柴田亜美作品

逆転裁判

NARUTO

突発。
(1作品限り)

オリジナル
(シスターシリーズ)

オリジナル



enter










 「あ………しまった」
 思い出したことに、ぽつりと声が洩れる。それに対して何事かと、隣を歩いていた御剣と、逆の隣を歩いていたミツルギとが同時に成歩堂を見遣った。
 ほぼ同じ身長の御剣の動きに先に気づき、そちらに顔を向けた成歩堂の足元を、何かが押し止めるように擦り寄った。
 ………考えるまでもなく、成歩堂の飼い犬である、ミツルギだ。どこか拗ねたように尻尾を垂らして見上げる様子に、ミツルギもまた自分の声を気にかけてくれたらしいことを知り、成歩堂が謝るようにその頭を撫でた。
 歩みを止めて愛犬と戯れる成歩堂の背中を、御剣はじっと見つめながら、少しでも自分の方に意識を寄せようと声をかけた。そこにこの飼い犬への対抗心がないかと聞かれれば、御剣は黙秘権を行使するだろう。
 ………黙秘すること自体が、肯定の返答であるなどとは露程も考えずに。
 「で、どうかしたのだろうか?」
 先程の発言はなんだったのかと、純粋な疑問と幼い我が侭を滲ませて問いかければ、成歩堂は背後の御剣に顔を振り返らせながら、苦笑した。
 それが自分の行動へのものかと一瞬思い、御剣がぎこちなく身体を小さく跳ねさせるが、それには気づかずに成歩堂が口を開いた。
 「いや、ほら……明日、君の家に行く約束だったろ?午前中にケーキを焼こうと思っていたのに、店から保冷バック持ってくるの忘れちゃったなーって思ってさ」
 「保冷バック?保冷剤ではないのか?」
 自身の失態を気づかれなかったことにホッと息を吐きながら、御剣は不思議そうに呟く。
 今は初夏で、暑さも日増しに強くなる。だからこそ、店でも保冷剤は必需品だし、持ち運びに時間がかかるのであれば、保冷バックも勧めている。……添加物を使用していないCHIHIROの菓子は、暑さにひどく弱いのだ。
 しかも成歩堂の担当する冷菓類に至っては保冷剤を使用しても保てる時間は短い。贈答品とすることは非常に難しい。そういう時に、保冷剤だけではなく、保冷剤の冷気を逃さずに留め置く保冷バックが必要になる。
 ………それでも1時間を超える持ち運びは基本的に断るし、承知の上で購入する客にも毎回必ず注意事項を告げているほどだ。ゼラチンは一度凝固したあと溶けてしまえば、元通りには戻らない。風味の衰えは勿論、食感すらなくなる。更には、再凝固の際に白い結晶が浮かび、パッと見にはカビが発生したようにしか見えないという徹底ぶりだ。
 いいところがないどころか、悪い部分しかない。その上、誤摩化しすら効かないのだから、目も当てられない。
 けれど、生ケーキはそこまでひどくもないのだ。勿論、生クリームは熱に弱い。溶けてしまえば取り返しもつかないだろう。けれど成歩堂の家と御剣の家は、それを危ぶむほど遠いわけではないのだ。CHIHIROも加えて考えれば、距離としてはある意味正三角形のようなものだろう。……なので本来であれば御剣と成歩堂がこうして同じ道を帰ることはないが、御剣の使用している駐車場が成歩堂の帰り道に添っているため、そこまでの道が二人と一匹が一緒に帰る道になっていた。
 そんな二人の家の距離であれば、直射日光を避けて保冷剤を多く持ち、袋をしっかり結んでおけば、そこまで被害は出ないはずだろうと、御剣は計算出来る。
 不思議そうに首を傾げる御剣の疑問は解っているのだろう、成歩堂はじゃれる飼い犬をなんとか抱きとめながら、聡い友人を見上げた。
 「うん。作ろうと思っていたのが、デコレーションにチョコを使うからさ。最近の暑さじゃ、溶けると思うんだよね」
 体温ですら一瞬で溶けてしまうのだと、溜め息を吐きながら告げる成歩堂の苦労は残念ながらまだ御剣には体感としては解らない。なにせ、まだ卵もまともに割れないのだから、手伝えることがないのだ。
 それでも知識だけはなんとか詰め込んでいる。デコレーションであるのならば、ガナッシュやグラサージュ、あるいはコポーか。脳裏に本の記述そのままの姿を描きながら御剣が考える。どれにしろ、熱に弱いことは確かだ。
 今から取りに戻るか作るケーキを変えるかで逡巡しているらしい成歩堂に、御剣は顎に手をやってふムと一つ頷く。問題は、簡単だ。要は保冷バックがあればいいという、それが解決方法だろう。
 種類を変えるというのも方法だが、おそらく成歩堂は既に材料を調達しているだろう。当日に焼くつもりならば、尚更だ。
 成歩堂の瞬く瞳を見下ろしながら、御剣は自身の出した解決案に満足しているのか、にっこりと無邪気に笑った。
 「問題はないぞ、成歩堂」
 「え………?」
 「確か、家に母が以前購入した保冷バックがあったからな。明日、それを持って私が迎えにいこう」
 遠出する際などに母は必ずそれを持っていく。出掛けた先で見つけたお土産が保冷を必要とするものであれば、それを使うためだ。おそらく彼女の中ではエコバックと同じ要領なのだろう。
 記憶に誤りがなければ先週も使用していたのだから、保冷バックがダメになっているという可能性もないだろう。
 「へ?で、でもそれは迷惑じゃ……」
 「既に何度もいっている気もするが、私は君と居られるのは嬉しい。そもそも迷惑なことなど私は口にしない」
 突然の申し出に目を丸めて慌てた成歩堂が、断ろうかと眉を寄せると、不可解そうに御剣が首を傾げる。幾度もいっているというのに、なかなか成歩堂はその意味を受け入れない。
 それとも、と。不意に御剣は困惑の視線と真っ赤に茹だっている成歩堂の顔を見下ろしながら、気づく。
 受け入れない、ではなく…あるいは、それは自分と同じで許される範囲を確認しているのだろうか。突然降って湧いたように手にした友人の存在に、どこまで近づいていいのか、今はまだ自分も彼も手探りなのかもしれない。
 そうだといいと思いながら、御剣は未だ愛犬を抱き締めたままの成歩堂にそっと手を差し出す。
 「他に理由がないのであれば、明日、君の都合のいい時間に窺わせてもらおう。いいだろうか?」
 真っ直ぐにさし出された手のひらを、つい反射的にとってしまい、それに合わせて腰を上げる。膝元で残念そうにミツルギが小さく鳴く声が響いた。
 それに顔を向けそうになると、遮るように指先を引かれる。返事を待っていると、そう訴えるような、動き。
 少しだけ躊躇いを漂わせ、視線を彷徨わせた後、成歩堂はちらりと隣の友人を見上げる。自分の我が侭に付き合わせると思うと引け腰になって、若干俯き加減のため、背はほとんど変わらないのに目線は随分違う位置に感じた。
 「えっと…本当に迷惑じゃ、ない?」
 最後の確認というようなその響きに、御剣は真剣な目つきで頷いた。
 「無論。どのみち買い物に出る予定だったのだ。たいした違いはない」
 どこか時代錯誤な物言いで念を押す様は、今ここで手放したら逃げられるとでも言うようだった。その真面目さに、成歩堂は小さく笑い、頷く。
 「そ……っか。うん、じゃあ、お願いしようかな。よろしくな」
 成歩堂はどこまでも不器用に手を差し出してくれる御剣に感謝しながら、嬉しそうに笑いそういった。
 つられるように笑みを浮かべる御剣を、成歩堂に寄り添いながら見上げたミツルギは面白くなさそうに顔を顰め、歩き出す振りをして御剣に靴を踏む。
 もっとも、たいした痛みのないその報復は、気持ちの高揚していた御剣自身にすら気づかれることなく、二人と一匹は御剣の車の置かれている駐車場までの、短な帰り道を歩いていった。


 翌日。成歩堂は約束の時間までにきちんとケーキを仕上げた。昨夜の内に保冷バックのサイズも確認したので、今回はホールのまま箱にしまって持っていくことが出来る。
 出来上がったケーキは上出来で愛らしく、切った時の色彩の変化にほころぶ顔が目に浮かぶようだ。
 箱にしまったケーキを冷蔵庫に慎重にしまい、成歩堂が振り返れば、待ち構えていたようにミツルギが尻尾を振った。キッチンに入らないことを子犬のときから約束として交わしているミツルギは、それをきちんと守っている。この約束を守らない場合、被害を被るのが自身の飼い主であることを理解しているからだ。
 妙に律儀な飼い犬の、そんな一面を褒めるように成歩堂は手を伸ばしミツルギを撫でた。手触りのいい毛並みが指先をくすぐる。そんなにこまめに手入れをしているわけでもないのに、ミツルギの毛並みは上質だった。
 「あともう少しで御剣も来るかな」
 「わう?」
 「ん?はは、お前じゃなくって、僕の友達の御剣。………うーん、ややこしいなぁ」
 呼んだかと首を傾げる飼い犬に笑いかけ、成歩堂が説明する。が、どうにもややこしいことこの上ない。
 同じ名を持つ人間と犬が、同一空間に居るのだからややこしいのが当然だ。つい先日も御剣から名前で呼べばいいのではないかと提案をされて、互いに極度の羞恥に陥ったのは記憶に新しい。
 なんとかしなくてはと思うけれど名前ばかりは変えようがない。頭のいい犬とはいえ、何年も慣れ親しんだ名前を突然変えられたのではミツルギだって不憫だ。ましてや、この名はミツルギ自身が選び望んだ名前なのだから。
 困ったような成歩堂の頬をぺろりと舐めて、ミツルギが笑う。細かなことなど気にせずに、成歩堂は笑っていていいのだ。それを自分は望んでいるし、他の誰かが邪魔をするのなら、排除する。
 愛しい飼い主がただ笑みに満ちて過ごせるなら、それ以上の幸いなどない。
 だから同じ名の男のことなど放っておけばいいのだと、軽やかに尻尾を振ってじゃれつけば、なにも知らない成歩堂はお菓子作りで離れていた分、遊ぶことを要求されていると受け取った。
 それもまた彼らしいと、ミツルギはボール遊びを提案する指先を舐めとって、おもちゃ箱の置かれているリビングへと歩を勧めた。
 ミツルギが幾度かボールを成歩堂へと届けた頃、廊下に足音が響いた。ちらりと成歩堂が玄関を見遣れば、程なくチャイムが響く。
 それに遊びは終わりと理解したミツルギが素直にボールをおもちゃ箱に戻しにいく。その背を見遣りながら、成歩堂は玄関へと向かった。
 「いらっしゃい、わざわざ悪いな」
 玄関を開けると、思った通りそこには御剣が立っていた。取り合えず入るように薦めると、律儀に断りを入れてから足を踏み入れるのも相変わらずだ。
 靴を脱ぐ頃にはミツルギも玄関に顔を覗かせ、不機嫌そうにそっぽを向いた。その様子に成歩堂は目を瞬かせていたが、御剣は相変わらずだと鼻で笑っている。………お互い様なのかもしれないが、どうしてもそりが合わないというか、受け付け難いというか、受け入れ難いというか。同じ名前を冠する二人は、互いに相手の存在を快く認識はしていなかった。
 だからこそ御剣にはミツルギがそっぽを向いた心情が理解出来るし、それ故にその子供っぽさを鼻で笑うことも出来る。…………もっとも、どちらもが違う場面で同じ行為を重ねていることは、何故かどちらも気づいていないけれど。
 短い廊下を歩き、リビングへと辿り着くと、成歩堂は御剣に荷物を置くように薦める。まだ慣れていないせいか、御剣は1つずつ声をかけなくては入って来たままの姿で立ち尽くしてしまうことがある。
 お茶の一杯も飲んでから出ようと成歩堂がそんな御剣の様子に苦笑しながら言うと、素直に彼は頷いて示されるままにリビングに腰をおろした。
 この家に訪れる口実となった目的のものも忘れずに、目の前のテーブルに乗せると、胡散臭そうな顔でミツルギが見遣るのが視界の端に写った。黙殺すれば、相手も意に介さぬように飼い主の姿を求めてキッチンへと振り返っている。
 「ミツルギ、散歩に出るから水、飲んでおきなね。御剣はウーロン茶で大丈夫?」
 「ム?………む、平気、だ」
 成歩堂の発言を理解するのに若干時間を要しながら、それでもついこの間名字で呼ぶように話をつけた手前、御剣は奇妙な顔をしながらも頷いた。
 それに気づきはしたが、解決策がないため成歩堂も敢えてツッコミはしなかった。コップを御剣に差し出しながら、テーブルに置かれた保冷バックに気づいて、成歩堂が礼を言う。これのためにわざわざ来てもらうには、少々労力が大きいだろう。
 それに即座に首を振って気にする必要のない旨を告げる様に、成歩堂は目を細めて嬉しげに笑い、もう一度礼を言った。
 柔らかな笑みにどう答えればいいのかが解らなくなった御剣は、ただ頷いて成歩堂の持つ自分のためのウーロン茶に手を伸ばした。どうも時折、成歩堂に相対すると言葉に出来ない状況に陥ることがある。不快ではないが、不可解ではあった。
 首を傾げながらも成歩堂が差し出したコップを御剣が受け取る。それを確認すると、成歩堂は防水布の上で水を口にする飼い犬を眺めた。そして何故か、近くに置かれていたタオルを引き寄せ、その膝に乗せている。
 なんだろうかと目を瞬かせている御剣を尻目に、たっぷり水を飲んだのだろう、ミツルギが満足そうに戻って来た。その飼い犬を、成歩堂が手招きする。
 どうかしたのかと御剣も視線で追えば、成歩堂は膝に甘える飼い犬の口元をタオルで拭っていた。
 ………犬は飲むのも食べるのもへたくそだ。口以外を一切使わずに行なうのだから当然だろう。それは、解る。そしてそれ故に口元を汚していれば、飼い主がそれを拭うのも、おそらくは当然なのだ。少なくとも、いま目の前で繰り広げられているのだから、成歩堂にとっては当たり前なのだろう。
 その点も理解した。が、何となく、釈然としない。
 憮然とした眼差しでそんな微笑ましい様子を間近で眺める。割って入ろうにも、きっかけがない。なにか会話の糸口はないものかと、犬には割り込めない領域に思いを馳せる。が、元々世間話は苦手なため、いい話題がなにも浮かばなかった。
 がっくりと肩を落とせば、テーブルの上に置かれた、自身が持ってきた保冷バックが目に映る。
 それに触発されて、話題が一つ、浮かんだ。不自然ではない、極当たり前の……しかも上手くいけば現状打開が可能な、話題。
 「そういえば、成歩堂」
 「ん?」
 「君の作ったケーキとは、どんなものなのだろか」
 結局昨夜は聞かなかったと言えば、きょとんとした成歩堂が朗らかに笑って膝の上の飼い犬をそっと横にどけた。
 「そうだった!ちょっと待って、いま持ってくるからさ」
 機嫌よく答える様を見る限り、出来が良かったのだろう。膝から下ろされて不満はあるものの、上機嫌な笑顔を見上げたミツルギは大人しく飼い主が戻ってくるのを待っている。
 といっても、成歩堂の家のリビングとキッチンはほとんど距離がない。………むしろすぐ横だ。行くとか戻るとか言うほどの距離でもないが、御剣もミツルギも、どちらも行儀よく成歩堂がその笑顔を讃えて戻ってくるのを待っていた。
 程なく冷蔵庫を開ける音と何かを取り出す音、冷蔵庫を閉める音が響き、数歩歩む足音とともに、成歩堂が嬉しげに笑って部屋に戻って来た。
 「ほら、これだよ」
 そういってテーブルに置かれた真っ白な箱は、まだ開けられていない。開け口を御剣に向けていることから、開けるように促されていることが知れた。
 そっと、慎重な手つきで御剣の指先が箱に触れる。不器用であることに自覚があるため、ちょっとした不手際で、折角こんなにも笑顔を浮かべるほど上手く出来ている成歩堂のケーキを駄目にしてしまいそうで、緊張してしまう。………本人に言えばあっけらかんと一蹴されてしまいそうな緊張だけれど。
 1mmたりとも動かさずに箱を開けようと集中しながらなんとか開いた蓋は、その下に同じ純白を乗せていた。
 真っ白な箱の中の真っ白なケーキ。その頂の中央にはコポーの黒が茂みとなり、雪を降らせるようにパウダーシュガーが降り掛かっている。
 その茂みを囲むようにして林立しているのは、ダークチェリーのシロップ漬けだ。チョコに近い黒のような、濃い紫紺の丸いフォルムは物寂しかった純白の園を愛らしく彩っている。
 「これ……は、『フォレ・ノワール』、か?」
 箱の中身を覗き込んだまま、洩れ零すように呟く。この形式を、御剣は知っていた。成歩堂が得意とする菓子は冷菓だが、趣味で作る菓子は伝統菓子が意外と多い。
 「お見事!やっぱり知ってたんだな」
 説明する暇もなかったと、朗らかに成歩堂が笑う。楽しそうな音に、御剣の瞳も柔らかく染まった。
 「こう暑くなってきたからさ、見た目の涼しいヤツにしたかったんだ。でもまんま冷菓じゃ、芸がないだろ?」
 だからちょっとしたサプライズだと、雪景色のような涼やかなケーキを作ったと成歩堂が笑う。どこかそれは悪戯を画策する子供のようだった。
 「父が好きそうだな」
 「ん?おばさんじゃなくて?」
 「こういう悪戯は父の方が好きだ。母はそれに驚く方なのだよ」
 ………それはきっと悪戯ではなくて純粋なサプライズ………しかも、記念日などにきちんと成されている類いのサプライズではないだろうか。
 一瞬そんな憶測が成り立ったが、息子である御剣がそれに気づいていないのならば敢えて口を出すまいと成歩堂は頷くに留めた。
 その隣で、飼い主の笑顔の元となったケーキの出来映えを知ろうと、ミツルギがひょっこりと顔を出す。会話を始めてしまった二人の間に割って入るような勢いだったため、若干普段よりも箱に近づいてしまい、危うく鼻先が箱に当たる所だった。
 それにギョッとしたのは、成歩堂だ。慌てて飼い犬をからケーキを引き離そうと、箱を自分の方に抱き寄せた。
 「ミツルギは食べちゃ駄目だよ!」
 このケーキは人間用のレシピで作られたものだ。生クリームも沢山使っているし、チョコにココアも使用した。果物でさえシロップ漬けなのだから、一カ所として犬に与えられる部分がない。
 愛犬の身体のためにと必死な口調でいった成歩堂の声に、それを知っているミツルギは理解を示すように頷いたが、それよりも早く、成歩堂は間近の澱んだ空気に気づいた。
 「…………み、御剣…………?」
 飼い犬との攻防戦が繰り広げられるかと思いきや、テーブルを挟んだ向かいに居る友人が、肩を落として暗雲を背負っている。
 何事かと目を丸めながらも、不意に気づく。…………自分の発言を、彼が間違って受け止めただろうことに。
 「ちょ、違うよ?!ミツルギって言うのは、ほら、この子のことで!!犬はチョコ食べちゃ駄目だし、生クリームも駄目だし、砂糖も駄目なんだよ!だから食べちゃ駄目っていったんだよ?!」
 「しかし、今……ミツルギ……………と…………」
 「名前が同じなんだから仕方ないだろー!!誤解だってばー!!!」
 室内だというのに今にも御剣の周囲だけ豪雨が降りそうだ。なんとか誤解を解かなくてはと必死になって叫ぶ成歩堂の隣、人間は音の向かう方向も解らないのかと呆れながらミツルギが眺めていた。
 御剣が釈明を聞き入れて浮上するまで、もう暫くの時間がかかる。それまでにケーキが駄目にならなければいいと、自分では食べられない、けれど飼い主の思いの結晶を愛しげに見つめながらミツルギは成歩堂に寄り添っていた。


 その日の夜、御剣の家から帰ってくると、深い溜め息と困り果てた顔で成歩堂は飼い犬を見遣った。
 首を傾げる飼い犬の頭を撫でながら、至極申し訳なさそうな声で、申し出る。
 曰く、これから御剣の居る前では『ミツ』と呼んでもいいか、と。
 ………正直なことを言えば、自分が略称にされることは、腹立たしい。あとから出て来た人間の方が変えるべきだ。
 けれど、日中の成歩堂の誤解されたことでの泣きそうな顔を思い出し、いま頷いたならきっと笑顔と抱擁を与えてもらえることを思い、どちらを取ろうかと天秤にかけた。

 ………あっさりと頷く方に傾いた天秤の揺れそのままに首を揺らし、ミツルギは愛しい飼い主の笑顔と抱擁を手に入れた。





 ミツルギオンブログより、小説化しました(笑)
 本当はこっちが先に形になるはずだったんだけど、手間取りました。Wミツルギは難しいんだよ………!

 そんなわけで、取り合えずリク通りにWミツルギ頑張ったよ。どう考えても成歩堂の負担が増えるだけだ。
 そして犬が幸せになるのは私が犬が好きだからだ。仕方ないと諦めておくれ!(オイ)

08.7.13