キラキラキラキラ、輝くもの。
固くて透明で。
………でもとっても脆いもの。
キレイでキレイで大好きで。
そっと伸ばした指先に。
壊れないでと祈りを込めました。
硝子のことば
あっけらかんとした青空を見上げながらふと苦笑がもれる。
特になにがどうしたというわけでもないけれどもれたそれに目敏く気づいた子供が問いかけてきた。
………それはとても日常的な姿。
「なんだ、シンタロー。空になにかあるのか?」
ついとパプワの見上げた先に広がるのは真っ青な空と入道雲。いつも見ていて、けれど飽きることのない美しい色。
別にそのほか変わったものなど見当たらないと不思議そうに問いかければ、またシンタローの視線は空へと奪われる。………どこか郷愁さえ浮かべながら。
「なんもねぇんだけどな。それが………」
いいかけて、言葉を濁す。
…………それに気づき、眉を顰めた。このあと晒されるものをパプワはよく知っているから。
「綺麗なもんだって思っただけだ。気にすんなよ」
曖昧な言葉に躱すような優しい笑顔。諭すように見せ掛けて、それは怯えて逃げる悪い癖。
言葉に怯えた莫迦な大人は、それ故になにも知らない自分に与えることを恐れている。痛めつけるのではないかと……………
それを知らないわけではない。いい加減、子供の洞察力を舐めていると思うのだ。言葉を知らなくても、自分達は知ってしまう。その些細な変化を知って、それでも教えてくれないからきっと晒し方を覚えられずに大人に成長してしまうだけ。
そんな間抜けなまね、自分はしたくはない。
手を伸ばす時を間違えたくはないのだ。子供だからと見くびられたくもない。掬いとることができると、信じさせて欲しい。
「シンタロー」
その名を呟いて、いまだ丸みの抜けない幼い腕が精悍なその腕をとる。
不可解そうな瞳が注がれる。きっと、シンタローの中で先程の会話はもうすでに終了し、いまの自分の行動はまた新たなものと認識されているのだ。だから必死でなにを訴えるのかを見つめている。取りこぼさないようにと、それこそ真剣な姿で。穏やかな顔を晒しながら、その実どこまでも相手の機微を見極めようと足掻いている。
………どちらが幼いかなんて、自分は解らない。
当たり前に腕をのばせることが勇気なのか、相手を知ろうと心砕くが故に傷つけることを恐れることが優しさなのか。
その境界も意味もあまりに微妙で移り変わりやすいから。
せめていま感じるものだけを晒す。拙さ以上の甘えを込めて、幼さを利用して。
どこかシンタローの甘さや不器用さに付け込んでいると思いながら、けれど決してそれだけではないことを祈って。
「空はキレイだ。雲も。パプワ島はいつだって優しいから、なんだってキレイだ」
一見醜いものさえ、それは誰かを活かすためにある。だから、その生き様は美しく尊い。
全てを包む優しい島は、だからこそ外界の者にはなにもかもが目を奪うほどに煌めいている。
それはこの島以外を知らない自分には解らない感傷。美しくない場所なんて知りはしないから。それでも、解らないけれど知りたくないわけではない。
「お前も、キレイだろ?」
精一杯この島で生きている。それはそれだけで尊いもの。
それでもまだそれを受け入れることのできない彼が、なににこだわっているかなんてわからない。
自分は知りたいのだと示すようにその腕を引き、不遜なままにその膝に足を乗せる。自分は立って、彼は座っているこの状態でさえ、視線を絡めることが出来ないのだからこの小さな身体は時にひどく不便だ。
真直ぐに瞳を覗けば苦笑の気配。
躱すつもりかと眉を顰めてみれば、とったはずの腕が離れ………包まれる。
きょとんとそれを見つめてみれば深く息を吸い込む音がきこえた。
………話してくれるのだとわかって、それならば顔を晒したくないというなけなしのプライドくらいは許そうかとその腕を甘受した。
「なあパプワ………言葉ってのは硝子みたいだな」
不意に囁いた言葉に不可解そうにパプワはシンタローを見上げる。もっとも、肩に頬を押し付けるいまの体勢ではその顔を覗くことは不可能だったけれど。
呼気が背中に触れる。今更ながらに自分達の体格差が悔しく感じた。
シンタローは自分を包んでくれるのに、自分の腕では彼を包めない。こんなにも必死で震えることを拒んでいる背中を見つめるだけなんて、ある意味拷問だ。
せめてものぬくもりをと間近な腕を包み、ゆっくりと瞼を落とす。
彼の言葉を聞き落とさないように、忘れないように。掬いとれることを願いながら…………
「綺麗で…見るだけでも目を奪われるけど、それがもし過って壊れた時は直せないし………その破片が人を傷つける」
深い声音は感情が灯らない。多分、意図的にそうしている。
……それはつまり、灯らせたならば嘆きに変わるということか。あるいはもっと他の、シンタローがパプワには晒したくないと思っている感情か。
己の中の負を晒すことを恐れて、それを子供に欠片でも植え付けることに怯えて。
………まるで、天使を前にした信者だ。清いものは清いまま存在させたいのだと祈るっている。
それを相手が望む望まざる関係なく、ただ穢れなさに焦がれて聖域のように近付かせない。
救いすら、求めてはくれずに………………
だから声はどこか絵空事のように響く。
「強そうに見えて、結構脆いもんだからな………」
それは硝子のことをいっているのか、言葉のことをいっているのか判断出来ないほど深い囁き。
………後悔と、いうべきなのか。悔恨というにはあまりに悲しく切ない。未練といった方がそれはより近かったかもしれない。
過去にどんなことがあったかなんて知らない。教えてくれないのだから解るわけがない。
けれど、その全てが美しく優しいものだなんて思う気もない。哀しみも嘆きも知らない魂が、こんなにも優しくなれるわけがない。
知らない感情を知らないままでいることが正しいなんて思わない。それがどれほど痛みを刻むものでも、彼が知っているのならば……自分もまた知りたいと思うことは愚かか。
哀れみでも同情でもなく、共有ともまた、違う。
苦しいのだと息を吐く場所を求めている大切な人の為に、それを手に入れたいと思うことは傲慢だろうか。
拙い指先で抱き締めた腕を引き寄せる。縋るようだとどこか思いながら。
「シンタロー、僕はこの島が大切だし大好きだ」
言葉が硝子のようだと、彼はいう。
………壊れたなら直せず、時に人を傷つけると。
それは多分正しく、彼自身がずっと感じてきたことなのだろうとも、思う。
けれどそれだけが全てではないことを彼は知っている。ただ少しだけいま、怯えているだけ。
「お前のことも好きだぞ。それだけちゃんとわかって、言葉にできればいいんだろ?」
壊れた言葉を直せないなら、また作ればいい。傷つけたのならば癒せばいい。
……………それはきっと単純で、もっとも難しい方法。
大人になると色々なことがあって、言葉がとても難しいものになる。思うがままに呟くことが出来なくて、時に謝罪すら繕えない無意味なプライドが築かれる。
それでもせめて、大切なその言葉だけは忘れなければいいと、子供は優しく囁く。たった一言、それだけを忘れず呟くことができるなら、壊れたものも作りなおせる。
「だからお前もたまには言ってみろ。ちゃんと、待ってやるから」
言葉にすることがこれほど怖い言葉もない。それをシンタローを知ってからパプワは知った。
それは呪縛であり、枷にもなる。自由を謳う呟きが、いつの間にか相手を縛るために用いられることさえある。
だからいますぐとは言わない。
………いつか、言ってくれればいい。
過去にどんなことがあって、言葉に恐れているかなんて興味もない。怯えているなら自分が癒すだけ。その権利を、自分に与えてくれればそれでいい。
いまだ抱き締めることも出来ない拙い小さな腕で、それでも精一杯の言葉で抱き締める。
抱き締めてくれる腕は微かに震えていて、多分………彼の中で必死でそれを囁こうと思っているのだろうことが窺えた。
無理はしなくていいのだと小さく囁けば、息を飲む気配。
…………そうして、微かに呟かれた言葉は耳に触れたなら消え入るほどに小さくて、聞き間違いかと疑えたけれど。
縋るような腕が強まって、言葉に怯えた大人の恐れと憧憬が流れ込む。
囁くことを恐れたくはないのだと訴えるその腕を抱き締めて、子供はゆったりと微笑んだ。
…………言葉は硝子。
綺麗に煌めき優しく瞬く。
日の光を浴びたならそれは淡く輝き人を心喜ばせる。
どうかいまこの硝子を壊さずに。
……祈りとともに抱き締めた、硝子の言の葉。
見ての通り残暑見舞い限定小説はみんな同じ冒頭から始まります。
そして全部「硝子」がコンセプト。
…………しかしまあ……涼しさの欠片もないわね……硝子なのに。
子供は大人以上に色々なことを知っていると思います。
常識とか知識とか、そういうものじゃなくてもっと根源的なもので。
話していると泣きたくなることもしばしばです。
なのでどうしてもパプワを書くとそれが強く出てしまいます。
………ああ、こういう感じだったのかな〜とか思いながら。
さすがに私の書くパプワとシンタローほど顕著ではないですけど(笑)
でも子供達に沢山のことを教わったので、それを形にしたいとは思います。
忘れたくないのと、ちゃんと子供は知っているんだってことを知ってもらうために。