことなど、たった一つだ。
 自分が彼に願われ、叶えることが出来ないだろうこともまた、たった一つだ。
 だから知らないままの方がきっと幸せ。それはでも、きっと大人の言い訳。
 …………小さく、気付かれないようにシンタローは溜め息を落とした。
 本当に、心のままに生きるということは難しい。この島の優しさ故に、引き裂かれるものがあるなど笑い種にしかならないけれど。
 「ここだ。………シンタロー?」
 「ん? あ、悪い。………って、洞窟じゃねぇか」
 「中に入るぞ」
 パプワの声にぼんやりしていたシンタローが応えると、眼前にはいつの間にか洞窟があった。さして大きくはないだろうそこにパプワはシンタローの返答を待つわけでもなくずんずんと先に進んだ。
 中は空洞そのままだった。うすらぼんやりと光っているのは光苔のおかげか、視界に不自由はなかった。細い道かと思っていた洞窟はすぐに広いものとなり、さして大きくはない広場のような場所に出た。そこにもまた光苔があり、ぼんやりと様子がうかがえる。
 「こっちだ。もう少し奥の方にいくぞ」
 「っと、おい、パプワ。ここがどうかしたのか?」
 突然腕を引かれ壁を伝うように奥に進む。もっともさして広くはないのだから、動く意味などあまり感じなかった。
 こんなちっぽけな洞窟に一体何の用があるのだろうかと必死で頭を働かせるが、その意味は想像もできなかった。問いかけてみてもただパプワは腕を引くだけで答えはしなかった。
 一歩二歩。………十歩にも満たない距離を歩くとパプワは立ち止まる。そしてそのままその場に座り込んでしまった。
 訳もわからず、しかしシンタローもそれに習って座り込む。洞窟内はうっすらと辺りが見える程度で、決して視界が良くはないが、ある程度夜目が効く身には不自由しない程度には見渡せた。
 「シンタロー、そっちじゃない」
 「あ?」
 「上だ。ほら、あそこを見てみろ」
 丸い子供の指先が上空を指差した。洞窟内で上を見たところで岩肌が見えるだけなはずと顔を顰めてそれに従った視線は……驚愕に見開かれた。
 「…………………っ!」
 鮮やかな、鮮やかな灯火。
 光苔の群生がその上空部分に何故か解らないが橋を渡したように緩い弧を描いて一際鮮やかに瞬いている。
 息を飲み、それを見入る。満天の星空なら飽きるほど見た。天然の天の川も、淡く輝く洞窟内の湖も。
 それでもまだ、足りなかったのか。この島には一体いくつこうした、自分の生きた場所では決して拝むことのできない光景が隠されているのだろうか。
 信じられない思いでそれを食い入るように見つめれば、未だ繋がった指先が引かれ、ぬくもりが包んだ。子供が自分の腕を抱えたことに気づき、寒いのかと空に奪われた視線を子供に向けてみれば子供が見上げていたのはあの上空の光の橋ではなく、自分だった。
 物言うわけでもなくまっすぐに見つめる幼い瞳。必死に、まるで迷い子のように自分の腕を掴んだ小さな指先。
 あるいは、彼は自分にはその顔が見えないと思っていたのかもしれない。実際、夜目が効かない人間にはそれほどはっきりと表情までは解らないだろう闇だ。だからこそさらされたのか。この、縋るような幼い視線は。
 「シンタロー、初日の出は、一緒に見るぞ」
 「…………?」
 「年越しも、一緒だ。僕が寝てもちゃんと起こすんだ」
 「パプワ?」
 とうとうと流れる言葉に何を願っての音なのか掴みかねたシンタローが問いかけるようにその名を呼ぶ。
 「一緒だ。ちゃんと………一緒に見るんだぞ」
 ぎゅっと、痛いくらいに掴まれた腕。子供の力とは到底思えない力を秘めた丸い腕は、ただ必死に自分に捧げられている。
 言葉に秘めた祈りを気づかない振りをするのは簡単だった。
 それは、あるいは望まれていることなのかもしれなかった。
 それでも、幼いその小さな身体を抱き上げて、膝の上に乗せ抱きしめたのは、間違ってはいないと自分に言い聞かせる。
 「ああ……ちゃんと起こしてやるから安心しろ」
 洞窟の中、上空にかかる光の橋を見つめてシンタローは呟く。腕の中の子供もまた、上空を見上げた。あるいは自分の顔をのぞいているのかもしれない。
 言葉の意味など探る必要もない。いまこの時、一緒にいるというその確信だけが確かなものだ。
 寄り添いあったぬくもりの暖かさだけが、事実だ。
 いつかこの島で一年を省みることがなくなっても、それでも確かに胸にともる灯火を残したいと願うのは……大人の卑怯さか。

 なにひとつわかりはしない。
 それでも願われるままにこの腕を。

 この島の小さな小さな王様の、小さな小さな泣き言を。
 せめて聞き入れ癒せるように。

 このちっぽけな腕を、差し出した。








 そんなわけで年賀小説、パプワバージョンはいつもどおりにパプワ&シンタローでした。
 一年を一緒にいると嬉しいな、という感じで。
 一緒に年を越えて、一緒に新年を迎えて。初日の出への願いを一緒に同じものが言えたなら、いいのに。
 そんなパプワのちっちゃいけれど一番難しいお願いのお話でした。

04.12.31