柴田亜美作品 逆転裁判 NARUTO 突発。 (1作品限り) オリジナル (シスターシリーズ) オリジナル enter |
不可視のままの循環 自宅の鍵を開け、ドアを開ける。玄関には自分のものではない靴が置かれていて、兄の在宅を教えてくれた。 「ただいまー、兄貴、いる?」 「お帰りなさい。どうかしましたか?」 明るく弾む弟の声に首を傾げるように霧人が返す。響也がダイニングに顔を覗かせれば、霧人は調度紅茶を煎れる所だったらしく、カップを手にしていた。 パティスリーCHIHIROで働くようになってから、適当な住まいが見つかるまでという約束で同居を承諾してくれた、意外と面倒見のいい兄に仕草で自分の分もと強請り、響也はそのまま鞄を自室に置いた。開け放たれたままのドアの先からコトンと、自分の分のカップが出される音がして、鞄の中から小さな袋を取り出しながら忍び笑う。 話したら、驚くだろうか。 いっそ拗ねたりむくれたらしたら面白いけれど、プライドの高い兄がそうすることはまず無いだろう。代わりに正論で怒りをぶつけられるだろうか。 どれであっても楽しそうだと浮かれながら、響也は自室のドアを閉め、紅茶の香りに誘われるようにダイニングに戻った。 「サンキュー。でも、思ったより帰ってくるの早かったね」 「まあ明日の仕込み分くらいでしたからね。午前中に終わらせてしまうつもりでしたし、妥当な時間ですよ」 カップを手に時計を顧みながら言った響也に、しれっと霧人が答える。 昨日が休みだった霧人は明日ホテルに納入する分と自身の担当製菓の仕込みを定休日である今日、行なっていた。そのために昨日響也が成歩堂から鍵を預かり霧人に渡したので、響也も事情は知っていた。 午前中は響也もバンドの作詞に集中していたが、朝から既に兄の姿は見えなかった。そのことを鑑みれば、口に出していた大義名分以外にも、きっと色々と作り足したり書類の整理をしたりと甲斐甲斐しく働いていたのだろう。 そうした姿を知られたくない兄は、決して自分をその場に入れてはくれないが、長年兄弟として育ち、同じ業界に身を置いているのだ。嫌でも彼の行動法則は解ってしまう。 胸中でこっそりと苦笑を落としながら、素直ではない兄の献身を思う。多分、成歩堂でなければ気づいてなど貰えない、ひねくれて解りづらい情の在り方だ。 兄の言葉に頷きながら紅茶を一口飲み、手にしていた紙袋を思い出して、テーブルに置いた。 それを視界におさめ、霧人が問いかけるように紙袋と響也を見つめた。 楽しげにその視線を受け止めて、響也はそっと手を差し出した。何事かとまたその指先を見る兄に、とっておきのサプライズを与えるために。 「店の鍵、貸してもらえないかな♪」 「………その前に、紙袋は……」 「これは成歩堂さん宛だよ。兄貴からってことにしてもいいから、鍵貸してよ」 にこにこと楽しそうに言う弟を訝しそうに見ながらも霧人は立ち上がり、鍵を取りに自室に行った。 兄弟でも性格がまるで違う自分たちだ。突拍子の無い部分をまだ残している響也の思考回路は、時折自分の想像から外れることがある。 それでもそれらが人を痛めつけたり悲しませたりすることは無い。素っ頓狂で驚かせることはあったとしても、だ。 それに、と、弟の口にした名前を思い、軽く息を吐いた。彼に対して、弟が無体な振る舞いをすることはないと、言い切れた。 留学から帰国したなら、久しぶりに連絡が取れた友人は、ひどく憔悴していた。気丈に振る舞っていたし、電話口ではそうと気づかせないほどだったけれど、実際に会ってどれほど驚いたか解らない。 子供のように喜怒哀楽の表出が激しかった彼が、随分しっかりしたようにも見えた。その驚きとはまた別に、衝撃があった。 内に内に沈む、悼みと悲しみ。決して誰かに肩代わりなど求めず、ただその身だけを晒して受け止めている痛ましさ。 なにも出来ない弱々しく無知な存在であるくせに、どこまでも強がり一人で立ち上がり進もうとする無鉄砲さが、こんな時にまで発揮されるなんて思ってはいなかった。泣き喚いて縋るかと思えば、大丈夫と笑い、ずたずたの血塗れの足で独り進もうとしていた。 諌めて、叱りつけて、それでも彼はどこか意固地で、傷すら隠して笑い他者に腕を伸ばすのだ。愚かとしか言えないその行為を、それでも自分は止められないけれど。 見つけ出した店の鍵を、手のひらで握り締める。 自分の分の仕込みだけではなく、ストック類も増やしておこうと赴いた休日の店は、どこか寒々としていた。いつだって包むように温かく慈しむ空気に包まれているあの店が、寒かった。 なんとはなしに、理解してしまう。………まだあの店は、彼だけのものだと。 彼がいなくては成り立たない。あの雰囲気を、他の誰も作り出せない。技術でも経験でもない、もっと根源的で、本質的なもの。 彼だけが初めから携えていて、それを恐らくは無意識に知っているもの。 だから彼は、笑うのか。あの店を守りたいと、忘れたくないのだと、いっていた。その言葉の意味を噛み締めると、腹立たしくて仕方が無いけれど。 「………馬鹿馬鹿しい……」 自分は情に絆されているわけではないと、呟いて。 彼が無理をしないように考えるのは、店の経営上の問題からだと、呟いて。 吐き出しかけた苦々しい溜め息を、飲み込んだ。リビングで待っている弟が怪しむよりも前に、戻らなくてはいけない。そう考えながら、自室を出た。 「響也、一体何をする気ですか?」 鍵を持つ右手を彼に差し出しながら、これから店に行くつもりかと眉を顰めて問いかける。 それを受け取り、響也は首を振った。折角の休日に自分まで店に赴いたのでは、明日それを知った成歩堂が落ち込むに決まっている。それなら、もっと単純に簡単に、彼に笑顔を与えたい。 いい加減自分も絆されていると、年上の未来の店長を思い、苦笑した。 「いや、鍵だけでいいんだ。ほら、これ。………成歩堂さん、喜びそうだろ?」 器用に片手で紙袋をあけた響也は、中身をテーブルに転がし、それを指差してウインクしながら笑った。 その指先に佇むものを見て、少しだけ目を丸めた霧人は、ほんの一瞬、ひどく柔らかく目元を綻ばせた。けれどそれは響也が目を瞬かせたと同時に霧散し、そっと落とされた目蓋の先、冷徹な音が溜め息を吐き出している。 「響也、成歩堂を甘やかすのも程々にするべきですよ」 「いいじゃんか、これくらい。折角だし、兄貴からプレゼントって言えば?」 「必要ありません。それと、それ以上の贈答は認めませんからね」 犬の店ではないのだと、戒めるように付け加え、けれど霧人はテーブルの上のキーカバーを容認したことを示した。 それに響也は嬉しそうに笑い、先程成歩堂と別れた帰り道にたまたま見つけた雑貨屋のキーカバーを指先でいじった。 真っ黒な なんてことはない品だし、あの飼い犬は自身以外のものを愛しまれても喜びはしないだろうけれど。 それでもきっと成歩堂は喜ぶだろう。まるであの犬を受け入れてくれた証のようだと、愛おしみながら。 与えられたこと、では無くて。それが内包する意志をこそ、彼は喜び抱き締める。 本当に厄介で面倒くさくて、幸せにするための術が遠大で複雑な人だ。 「じゃあさ、兄貴、明日ちゃんと鍵渡す時にこのまま渡してくれる?」 今つけておけば遠慮せずに受け取ってくれると、悪戯っぽい笑みで言う響也に、霧人は溜め息を一つ落として鍵を受け取った。 明日の朝、彼はなんというだろうか。響也からだと言って手渡しても、結局は自分が容認したことは明白だ。 なにか勘違いして自分たちの仲を取り持つような真似をすることのある弟を胡乱そうに眺めながら、ひとまずすべきことは機嫌よく紅茶を飲む彼がこれを手に入れた経緯と、購入するに至った理由を探り出すことかと、霧人は鍵を自室に戻すと響也の前に座った。 それを待っていたと言わんばかりの不敵な笑みで迎え撃つ弟を意外そうに見つめながら、楽しげに霧人もまた、口角を笑みに染めて口を開いた。 手のひらの中には愛らしい犬のキーカバー。 顰めた眉で事の経緯を告げ、持ち主の手に舞い戻った鍵。 丸めた目が、瞬いた。 呆気にとられた唇が、綻んだ。 そうして 浮かぶ笑顔は、出会った頃のもの。 笑って欲しいと、嬉しさを与えたいと、彼はいっていた。 そうして、彼は何も考えもせず、理論もなく、ただ思うがままに与えるのだ。 ヘタクソで、美味しいわけの無い菓子を作って。 笑顔を見たいのだと、そういって。 この腕を差し出させた、初めの笑顔。 『君の道しるべ』と『あなたの願うこと』にリンクした感じのお話ですね。 といますか、『あなた〜』を書く時ここまで書くつもりだったのですが、長くなったのでぶちっと切った部分です。すっかり忘れていました。 なんだかんだで牙琉兄弟はどちらも成歩堂に甘いのです。表現の仕方は全然違うし、与える術も全く違いますが。多分、それでも根源は一緒。 傷つかないで、と。 笑って、と。 頼って、と。 幸せになって。 多分、誰もが大切な人に思うもので構築されているのです。 ま、与え方も表現の仕方も誰もが違うから気づかれたらラッキー、くらいのものですけどね(笑) 08.11.24 |
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