忙しそうに走り回る青年を見ながら子供は面白そうに口元をあげる。
幼い時から見ている青年はいつもいつもなにかに奔走している。
自身の部屋から遠く……廊下を大荷物を抱えて歩く青年はその視線さえ気付かない。
鈍さも幼い頃から変わらない。
子供の我が侭で苦労しても、けして嫌な顔をせずに青年はいつも子供の傍に控えていた。
初めて長く離れたのは、確か………
「……ん?考えてみると紅蓮の城に行ったのが初めてか………?」
いくら考えても記憶がない。
自分の視界のどこかに、いつも青年はいた。……まるで空気のように当たり前に、その存在はいた。
また綻ぶ口元に、……突如腕が回ってきた。
「……………!?」
驚きに刀を抜こうとする子供の耳に見知ったものの声が響く。
「なに刀抜くほどビビってんだよ、クソ餓鬼」
「……貴様か」
不敵に笑って子供を膝の上にのせる男を、呆れたように見上げる。
尖った耳を持つ独眼の魔将軍はどこか面白そうに子供の顔を覗く。
……それを不審そうに見ながら、近すぎる視線を厭い子供の手が男の顔を押し戻す。
「テメェ……。魔将軍紅蓮様の顔を押し戻すとはいい度胸だ」
「貴様も家来らしく国王を敬え」
脅すような紅蓮の言葉も、子供には全く効かない。つまらなそうに視線を逸らされ、簡単に巻き返された男は顔をしかめた。
小さな顎を掴んで無理矢理自分の方へと顔を向けさせ、紅蓮はその唇を自分のそれと重ねる。
「…………………!」
突然の口吻けに子供は大きく目を見開く。
……なんの前触れもない、この男らしい身勝手な抱擁も口吻けも、……それでも子供は嫌いではないのだ。
だからこそ抵抗らしい抵抗をした事はない。……もっとも、肝心な言葉を囁いてやった事もないが。
触れる以上のものを拒むように硬く閉じられた唇は、紅蓮の舌先にくすぐられても開く事はない。
つまらなそうにその唇を嘗めとってそれは離れた。
ようやく離れた唇に安堵し、子供はふうと息を吐く。……いつもいつも唐突で、その度に子供は息を止めて身体を強張らせてしまう。
そうする必要はないのだろうけれど、もうそれは反射というものだ。
その反応を見ながら、改めて紅蓮は子供…天火を抱え直して声を掛けた。
「……おい餓鬼。なにが俺様の城に来たのが初めてだって?」
声は言葉ほど乱暴ではない。むしろその奥底には柔らかい優しささえ子供には見て取れる。
獣とともに育ったためか、天火はそうした音の奥に潜む感情を拾うのが得意だ。
自分の独り言を盗み聴いていた不届きものの腕を抱えながら、天火は男の胸に寄りかかる。
……その反応に少し気をよくしたのか、男の腕の力が強まる。
「初めてだったのは、あいつと離れた事だ」
不意をつくように突然、男の動きを気にもしないで子供は囁いた。
その言葉をそれでも零さず聞き取った紅蓮は顔をしかめる。
……あいつ、といった人物が判らない。
その事を問おうとその顔を見れば、子供の顔はただ一点を見つめていた。
忙しなく動いている、一人の青年。
人の良さそうな、……気の弱そうな面立ちの青年を子供は愛しげに見つめる。
その視線を男は知っている。その涙を惜し気もなく流した獣に向けるものによく似た瞳。
むっとした男の気配を感じ、子供は口を開いた。
「あいつが俺を育てたんだ。……戦ばかりの国だったからな。両親とも忙しかった」
寄り掛かった男の心音に耳を澄まし、子供は目を閉じて今はもうあり得ない昔を思い出す。
……瞼の裏、もう見る事の叶わない笑顔たちが過る。
一際大きく、強い残像を残す獣の気配に胃の奥が痛む。
それをやり過ごすように天火は紅蓮の腕を強く掴む。
―――縋るようなその腕を、ぶっきらぼうな手の平が包む。
「………………」
まるで男らしからぬ気の遣い方に子供の目は真ん丸になる。……そしてその顔は柔らかくほころび、その際立つ整った顔を優しく彩る。
見るもののいない笑みは、あの獣のよく知るもの。
それを知らない男の顔を染める朱もまた、誰も知らない。
……互いの一番を見せるのを躊躇いながら、それでも確実に零してしまうそれらに一体どちらが先に気付くのだろうか…………?
子供の小さな背に凭れながら、男は目の前に晒される耳に熱い息と共に囁く。
……くすぐったいその刺激から逃れようとする子供をしっかりとその腕の中に閉じ込めながら。
「あいつ…ね。まあ、根性があるのは認めてやるがな………」
「…………ほう…?」
男の囁きが思いのほか柔らかい事を知り、子供の口元は綻ぶ。
誇らしげに口元を引き締め、天火は青年の背を見つめる。
その背は幼い頃から変わらない。
優しく自分を包む、控えめな広い背中。
この背に懐く新たな獣とも、失った愛した獣とも違う穏やかな瞳で自分を写す。
……その青年は自分だけに跪く男。
「そうだろう……?ヒデローは、俺以外のなにものも恐れない」
ただ己が主人だけを敬う、この世で最も厄介な従者。
この国にやって来て言われた言葉を思い出し、紅蓮は口元をゆがめる。
……魔王と恐れられる自分に、この餓鬼といいその家来といい、……本当にいい度胸をしている。
――――『裏切りは許さない』
男の目に、対峙した青年のひたむきな目が浮かぶ。
この腕の中におさまっている子供の事だけを思っている哀れな青年。
……否。幸せ、なのだろうか。そこまでの存在を見つける事が出来たのだから。
――――『お前は天火様の愛したモノを殺して傍にいる』
まっすぐ見据えた瞳は揺れもしなかった。……子供がその心を注いだ獣への嫉妬すらない。
睨み付ける青年の身体にはただ深い思慕と哀れな悲しみだけが附随している。
子供への尽きる事の無い忠義心と、子供の傷ついた心を知る苦しみ。
紅蓮とは違う強いその感情は、それでもあまりにも稚拙で複雑だ。
子供がその全てを理解している事はないのだろうが、……少なくともこの世のどんな者よりも青年の心情を理解し、思う事を許し……心を与え返している。
……だからこその揺るぎなさ。
それは未だ自分にはない。
まだ余裕の無かったその時の自分は視線に殺意を込めて青年に返した。
――――「裏切ったら?その命に変えても殺す、とでもいうのか?」
もしも視線が凶器となるのならば、間違いなく青年はその瞬間に殺されている。
けれど青年はそんな怒気に畏れるでもなく立ちはだかり、褪めた視線のまま息を吐く。
………それはひどくこの子供に似た仕種だった。
それに気をとられていれば、青年は静かな声音で囁いた。
――――『裏切り者に与える命などない。……この命の価値は若一人が知っている』
男ごときに添わせる魂はないと、冷たい目は示していた。
それはおそらく本気の言葉。
……子供を守るため、あの青年はその命を無くす事はない。
盾となる事をよしとしながらも、獣とは違う心は足掻き、けして子供の手を放さない。
いっそ空恐ろしい執着だ。
紅蓮は口元の灯る笑みを深くし、子供の小さな肢体を抱え込む。
見上げて来たその目は男の意図に気付き、ゆっくりと閉じられる。
触れあう確かさだけが男にとっての真実。
青年のような不確かなものだけでなど満足は出来ない。
深くなる口吻けさえもどかしい。
この身体全てを喰らえても無くならないだろうけれど………
抱き締めた身体の暖かさは、それでも男の心を落ち着かせる。
青年の牽制する言葉と、褪めた視線が頭を過る。
……自分を相手に大した賭けをしたものだ。
どれほどの昏い欲望が身を包んでも、けしてこの身体は引き裂かない。
それが我が身を賭けた武士の魂への返礼だと、喉の奥で笑いながら紅蓮は再び子供の唇を覆った………
出来ました、紅蓮×天火+aですv
今回敢えて虎王を除外しました(ちょびっとはどうしても出てしまうけど!)
ヒデロー、こんなイメージです。
紅蓮の事呼び捨てにしてたし、恐いもの知らずなのかな〜と。
まあ私としては純然たる主従愛希望ですが。書いてて止まらなかったです。いま真夜中ですよ……
アップは明日にします。今日私、結局3本小説書いてるし。
今日から仕事だったくせに………
それではこの小説はキリリクを下さった優蘭様に捧げます♪