それを見たときに、血が沸き立つ気がした。
生まれたばかりの赤子に対して抱く感情ではない。
それは刷り込みと言ってもさ差し触りはなかったのかも、しれない。
ただ純然とした嫌悪が身を包む。

怒りともつかない戦慄きが身体を震わせた。
初めての甥の誕生に感動しているのだと家族は思っていたけれど。
そんな生易しいものなどではない。
人目がなかったなら、くびり殺していたかもしれない。
これが、そんなあたたかさに満ちている訳がない。

 

………どす黒いまでの、憎悪。





脳裏の華



 どかりと座った総帥の椅子。別になんの感慨も湧かないのはその称号を得ていない身で座っているせいか。
 一族を巻き込んでの大騒動のあと、結局シンタローはマジックの後を継いだ。もうすでに血など繋がっていない身でそれでもマジックはシンタローに執着する。
 いっそ気味の悪いほどのそれを、けれど拒みはしないシンタローの意図も解らない。あるいは、そんなもの自体がないのかもしれないが。
 …………一滴の血も、分かってはいない新総帥。
 一族を束ねるには足りないはずの秘石の力すら凌駕するなにかを確かに秘めている。それは物理的な力では及ばぬ深淵さ。…………秘石と同じく生まれ持っていなければ培うことなど出来ないカリスマなのか。
 解るはずもない結論を欲しがって駄々をこねている子供のような自分の思考にハーレムは唇を歪めた。別になにか確かな答えを求めたつもりなどないと無理矢理納得して椅子から身体を離す。ぎしりと響いた音に、少々無理な体勢を強いていたことはわかったが、今更だ。壊れたところで困るのも弁償するのも自分ではないと素っ気無く視線を逸らせば呆れたような視線。
 …………気づかなかった自分に小さく舌打ちした。勿論、相手には解らないように。
 すどく射抜く視線を向けてみればつまらなそうな幼い顔。時折思い出したように覗かせる昔と変わらない無防備さ。
 このところ見せなかったそれは、やはり新総帥としての激務をこなしていて余裕がなかったからか。あるいは、それを完璧にこなすために行なっていた擬態か。
 どちらにしてもくだらない。ガキはガキらしくままごと遊びでもしていればいいものを、なにを自ら望んで重荷を背負おうとするのか。………そして周りもまた、それを何故望むのか。
 拒む訳がないとわかっていて言う願いは強制だ。それを自覚もしていない愚かさに辟易とする。
 ………………もっとも、我が侭さ加減であれば誰よりも特出している自分が言ったところでまったく説得力などないのだろうけれど。
 「ったく、ここは俺の部屋なんだが?」
 どこか親しみを込められた音。多分、血の繋がりがなくなっても関係などないとようやく思えたのだろう。
 いつも息苦しそうに生きていた少年時代とは打って変わった姿。重荷を増やされ更に雁字搦めになった癖に、開花されたその性情。
 憐れんで、どうなる訳でもない。
 それを自分はよく知っている。悲しんだ所で詮無きこと。自身で決めたことを曲げることの出来ない崇高さはある。もっとも、紙一重でただの馬鹿でもあるけれど。
 皮肉げに歪めた顔を向け、ハーレムは赤い制服に身を包んだ甥に声をかけた。
 「なにいってやがる。お前がいなけりゃ俺の部屋だったぜ」
 どこか小馬鹿にしたなんの意味もない戯言。本気になど誰も考えていない言葉は、けれどシンタローの眉をどこか歪める。
 それを見つめ、訝しそうにハーレムは目を細めた。………別に、この程度のことはよくいうたわ言だ。いつもだったら馬鹿なこと言っているなとでも言ってあっさりと流してしまう常套句のような言葉のスキンシップ。
 それを躱しきれずに思い悩むなど、らしくもない姿。
 そうしてふと思う。…………今日という日が、いつであったかを。
 あの島にシンタローが流れ着いた日。運命を呪い続けた少年が、運命を感謝した奇蹟の起こった日。
 そしてなによりも激しい喪失を、再び背負わざるを得ないことを知ってしまった日。
 本当に不器用な家系だ。愛しむものを愛しいと愛すことも出来ない。ましてそれを壊さずに抱き締める術すら持たない破壊を旨とした強大過ぎる血の力。それを自覚するには情の深過ぎる性情。なんて皮肉なことかと幾度嘲ったかも解らない。
 多分、一族の中で自分だけが解っている。否、解ろうとしている。自分達の愚かしさと、血の威力。そしてそれに連鎖される記憶と情。
 それらが………なにを意味するかを。
 誰もが焦がれる。自分達とは違うその姿。
 決して光に染まりはしない黒を模している癖に、それでも輝くような存在感。人の上に立つことを約されていながらも拒む姿すら艶やかだ。………誰もが傾斜する。その足下に膝をついてもいいのだと、思わせる。
 無条件降伏を可能にする魂は存在する。
 それをよく、理解している。それはなによりも絶大な威力を持って自分達の血を揺り動かせる。血の征服が重ければ重いほど、その執着もまた、重い。
 あの島で自由を知ったいまのシンタローにとって、その枷はきっと重荷以上の重圧。
 息すら出来なくなるほどの。………当たり前を躱せなくなるほどに……………
 それならいっそ全てを捨て去ってしまえばいいのに、それでも縋る腕を無視できない。
 どこまでもお人好しな性情を悔やむ奴などいない。それこそを願っているのだから。………だからこそ哀れだと思ったことは、あったけれど。
 「なんだ……着任したばっかでもう引退か?」
 皮肉を込めて囁けばゆっくりと伏せられた瞼。思いのほか長い睫が微かに揺れる。
 息を飲み込んだのか、あるいはなにかを自身に確認したのか。揺れた睫はすぐに開かれ、いつもの勝ち気な輝きを宿らせた瞳を覗かせた。
 そうして誇らしげに象られた笑みとともに綴られるのは耳に心地よい旋律。
 「だ〜れがあんたに譲るようなへまをするかってんだよ。あんたに渡したら一日で破産宣告だぜ」
 からかうように弾む声。年上に対してと思わない訳がない。
 それでもどこかでそれを許している。なんでかなんて、解るはずがない。
 ただ知っている。
 初めこの身を占めた感情は確かな憎悪だった。自分の弟の片目を奪った憎い影を彷佛させるその色彩に対しての。
 そうして抱かれ続けた像は、けれどゆったりと様変わりする。執着のように示された毒舌や冷たい素振り。傷つけることだけを目的としたちゃちな言葉すら、変化する。
 示すものは何一つ変わらないのに。ただ視線が求めることに気づいてしまった。
 鬱陶しいと思っていた癖に。消えてしまえばいいと願っていた癖に。
 それでも視界にいないその影が物足りなくて、つい足を運ぶ。まるで幼子の恋慕のような幼稚な行為。
 そうして注がれた視線の分、知ってしまった生きることに不器用な魂の存在。
 手を伸ばすことは簡単だった。おそらく陥落させることも。なにも知らない瞳の中に刻むことはあまりに容易くて………それ故に伸ばせない腕に気づく。
 わかったから、決めたこともある。
 別に慕われたいなんて思わない。今更、そんな関係になったところで意味もない。
 慕われるのも頼られるのも好意を寄せられるのも、全部弟に対してで構わない。
 ………………それでもたったひとつ譲れない意地。
 不敵に笑んだシンタローの、それでも隠した腕の指先は微かな怯えに染まっている。
 恐れていないことなど何一つない。きっとその威風堂々たる姿さえ、自身に目隠しするための擬態。
 たいして差のない位置まで伸びた肩に軽く掌を添え、不可解そうに顰めかけた眉を覗くように寄せた面が、一瞬影に染まる。
 端正な、顔。その顔だけを見たなら確かに自分の慕う叔父と同じ。ただ、それでもその瞳に写る影だけは違う。どこかいつも血を流している淋しそうな子供の影。
 それが間近まで寄ったなら……唇に触れた微かなぬくもり。
 …………………あまりに予想外の行為に対して無防備になっていたことは確かだ。
 ただそれでも一体何故と悩むだけで…嫌悪は湧かなかった。
 目を瞬かせることもせず、ただ歪めた眉だけで疑問と謝罪を求めてみれば、呆れたように鼻で笑われる。
 本当に、気など合わない親戚はいる。それを心の底から肯定したくなる瞬間はいつだってこの叔父が相手だ。決して自分はこの人の考えも行動の意図も推し量れない。
 傷つけることに慣れているかと思えばひどく苦しそうに顔を歪める。おちゃらけているかと思えば誰よりも人に気を配っている。アンバランスで不確かで、いまだ安定という言葉から遠ざかった不思議な人。
 その人の声が、響く。
 「俺をダシに使った使用料だ。ガキの癖になに生意気に抱え込もうとしてんだか」
 ………ひどく甘くさえ聞こえる、冷たい音。
 突き放しているようで包み込もうと必死な仕草。優しい言葉をかけることで狂わせる血の存在を、きっと誰よりもよく知っている人。
 ずっとそれに縛られて、逃げ出したいのだと流し続けた涙は雨にも似ていたのに。それを注いでいた金の髪と変わらぬ色を宿した人が、逆の言葉を捧げてくれる。
 ハーレムに突っかかることで、立ち直ろうと思っていた。甘やかそうなどとはしない相手だから、厳しくやり合ってくれると思ったから。
 そしてぶつかりあっていまこの身の内を廻るやり場すらない不安や葛藤を消してしまいたかった。それは確かに生意気なまでに人を頼らなかった自分の悪い癖。
 さっと頬に刺した朱は羞恥か、あるいは見透かされたことへの照れなのか。
 解りはしないが、音がする。
 ………変わり始めたなにかの、始まりの音。
 それを流すように……受け入れるように、シンタローはもう一度瞼を落とす。

 ……………近付いた気配に、ただ睫は震えるだけだったけれど………………








 そんな訳でありえねぇだろというハーレム×シンタロー。
 まあ私個人の中ではOKなんですがね、精神面だけであれば。

 ハーレムがガンマ団を追い出された、というのも半ばこういった事情かな、とか。
 気遣ってばっかの叔父にとりあえずの自由をプレゼント(笑)
 …………まあ、結果ハーレム退屈過ぎて幼児化ですけど(爆笑)
 いいのです。その全ての八つ当たりも迷惑も特選部隊(むしろ元?)に押し付けられます。
 甥っこたちの前じゃあそれなりにちゃんと大人していると思うんですけどね、この人。
 結構かっこつけたがりだから(笑)