――――その背に宿る力。
雄々しく羽ばたく力の象徴。
独眼である事さえ彼には枷とならない。
見つめている。
ずっと……その背を。
夢に現れた彼の実像。
それは……思うより遥かにあたたかかった。
揺るぎなかった。
力強かった。
優しかった。
苛立たしかった。
……………………………儚かった。
守りたいと思った。
それは傲慢からでも過信からでもない。
あの嘆きの淵に再び落としたくはないのだと……願う自分の為に。
ただ……この男を抱き締め守りたいと思ったのだ。
小さく幼い自分の腕では役不足と嘲笑われても…
その思いに変わりはなかった………
月下佳人
その人が傷を負って戻ってくる事はよくあった。
だから青年は庭に面した襖に影が掛かればすぐに気付く。
子供はいつだって自分の力で事を成そうとするから。
………大切な人を目の前で亡くした瞬間から…
子供は人を使う事を躊躇っている。
それでも結局は自身に傷を負わせるだけなのだから、周りにいるものには心臓に負担が掛かるだけなのだということを、まだ子供は知らない。
息を吐き、青年は子供と虎を招き入れた。
「…………………」
無言で子供はそれに応じ、傷の痛みすら伺わせない無表情さで室内に入った。
小さな行灯の灯火が机の上にあるだけの薄暗い部屋。
なにか書を読んでいたらしく本と巻き物が数個ずつのっている。
そこには近付かず、より暗闇に染まろうとするように子供は部屋の片隅の暗がりに座り込む。
…………それを見て青年は苦笑する。
子供を心配するように寄り添う虎に頬を寄せ、子供は目を閉じる。
他の誰の介入も許さない二人だけの闇。
一人と一匹の世界には青年さえ拒む。………それをずっと見守ってきたのだからいまさら痛むものはないけれど。
青年は子供の傷を癒すための薬を用意するために、静かに襖をあける。
その気配に気付き虎が顔を向ける。
………闇夜に浮かぶ赤い月。
瞬く事も忘れて見つめるその視線に笑みを返し、青年は音をたててその空間を壊す事なく姿を消した。
小さく……獣は息を吐く。
それを受け手めを瞑っていた子供は切なそうにすり寄ってくる。
ぬくもりが、欲しかった。
夜になって眠りに落ち、瞬きの間会える男を待つのはもういやなのだ。
この腕で、しっかりと抱き締めたい。
この目で、その姿を捕らえたい。
この声で、聞いたことのない名を囁きたい。
この耳で、自分の名を呼ぶ声を聞きたい。
探して探して探して……けれど彼は見つからない。
泡沫の主はただ泣き濡れた瞳で狂おしく求めてくるけれど……何一つ自分に自身の欠片を残さない。
その面影も。その名も。その声も。………その意味さえも。
だからこうして闇夜に駆ける。
月を睨み草原を突き抜け…野党を打ち取って血を浴びる。
………この身に流れる赤がゆうるりと流れ、虎の金に混ざる。
それを悲しむ者たちを知っているけれど。
それでも止まらない。
これをなんというかなど知らない。ただ……会いたい。
そう思う事すら罪であり……不可能な願いだというのなら、何故自分達は泡沫で出会ったというのか。
強く唇を噛み締め、子供は獣の毛皮に顔を埋めた。
流れ落ちる雫を舐めとる事が出来ないと小さく鳴く獣に眉を寄せて微笑み、子供は構わないと囁く。
………ただその熱を分けて欲しいと願うように、
子供は虎のしなやかな肢体に腕を絡める。
月の明かりさえ降り注ぐ事を忘れる暗い室内で、ただ零れる煌めく月光。
抱き締めて……獣は赤い瞳を閉じる。
泡沫の主となれない自分のぬくもりでも…子供を癒せるのだろうかと小さく鳴きながら…………
津々と注ぐ水のように玲瓏な月の明かり。
それを見上げ、まるでいま部屋に蹲る子供のようだと青年は小さく息を吐く。
子供はあまりに無垢で幼気で……誠実に育った。
自分はそれを守り導き、いつだってその力となる事を願っていた。
…………不意に思い出す。先日の草原での子供の言葉。
微かに眉を顰め、青年は切なそうな子供の顔を脳裏に浮かべる。
夢にあらわれる魔物を……人は恐れる。
けれど子供はその魔物にさえ細やかな指を差し出し、共に生きればいいと願う。
哭いているのだと……まるで自分が哀しいような顔をして囁いていた子供。
その痛みを少しでも減らしたくて……自分は応えた。
願うままに見つけだせばいいと。
子供が望むのであれば、必ずそれは存在すると思ったから。
――――――――……けれど………
あの日から増えた…子供の傷。
月が顔をだし、町が闇に溶けた頃に彼は城を抜け出す。
まるで自分の身に痛みを与えるように、無茶ばかりを行っている。
眠りに落ちた一時の間だけ出会う事のできる男を手に入れるために足掻いている。
幼い腕ではなにも出来ないと…哭いている。
…………青年は顔を俯け月から視線を逸らす。
闇夜に蠢く小さな光。
皆が……月に捕われる。
そうした魔力を秘めた月は、それでもたおやかで優しく……清らかだ。
その傷をただ…癒したい。
哀しみさえ自身のうちに秘め…甘える術を忘れた子供を抱き締めるのはまだ自分の役目だから。
月光を浴びて白く浮かび上がる襖を見つめ、
小さく息を吸い込んで青年はそれをあける。
仄かに光る金の毛皮に抱かれ、子供は
夢魔から守られるように眠っていた。
ゆっくりと赤い瞳は開き、青年を見上げた。
それに視線だけで応え、音を立てないよう気遣って二人に近付く。
明かりの下その傷を見るのは痛々しいほどだった。
……好むかのように両腕に深い傷を負ってくる子供を見て、年配のジイは深い溜息ばかり零していた事を思い出す。
今日も……左の二の腕には鋭い傷痕がある。余り質のよくない刀で
斬り付けられたのだろう……傷口は微かに引き攣れている。
これでは手当てをしても痕が残ると青年は子供に気付かれないように
息を吐き出した。
………なにも出来ない自身を責める時、子供はその身に咎を与える。
まだ幼い子供は自分の身にのしかかる重責と、生き残らなければいけない意義を正確には知らないから。
それを罪というにはまだ……あまりに子供は幼い。
その背にこれほどの重荷を背負って…それでも歪まず歩めるだけでも賞賛に値すると青年は苦笑する。
結局は大人さえこの小さな背に寄り掛かっているのだ。
子供の無鉄砲を責める事など出来る筈がない。
「……………ヒデロー……?」
消毒液が腕に触れると、すぐに子供の声が聞こえた。
鋭利な光を灯した瞳はけれどすぐに優しく眇められる。
それを受け止め、青年は小さな声で穏やかに応える。
………なにも恐れるものはないと教えるように。
「傷の手当てだけ、します。眠っていて構いませんよ」
包み込む音に微かな微睡みを瞳にのせ、子供は小さく頷いた。
その腕に走る痛みに顔を顰める事もなく、小さな笑みすら浮かべた子供は……不意に切なげに瞳を瞬かせた。
行灯の光が微かな風に揺れる。僅かな灯火は頼り無げに揺らめき、
室内の明暗を動かす。
それに従うように、子供の小さな囁きが風にのって間近な青年の耳に届く。
「………親父に会った」
「先代に……?」
夢の話をしているのだろうと、青年は微かな笑みを上らせて応える。
……彼の男でなくてよかったと…そう思ってしまう自分を子供はきっと知らない。
切なげに瞳を伏せ、子供の微かな囁きが金の毛皮に埋もれる。
その旋律を青年は聞く事はなかったけれど。
それでも囁きを気付く事はできる。
疼く心を噛み殺し、青年は子供のほっそりとした腕に包帯を巻く。
赤子の頃にあやしたように親愛だけを感じる優しい口吻けをその額に落とし、青年は子供に毛布を与える。
それを抱き締め、子供は再び唇だけを動かした。
――――――……会いたい…………
キリリク9300HIT、紅蓮×天火ですv
あんまりにもネタがなかったので前回の『夢現つの瞬き』の続きを書いてみました。
………紅蓮全く出てきてないですね(遠い目)
ちょっと天火の切なさを書きたかったもので。
……というか、仁の国の方って、ヒデローとジイの他誰でしょう。
………知らなかったりします(遠い目)
なんか切ないですけど、こんなものでよろしいでしょうか。
案外こういう話書くの好きなのかも知れないです。
切ないのにな……
この小説はキリリクを下さったひさし様に捧げます !
なんかシリーズになりそうな勢いが怖いです…‥……