柴田亜美作品 逆転裁判 NARUTO 突発。 (1作品限り) オリジナル (シスターシリーズ) オリジナル enter |
いつだって一生懸命で 甘く芳しく優しいもの 「うん、これでいいかな。じゃあ御剣、早速頼んだよ」 「うム、最善を尽くそう」 笑顔で声をかけた先では、いっそ悲壮なほど真剣な顔で応じた御剣が佇んでいる。 片手には大振りのボールを抱え、残った片手にはゴムベラを掴んでいる。持っているというよりは掴んでいるといった印象なのは、気合いを入れているためか、全体的に力んで見えるせいだろう。 それに苦笑しながら成歩堂は手元の温度計を確認する。温度は32度。温度計の先にはトロリと流動体に変化した甘く芳(かぐわ)しいチョコレートがあった。湯煎にかけられ、成歩堂の感覚に一任されながらその温度をようやく保っているようだった。 「もっと気楽でいいんだよ。そんな難しいことじゃないからさ」 ただ掻き混ぜてくれればいいとそういいながら、成歩堂は手早くスプーンで中身を掬い取り、御剣の抱えるボールの中に垂らした。 戸惑うようにそれを受け止め、御剣は必死になって手を動かす。カラカラと軽快な音がするのは、ボールの中身が軽くローストしキャラメリゼしたアーモンドであることと、御剣が必死になって混ぜているため余計に音が立っているせいだろう。 もっと気軽に楽しんで作ってもいいのにと成歩堂は温度計を気にしながらも、御剣の表情にも目をやった。 深く刻まれた眉間の皺は不機嫌なわけではなく、鋭利な切れ長の瞳は憤怒を示しているわけではなく、引き結ばれた唇は怒気を示しているわけではない。 ただ、必死なのだ。真剣なだけだ。それを示す手段を、彼は他に知らない。 そしてそれは決して、人に厭われるものではない。だから、もっとゆったりと心のままに手を動かしてもいのに。まだ自身が不器用であることに引け目があるせいか、御剣は楽しむことよりも必死さが強かった。 「ほら、案外すぐに固まってくるだろ?夏場じゃ無理だけど、冬場だとね、室温が低ければ結構手軽なんだよ」 またチョコを掬い取りながら成歩堂が御剣に笑いかける。 それに緊張が解けたのか、御剣の肩から少しだけ力が抜けた。それが腕の方にも影響したのか、いつボールから中身が飛び出すだろうかと思っていた勢いが弱まり、上手く回転がし始める。 今日作っているのはアマンド・オ・ショコラだった。当然、店に出す分ではない。チョコの商品に関しては霧人の管理下に置かれていて、成歩堂でも彼の許可なく手出しは出来ない。 それでも今月は必ずチョコに関わる日を作ろうと決めていた。理由は至極簡単で、季節というものの後押しだ。 今月は、2月。世の中はバレンタインに向けての商戦でてんやわんやだ。CHIHIROも勿論チョコレート商品を前面に押し出してはいるが、それを手がけている霧人はホテルバンドーへの卸し量も増えているため、そう増やすことは出来ない。 そもそもボンボンショコラなどに関してはホテルバンドーのみでの販売契約をしているのだ。CHIHIROで売り出すことは出来ない。 そのため既製の商品にチョコレートでバリエーションを加えている。他にも現在御剣が手伝っているアマンド・オ・ショコラやチョコクリームをサンドしたサブレやブッセのセット商品も出ていた。 どれも評判がよく、出来れば通年商品にという要望も強いが、通常商品ですらギリギリの量を必死に保持している現在の状況ではなかなか実現の目処は立たなかった。 それを見知っているせいか、珍しく御剣が自分からそれらの商品を作りたいといってきたことは僥倖だと成歩堂は思っている。 作りたいと、少しでも思ってくれたことが嬉しい。どれほど惜しみなく努力を重ねても、御剣の努力は努力することを努力するような、そんな的外れな部分がある。 それは注意するような面ではなく、自身で気づき修正しなくては解らない部分だ。だからこそいつだって成歩堂は喜びと楽しさと幸福感とを、菓子を作るというその行為の中で指し示すのだ。義務ではなく、喜びなのだと知ってもらえるように。 くるくると御剣の手首が回る。初めてマドレーヌをこの店で焼いた日に比べ、それは随分と柔軟になった。それは食べ物を持つ指先になったといえばいいのだろうか。 なんとも言葉には換え難い変化だが、それが見えるのが嬉しい。 「うん、いいね。アマンド・オ・ショコラはチョコの温度管理さえ出来ればあとはこうやって掻き混ぜながら絡めるだけだから、意外と簡単だろ?」 「ム、それはそうかもしれないが………、混ぜながら温度を見るというのは、その………」 「慣れだよね、これも。初めはこうやって、友達にあげるものから始めるといいよ。手が慣れてくるとね、時間感覚が解るよ。何回回したくらいで温度を見るかって感じにね」 実際成歩堂も常に温度計を見ているわけではない。それとなく目配せをして御剣の補助にいつでも入れるように気をつけている。そのため、幾度チョコを足されても一度としてタイミングを誤ることはなかった。 それでもチョコの温度は許容範囲を逸脱せずに保たれている。その手際はやはり経験則によるものなのかと、御剣は手の中のボールを零さずに掻き混ぜるだけで精一杯な自分の未熟さを痛感した。 「ほら、これでチョコも最後……かな。ね、量が多いと厄介だけど、単純作業だよね、これは」 「これで終わりなのか?」 拍子抜けするほど呆気無い。目を瞬かせている御剣に笑いかけ、成歩堂は仕上げに用意していたココアを手に取り、茶漉しで漉しながら御剣の持つボールの中に振るい入れた。 「はは、これで本当に最後の仕上げ。ココアもチョコと同じで、完全に混ざり切って固まるまでしっかり掻き混ぜててくれるかな。一粒一粒がバラバラになる感じ。……そう、上手いね御剣」 チョコやココアで汚れたボールの中、綺麗にココアを纏って転がるアマンド・オ・ショコラが見て取れ、嬉しそうに成歩堂が声をかけた。 その音に、御剣の瞳が細まり、柔らかく綻ぶ。 成歩堂の音は、飾りがない。虚飾というべきか、そうした取り繕いが視えない。だからこそ、彼の声は素直に心に染みる。笑顔を、嬉しいと思える。 「あとはラッピングだね。店のは使うと怒られるから……これ、僕の私物だけど、使っていいよ」 いくつかのラッピングの袋やリボンをまとめて保管している箱を指し示しながら成歩堂が言う。いままで店のものだと思っていた箱が私物と知り、御剣は少し驚いて目を大きくした。が、考えてみれば彼はよくここで菓子を作っているのだ。それらを人に贈る場合もあるのだし、そのための用意なのだろう。 納得しながら小さく頷く御剣を横目に、少しだけ遠慮がちに成歩堂が首を傾げて彼に告げた。 「それと、今回は君が材料費も持ったんだし、好きに配っていいんだよ?なにもうちの店のスタッフだけじゃなくていいんだからね?」 初めからスタッフと両親にしか配るつもりがなさそうな御剣の態度に、成歩堂は遠慮しているのかと思い以前にも伝えたことを口にした。 確かにレシピは店のものだ。だからそれを口外するような真似は彼の倫理観からは逸脱することだろう。 けれど作った菓子を人に贈るのはおかしなことではない。誰でも…それこそ昔の同僚でも友人でもいい、今やっている仕事を伝える術にもなるのだ。 そうして、与えられた菓子を見て笑む人を見たなら、きっと彼も解ると思うのだ。 彼の父が彼のためを思い与えた言葉の意味を。この道へと入り込むきっかけとなり、彼の夢であった弁護士のという立場を一時的とはいえ退かせた言葉。 それはとても単純でいとけなく、当たり前な言葉。そうであるが故に、説明では解らず、頭脳の理解では無意味なもの。 肌で感じ、心で思い、意識に溶け、思いとして発露されるべきもの。 その一助になればと差し出した言葉に、けれど御剣は途方に暮れたように眼差しを泳がせた。 まだ難しいかと、成歩堂は柔らかく笑みを唇に乗せ、そのままでは消沈しそうな肩を軽く叩いた。 「まあ、僕は嬉しいけどね、君がこの店を気に入ってくれるなら」 「………ム、…」 「それにみんなもね。真宵ちゃんたち、きっと喜ぶよ」 美味しいといってくれるといいねと、成歩堂が笑う。それをただ眩そうに見つめながら、御剣は小さく頷いた。 言葉に出来ず思いにもならず、ただもやもやとしたままのなにかを持て余した御剣を追い詰めることもなく、たださらりと成歩堂は彼が受け入れやすい音だけを差し出してその話を終わらせた。 「…………君も、作るのか」 そうして出来た微かな間に、不意に、小さく音が落ちた。 何をとも言わず、問いかけでありながらも問う音としての響きではなかった声に、成歩堂が首を傾げる。流れ的に、スタッフへのバレンタインの贈り物、だろうか。 そう思いながらも、珍しく視線もあわせずに黙々と作り終えたアマンド・オ・ショコラを袋に均等に入れている不器用な指先を見遣った。 時折取りこぼしそうになる無骨な指先に緩く笑みを浮かべながら、成歩堂は頷いた。 「うん、真宵ちゃんはチョコプリンで、春美ちゃんはミニお菓子の家、それに狩魔冥はトリュフで茜ちゃんが生チョコタルト。毎年恒例なんだよ」 他のスタッフは毎年一括で同じものになっているといいながら、成歩堂は何故か澱んだ空気に傾げた首を更に深くした。 「…………そうか…」 「あ、リボンの結び方、一回見せるね。………そういえば、君は、何がいい?」 なんとか均等に詰め込まれた袋を見ながら、リボンに手を伸ばそうとしているココア塗れの御剣の指先を、そっと洗うように促すために水道に押しながら気軽な成歩堂の声が問い掛ける。 「………ム?」 怪訝そうに眉を顰め、手を洗いながら御剣が成歩堂に振り返る。 視界には、もう慣れ親しんだ友人の顔。どこか柔らかく甘い、この店の菓子たちのような笑みが浮かぶ優しい人。 彼は目を瞬かせる御剣を見遣ったあとに視線を手元に落とし、器用に細身のリボンを袋に巻き付けて結び、裾をカールさせた。 「うーん、まあ、こんな感じかな。華美じゃない方が可愛いしなぁ」 「な、成歩堂?」 自分の幻聴だろうかと一瞬悩み、御剣は戸惑うようにその名を呼んだ。 そんな御剣の困惑を横目に、成歩堂は子供が悪戯を成功させたように楽しげに笑い、惚けた御剣にタオルを差し出しながら転がるような明るい声で言った。 「まあすぐってわけじゃないけどね。希望があれば聞くよ?」 考えておいて、と。成歩堂が笑う。 誰よりも何よりも自分を温めてくれる笑顔が目の前で咲き誇り、それだけでなんとなく満ち足りた思いがする。 何かが自分の中で動いた気がしたけれど、それが先程蠢いたものと同じなのか違うものなのか、まだ解らない。解らないけれど、ただこの笑顔が目の前で咲くのならそれだけでいいと、思う。 だから考えなどまとまらない頭でただ頷いて、辿々しい指先で彼が教えてくれるままに、少女たちへのプレゼントを仕上げた。 隣では、楽しげな彼の笑顔。 甘い甘いチョコの香りが漂うキッチン。 たった一人自分に笑顔の尊さを教えてくれる友人。 何をあげれば彼は喜ぶだろう、と。 彼こそが問い掛けた言葉を、脳裏に浮かべた。 ようやくバレンタイン『前』の話。うん、もうバレンタインは終わったね。世の中ひな祭りに一直線だよ。 本当は朱涅ちゃんと話していた中では、毎年チョコをあげていた成歩堂だけど、今年は御剣が来たから渡さないことになっていたのですがねー。御剣がチョコレートムース食べようとしないからチョコ嫌いだと思って(笑) でもそれすると御剣以外が突然くれなくなった!となって変に勘ぐるかもしれませんし。 なのであげる方向で考えていたらこんなことに。作中成歩堂が御剣に何がいいか聞いたのは、まあ、チョコが嫌いと思い込んでいるので、それ以外に何がいいか、という軽い感じです。 バレンタインは御剣両親にもあげるし、お母様から貰うしでなにかとネタが多いのですがね。どこまで書けるやらね。 09.2.21 |
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