柴田亜美作品

逆転裁判

NARUTO

突発。
(1作品限り)

オリジナル
(シスターシリーズ)

オリジナル



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思い出す、昔のことを
まだ辿々しい意見しか口に出来ず
言いたいことも満足に伝え切れない、拙かった頃のこと

真っすぐに己を貫くクラスメイト
はっきりとした言葉、芯の通った言動
孤立すら恐れずにひたむきに、貪欲に己であろうとする姿

自分にはなかった全てを持って
彼はそこにいた
仲良くなりたかったのにきっかけがなくて
結局声も掛けられなかったまま、彼はいなくなった

声を、かければよかった
手紙を書けるくらい仲良くなりたかった
引っ越してしまうことが解っていたら、もっと沢山話したかった

いなくなったクラスメイトは
いなくなったが故に、鮮明にこの胸に残っている
辛いわけでも悲しいわけでもないけれど
それでも

告げられなかった言葉の数々が
時折ちくりと、この胸を刺した。




その名前の響きの中に



 「…………どうしよう…」
 途方に暮れた声で成歩堂は腕の中を見遣った。
 腕の中には真っ黒な小さな生き物が一匹、成歩堂を見上げながら尻尾を振っている。
 子犬に罪はないだろう。けれど確実に、今現在成歩堂を困らせているのはこの子犬の存在だった。
 「なにいってんの、なるほどくん!折角冥さんがくれたんだから、大事に育てなきゃ!」
 成歩堂を誘って狩魔冥の姉の家に生まれたばかりの子犬を見に行った真宵は、明るい声で言いながら成歩堂の背中を叩いた。
 欲しいといってもらったのなら、その言葉は頷けるだろう。けれどこの子犬は、自ら飼い主を成歩堂に決めたといわんばかりに、懐いて離れなかったのだ。
 成歩堂は犬を飼った経験はない。ラブラドールレトリバーという犬種がどんなものなのかもよく知らない。この先の子犬の生活を思えば不安にもなるだろう。
 ………もっとも、この場合の不安は子犬に負担をかけるのではないかという不安であり、自身の生活に及ぶであろう余波は考えていない。
 両手で包めるほど小さな命なのだ。自分が守らなければいけないという使命感すらある。が、その意志に追いつくほどの器用さが自身にあるのかどうかは、甚だ疑問だった。
 「うーん、あたしも飼ったことないけど、冥さんが取り合えず名前を付けて充分遊ばせてやればいいっていってたし、まずはそれを実行しなきゃね!」
 「名前……ね………。なにがいいか思い浮かびもしないよ」
 じっと子犬を見つめても、子犬はつぶらな瞳で頭を撫でてと強請るように鼻先を手のひらにすりつけるばかりだった。
 「いいじゃん、タマでもポチでもきっとこの子喜ぶよ」
 「…………僕が呼びたくないな、それ」
 「まあ今日一日考えておきなよ。で、明日お店に連れて来てよ!あたしがちゃんとお姉ちゃんに許可もらうからさ!」
 そして今日来れなかった姉にも子犬たちの愛らしさを教えてあげるのだと、真宵は目を輝かせて楽しそうにいった。
 本当に姉のことが好きだというその様子に成歩堂は目を細め、手の中の子犬を撫でながら真宵を駅まで送っていった。


 そうして真宵と別れ、子犬とともに辿り着いた自宅で、成歩堂はもう一度途方に暮れた。
 ………すっかり忘れていたが、実家から荷物が届いていたのだ。リフォームをするとかで、一時的で構わないから自分の分の荷物だけでも置いておくようにと、段ボールが数個送られてきたのは数日前の話だ。
 どうせそのまま送り返すならと思い手もつけずにいたが、今は状況が変わった。
 自分の肩にはナップザックから解放されて、なんとか肩までよじ上りながら首元に懐いている子犬がいる。この子犬がいるのに、段ボールで場所を占められた自室はひどく狭く、十分な遊び場にはなり得ない。
 ただでさえ電車移動の際にナップザックの中に押し込められていたのだ。これ以上動きに制限を与えるのも可哀想だろう。こんな生まれたばかりの子犬にストレスを与え続けるわけにもいかない。
 どんな理由であれ、自分はこの犬に何故か選ばれてしまったのだ。それならば、向けられる好意に同じだけの愛情でもって応えたい。
 「………よし、頑張るか」
 覚悟を決めて、成歩堂は普段ならばやりたくもない整理整頓という不得手分野に手を伸ばした。

 段ボールの中身は大体ががらくただった。学生時代に読みあさっていた本は図書館から借りたものが主だったし、考えてみるとあまり成歩堂は物を携えていない。
 古くなって着なくなった服や一時的にハマって集めたもの。いま振り返れば欲しいのはそうたいした数のものではなく、これを機に捨てなければ貧乏性の自分は不必要にずっと溜め込むだろうということが容易く想像出来る、今はもう不要な品々だった。
 おそらくそうした意味も含めてこれらは送られてきたのだろう。実家で処分すべきかどうかを悩んだ品、ともいえる。
 苦笑しながらあっさりと自分の性質を看破している親に、長年の付き合いは伊達ではないと思いながらゴミ袋に中のものを捨てていく。
 「お、危ないからこっちはダメだよ」
 品物を入れられてガサガサと動くゴミ袋に興味を示したのか、子犬がゴミ袋をよじ上ろうとしている。それを見て成歩堂は笑いながら指先を子犬に向けた。
 差し出された指先をぱくりと口に含んで食べるような仕草をする子犬に、成歩堂は苦笑しながら指先を動かして離すように示した。それに従うようにすぐに子犬は口を開け、指を解放する。
 ………犬の知識など皆無の成歩堂にも、一つだけ解ることがある。
 それはこの犬がひどく頭がいいだろうということだ。
 いまもそう。成歩堂が声をかけたことでよじ登ることは止めたし、噛み付いた指先も少しだけ揺らしただけですぐに離した。
 おそらくという言葉はむしろ確信に変わりかけているが、この子犬は自分がいっている言葉の意味をおおよそ理解しているのだ。
 「もう少しで終わるから、肩にでも乗っている?」
 傍に居たいのだとじっと見上げる小さな生き物に、成歩堂が困ったように問いかければ、ぱたぱたと盛大に尻尾が揺れた。
 返答として受け取った成歩堂が小さな身体を持ち上げて自身の肩に乗せる。腹部を肩に、後ろ足が背中へ、前足が胸元へと伸ばされる状態で寝そべる子犬は、上機嫌で成歩堂の手元を見つめていた。
 段ボール箱もほとんどが消え、今は最後の一箱だ。これが終われば沢山相手をしてもらえると解っているのだろう、子犬は成歩堂の肩に乗ったまま尻尾を振っていた。
 「あ……どうりで重いと思ったら」
 不意に成歩堂が段ボールの底の方に手を伸ばして、笑いを含んだ声でそんなことを呟く。
 首を傾げて成歩堂の頬を見遣った子犬は、自分が愛しいと思ったその人の柔らかな笑みに驚いたように尻尾を跳ねさせた。
 彼がなにに興味を示したのかを知りたくて、子犬は成歩堂の手元を見遣る。そこにあるのは一冊のアルバムだ。
 文字の読めない子犬には判別はつかないが、それは成歩堂の小学校の卒業アルバムだった。
 それはなんだ、というかのように前足をばたつかせている子犬に気づき、成歩堂は床にアルバムを広げると、子犬を肩から床に下ろして写真が見えるようにした。そして自分自身のクラス写真の載ったページをめくり、子犬に話しかけた。
 「これはね、僕の小学校の卒業アルバムっていうものだよ」
 「!!」
 「うん、それが小さい時の僕。よく解ったね。あと、こっちが矢張っていう、今も付き合いのある友達だよ」
 その内紹介するからと言いながら、見事に一目で自分の写真を当てた子犬の頭を成歩堂は撫でた。
 嬉しそうに目を細めて頬をすり寄せる子犬を眺めながら、不意に思い出す。
 ………小学校の時、ひときわ異彩を放って輝いていた、一人のクラスメイト。
 卒業までいなかったせいでこのアルバムにその姿はなかった。
 「あ、でももしかしたら……」
 ふと呟いて、成歩堂は子犬を撫でる手を離すとアルバムの後ろの方へとページをめくった。
 各学年ごとの行事や日常風景の写真がランダムに載ったそこを、じっと凝視する。たいした枚数ではないそれを、それでも十分な時間を掛けて丹念に見つめたが、成歩堂は残念そうに溜め息を落とした。
 それはひどく寂しそうで、子犬はオロオロとしながら成歩堂の手のひらを舐め、慰めるように見上げる。
 その仕草に気づいて、成歩堂は苦笑した。センチメンタルになるような、そんなことは何一つないのに、それでも不意に思い出すそのクラスメイトのことは、小さな棘のように胸を痛ませる。
 「大丈夫だよ。ごめんね、心配かけて」
 呟きながら、自身を見上げる子犬を手のひらで包み、抱き上げた。そっとその背を撫でながら、思い出すままに声を綴る。
 「このアルバムには載ってなかったけど、もう一人ね、すごくよく覚えているクラスメイトがいるんだ」
 懐かしそうな響きの声音に、子犬は成歩堂を見つめる。その顔はひどく穏やかそうなのに、同じくらい、寂しそうだった。
 クゥーンと小さく鳴いて、嫌なことは考えないでと訴えれば、成歩堂は首を傾げながら言葉を続ける。
 「あのね、御剣っていうんだ、そいつ。きっともう僕のことなんて覚えてないだろうし、会うことだってないだろうけどね。でも僕は、あの頃本当に御剣に憧れていたし、好きだったよ」
 だから出来れば友達になりたかったし、可能ならいまだって交遊を深めたかった。そう呟きながら、思い出した記憶が溢れてくる。
 毅然として、真っすぐで、淀みなく堂々としていた小さな背中。
 自分と同じほどに小さい手足で、けれど彼は大人にすら後れをとることなく意見を向け、決して退かなかった。
 思い出すのは小さな記憶ばかり。自分が見遣っていた、彼の姿。
 きっかけもないまま友達になる機会もなく、そうして彼は引っ越していなくなってしまったけれど。
 それでも時折自分は思い出す、あの鮮烈な意志を宿した幼い子供の眼差しを。
 意固地なほど真っすぐで、他を傷つけてでも己であろうとする、熾烈なまでの自己意識。
 「うん……やっぱり、僕は好きだったな……。友達になりたかったよ、今からだってね」
 思い出しながら、寂しそうに成歩堂が呟く。
 辛いなら忘れてしまえと言いたくて、けれどその笑みは子犬が今日一日見た中でも一番、儚いくらい……綺麗で。
 ジレンマに、唸る。自分を見てと訴えたくて、ぱくりと成歩堂の手のひらに噛み付いた。
 「うん?どうした?」
 さして痛くない子犬の噛み付きに成歩堂は笑みをいつものものに戻し、頭を撫でる。先ほどまでの笑みは、子犬に与えられるものではないというように、消えてしまった。
 それを見て、子犬は愕然とする。目を大きく見開いて、撫でてくれる手のひらさえ、解らなかった。
 ………全部、自分に与えて欲しいのに。
 自分の全部を与えたい、相手なのに。
 彼の中には自分では引き出せないものが、あるのだ。
 その名を自分は知っている。もう二度ときっと会うことはないと、成歩堂がいっていた旧友の名前。
 じっと自分を撫でる愛しい人を見上げながら、子犬は頷く仕草で手のひらに甘え、決心した。


 翌日、朝の慌ただしさの中で、成歩堂は新聞を取り上げた。子犬は相変わらず成歩堂にまとわりつき、今も肩に乗って同じ新聞を見ている。
 与えたミルクもしっかり飲んだし、機嫌もいいのか尻尾を揺らしながら頬をすり寄せてきた。唯一問題があるとすれば、昨夜あのあと、子犬が強請るままに小学校の思い出話をしていたせいで、すっかり名前を考えることを忘れていたことくらいだろう。
 今日店にいったら、午後にやってくる真宵にさぞかし怒られることだろう。思いながら、苦笑が浮かぶ。
 甘える子犬に応えながらパンを齧り、成歩堂は捲った新聞の一カ所に、目を奪われた。少し前に騒がれた事件の裁判に関する記述だ。そんな事件もあったと思い出しながら見遣った場所に、あまり見かけない単語があった。
 …………それは、懐かしい名前……否、昨夜子犬に幾度も教えた旧友の名前だった。もっともそれはフルネームではなく、彼の名字に他ならないけれど。
 首を傾げ、詳細を読んでみる。
 それは旧友のことではなく、彼の父親のことらしい。けれどその文面の中には、息子である旧友もまた、助手として父親の隣に立っていた旨が記されていた。
 驚きとともに、喜びが胸中に湧く。
 ひどく一方的だけれど、彼が今も元気に己の信念を貫いている姿が、そこにはあった。
 「御剣……弁護士になったんだ……」
 「ワン!」
 呟いた声に、元気よく肩の子犬が鳴いた。それに思わず目を丸める。
 ………昨日出会ってから今まで、この子犬はこんな風に元気に鳴くことはなかった。寡黙……というのもおかしいかもしれないけれど、極端なほど鳴き声の少ない子犬だったのだ。
 きょとんとして首を傾げ、肩にいる子犬を見遣る。
 尻尾を振って子犬は自分をアピールしているけれど、特に何かをして欲しいわけでもなさそうで、それ以上の催促はなにもなかった。
 訝しく思いながら、成歩堂は新聞の説明がして欲しいのかと、昨夜思い出す限りの思い出話を聞かせた旧友の名を、もう一度口にした。
 「あのね、これが昨日話していた御剣で…」
 「ワン!」
 もう一度、子犬が鳴いた。タイミングは、先ほどより若干早く、成歩堂の話を遮るように。
 …………その時点で、嫌な予感が脳裏を掠めた。
 まさかと思いつつ、恐る恐る確認するように、子犬に問いかける。
 「………ミツル………ギ?」
 「ワン」
 理解してくれたらしいと解った子犬は満足そうにそう一声鳴いて、口吻けるように飼い主の頬を舐めた。



 あなたが寂しくなるのなら
 私の全てで補いましょう

 だからどうぞその名を下さい

 あなたが愛しく囁くその名を
 自分にだけ、囁いて





 ミツルギオン、『ミツルギ』と正式に命名。
 でも自分で選んだんだよ、この名前は。生まれたてで独占欲が異様に強いので自分以外に自分に向けられないものが与えられるのが悔しかったんだね、きっと。
 だからそれが欲しいからその名前ごとちょうだい、と。
 どうせこの先人間御剣に出会うこともないだろうと高を括ったのだろう、ミツルギオン。でも己が原因で縁を作っちゃうんだけどね(笑)

 そして人間御剣の方に出会ったあと、彼にミツルギの名前の由来を聞かれるのに大いに困るんだ、成歩堂。
 Wで困った子たちだね、御剣ズ。

07.12.19