幾度かのワープ。船体が揺れて、それを押さえるのに必死だったほんの数秒。
 周囲の歪んだ景色が消え、スクリーンには再び宇宙空間が映された。レーダで周囲の観測し、現在の位置を確認する。全ての乗組員が確認作業を終えて、宙太は通信機に向かって明るい声を響かせた。
 「よしっ!太陽系突破成功!」
 「よくやったわ、宙太!」
 待っていた返事に、管制塔にいるミルキーの声が興奮気味に響いた。これで、世界初の偉業がここに確立された。残るは太陽系外にいる、知的生命体との接触だ。こちらは時間がかかるだろう事が予測されているが、問題はなかった。
 このロケットにダウンロードしたデータは、元はこの太陽系から離れた銀河系からやってきた宇宙船に組み込まれていたものだ。ただそれを起動させ、示すがままにロケットは進むだけでいい。
 一番の難関であったワープさえ成功すれば、あとはただの旅行と同じだ。安心しきった空気が操縦室にも管制塔にも漂った。
 「へへ♪さて、このあとは〜」
 カチャカチャと昔ならば考えられない速度で宙太は手元のキーを操作した。もう何百回もシュミレーションした事だ。目を瞑っていたとしても出来ると自負していた宙太は、鼻唄混じりに最後の起動スイッチを押した。
 が、同時に画面に現れた不可解な数字の羅列に凍りついてしまう。
 「?どうしたの、宙太」
 突然沈黙した宙太に訝しそうにミルキーが問いかけた。あとはもう、宇宙船が元来た道通りにミレニアムに向かっていく筈だった。このロケットの母体となった、赤子が乗っていた宇宙船が描く筈だった帰還ルート。
 それが唯一の太陽系以後の道標だ。それがなくてはこんなにも早くにどんな危険があるかも解らない宇宙空間への有人ロケットなど、実現しはしなかった。
 「………問題が発生しました、ねーちゃん」
 にも関わらず、鉄壁を誇る保護プログラムすら掻い潜り、これは発生した。
 冷や汗を浮かべながら宙太は、告げなくてはならない最悪の現状を叫んだ。
 「スカイ号のデータがすり変わっていますっ!」
 「な、なんですって〜?!だって、ちゃんと初期設定通りミレニアムに着くように………」
 突然の最悪のトラブルに、ミルキーは慌てて管制塔のコンピュータを叩き始めた。……バックアップにとってあったデータまでもが、意味不明な数字の羅列に刷り変わっている。
 これでは宇宙船に転送など出来る筈もなく、ミルキーは呆気にとられてスクリーンを見つめた。
 それを同じく見上げていたザッハが、思い付いたように呟いた。
 「あー、もしかしたら侵入者防止で、太陽系から離脱した時に元の機械と変わっていたら削除されるようにプログラムされてたんかな」
 「そういう大切な事は早くいって!!」
 呑気なザッハの言葉に、ミルキーがヒステリックに答える。宙太のいる場所はあまりに遠いのだ。容易くなど助けられないし、流石にミルキーの超能力だって及ばない。
 そんな場所での一大事をのほほんと告げられてはたまらないと睨んだ先のザッハは、常のミイラ姿のままに首を傾げた。
 「俺だって知らないっての」
 ………あっけらかんと言い切ったザッハにミルキーの超能力が直撃した。事を、宙太は通信機から漏れ聞こえた音で予測した。伊達に彼女の弟に生まれていない予測能力だ。
 ざわめく操縦室内の乗組員達にいつもの事と落ち着かせながら、一頻り姉の激情がおさまるのを待っていた。……こんな状況にも随分慣れてしまっている自分に、少し呆れそうだ。
 一通りの阿鼻叫喚のBGMを聞き流していると、ようやく落ち着いたのか、ミルキーの静かな声が聞こえた。
 「宙太、とても大事な事を指示するから、聞き逃さないで。二度は言わないわ」
 理知的な彼女らしい、静かな声。それを頼もしく耳に響かせながら宙太は通信機に向き合った。
 「了解!頼むぜ、ねーちゃん!」
 昔と違って超能力を制御するすべを覚えたミルキーは、その頭脳も開花させて地球上で一番頼りになる姉になった。
 きっとこの状況を打破する術を教えてくれると信じて疑わない宙太の耳に、その指令が伝えられた。
 「人間根性を出せばなんでも出来るからなんとかなさい」
 ………きっぱりとミルキーが言い切った言葉に、宇宙服なしで外に放り出された気分に襲れた。多分、ここに彼女がいたら実行されていた筈だろう。
 「………………無理に決まってんだろ、姉ちゃん!?!」
 あまりに無茶な発言に現実逃避した意識から即帰ってくると、通信機が壊れる勢いで叫んだ。
 「スカイちゃんに会いたいんでしょ?!あたしの弟なら気張りなさいっ!」
 が、返ってきた声はそれを更に上回った上、ビリビリとロケットが揺れた。……まずい、超能力を発揮し始めた。しかも通常ならあり得ない事に、通信機の電波に乗ってこちらにまで影響を及ぼしている。つまり、それくらい彼女も切羽詰まっているという事か。
 ………解る。解っているし、それに同意したい気持ちも勿論ある。が、残念ながらこのロケットは自分一人で動くものではない。他の乗組員にまで自分と同じ覚悟を持って未知の星を探しにいこうとは、流石に言えない。
 何よりも、それがどれほど微か過ぎる希望か。場所も解らないこの無限の宇宙の中の、たった1つの星を探す、なんて。
 どんなに望んでやりたいと思っても、自分一人では何も出来ない事も、十分承知の上だ。
 「ねーちゃんの弟でも一般人ですっ!!!」
 必死に言い返した声に返ってくる反論を覚悟していると、なおロケットは海の上のように揺れ続けていた。通信機まで雑音を放ち始めている。乗組員達のざわめきに掻き消された訳ではないそれに、宙太は顔を顰めた。
 ………流石に、これはおかしい。
 怪しんだ宙太がパネルの操作を始めていると、若干音の遠くなった通信機からザッハの声が漏れ聞こえた。どうやら壊れた訳ではないらしい事にホッとした。
 「なんだかなぁ。まあ、平気だろ、ミルキー」
 「え?」
 音は聞き取りづらく、こちらに語りかけているのか、あちらだけで話しているのか判別がしづらい。姉弟そろって返事をするも、雑音が強まってしまった。
 ……やはり超能力の影響で受信部が故障したのだろうか。かなり強化しても、なかなか姉の力に及ぶものが出来ないのが現状だった。
 今の状況で通信まで出来なくなったら命に関わる。流石にそれは避けなくては。
 まだ、会っていない。ここまで来て会えないままなんて、そんなオチはごめんだった。
 必死に操作する宙太とは裏腹に、ザッハは呑気ないつもの声を楽しげに響かせている。
 「どーせ地球のこの進歩なんざ筒抜けだぜ?」
 「あ、そっか!」
 ザッハの声に被さる明るいミルキーの声。………危機に直面している自分を横に置き、管制塔の二人はえらく呑気な様子だった。
 「なんだよ、二人で納得してないでちゃんと教えろって!」
 解らない事だらけだけど、諦めたくないのだ。
 諦めないと、ギリギリまで戦うとその背中で守ってくれた友人と再会するまで。
 難関も苦労も全部乗り越えた。あと一歩だ。諦めるなんて………
 思った瞬間、窓の外に光を感じて宙太は視線を泳がせた。
 「……………ねーちゃん、宇宙に散る前に言い残していいですか」
 つい今さっきまで考えていた諦めない心など横に置き、平坦な声で呟いた。が、通信機は相変わらず微妙に雑音を響かせてミルキーの声をくぐもらせた。
 「何いきなり不吉な事いってんの」
 「軍艦がやって来たんじゃー!!一介の宇宙飛行士に対処出来んわっ!」
 目の前には明らかに軍事用の戦艦が悠々と浮いている。どころか、何やら怪しい光線に捕まって引き寄せられていった。
 どう考えてもこれは拐われるパターンだ。むしろこのままキャトられる。
 「ねーちゃん、どうすりゃ……」
 「……宙、太……声が、………どう……」
 「え!?ちょっ、ねーちゃん!?!」
 困り果てて縋った相手の声は、雑音どころか音自体が掻き消され始めた。通信機に覆いかぶさるようにして声を描けるも、雑音が全てを占めて、ミルキーの可憐な声は響かない。それに、ザッと顔を青ざめさせた。
 ………妨害電波。そんな言葉が思い浮かぶと同時に、背後のハッチが開かれた。
 何の抵抗もなく侵入者を迎え入れた地球最高のロケットを呪いたい気持ちを押さえ込み、宙太は涙目になって後ろを振り返り叫んだ。
 「人のロケットに無断で何の用だ!」
 もう疾うに幼い頃、こんな危機には山程直面した。それらに比べればどんな労苦も難関も苦痛にならないくらい、色々と。
 宇宙人にだって免疫がある。だからこその、初の太陽系離脱の有人ロケットにキャプテンとして乗り込めたのだ。
 乗組員は守らなくてはいけない。最後の最後まで、諦めず、戦わなくては。
 そうして覚悟を定めて睨み据えた先、シルエットが翻る。……見覚えのある、王族の衣装。
 その人物が、笑うように呟いた。
 「まったく、何年経とうと相変わらずすぐ喚くな、お前は」
 「………え、……?」
 まるで旧知の仲のような物言いで声をかけた相手のその声は、……聞き覚えのない低く豊かに響く王者の声だ。
 パチリと宙太は目を瞬かせ、尊大にたたずむ相手を怪訝に見遣る。
 「どちら様ですか」
 また何かおかしな宇宙人に関わる羽目になるのだろうか。だが現状前にも後ろにも進めないのだから、とりあえず渡りに船であると嬉しい。
 警戒心は無くさずに距離をとる相手に、ほんの微か目を丸めた相手は、次いでムッとしたように顔を顰めさせてから肩を竦めた。
 「………なんだ、地球人はもうボケる歳か。嘆かわしい低文明の痛ましさだな」
 「喧嘩売ってんのか!って、その偉そうな言い方………っ!」
 小馬鹿にした態度についノリで叫び返した宙太は、不意に重なった記憶に、目の前の人物を信じ難そうに震える指先で指し示した。
 真っ黒な髪と瞳。それを際立たせるかのように一点の曇りもない純白の衣装。
 カツンと足音を高く響かせて、彼が歩み始めた。戦慄く指先に満足そうな笑みが浮かんでいる。
 歩く度に翻るマント。したたかな笑みがどこか柔らかく宙太を映した。
 「二十年、待つのはなかなか退屈だったからな。王になって暇潰ししていたまでだ」
 操縦席から立ち上がる事さえ忘れて呆気にとられたように自分を見つめ続ける宙太の頭を、窘めるように強く掴んで押さえ込んだ。
 ………長かった。二十年など、彼と出会ったまでの時間よりなお長い。
 それでも煌めく宝石のように、あのほんの一時の記憶は褪せる事もなくいつまでも自分の中、咲き誇り続けた。
 幾度、王としての分別を振り切って、あの星に向かおうとしたか、きっと知らない相手は、呆けたままにまた可愛いげのない悪態を吐いた。
 「………国民に謝れよ、横暴君主」
 戦慄く唇の綴る震えた声。それだけが、あの幼い日の別れ際、彼の瞳に浮かんだ滴と同じく彼を彩っている。
 それをからかうように笑んだまま、随分と成長したかつての友人の頭を叩いた。
 「名君として崇められとるわっ!ったく、憎まれ口も変わらんな。別れ際の素直さはなんだったんだ」
 からかう指先が鼻先を押さえ込み、その痛みにようやく我に返った宙太は、慌ててその手を払い除けると立ち上がって言い返した。
 「うるせーよ!お前だって同じだろうが!」
 憎まれ口はお互い様だ。ずっと、自分達はそんな風に過ごしていた。
 そうだろうと、また震える唇を押さえられず、宙太は歪んだ視界を拭いもしないで呟いた。
 「でも、また、会えた。ちゃんと約束、守ったぞ」
 最後まで震える声を毅然と響かせたあの日の少年。泣き濡れて感情のまま喚ける自分とは抱えるものが違うのだと、思い知らされた。
 だから、自分から会いに来たのだ。彼は待つと言ってくれた。それは、自分ならやってこられるのだと、信じてくれたからだ。
 ずっと支えとしたその言葉を囀ずれば、相手は何故かキョトンとした顔で目を瞬かせている。
 「約束?」
 ………嫌な予感そのままの不思議そうな声に、宙太は戦慄く身体を隠しもしないで彼に指を突きつけた。
 「会いに来いって言ったのお前だろ!?」
 だから頑張ったのだと、今もまだ幼いその純朴な声につい笑みが漏れてしまう。
 二十年は長くて。………そんな些細な言葉、時間という強大な魔物に食い尽くされても不思議はなかったのに。
 彼は自分の中のウロボロスに負ける事なく携え、ひたむきにそれを目指してくれた。
 結果が、今日この日だというなら、どれ程素晴らしい記念日だろう。そんなこと、告げるつもりもないけれど。
 「………お前、それだけでここまで来たのか。単純だな」
 「何を〜!!こっちがどんだけ苦労したと思ってんだっ」
 つい照れ隠しでいうからかいの言葉にさえ、真っ直ぐな眼差しで受け答える、単純で明快な相手。
 腹の探り合いが不要など、立場上ありえないのに。出会った時から今に至ってさえ、彼を相手に披露する薄暗さがない自分に含み笑った。
 「ふん、それはおいおい聞いてやるさ。まずは………」
 待ち望んでいた、らしい。自分でも意外なほど涸渇していた。
 それを、初めに潤わさなくては。この二十年、我慢し続けたようなものだ。ちょっとぐらいの我が儘は多目に見てもらわなくては、割に合わない。
 ニヤリと笑うその笑みに、宙太は一瞬嫌なものを感じとり、若干引け腰に距離をとった。
 「うん………?」
 また警戒心を持つ相手に笑んだまま、生まれながらの王者はすでに下した決定事項を綴った。
 「再会を祝して、ミレニアムに招待してやろう。高度文明に腰を抜かすなよ」
 「えっ?行けんの、お前の星!」
 意外にもまともな発言に、宙太が目を輝かせて喜びの声を響かせた。
 ずっと気になっていたのだ、彼の生まれた星。彼が治めるべき星。
 地球とは比べ物にならない文明を築いていながら、ちっぽけな地球を救うため、命をかけてくれた彼のような存在を産み落とす星。
 どれ程素晴らしいのだろうと輝く宙太の顔に、どうやら勘違いしていると人の悪い笑みをひっそりと浮かべた。
 「何いってんだ、お前。もうこっちの軍艦に収容済みだろうが」
 ばさりと盛大にマントを翻らせて彼が指差した先、窓から覗けたのは見知らぬ軍艦の格納庫らしい景色だ。
 ………とっくにこのロケットだけでなく、通信機器も押さえている。助けなど呼べる筈もないし、当然拒否権もない。その上乗組員達は既にこちらの指示に従って連れ出したあとだ。まったく宙太は気付いていなかったが、先程からそそくさと背後では部下達がきちんと誘導していた。
 ようやくそれを指摘されて気付いたらしい間抜けなキャプテンは、キョロキョロと辺りを見回して、広い操縦室の中、独り取り残されている事を知った。
 「………え、俺、捕虜?」
 話している間にきっちりやるべき事はやらせていたらしい。どうりで乗組員達の声が全くしない筈だと気付いた時は、既に後の祭りだ。………流石だというのは、被害者の宙太には無理だったが。
 そんな彼の様子に楽しげに笑ったかつての赤ん坊は、相変わらずの横暴さで言った。
 「二十年待たせた罪は重いからな。たっぷり付き合ってもらうぞ」
 「どこに拐っていく気だー!」
 「一先ず、GAC大会がある星を駆け巡ったあとに案内してやろう。覚悟しろよ、宙太」
 不意打ちのように当たり前に名を呼ばれ、一瞬、時間感覚がおかしくなった気がした。
 声はまるで違うのに。面影だって、いつも一緒だったあの赤ん坊とはまるで違う、けれど。
 ………最後のあの時、泣き濡れた声を押さえ低く掠れて響いた音に、ひどくよく似ていた。
 思い出せば、引きずられる。もとより感情豊かな宙太は、昔のに味わった思いにまた水滴を溜める眼差しを振り払うように、声を張り上げた。
 「っ、お前王様なら国ほっぽりだすなー!」
 思い出すなら、そんな最後の寂しさではなく、楽しくてハチャメチャだった一緒だった時間を。
 不敵に笑うその仕草は、欠片も変わらずそこにあるのだ。知らない声と知らない姿。それでも、確かに知っている、小さな欠片達を見据えて、宙太は唇を引き締めた。
 そうしたなら…………あれからもう二十年も経ったのに、弾む胸は相変わらず幼い頃のまま、楽しくて疼いて、ほころんでしまう。
 憎まれ口とてこんな声と顔では何の意味も成しはしない。
 「ちゃんと影武者は置いてきた。どうする?行かないか?」
 証拠に、ニヤリと笑う暴君は欠片ほども悪いなどとは思っていなかった。
 それに宙太は深く溜め息を吐いて頭をかきあげた。
 「………ったく、どっちみち俺に選択権なんてないんだろ!」
 むくれたように唇を尖らせて、あの共にいた日々は赤ん坊だった友に指を突きつけた。
 「ちゃんと案内しろよな、スカイ!」
 幼い仕草とともに差し出された、二十年ぶりの己の名に、満足そうにスカイは笑う。
 「任せておけ」
 ただ名を呼び合う、それだけさえ今はまだ照れ臭い。
 懐かしすぎる再会は、待ちに待ち続けただけにどうにも素直になれなくて困る。
 ……………それ、でも。

 響くその声が知らない低さとなっていても。

 やはり彼の声が綴る名が、一番嬉しく響くのだ。

 

 ………それはきっとお互い様と、含み笑うように視線を交わし、二人は歩き出した。

 船内に響く足音が重なる事に、この上もない喜びを感じながら………








 初のスクラン小説。
 最終巻を読んだ勢いのままに書き綴りましたよ。
 混ぜか妙に『キャトる』が気に入られました。そんなにゴロがよかったか。
 宙太さん、キャトられなくて何よりですよ。

 お次は姉夫婦…もとい、ザハミルです♪

  11.6.4