「お、起きたか。あけましておめでとうございます」
 「なんだ、それは?」
 きょとんとした子供ときょとんとした大人の、不思議な朝の風景。まだ眠いのだろう、傍らの犬は欠伸をしてまた布団へと潜ろうとしている。
 それを片手で阻止して自分の膝に乗せた青年は、困ったように首を傾げて子供に問いかけた。
 「いや……今日は元旦だから、いうだろ?」
 「朝だから『おはよう』だろう? なにがめでたいんだ?」
 何故言葉が変わるのだと不思議そうに目を瞬かせる子供に、不意に気付く。これはある種日本独自のものだろう。世界各国新年の祝いはあるが、それぞれにその意味あいは違ってくる。
 事前に説明しておかなかったのが悪かったかと苦笑して、青年は膝の上の犬を起こすように持ち上げた。どうせ説明するならば、一緒に教えておいた方がいいだろう。知能も人間並みのこの犬は、十分自分の言葉を理解できるのだから。
 小さな鳴き声とともに目を擦り、犬がなんとか覚醒する。それに気付き、子供が手を伸ばした。犬を傍に置くつもりかと視線を落とせば、その手は真っすぐ自分の腕に伸ばされている。
 仕方なさそうに軽く息を吐き、先ほどのように犬を膝に乗せ、もう片側に子供を招き寄せる。まだ子供を育てるには若い気もするが、それはもう慣れ親しんだ位置だった。子供と犬を片膝ずつに乗せ、犬の背中を優しく撫でながら、改めて青年が口を開いた。
 「日本じゃな、年が明けるってことは、『年神様』っていう神様が新しく再生することをいうんだ」
 「神様の誕生日か?」
 「………まあそんなもんかな。で、年が明けたら『おめでとうございます』っていうのは、再生した神様への言祝ぎなんだよ」
 あまり難しい言葉を使わないように教えようにも、はじめから素地の違う自分達では、どこまで正確に伝わるかいつも不安になるものだ。
 悩み顔で教える青年を見上げ、子供は目を瞬かせては頷いた。聡明な子供は青年の言葉一つ一つを咀嚼し、その意図する意味を正確に汲み取ろうとしていることだろう。
 それが解るだけに、より正確に解りやすく、どうしても教えてやりたくなる。良き教師にはなり得ないが、せめてもの努力はしたいとつい思ってしまうのは、やはりこの島とこの子供に情が移ったせいだろうか。
 しばらく考え込んでいたらしい子供は数度頷き、青年を見上げた後に犬と目を合わせ、お互いに確認しあうように頷いた。息のあったその仕草に、知らず笑みがもれてしまう。
 「じゃあ、シンタローも『おめでとう』なんだな」
 同意するように鳴く犬の笑みに、青年は目を瞬かせる。
 いまいち、彼等の思考回路が掴めない。それは勿論いつものことでもあるのだが、それでも教えたことを曲解するほどすれていないはずだ。常識の範疇が互いに違うというだけで、決して彼らは無茶なことを言いはしないし、教えられたことを弄びもしない。
 眉を寄せてなんとか理解しようと試みるも、到底それは解りようがなかった。膝に上の子供と犬は互いにすっきりしたような顔で既に納得したらしく、さっさと立ち上がるとおせちの乗った机の方へと進んでいってしまう。
 「って、待て。なんで俺がおめでとう?」
 箸をとろうとしている子供にようやく気付き、青年が慌てたように傍に寄って声をかけた。まだ熱い雑煮を注意するように声をかけてからよそって渡してやると、子供は首を傾げて怪訝そうな顔をした。
 まるでいま自分でいったことを聞き返されたというような顔に、ますます青年は困惑する。説明の仕方が悪かったのかと反芻してみるが、そこまでおかしな説明ではなかったはずだ。
 「パプワ?」
 犬への雑煮を冷ましてやりながら問う声をかければ、仕方ないというような顔で子供は箸を置いた。
 「一年の始めは、年神様の再生なんだろう?」
 「ああ」
 「また神様は一年、そこにいるんだろう?」
 「まあ、そうだな」
 巡る年と同じだけ神は再生し、そこを豊穣の土地と変え恵みを与える。それならば民と髪は寄り添いあっているのだろうと、きっと子供はいうのだろう。それは確かに正しいだろうし、自分の意図したことに沿っている。頷けば、やっぱり不思議そうに見上げる子供。
 「一緒に、いるんだろう? だから、シンタローも『おめでとう』だ」
 もう一度、願いを込めて呟く子供の言葉に、青年は目を瞬かせて動きを止める。多分、思考も止まってしまっていた。ほんの数秒でしかない停止は、雑煮を待つ犬の急く鳴き声によって解放される。
 慌てて雑煮を犬に与えた青年は、困ったような顔で、けれどどこか嬉しそうに笑って、子供を見遣った。
 幾度も幾度も一緒にいることを願って、子供はこの言葉をこれからもいうのだろうか。去年の自分と今年の自分を新たに変えて、離れることなくまた仲良く一緒にいられるようにと、願掛けのように。
 それはひどく切ない願いだ。叶わない日がくることを知っていながらも言祝ぐ、寂しい祝いの言葉。
 けれど、少なくとも今この時、は。
 そう思い、青年は淡く笑んだ。出来る限りの誠意を胸に、子供と犬に笑いかける。
 「ああ……ありがとう。今年も、よろしくな」
 いつかはと、その思いは誰の胸にも去来する。それでもその日が来るまでは、幾度でも願掛けのように言葉を綴ろう。

 それがせめて、寂しさを埋め悲しさをあたためる、言祝ぎとなる日まで。









07.1.1