…………戦が、終わった。
大国ギイとたった三人の………
失ったものの多い戦だった。それは端から見れば些細で、本当に気付かない、そんなものだったのだろうけれど。
それでも……二人にとっては羽をもがれる思いのする、喪失だった。
笑っている。それは幸せだった頃の記憶。
大切な友が隣にいる、家族を亡くした直後であったとしても泣かずにいる事ので来た頃。
自分の頬を小さな獣の舌がなめる。
くすぐったさに笑っていれば、微笑ましそうなヒデローの笑みが目に入った。
……心配そうなジイの顔が過る。
それは幸せだった頃の記憶。
愛しい、初めての対等なる友が出来た頃の事。
今はもう亡い、あの獣の温もりに埋もれていた頃の事………
自分を包む暖かさに、子供はすり寄ってその感触を楽しもうとする。
やわらかな毛皮の感触が頬をすべり、くすぐったさにいつも口元が綻ぶ。
……それはもう、叶う事がない。
硬い皮膚の感触に眉を顰め、子供はぼんやりと目を覚ました。
最初に写ったのは月明かり。今日は満月なのか知らないが、煌々と照っている月光は障子越しにも室内を照らしている。
――――それを背に負った、一人の男のシルエット。
質のいい筋肉を身にまとったその屈強な男を思い出し、子供は顔を顰めた。
「紅蓮……何故貴様が俺の寝室で横になっている」
寝起きとは思えないしっかりした声が子供の口から出る。
幼い頃から戦の渦中で育った子供は、寝起きであったとしても俊敏に動けるよう鍛えられていた。
それを面白く思ったのか、男は喉の奥で笑い、子供を抱き上げ自分の腹の上に乗せた。
男の腰程しか背のない子供は、その位置に座ったとしても結局見上げなければ男と視線を合わす事は出来ない。
面白くなさそうに顔を歪める子供に、紅蓮は今度こそ吹き出した。
「な〜に不貞腐れてんのかな〜?このお子様は」
鼻の頭を摘んでからかえば、思いっきり腹の上の膝に体重を掛けられる。
予想していた反撃なので大したダメージはなく、紅蓮は簡単に子供を摘まみ上げて居場所を正した。
それでもまだ男の腹の上である事に居心地の悪さを覚え、子供は講議する。
「……何故俺が貴様の腹の上にいなくてはいけない?」
聞きようによってはひどく卑猥な言葉も、全く意識していない子供の声では色気の欠片もない。
それに小さく苦笑を零し、腰を抱えている腕に力を込めて言葉を返した。
「降りればいいだろ?」
「貴様の腕が邪魔だ」
きっぱりと即座に返した子供の声は、どこか悔し気だ。
どうしたって肉体的な問題で、子供と男では単純な力勝負の勝敗は決定してしまう。
今も必死になっている子供の手に、男の腕はぴくりとも動かない。
……体勢の悪さを認識していても子供には不愉快でしかない。
しばらく足掻いてから、無駄だと悟ったのか子供はまた男に向き合って文句を言う。
「貴様、男の方が趣味なのか」
棘を多分に含んで挑発する子供に、男は面白そうに酷薄な笑みを浮かべた。
子供の腰に廻されていた腕がゆっくりと動く。
「……ほー…。この体勢でその挑発、天火国王は男にされるのが趣味か?」
からかいの声とともに男の手は蠢きながら子供の肌を辿る。
わざと不快に感じるように、笑いながら………
寝巻きの中に侵入しようとする手の平に例えようもない嫌悪を感じ、子供は布団の横に常備している刀に手を伸ばした。
それに気付き、紅蓮は子供の腕を掴んだ。
身動きの叶わない体勢に、天火の頬を一筋の汗が流れる。
月光に晒されたそれを、紅蓮は獣のようになめとった。
………その熱に、身震いする。
瞬間思い出した懐かしいその感触に、不覚にも夢が重なった。
零れ落ちたものに、子供は罰の悪い顔をする。
―――月夜に光る、王の涙。
紅蓮には闇夜などというものは邪魔にすらならない。ハッキリと見て取れるそれに、思わず全ての動きが中断してしまう。
その思考さえ、止まった。
視界を揺らすその雫を片腕でぬぐい去り、天火は惚けている紅蓮の頬を軽く叩く。
「なにを寝ぼけている。さっさと俺をおろせ」
いつもと変わらない、小生意気な子供の声。
……けれど紅蓮は知っている。
ついさっき、この部屋の前を通った時の子供の感情の揺らめき。
……小さな背を丸めて、涙を耐えていた。……夢の中でさえ、王であろうと。
その涙を流さぬように気を張っていた。
後ろ髪を引かれるようで気分が悪く、引き返して部屋に潜り込めば、子供は簡単にその身体に触れさせた。
おそらくはあの虎と間違えているのだろう。幸せそうな顔をして、温もりを抱え込もうと縋り付いてきた。
……いっそ振払ってしまえばよかった。
間違えられて縋られるなど、冗談ではない。
それでも……子供の温もりは切実な程悲し気で。
ありはしないと理解した上での、寂寞なる逢瀬を無下には出来なかった。
いま零れたあの涙は、……けれど自身への信頼故ではない。
それさえ判ってしまい、紅蓮は面白くなさそうに舌打ちをした。
あの虎と、自分を重ねたその事がこんなにも苛立たしい。
「………………?」
紅蓮の気配の変化に、天火は奇妙な顔をする。
怒りでも、憎しみでもない。けれどこの怒気に似た感情は天火の防衛本能を十分に刺激する。
判らないその揺らめきに、それでも天火は真っ向からむきあった。
幼い子供の瞳に、獣を模した魔の瞳が絡む。
月光さえ凍てつかせた空間で、子供は時を止める事を厭うように声を紡ぐ。
「どうした」
尊大な響きが、ひどく澄んで男の耳に響く。
それは紅蓮への声ではない。
………今は亡い、この手で屠った獣への声。
喉の奥がひどく熱い。この子供は、自分を見ていないのだろうか?
―――――この幼い身体に触れたのは、………触れるのは……あの獣だけだとでもいうのか…………?
苛立たしさに、目眩さえする。
「俺は、虎じゃねぇ………!」
唸るような声に、天火の目は丸くなる。
自分よりも大きな体躯を持った、魔将軍と恐れられる男。
それが何故、こんなにも……………
まるで子供の癇癪のようなその言葉と声に、天火は心の中でため息を吐く。
……灯る暖かさは、けして嫌なものではなかったけれど。
子供は男へと手を伸ばした。
その顔を包むように触れると……勢いよくその頬を叩いた。
「……………!」
痛くもない攻撃だが、憤りに身を任せた男の気配を挫かせるにはこの上もない効果があった。
馬鹿にしたようなその攻撃に視線を険しくすれば、天火の目が写る。
……月が、子供を照らす。その姿を讃えるように。
気高いその顔を、光は喜んで包み込んだ。
男はごくりと息を飲む。……この異様な威圧感。
力の有無ではない、魂のあり方の有無。
……けして自分では手に入れる事の出来ない王の誇りを持つものの魂に、男は飲み込まれる。
子供は男を見上げながら、その目に囁いた。
「間違うな。虎王はこの世にただ一匹しかいない。……あれは俺の為にあった、俺の為だけに生きた魂だ」
「……………」
この子供の為だけにあった、野生の本能を忘れていない虎。
その命を救うために、自身の身を投げだせた……見事なる側近。
子供の流した涙を知っている。恥も外聞もない、魂の慟哭を覚えている。
虎は、この世にただ一匹のこの子供の為のもの。
………男には初めから代わりとなる事など出来ない。
唇を強く噛み締めている男に、子供は言葉を続ける。
その目に、微かな優しさが灯る。
「この世に誰かの代わりなんていねぇだろ?……お前もよく、知っているはずだ」
今は亡い、天地王アモン。それを自分に重ねながらも男はアモンと天火を別個のものと認識している。
……結局はそういう事なのだ。決して、代わりなど手に入らない。
どれほど似ていたとしたって、同じものは還っては来ないのだ。
男の瞳の揺らめきに、子供は切な気に目を閉じる。
あんまりにも、自分達はなにかに執着し過ぎるのだろう。
亡くした時の衝撃は、どれほどの時を過ごしたとしてもなくならない。
「だから…………」
子供は男の胸に額をのせる。
……鏡に写ったように、よく似た二人。
悲しい程情の深い魂達―――――。
片目のなくなった男の顔は滑稽な程自分と同じだ。
今はもう、この身体に獣の匂いは残っていない。
また新たに、……今度はこの男の匂いが自分に移るのだ。
―――――それは互いの命を共有する証。
「貴様の代わりもいない。……ボニーのような最後は、俺は御免だ」
この手で守れなかった多くのもの。
守る筈の存在に、自分は守られ生かされた。
それはまた、この男も同じだ。
上に在るものの苦悩と覚悟を、自分はこの男に知らされた。
ならば、自分はそれに答えなければいけない。
………背に、男の太い腕が回る。
温もりを確かめる犬のような仕種に子供は苦笑する。
無茶苦茶な事ばかりするこの男は、それでも一度心を許したものに対してひどく誠実だ。
心の痛みを、知る事ができる。亡くしたのは自分もこの男も同じだから……。
恨みは…しない。嘆くとするならこの力無い自分の両腕のみだ。
懐かしい愛しい虎を思い出させる大きな背を抱き返しながら、子供は目を瞑る。
……今もまだ疼く痛みを、この身体は覚えている。
自分だけをひた向きに見つめていた瞳は、この肌に焼き付いて離れない。
その骸さえ弔ってやれなかったけれど、それでもこの心の一部はいつだってあの獣のものなのだ。
愛している。……愛していた。
だからもう悲しみはしない。あの獣がなにを望んでいたか、子供は知っている。
泣いて逃げはしない。この魂ある限り、獣もまた生き続けるのだ。
それならば足掻いて足掻いて、生き恥を晒そうともこの命を繋げ、笑い続けてやる。
男の背を抱き締めたまま、子供は憶う。
今は亡いあの虎の事を。
……その喪失と同時に手に入れた、この獣の事を――――――。
今日たまたまGOTTAの最新号見ましたv
紅蓮ってば何故眼帯してるの!?
片目無くしたのか!?
途中が抜けててわけ判らん……
でもヒデローが生きている事と、紅蓮が天火のところにいる事が判ったのでコレ、書き易くなりましたv
知らないうちからこんなの書く気でしたよ、私は。
虎王と紅蓮、どっちも捨てられなくてこんなのになりました。
紅蓮ってば、虎に妬くなよ!!
まあ、虎王が天火にとって特別なのはこの先も変わらないだろうけどね。
ちょっと怪しい出だしからは想像の出来ないラストで申し訳ないですが、キリリクを下さった雪丸様に捧げます♪