柴田亜美作品 逆転裁判 NARUTO 突発。 (1作品限り) オリジナル (シスターシリーズ) オリジナル enter |
忘れたくない あなたがいたその時を 見遣った先の人は、憔悴していた。 それ以外どう表現すべきかが自分には解らなかった。 困惑して隣に立つ兄を見遣れば、軽い溜め息とともに眼鏡のブリッジを押し上げていた。 「………成歩堂、昨日は寝ましたか?」 ぼんやりとした…問いかけられたはずの相手は、目を瞬かせることもなくどこかを虚ろに見遣っているばかりだ。 微かな舌打ちの音が響也の耳に入る。そんな兄の様子に、珍しいと、こんな場面にも関わらず目を瞬かせてしまう。 兄である霧人はどこか人を寄せ付けない面があり、表面的にはそつなく付き合いはしても、こんな風にあからさまな感情の揺れを見せるようなことは、まずなかった。 微かな驚きと、同量の感嘆でもって見遣った先、霧人が成歩堂を覗き込むように床に膝をついた。………成歩堂は直に床に座り込んで壁に背を預けているのだから、顔を見ようとすればそうする他なかった。 「成歩堂」 もう一度、名を呼ぶ。今度のその声は少しだけ低く大きかった。 びくりとその音に反応した肩が跳ねる。そうしてゆるゆると首が巡り、ようやっと床に座り込んだまま飼い犬らしき子犬を抱えていた人は、自分以外の人間が空間に存在していることを認識した。 「あ……れぇ?」 舌ったらずともとれる間延びした声で呟き、目を瞬かせた。やはりその顔色はいいとはいえず、動きも緩慢だった。 それは膝をつき成歩堂に視線を合わせている霧人にも充分解ることで、また小さく息を吐き出す。 「寝ていないわけですか」 「………一応仮眠はさせたんだがな」 霧人の問いに応えたのは、質問を寄せられた成歩堂ではなく、背にしていたドアからだった。視線を向ければ先日初めて会った、この店の仮の店長として就任した神乃木が、苦笑ともつかないシニカルな笑みを口元にのせて立っていた。 それに霧人は鋭い視線を向け、けれど口元だけは優美に微笑み、応える。 「これがまともに寝た人間の反応ですか」 「………牙琉、神乃木さんが悪いわけじゃ、ないよ」 冷淡な響きの霧人の嫌味に成歩堂が躊躇いがちに告げる。実際、寝床を提供されながら眠れなかったのなら、それは相手の好意を無為にしただけであり、その責任を追求されることではない。 困ったような小さな声音に、まだしゃがんだままの霧人は目を向け、冷たい音色を奏でた。 「当然でしょう。そんな状態でここにいるあなたが一番悪いに決まっています」 「ちょっ……アニキ!」 いくら友人でも言葉が過ぎるだろうと、ひやりとした心中で響也が止めに入る。こんな状態の人間と喧嘩をされても、響也としてもどうしようもない。 けれどそんな響也の焦りなど知らぬように、咎められたはずの成歩堂は小さく笑んで腕の中で唸る子犬を抱き締めながら、冷たく自身を見据える友人に応えた。 「平気、だよ。ありがとう……牙琉」 「…………感謝の意味をはき違えるのはいかがでしょうね」 「間違えてないよ。心配してくれて、ありがとう」 それでも今は無理をさせてと、そう願うような声音で成歩堂は呟いて、まだ怠いのだろう、気怠気に背中を壁にもたれさせた。 身体を支えられないわけではない。 ただ、疲れてしまう。かといってそれを解消しようにも眠れもしない。 …………夢の中は幸せすぎて、現実の悲しみに押し潰されそうで恐ろしいのだ。 せめてもっと色々とやることがあって、夢など見れないほど、くたくたに疲れてしまえればいいのに。………悲しみになど染まっていられないほど、忙しければいいのに。 思いながら、成歩堂は自分に近づいてきた神乃木に気づき、顔を向けた。彼の手にはマグカップがふたつあった。その片方を差し出され、中身も知らぬまま成歩堂は両手で受け取る。 ………触れたマグカップは仄かにあたたかく、じんわりと手のひらを温めた。柔らかなカフェ・オ・レの香りと色に、ほっと息を吐き出す。 ゆっくりと一口口に含み、飲み込んだ。それを見上げていた子犬がぱたぱたと尻尾を揺らす。 それは分けてくれというよりも、純粋に飼い主がそれを飲んだことを喜んでいるようで、神乃木は微かに眉を顰めた。杞憂であればいいと思っていたことは、どうやら確実な現実らしいと理解したからだ。 昨夜の夜食も今朝の朝食もたいして手を付けたあとはなかった。……つまりは、その程度しか栄養摂取も出来ていないということだろう。 まだたいした付き合いがあるわけではないこの青年は、出会いの時こそ毅然とした人間だったが、数日を経るとその脆さが顔を擡げ始めていた。………おそらくは、慰め励ますべき立場から、共有し前進するべき相手を得てしまったが故の、一時的なゆらめきだろう。 もしも神乃木が現れなければ、こうした面すら彼は飲み込み、この店を再開させたのだろう。………その後不具合が生じるか否かは、解らないけれど。 思い、神乃木は嘆息を苦笑に紛らわせた。彼は、千尋の死を知り研修先から戻ってきた、いわば成歩堂の中ではイレギュラーな存在だ。彼は講師という立場上、どうしても千尋の死の瞬間どころか、葬儀にすら間に合う手はずを整えられず、全てが後の祭りだった。 その死を看取るには間に合わなかった成歩堂と、それは同じだろう。その後、全てが終わった絶望と、全てを見届けながら遺志を背負う痛みとは、違うけれど。 そうして彼女の残り香を追うように訪れたこの店で神乃木が出会ったのは、未熟でフラフラの青年だった。話を聞けば、彼こそがこの店を託され背負っている唯一の人間だった、のに。 まだ彼女の死を乗り越えられないのであれば、無理に店を再開しても無意味だろうかと、そんなことをちらりと脳裏で考える。 彼女の思いの結晶であるこの店を穢すのは、自分も成歩堂も本意ではない。それならばもう少し、せめて睡眠と栄養くらい当然にとれるようになってから再開すべきだろう。 折角やって来たメンバーには肩透かしかもしれないが、成歩堂のこの状態を見れば納得も出来るだろう。思い、神乃木が口を開こうとする。 と、まるでそのタイミングを見知っていたかのように成歩堂が神乃木に声をかけた。 「……神乃木さん、再開の準備、しましょ?」 「…………………」 「僕なら平気です。千尋さんに鍛えられていましたから」 「成歩堂、自分の顔を見てから言うべきですよ、そういう言葉は」 無言のまま成歩堂の言葉を受け取っている神乃木を睨みながら霧人が会話に割り込んだ。 随分と自分から積極的に関わっていると、珍しい兄の様子を響也は眺めながら、一歩後ろに下がる。それに気づいた神乃木が心中愉快そうに笑んだ。………なかなか分を それに気づきながら、けれど響也は答えはしなかった。………まだ正式な人員に加わっていない身では、あまり立ち入った話に加わるべきではないだろう。そう思い、彼らの話を傍観者として聞こうと耳を澄ませる。 「心配性だね、牙琉。でも、大丈夫だよ。あのね、もう決めているんだ、新作も」 「成歩堂」 「千尋さんに教わったプリンとかゼリーとかムースと、全部で6種類のアソートセットにして、卵の形の容器に入れるんだ。小さいから食べではないけど、色んな人と一緒に食べられる、セットにしたいんだ」 「成歩堂っ」 霧人が話を遮るように名を呼ぶ。それにすら頓着せずに成歩堂はまくしたてるように話し続けた。 それを見つめる神乃木の目が、少しだけ憂いに沈んで見えて、響也は怪訝そうに彼らを見遣る。 別に無理な話ではないだろう。6種類なら、たとえ自分が加わわらないと考えても一人2種類で済む。形体は解らないけれど、それくらいなら新人の自分もすぐに作れるだろう。 なによりも、今この店には明るい話題が必要だろう。オーナーを失い、心機一転営業再開だというのであれば、今までとは違う面も見せた方が宣伝効果は高い。 なにを二人は躊躇っているのかと首を傾げていれば、神乃木が僅かに低い声で呟いた。 「………で?冷菓は自分が担当するっていってたが、アンタ、一人でそれを請け負うつもりか?」 微かに諌める口調を滲ませて告げる神乃木に成歩堂は困ったように首を傾げて、まるで違う返答を返した。 「神乃木さん、早く店を再開しましょうよ。僕は……みんなに忘れて欲しくないんです」 この店のことも、この店を作り上げたあの奇跡のような女性のことも。自分が覚えている全てを誰かと共有したいのだと、成歩堂は笑った。青ざめたままの顔で、マグカップ一つ意識しなくては零しそうな指先で。 それを見咎め、霧人がその手を支えるようにマグカップを取り上げる。瞬間、子犬の唸る声が聞こえた気がしたが、霧人は黙殺して成歩堂を睨んだ。 「成歩堂、人の話を………」 「ねえ牙琉、手伝ってくれる?」 相手の言葉を遮るようにして成歩堂が問いかける。 真っすぐに見上げた視線は、弱っているはずの成歩堂の肉体を忘れさせるほどの、したたかな強さを秘めて霧人に迫る。 瞬間、引き込まれそうな意識を押し止めるように霧人は息を飲み、目を眇めた。 「だって、ここが動かなきゃ、僕も動けない。僕は進みたいんだよ、ちゃんと」 こんな風に踞っているのではなく、真っすぐに前に進みたいのだと、成歩堂は真摯な眼差しで霧人に訴える。 ……無茶をいっていることくらい、承知しているのだ。 それでもそれを敢行しなくては、進めない。より以上を自身に求めなくては、弱さを言い訳に踞ってしまいそうだ。 悲しみがこんなにも間近で口を開けて待っていては、いつその中に入ってしまうか解らない。それなら、少しでも遠くへ。……前に、進むしかない。それを成歩堂は知っている。 だからこの身への心配以上に、立ち上がる手助けを、願った。 同い年の製菓学校の同級生は顔を顰め、眼鏡のブリッジを押し上げ、不愉快そうに顔を逸らす。 それでも小さく頭を振って、微かな溜め息を落とす様に、成歩堂は笑んだ。 彼はそうしたとき、いつだって自分に付き合ってくれたのだ。だから今もそれが言葉にしたくはない承諾の意であると、成歩堂には解った。 そんな二人を見遣り、神乃木も苦笑する。どちらにせよ、口でいって聞くような相手ではないらしい。それはもう、この短い付き合いだけでも十分に知れたことだったけれど。 この店の再開は神乃木にとっても否はない。それならばもう、この賭けにも似た彼の言葉に乗ってみるしかないのだろう。 進めるのか、あるいは落とし穴に落ちるのか。それは歩き始めなければ誰にも解らないのだから。 この店に身を置くと決めたのだ。それならば最後まで付き合うのが道理だろう。 「クッ………!毒には皿のおまけ付きってのが相場だったな」 「ひどいたとえですね、相変わらず………」 苦笑して揶揄する神乃木の言葉の応えれば、僅かに離れた場所から呟き声が聞こえた。 「………6種類の冷菓?」 視線を向けてみれば、そこにはまだ面接を後日に控えた霧人の弟である響也が佇んでいる。 全員の視線に晒されながらも、響也は今の会話を整理しているのだろう、眉を顰めて床を睨んでいた。 実際、耳に入った会話は響也の顔を顰めさせるには充分だった。 この店はリニューアルオープンを間近に控えた新規の店だ。パティシエだってそうはいない。自分が参入するとしても、今この場にいる4人しかいないのだ。 その中でも常備するケーキの数は多いし、焼き菓子の種類も豊富だ。その中に更に新メニューを加えると言い、それを作るのは冷菓を担当する人間だと言う。 この店に誘われた時点で、兄から大まかだけれど大体の流れや担当などの話は聞いている。………そしてその話では、たった今無茶な話をいったその彼こそが、一番多くの商品を担当しているのだ。 それに更に新規の商品をプラスするなど、無茶も過ぎる。 諌める意志で呟いたことに、成歩堂は気づいたのだろう。目を瞬かせながら響也を見つめ、首を傾げた。 そうして困ったような逡巡のあと、躊躇うことのない声を紡いだ。 「大丈夫だよ。僕は出来るから」 成歩堂は笑い、いった。………青ざめてさえ見えるその顔で、いった。 それに年長者たちは口をつぐむ。その事実に響也は顔を顰めて成歩堂を睨んだ。 まだ自分は誘われたばかりで、面接も行っていない。内情は知っているし、成歩堂がこの先店長となることをこの二人が了承していることも理解している。それでも、……否、だからこそ。 無関係な立場であるからこそ、言いたいことがある。 「そんなフラフラの人間になにが出来るっていうんですか」 自分自身を支えられない人間が何故店を開けるというのか。そう詰るように告げてみれば、成歩堂は驚いたように目を瞬かせた。 その様が、少しだけ苛立たしい。 ………彼は理解していないのだ。自身が無茶を為そうとしていることを。 周囲がもつ心配も不安も、彼は解っているけれど理解はしていない。乗り越えられるのだから大丈夫など、誰も思うわけがない。 しかも今回に関していうのであれば、乗り越えられるかどうかも怪しい。そう思い、響也が再び口をひらこうとすると、すっと伸びた指先。 …………綺麗に整えられた爪と荒れた痕などない肌が眼前に差し出された。 「………アニキ?」 見知ったそれに訝し気に問いかける。 兄もまた、成歩堂を心配している。それくらいは、自分にだって解った。だからこそ彼は自分の援護こそすれ邪魔などしないと思っていたのに。 何故と疑問を浮かべれば、兄は緩やかな溜め息とともに首を振り、微笑んだ。………決して逆らうなと教えるような、それは静かな激情を秘めた笑み。 「響也、口を慎みなさい」 「…………!で、でも………っ」 「成歩堂は、はったりが大好きなんですよ」 懐かしそうな声音でそんなことをいって、霧人は成歩堂を見遣る。少しだけその眼差しが柔らかくなったのは、おそらく見遣った先の成歩堂が嬉しそうに笑んでいたからだろう。 それを受けて、霧人は予測を確信に変えたかのような絶対的な口調で響也に告げた。 「馬鹿なことでもなんでも、やるといったらどうせやるんです。なら、私たちがすべきことは別にあるでしょう」 反対することでも否定することでもないはずだと、霧人は鋭い眼差しを弟に向け、言い切った。 まだこの店に勤めていない弟に対して酷な物言いだと神乃木は低く笑い、揶揄するように成歩堂を見遣った。 「クッ……!随分とおっかない王子様を引き込んだもんだな、コネコちゃん?」 「牙琉は製菓学校の友人ですよ。慣れていない人にそのたとえは止めて下さい」 からかう声音は場を和ませる意味もあったのだろう。けれど成歩堂は敢えてそれを流し、唇を噛み締める響也に向き直った。 「ねえ、響也くん。大事な人がいなくなったら、悲しいかな?」 「………っ当たり前……」 「うん、でもね、僕は悲しいことだけで、始まりにしたくないんだ」 喉奥で唸るような返答に微笑み、成歩堂が告げる。 言葉の意味を把握しかねたように顔を顰め、響也は成歩堂を見つめた。それを受け止め、小さく頷いたあと、成歩堂は口を綻ばせる。………ひどく寂しい、それは笑み。 「千尋さんが託してくれたものだから。あの人が僕にくれた沢山の思いをそのまま、始まりにしたいんだよ」 涙を流さないようにと笑う様は、痛ましい。けれど、それ以上にその眼差しに溶ける意志の強さに圧倒される。 失ったと、悲しみに明け暮れることを願われていないと、彼は知っているのだ。 絶望にその身に浸して、それでも彼はそこに溺れることなく立ち上がり前を見遣るのだろう。至純の意志でもって、輝く光の下で。 「だから、僕の我が侭を叶えて欲しいんだ。………面接もまだなのに、こんなこというのもおかしいんだけどね」 そう告げて、成歩堂は苦笑する。その姿を見つめたまま、響也は痛感した。 恐ろしく不器用に、傷すら顧みないで誰かを思う、彼の痛ましい純粋さを。 驚きに目を見張り、ついで、兄の言葉の意味を、理解した。もう彼は決めているのだ、やると。そしてそれは誰にも覆させることは出来ない。それならば、傷ついた彼に更なる傷を与えるのではなく、包み込む守り手を、与えたい。 ………この人の支えに、なろう。兄に感化されてでも、何となくでも、自分のためだけでも、なく。 努力を惜しまず進もうとする人の傷だらけのその背中を、少しでも痛まぬように……支えよう。 血を流しても笑うだろう人だから、その傷の痛みが少しでも緩和されるように、その道に落ちる茨を払おう。 祈るような思いで成歩堂を見つめ、響也は顔を顰めるような仕草で笑う。………彼ほど上手に笑うことが出来ない自分の浅はかさが、少しだけ悔しかった。 「まったく……アニキと同い年のくせに、子供みたいな人だね」 飲み込むように小さく呟いて、響也は唇を引き締めると、成歩堂を真っすぐと見遣る。 「成歩堂さん、あなたの手伝い、させて下さい。今日でも明日でも……すぐにだって、ボクに出来ることならやりますよ」 そうすることでこの悲しい笑みが至純のものに変わるなら、それもまたいいだろう。この店は自分が望む世界と重なり、美しく広がる予感を感じさせるのだから。 真っすぐに示される好意と信頼に、成歩堂は目を瞬かせて、霧人に視線を向ける。彼は頷くように笑んで、諾の意志を伝えた。 「ありがとう、響也くん」 成歩堂は微笑み、まだ力ない口元のまま、それでも精一杯の明るさで響也の意志に応えた。 ……………その腕の中、まだ幼い飼い犬は唸るように喉奥で鳴き、飼い主を守ろうとするように短い手足と尻尾全てを使って縋るようにその身をすり寄せていた。 「………懐かしい話じゃねぇか」 不意に黙り込んだ室内に笑いを滲ませた神乃木の声が響いた。驚いたように目を丸めて見遣った先、背後のドアに凭れ掛かるようにコーヒーを飲む神乃木が写る。 響也の語る思い出話を聞いていた王泥喜は、彼の言葉に不意に土足で人の感情を踏み分けたような、羞恥心を覚えた。 話はほんの少し前、成歩堂から味見にと渡された来月のリニューアル二周年記念のテイクアウト用冷菓アソートセットを見たことからだった。 それはリニューアルした時も出したのだ、といっていた成歩堂の表情が、どこか引っかかり、同じ休憩室にいた響也に問いかけたのだ。 ………決して軽い思いで問いかけたわけではなかったけれど、それでもここまで胸を刺す話になるとは思っていなかったのは、事実だ。 しゅんと項垂れた王泥喜の肩を見遣り、言葉を紡ごうとしない意地の悪い神乃木の態度に響也は苦笑した。 「懐かしい話、だよ。そう思えるくらい、もう乗り越えたことさ」 だから気にする必要はないと響也は言い、それに王泥喜は躊躇いをもって視線を泳がせた。 もしもそれが成歩堂本人からの言葉だったなら、王泥喜は頷いたかもしれない。けれど今は、第三者である響也の発言だ。それに納得するわけはいかないと、まだ幼い顔の中の、意志の強い瞳が告げていた。 「本当だよ。だってオデコくん、君だって知っているんじゃないかな?」 「………なにを、ですか?」 「成歩堂さんがどんな思いを込めて働いているか」 にっこりと優しい笑みで告げた響也の言葉に、王泥喜は目を丸める。神乃木も室内に入り込みながら、喉奥で笑った。 好意の循環を当然のように願い祈る、夢物語を信じる愚かな男。そういってしまえば楽だろう。………けれど、彼らは知っている。痛みも悲しみも苦しみも辛さも、全てを抱えて笑える、その胆力を。 傷を負ってなお信じるのだと笑えるなら、それは一笑に伏す戯れ言ではなく、確固たる信念だろう。 思い、王泥喜は言葉を無くす。………客として訪れた日、成歩堂から与えられたものは、悲しみでも苦しみでも辛さでもないのだから。 それがいま彼が思い捧げるものだというのなら、それ以外を思い憂えるのは、逆に彼を貶める行為にすらなる気がして、顔を顰めてしまう。 「楽しそうだろ、今日だってさ。………無理じゃないんだよ、きっと」 「………はい」 「なら、心して食うんだな。それは千尋のためにあいつが考えたもんだぜ」 無理をしなくては立っていられないくらい打ち拉がれていた時に、ただ一人の人を思い、その祈りに応えたくて提供した、彼の初めてのプロデュース作品だ。 大雑把でありふれていて、それでもただひたすらに喜ぶ笑顔を思い作られた、誰かとともに食べるための、冷菓。 じっと手元の容器を見下ろしながら、王泥喜は6色の色とりどりの愛らしい冷菓たちを見つめる。 それは誰かのための、祈りの形、だ。 「………よく、覚えておくことだ」 呟く神乃木の声すら遠くに感じる、ゼリー液のように透明な意志がそこには浮かぶ。 小さく頷きながら、その冷菓の囁きに、泣きたい思いを飲み込んだ。 ありがとう ありがとう 一緒にいてくれて 同じ時間を過ごしてくれて ありがとう ………だからどうぞ、あなたも笑顔になって 千尋さんが亡くなったあと、店をリニューアルオープンさせる前の話でした。 まだ響也さんの顔合わせしたくらいで面接していない時期ですかね。 こんな感じだったから、ちょっと小生意気な響也さんもすっかり成歩堂の味方になって現在に至るんだよ(笑) そして出来れば千尋のために何か成歩堂がスイーツ考えて欲しいなぁと思い、こんな話に。 プティガトーのように一口サイズのケーキも考えたのですが、それよりはこちらの方が千尋さんの影響(プリン教えてもらった)が色濃くていいかな、と。 アソートセットとしては卵形の半透明のカップに『チョコムース』『イチゴムース』『とろけるプリン』『ブランマンジェ』『ミックスベリーの炭酸ゼリー』『季節のフルーツゼリー』という感じでしょうか。 ショコラティエの霧人さんがチョコなら自分が作っても文句はないだろうと手を出し、フレッシュフルーツをふんだんに使うタルトやパイを作る神乃木が果物なら自分の方がよく知っているとやっぱり手を出し、ブランマンジェ辺りなら練習になるから、と響也が手伝いを申し出るんだろうね、きっと。 …………みんな甘やかしているなぁ…………! そしてさりげなく霧人さんとのチョコムース共同制作のきっかけが出来てしまった。 いずれその辺りも書けるといいね。 07.12.22 |
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