その目が切なく輝く瞬間を知っている。
 愛しそうに瞬く理由を、知っている。
 ……それでもそれを認めたくない。
 その目が自分以外の者の為に輝く事が許せない。
 溢れる愛しさを他の者に向ける事が許せない。
 ――――この腕に抱き締めて、思いの泉に溺れさせて、逃れる事が出来ないほどに融かしてしまいたい。
 この髪に触れる瞬間の微かな失望の瞬き。
 この胸に頬を寄せた瞬間の悲しげな睫の震え。
 その様さえ愛しいと思えても、……それでも認めたくないものは確かにあるのだ。
 ほんの少しでも構わない。その目に、自分だけを写して欲しい。
 それは叶える事の難しい、事なのだろうか。

 ……この手に残る咎。
  裂いた感触さえ忘れられない。

 声に、目を覚ます。
  ……それはたいして珍しい事ではなかった。
 近頃はその数も減ったけれど、この腕に溺れさせるようになった当初は毎夜のようにその声は聞こえていた。
 呻くように、低く響く声。
 噛み締めた唇の合間から、それは微かに漏れていた。
 囁く旋律は聞いているものの心臓さえ締め付けるほど寂寞としている。
 「……ら……お……」
 もういない獣の名を、宝物のように抱き締めて啜り泣く。
 そんな様を知っているのはおそらくは自分一人。……それをどこかで嬉しく思う。
 けれどその心が自分以外の者に向かう事は、嬉しくない。
 細い腰に廻されている腕に力をこめる。
 幼い肢体を腕におさめれば、その反動で子供の瞳から雫が降ってきた。
 頬にあたったそれは滑り落ち、唇に触れる。……嘗めとれば微かに舌を刺激する。
 その苦味を分け与えるように男は子供に覆い被さる。
 ……まだ囁きを零しているその唇に、涙を含んだ舌が触れる。
 ペロリ……と、その囁きを舐めとっても子供は動かない。
 うわ言のようにたった一人の名を呼んでいる。
 ――――切なさに痛む胸を紛らわすように、男は子供の耳に吐息を零す。
 「おい…餓鬼………?」
 けれど応えなどあるはずはなくて……
 泣きそうになる苦しさに、男は強く歯を噛み締めた。
 それが腹立たしい。……なぜこんなちっぽけな餓鬼に自分は傾斜しているのか。
 そんな事さえ判らない。それでもこの腕は無意識に子供に伸ばされた。
 組み伏せても子供の瞳に怯えはなかった。近付く瞳にゆっくりと閉ざされた研ぎすまされたその視線。
 それにほっとした。
 ―――溺れている自分を自覚した瞬間。
 もう、手放せない。幼い肢体に自分を刻んだだけでは物足りない。
 「…天火…………」
 その名を囁いてやる事など、きっとない。
 ……この胸に刺さるぬけない棘。消えない咎。
  なぜそこまで根深いかなど、問う事さえ愚かだ。
 獣はけして自分より強いものに刃向かいはしない。……人と違い、本能に忠実で負けを認める事のできる潔さがある。
 けれど圧倒的に格の上な自分に牙を向いた獣がいた。……初めてだった、そんな事は。
 それが子供を思う故の事だと知っている。それに応えるだけの心を子供も持っていた。
 ………その絆を見た瞬間の言い様のない苛立ちを覚えている。
 開かれない瞳。自分を写さず泡沫の世界で獣を思う。
 自分を見ろと囁きながら、男は細い頤に触れるとその唇に深く口吻けた。
 「……んっ……………」
 息苦しさに目を覚ましたのか、微かな声とともに子供の目がひらかれた。
 閉じられた男の、瞼を滑り落ちる子供の視線。
  ……その背に触れる、やわらかな体温。
 小さな手の平の感触に男は笑う。
 なにもかも見透かす、幼気な瞳。けして自分を恐れない心。
 それどころか男を哀れんで抱き締めるのか。
 噛み付くように口吻けても、抵抗はない。
 蒼く染まる吐息を残して男は子供から離れた。
 「………紅蓮、人の寝込みに悪さをするなと言っているだろう」
 見上げる男のシルエットすらその視線の中にはっきり存在しない。月さえ陰っているのか、光源がなかった。
 子供の批難に、男はその腕を引き上げて抱きしめた。
 突然の行動に子供はついていけず、きょとんとしたままその腕の中におさまった。
 なにを考えているのだろうかと訝しんでいる子供の耳に、小さな声が聞こえる。
 「……………貴様こそ、あの名を呼ぶな」
 聞き取られる事を怯えているような震えた声。まるでらしくない魔将軍の姿に子供はため息を吐く。
 ……予感はしていた。この男がこうした行動に出るときは大抵、自分があの虎の名を呟いたときだから。
 抱き締めてきた強引な腕も、自分を見る一途な瞳も。あまりに男は純粋過ぎて、この手で育てた獣を思い出させてしまう。
 それでも、自分は選んだではないか。
 ……この身体さえ差し出したと言うのに、いまだ獣の影に顔を顰めるなど、失礼な事この上ない。
 子供の零したため息に、男は顔をあげた。
 その顔は相変わらず不機嫌そうだったけれど、……その視線に含まれる切ない瞬きは、初めて手を伸ばしてきたときから変わらない。
 長い黒髪を梳きながら、子供は苦笑する。
 「………いい加減、虎王の名を呼ぶくらい許せないのか?」
 呆れたような声に、男は子供の肩に顔を押し付けて応えはしない。
 仕方なさそうにその頭を撫でれば、ようやく小さな声が漏れた。
 ……くぐもった声はひどく聞き取りづらい。あるいは聞き取られる事を拒んでいたのかもしれないけれど…………
 「……俺は、虎の代わりか…………?」
 だから触れる事を許すのだろうか。だから、抵抗する事なくその身さえ捧げるのか………
 苦しそうに囁けば、返る応えに怯える。
 ………硬く瞑った瞳は、後頭部に走った痛みにひらかれた。
 「…………?」
 かなり強いその衝撃に、男は患部を撫でながら顔を顰めて子供をあおぎ見た。
 …………ゾクリと、する。
 肌がざわめくほどに、それは壮麗だった。仄かな月明かりにさえ阻まれる事のない神々しき光。
 魂の持つ底知れない輝きに圧倒される。
 微かに赤く色付く瞳に魅入られて、男は息も出来ない。
 ゆっくりと、その唇がひらかれる。
 ………知らず飲み込む息の音さえ響きそうな静謐の空間。
 「貴様は、俺にヒデローにも抱かれろというんだな…………?」
 この身に寄せられる深い思いに応えるだけだというならば。
 ……この男故にではないと、そう思うならば。
 零れた涙さえ、哀れだ。
 子供の強い感情の声に、男は目を見開く。
 流れる銀の軌道に唇を寄せても、子供の瞳は閉じられない。
 許しを乞うようにその背を抱き締めれば、揺れる髪を引っ張られる。
 覗き込まれる瞳に、息を飲む。
 他のなにも写さない、自分の為のそれ…………
 それが、囁く。
 「…………間違うな」
 子供が誰を選んだか、男だけは間違ってはいけない、と。
 囁いた唇はゆっくりと男の頤に触れ、許しを与える為にその唇に重ねられた………

 








キリリク3700HIT、紅蓮×天火嫉妬ものですv
というか、この人たちリクエストになくとも毎回魔王様ってば嫉妬してばっか?
嫉妬深いのではなく、虎王の存在が重いだけですけどね!
今回はとりあえず甘い雰囲気にしようと思って………玉砕?(涙)
あ、でも天火がとりあえずちょっとは積極的かなーなんて………
これくらいじゃ駄目かな。この人たちだとなんか雰囲気甘くならないんですよね。
ちょっと妖しい描写まで頑張って加えたのに……

この小説はキリリクを下さった雪丸様に捧げます!
久し振りのタンバリン、楽しかったです!早く2巻出て欲しいです〜!!