空がこぼれてきそうだと思った。

あんまりにも沢山溜め込んだ思いが胸の奥に溜まっていて。
息苦しくて辛くて……それでも吐き出せなくて。
嚥下したなら広がる苦味。

空が……落ちてくる。

青い青い瞳の呪縛がこの身を縛る。
そんなもの携えてさえいないこの身を……………





アイ言葉



 身体の奥になにかが蟠る。
 それはひどく大きくて妙に邪魔で。そのくせ吐き出そうにもこびりついて落ちやしない。
 忌々しく息を吐いてもそれは悠々とした顔で腹の奥に眠っている。

汚イ
   醜イ
         穢レ
 憎悪
                悲哀
      涙
           憤リ
    憤懣
 こびりついて落ちないそれをただ溜め込んだ。
 それが一番楽だった。……切り捨てる勇気もない自分を嘲笑う事も出来ない。
 この手から奪われたたったひとり同じ血を通わせた弟。泣いていたその小さな指をあたためる事も出来ない。
 喉の奥が焼かれるような焦燥がいつまで経っても消える事がない。
 ………守れない自分を思い知った。
 強いと自惚れていた。
 父親が自分の願いを全て叶えてくれると驕っていた。
 吐き出した。たった一度きりの本音。
 殴られたのはこの身だったのに……泣きそうだった父の顔がいまも胸に突き刺さる。
 たった一度口にした事実が亀裂を生んだ。

 ……そしてそれは………………

 決別がこの身に降り掛かる結果しか導かない事をどこかで予感していた…………

 

 ………ゆっくりと開かれた瞼の先、眩しい陽光が遠慮なく青年を捕らえた。
 顔を顰めてそれを遮断するように腕をあげ、改めて瞬きを数度青年は繰り返した。
 随分と……懐かしい夢を見た。
 あれはいつの頃のコトだったか。……確か弟を連れ去られて一年も経った頃だったか…………
 この島に流れ着くほんの数カ月前の頃の自分。
 いま思い返せばなんて陳腐で愚かしい幼さを晒した事か。
 もっと大人だと思っていた。…………けれど成人すればなんでも思い通りになるのだと祈っていた馬鹿な幼さは拭いきれていなかった。
 苦笑を口元にのぼらせて、青年は軽く息を落として伸びをする。身体を支えてくれていた樹の幹が微かに腕にあたった。
 そうしたならなにかが落ちる気配。
 ………この時期には何の実もつけないはずだと怪訝そうに眉を顰めて音のした地面を見つめれば……転がっていた箱。
 「……なんだ…これ…………?」
 無愛想な深緑のラッピングを施された箱。簡素にまとめられた木箱。
 落ち着いた感じのする趣のある和風の包み。大雑把にココナッツの葉でまかれただけの木の実。
 御丁寧に花まで散らされていたのか、よくよく見てみれば青年の眠っていた辺りは季節外れの花園に変わっている。
 呆気にとられていた青年が改めて不振そうな目つきで散らばっている花の中に埋もれるような箱を摘まみ上げた。
 振動を与えないように注意しながら耳元に近づけ、箱の中に危険物はないか確かめてみる。
 とりあえずその中から機械音もないし、比較的軽く危険な匂いも感じなかった。
 怪訝な顔を零したまま一体なんなのかと悩んでいると、背後の茂みが僅かな音をたてた。
 条件反射で青年はそちらに顔を向けて無意識に急所を庇い背後をとられぬように幹に背中を押し付けた。
 緊張した気配の中、ぬっと現れたその影に青年は一気に脱力したのだけれど…………
 「ハロー、シンタローさんv 素敵なベッドね♪」
 「…………………イトウ…………」
 呆れたような声でその名を呼び、がっくりと木に寄り掛かった青年は大きく息をついて足下の花を踏まないように注意しながら再び座り込んだ。
 どこか含む笑みを零したイトウの顔を不愉快そうに青年が睨み付けると慌てたように自分の口元を押さえる。
 ………それでも一本の腕は変わらず背後に回されたままである事を不思議に思いながら青年はそっぽを向いたままの姿勢で言葉を続けた。
 「なんか用かよ。俺は昼飯作りに戻るぞ?」
 どこか苛立たしげに……それでもちゃんと相手のコトを気遣った声が零されてイトウの目がやわらかく綻ぶ。  嬉しそうなその顔を視界の端に収め、どこか居心地悪そうに青年は立ち上がった。
 それに従うようにイトウは歩を進め、青年の前まで周り込むときょとんとその大きな目を青年の顔に近付けた。
 ……………突然近付いたその顔にぎょっとした青年がつい条件反射で殴りつけるように遠ざけてしまう。
 「いった〜い…… ひどいわ、シンタローさん。まだなにもしていないじゃない………」
 シクシクと泣いたイトウにバツの悪い顔を一瞬零しながらもツンと顔を逸らして青年はどこか憮然とした声で答える。
 「………………いきなり近付くからだ。で、なんの用だよ」
 落ちていた箱や花には目もくれず、青年は歩き始めようとする。きちんと殴り飛ばしてしまったイトウの間近まで寄りながら。
 その心配りに痛んだ顔をさすりながらもイトウはにっこりと笑う。
 ………こんな彼だから、いくら手酷い扱いを受けたとしても諦めきれないのだ。
 そんな気配に気づいたらしい青年が子供のような顔をして唇を尖らせている。慣れてくれた雰囲気に綻ぶ顔をそのままに、イトウはすっと隠していた腕を背後から表した。
 その触手という名の腕の中、鎮座しているのは………かわいらしくラッピングされた花の飾りのついた箱だった。
 それが示す意味が判らなくて、青年は眉を顰めてそれを眺める。
 ………手を出そうともしないでただ眺めるだけの青年に苦笑を落とし、イトウは改めて声をかけた。
 「お誕生日おめでとう、シンタローさん。タンノくんの家でパーティーの用意もできてるわ」
 だから迎えにきたのだといったなら……晒される驚くほど無防備な顔。
 泣き出しそうな、それを耐えるような……………不器用な幼い顔がほんの一瞬覗いた。
 ……………そして驚いたような惚けた声が響く。
 「………たん……じょう…………? 今日だった………のか…………?」
 戸惑った声にイトウが困ったような顔で笑った。
 ずっとずっとなにかに追われていて、余裕のない青年。人のコトは思い出せるくせに…自分のコトは忘れてしまう不器用な……………
 もっとも、だからこそ秘密裏に用意していてもまったく気づかれる事もなかったのだけれど…………
 笑い飛ばしたくなるほどかわいらしい。
 それはこの島で綻ぶ事を覚えた青年の本質。
 ……だからこそ、こうして祝福される価値があるのだけれど………………
 声もなく戸惑ったままの青年の一歩前に進みながら、イトウはちらりと茂みの奥を見遣る。………僅かに畏縮した気配に小さく笑いながら悪戯っぽく青年に囁いた。
 「ほら、その箱もお花も……お祝いのプレゼントでしょ?」
 顧みる事も忘れて寂しそうにたたずむ小さなプレゼント。探すのに苦労したのだろう芳香のあまりきつくない質素で静かな花たち。
 隠れたままずっと青年が起きるのを待っていたのだろうか…………?
 男というものは不器用な生き物だと笑い、イトウはそれを示すように青年に目線で示唆を与える。勘のいい青年がそれに気づかないわけもなく………唇穏やかに綻ぶ。
 こぼれ落としそうだった誰かからの好意。
 それを抱き締めるように足元の箱たちを抱き締めて、イトウの示した茂みの方に声をかけた。
 「………サンキュー、お前ら。一緒に飯…食うか?」
 穏やかな声は心地よくて。
 ………この島に訪れるまで亡くしていたそのあたたかさが、心地よくて………………
 茂みに隠れていた男たちも顔を綻ばせて駆け寄ってくる。
 痺れてしまった足取りはどこかたどたどしい。それを笑いながら青年は久し振りに心から笑みを落とした。

 

空の先、零れ落ちてくる青。
この身を蝕む色にいつ喰い尽くされるのか怯えていた事があった。

それでも思う。
………くだらないと、笑い飛ばせる。
この島がその勇気を教えてくれた。

その勇気を、思い出させてくれた。

 

見失いかけた仲間を鮮やかに浮き上がらせて………………