本当は分かっていたんだ。自分の腕が自分の体を抉りとった時、これは罠だって。
分かっていても止まらなかった。そうするべきだと体が反応した。それはまるで細胞たち一つ一つが意志を持って動くかのような不可解な安堵さえ伴わせる自然な行為。
それでも自分という意識だけがおかしいと叫んでいた。その違和を黙殺して腕は動き指先は鮮血に滴った。
どうしてと叫びたかった。
自分は戦う人間だ。戦うための腕しか持っていない、生き物だ。
守るためにさえ戦う以外の術を知らない。
その、自分が。
どうして戦うことを初めから放棄して心臓を抉る?
それが正しいと囁く甘やかな細胞と、おかしいのだと叫ぶ自我。
正しい。……否、おかしい。
ぐるぐると脳裏が回る。陰り始めた視界には金の髪。それは自分と同じ体を共有していたかつての己自身。そしてその奥には、間近な影と同じほどに鮮やかな長い金を身にまとう、自分の本体たる、番人。
その目はどこか愉悦に染まっている。狂気に近い、その悦び。
ああ………と、得心した。これはきっと彼の招いた運命の一つ。
自分を影として求める彼の狂気の一端だ。
元は同じだったにもかかわらずあまりにも自分の自我が強く壊れないが為に、彼は心ではなく体を破壊することにしたのか。
コポリと口の端から血が吐き出される。痛みなど感じもしない。まだ意識が留まっていること自体が奇跡というべきだろう。
これは、彼の罠か。
そしてこれが罠であれば、必ず罠にかかるべき獲物がいる。
それを考えた瞬間に、この体を放棄したのは自分だった。
…………こんな場所に留まっているわけにはいかない。あの子供のもとにいかなくては。
彼の影であるが故か、忌々しいまでに彼の思考回路が読める。
こんな体で顔を合わせればきっと子供は悲しむだろう。それでも……子供を守るためには赴かなければいけない。
自分の体に絶対的な死が舞い降り、この魂さえもいつ消えるか分からない。
それでも、行かなくては。
心の底から叫び続けよう。
お前のせいなどでは消してないのだと。
これは罠であり、自分は自分の愚かさ故に駒となってしまったに過ぎないのだと。
お前には何一つ非はないのだ、と。
だから
そんな風に嘆かないで。
お前の愛したこの世界さえも巻き込むほどの慟哭、与えられるにはあまりに卑しい命なのだから…………
「眠りの声音の神話」シリーズのシンタローの話。
初めはアスと戦わせてでも力及ばず……にしようかと思っていたけど、それだとパプワを追いつめることが出来ないので却下した結果が、ああいう形でのシンタローの死だったので。
理由的にはもうプログラミングされていた行動、という感じで。暗示に近いでしょうか、どんなことがあろうと最終的に命を落とす際はアスの意志に従わないといけない、呪縛。
だから精一杯シンタローは叫んでいたんですよ。アスがパプワを追いつめている時。
そのひとつとして、パプワに伝わらなかったからこその、悲劇でしたけれど。
05.12.13