柴田亜美作品 逆転裁判 NARUTO 突発。 (1作品限り) オリジナル (シスターシリーズ) オリジナル enter | デザイナーズマンションの一階にテナントを構えるパティスリーCHIHIROの店内はイートインスペースとして20席ほどの広さがあった。昼を過ぎた頃合いとなったためか、今は半分ほどが埋まっている。そろそろアフタヌーンティーセットも始まるので、更に来店客は増えるだろう。 そう考えながらフロアを全望出来る焼き菓子の棚の横に居住まいを正して控えている響也の視界の端で、そっと手が上がるのが見えた。 「すみませんー」 可愛らしい女性の声に、響也が振り返る。出窓の前、二人の女性が座っているテーブルに近づき、軽い会釈とともに微笑んだ。 店の常連の二人はそれに笑い返しながら、いつものように座っている席から見えている、先ほど響也が立っていた場所の横に控えた焼き菓子の置かれた棚を指差した。 「今日もいいですか?」 首を傾げながら女性客はちらりとその視線をキッチンへと続くドアに注いだ。そこはただ空間があるだけで、なにもない。………ぱっと見ただけでは。 その視線の意味を知っている響也は内心吹き出しそうになるが、それもいつものことだ。まだその姿を見せない相手を思い浮かべながら、女性客に受け答える。 「はい、ありがとうございます」 女性客の言葉に響也は笑みを綻ばせ、優雅にお辞儀をしてから、棚がよく見えるように半身後ろに身体を引いて、その手のひらを棚へと示した。 そこに置かれているのはマドレーヌから始まりフィナンシェやクッキー、サブレなど、味のレパートリーも豊富な焼き菓子たち。綺麗にラッピングされている物もあれば、見本として箱に詰められて展示されているものもある。 それらを視線で確認しながら、響也は女性客に微笑みかけた。 「では、本日はいかがいたしますか?」 基本的に持ち帰りの焼き菓子は客が各自で選び会計時に購入する。しかしイートインコーナーでのみ行われるサービスの場合は、テーブルから種類を告げて先に商品を手にすることも可能だ。その際の会計は明細を渡され帰る時に同時に行われる。 大々的に告知しているわけではないこのサービスだが、常連客は大抵が知っていた。そしてその客たちの姿を見た新規の客もまた、よく覚えている。それだけサービスとしての内容がいいのかも謎だが、女性心はくすぐるのかもしれない。 そんなことを思っていると、女性客たちは種類を決めたのか、棚を指差しながら答えた。 「じゃあ、今日はチョコマドレーヌとプレーンのスコーンをお願いします」 その声が響也に聞こえると同時に、ひょこりと、何か黒い物体が従業員出入り口の所からこちらを見遣る。 体躯のいい、ラブラドール・レトリバー。漆黒の毛並みが艶やかに揺れて、小首を傾げるようにして女性客の方を見つめていた。 普段であれば決して見られないその姿に、女性客たちが小声で歓声を上げている。それを聞きながら、やれやれと響也が軽く肩を竦めて苦笑する。 パティスリーCHIHIROでは、店内に一匹看板犬がいる。………否、看板犬ではないだろう。なにせ、人に撫でられるのはおろか、姿を見られることすら嫌うのだから。 ただずっとキッチンへと続く従業員出入り口の小さな空間に陣取って、ひっそりと大きな体躯を丸めながらこの店を背負うべく奮闘している己の飼い主を待っている。 それはスタッフ全員が知っているため、飼い主自身はあまりフロアに出てくることがない。 この犬は飼い主が現れるとつい羽目を外し、じゃれついてしまうのだ。就業時間以外であればまだしも、忙しい店を切り盛りするスタッフたちにとって、一人でもパティシエが欠ける時間は作りたくはなかった。 そのため余計に微動たりともしなくなった飼い犬に、飼い主の方が折れたのだ。せめてこの店に置いてもらっているのだから、居る意味を与えたいと始めたのが、このサービスだった。同時に、飼い犬のストレス軽減のための配慮であることは、誰もが言わないだけで知っていることだったけれど。 滅多に出てこない出入り口から顔をのぞかせて自分の存在をアピールしている看板犬に、女性客は嬉しそうだ。普段なら決してしない愛想の振りまきようだと、いつものことながら響也は舌を巻く。 飼い主だけを至上と考えているだろうこの我が侭な犬は、飼い主のためならなんでもするのだ。そうした意味では、正しく忠犬なのかもしれないと時折悩んでしまうほどに。 「それではただいまご用意いたしますので、少々お待ちください」 犬好きらしい女性客たちにそう伝え、オーダーを取った響也はその足で指定された焼き菓子をカゴに入れ、それをショーケース側で待機している新人二人に渡した。 客と響也のやり取りを見ていた二人は、すでにそれを察して準備を始めている。奥のレジ側に居た御剣は会計を済ませた客に礼をしたあと少々大振りの取っ手のついた網かごを取り出し、響也から焼き菓子の入ったカゴを受け取った王泥喜はそれを包むための袋を取り出している。 「じゃあ、ミツのおつかいコースだから、準備よろしく」 手際のいい二人に笑いかけながら、響也は焼き菓子を置いて自分の出番を待ちわびている看板犬を通り越えながら、キッチンへと入っていった。ドアが閉まりきるその時まで、……否、おそらくは閉じたあとさえも、じっとキッチンを見遣ったままのミツルギの視線を感じながら。 「成歩堂さん、オーダーです」 キッチンに入りながら響也が声を掛ける。ドアのすぐ外ではおそらくミツルギが尻尾を千切れんばかりに振って待っていることだろう。それは見なくとも響也の一言でキッチンに居たパティシエ全員が想像出来た。 「ん?ミツルギにかな?」 丁度フランボワーズのムースを飾り付けていたらしい成歩堂が顔を上げ、首を傾げた。それに笑いかけ、響也はビニール袋で保護されている上着を手に取りながら頷く。 「はい。今オデコくんがラッピングをしているので、ミツルギに指示をお願いします」 響也が上着をとっている間に成歩堂は自身が作成中のムースを乾燥しないように包み、すぐにそれを冷蔵庫にしまった。そうして足早に出入口までいくと、響也からビニールに入ったままの上着を受け取る。 困ったような成歩堂のはにかむ笑みに響也は笑う。日に数度だけれど、ミツルギのおつかいサービスは必ずあった。もっとも、成歩堂が店に居ない日はミツルギ自体も居ないので行えないのがネックとも言えたけれど。 そのせいか、今日の客などは店内に入る時、ガラス壁越しに成歩堂が居るかどうかをちゃんと見て、居ない日は普通に焼き菓子を自身で手に取り会計を済ませるほどだ。常連客たちはミツルギの性格を案外きちんと把握してくれていた。 それを知っているキッチンの奥に居るパティシエ二人が、からかうような声で成歩堂に声を掛ける。 「まるほどう、あんまり甘やかすなよ?」 パイ生地を伸ばしながらニヒルな笑みで神乃木が言う。無理だろうけれどという響きが言外に滲んでいて、成歩堂は小さな声ですみませんという以外返答が出来なかった。 そんな姿を横目で見ながら、テンパリング用のチョコを作成している霧人も、少し素っ気ない声で言い放つ。 「そうですよ。キッチンに犬の毛など洒落になりませんからね」 責めるつもりはないだろう言葉は、けれど的確すぎて反論の余地がない。気にしているだろうことを指摘された成歩堂が落ち込むように少しだけ肩を落としたのを見て、響也は不器用な兄に視線を送る。 おそらくは神乃木と同じ程度のニュアンスでの発言だったのだろうけれど、声の質のまるで違う発言は、その意味合いまで変化させる。しゅんとした成歩堂の様子に目を瞬かせる兄に苦笑しながら、響也はぽんと成歩堂の肩を叩いた。 「ほら、成歩堂さん、誰もダメなんて言っていないんですから、ミツルギも待っていますし、お願いしますね」 「あ、う……うん。えっと、牙琉、ごめんな?」 響也の言葉に顔を上げた成歩堂が、少しだけ力のない笑顔で霧人の方に顔を向け、小さな謝罪を送る。それを見て、どうやら何か食い違ったらしいことが解ったのだろう。霧人はまだ数度の瞬きをしてそんな成歩堂を見ていた。 大事な友人をあまり持たずに生きてきた霧人にとって、製菓学校時代に自分を慕い無邪気に懐いていた成歩堂は数少ない失い難い友人だった。そのせいか、たまに取り扱い方を間違って、こんな風に不要に傷つけることもある。 存外勘のいい成歩堂は、普段であればそんな霧人の言葉の意味を理解して、その思いを包めるけれど、如何せん今の場合は成歩堂自身に多少なりとも申し訳なさを抱えている事柄なだけに、彼自身にも上手く判断が利かなくなってしまっている。 あとで二人のフォローをしなくてはと思いながら、響也は取り合えず今は待っている女性客のために、成歩堂を励ましながらドアをくぐった。 ドアの前にはやはり想像通り、きちんと座った体勢で声をかけられるのを待つミツルギが居る。これくらい解りやすいといっそ扱いやすいと響也が苦笑していると、成歩堂は手早くビニールから上着を取り出して羽織り、ミツルギと視線が合うようにしゃがんだ。 「ミツ、いい子にしていたかな?今日もおつかい、お願い出来るかな」 尻尾を振って軽快に頷くミツルギの頭を撫でながら、成歩堂が笑いかける。その先には王泥喜が、先ほど御剣が取り出したカゴの中にラッピング済みの焼き菓子を入れたものを持って立ち尽くしている。 それに礼を言って成歩堂が受け取り、ミツルギの目の前で抱えて中身を見せた。 「ほら、あそこに女の人たちが座っているだろ?そう、出窓の前の二人だよ。よく会うからミツルギも知っているよね。その人たちにこのお菓子を届けてくれるかな?」 首を傾げてお願いする成歩堂に、ミツルギが大きく頷く。頭のいいこの犬は、人間のいう言葉をおそらく正確に理解しているのだろう。なにせ、成歩堂が伝える言葉にきちんと頷き、示す相手を確認するように振り返るのだ。 その様子を見ている響也と王泥喜は、時折、人間同士が話しているように錯覚さえしてしまうほどだ。 「じゃあ、頼んだよ」 最後にカゴの取っ手を銜えさせると、成歩堂は微笑んでミツルギの頭を撫でる。頑張ってと背中を後押しされて、ミツルギは意気揚々と歩き始めた。 「………本当にミツルギさん、頭いいですよね………」 いつものことながらそのやり取りに感心したように王泥喜が呟く。それを嬉しそうに笑って見上げた成歩堂を見下ろし、同時に王泥喜は何故か顔を赤くしてそそくさと自身の持ち場に帰っていってしまうけれど。 不思議そうにその背を見送りながら首を傾げるが、すぐにテイクアウトの客が入って来たことに気づいて成歩堂は納得し、視線をミツルギに戻した。 店内にある5つの丸テーブルのあいだを迷いなく歩んでいた。 店の外の看板とショーケースの上に時折犬が歩く胸を告知しているおかげか、店内の客は顔を綻ばせることはあっても拒否反応はなかった。毎回のことながら客の反応が好意的であることに成歩堂はホッと息を吐き出す。 ミツルギは成歩堂が教えた通りのテーブルを目指し、淀みなく歩いた。時折声をかけられるとそちらに顔を向け、会釈するように頭を揺らしながら。 そうして程なく焼き菓子を購入した女性客の元に辿り着く。そうして椅子のすぐ傍に座り、首を傾げながら受け取って欲しいと示した。 その様を間近で見ながら女性客は嬉しそうに笑ってカゴから焼き菓子を受け取った。その中に一緒に入っている伝票も受け取ったことをミツルギは視線を落として確認してから、差し出していた首を元に戻す。 それを見遣り、女性客が礼を言うときちんとカゴを一度床に置いてから、また元通りの姿勢に戻り、まるでお辞儀でもするかのように頭を下げる。 粗の優雅さに、周囲にさざ波のような歓声が沸く。一連の仕草は流れるようにスムーズで、なんの訓練も受けていない犬だということに響也たちですら驚くほどだ。 店内の反応を満足そうに見遣りながら、成歩堂はこちらに戻ってくるミツルギに笑いかけた。あくまでも、ミツルギが気づかないように。以前目が合ってしまいそのまま駆け寄って来てしまったこともあるので、その点だけは十分に気をつけていた。 それが問題にならなかったのはまだ午前中で、客がサービスを希望した二ボサブしか居なかったおかげだろう。その時は彼が常連である上、ミツルギが尻尾を振って喜びを示す唯一の人であったことを心から感謝したものだ。 無事に仕事をやり遂げたミツルギは、再びカゴの取っ手を銜え、声を掛ける女性客に一度振り返って頭を下げたあと、真っすぐに成歩堂の待つ場所まで歩んだ。 しゃがんだまま待ってくれていた成歩堂の元に辿り着くと、先ほどよりもずっと輝くような笑顔で迎えてもらえる。それが嬉しくて、ミツルギは尻尾を振りながら鼻先を飼い主の肩にすり寄せた。 やはり上着は必需だなと、その様子を冷静に分析しながら響也はフロアの方に誘導された新規の客に会釈して近づいていった。 「よしよし、よく出来たね。さすがミツルギだよ。また今度の時もお願いするね?」 ぎゅっと飼い犬を抱き締めて、その背を撫でながら嬉しそうにいう成歩堂に、ミツルギも幸せそうに目を細めて気持ちよさそうに喉奥で鳴いた。朝からずっとキッチンとフロアの間で離れ離れで寂しかったせいもあり、近い飼い主の体温が余計に嬉しく感じる。 それでもこの逢瀬はすぐに終わってしまう。成歩堂にはまだ仕事があり、それを全うしなくてはいけないことを、ミツルギも知っていた。 立ち上がった成歩堂に寂し気な視線を送りながらも駄々は捏ねないミツルギを見下ろしながら、にっこりと微笑んで、成歩堂は最後にその頭を撫でると、そっと額にキスを送った。 驚いたように硬直したミツルギが回復するより早く、成歩堂は手早く流しで手を洗い、上着を脱いでビニール袋に入れ、またあとでと声をかけてからキッチンへと帰っていった。 …………新規のオーダーを手に戻ってきた響也が見かけたのは、流しの下で丸くなりながら、それでも幸せそうな顔でキッチンへと続くドアを眺めている図体の大きな犬の姿だった。 『優しいパティシエ』のなかのミツルギの行うサービスのお話でした。 この2作どっちも必死になって設定を盛り込んでいます。いやー、設定ページでも作ればいいのかもしれないですが、まとまらなくて………。 一応年齢は神乃木33歳、成歩堂たち26歳、響也24歳、王泥喜22歳で。一番新米は御剣なんですよ。不器用すぎてお菓子作れないけどね!(笑)←だからギャルソンオンリー。 しかしまあ、ミツルギオンはしたたかだなぁ。いいのかお前それで、と何度ツッコんだか、この話書く間に。 07.11.28 |
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