夢を見る。
闇だけが広がった空間に佇む一人の男。
流す涙にも気付かず、自分に縋る巨体。
ただ切なくて……子供はその背を抱き締めた…………………
夢現つの瞬き
長い黒髪が揺れ、嘆く男がいる。
目の前でなにを恥じるでもなく晒されるそれに、胃の奥がズキリと痛む。
………それをやり過ごすように息を吐き出し、子供は男に近付く。
真っ暗な空間では男は近付いてきた子供に気付かない。
自分を通り越して暗闇を見つめ哭く男がもどかしくて、子供は小さなその腕を伸ばした。
触れれば男は不可解な顔をして子供を見つめた。
それは初めて重なった視線。何も写しはしないと思っていた男の瞳は熱く濡れ、情の深さを伺わせた。
ひた向きに澄んだ視線は、けれど深く傷ついた色をたたえていた。
なぜだろう………。それがひどく子供の心臓を締め付ける。
苦しくて顔を顰め、子供は触れた腕から手を離そうとする。
……けれどそれは男の腕に阻まれる。
細い子供の腕に絡む男の指。引き寄せられ、子供は体勢を崩す。
それさえ支えて男は子供の背を掻き抱いた。
………それは抱擁ではない。抱擁という意味すらない。
ぬくもりに餓えているように……男はなにかを求めている。
それでもそれが自分ではないことが子供には判ってしまう。
何も映してはいない瞳。
嘆きだけを浮かべては沈み込むその泉の源泉は枯れはしない。
それに……どうしようもなく惹き付けられる。
この乱世でこれほどまでになにかを求め嘆き……悲しむ。
それでも澄み切った視線は穢れもしない。
その強さに……意固地なまでの真直ぐさに。………憧れる。
震える背を慰める腕を持ってはいないけれど。
せめて一時の安らぎをと……子供はぬくもりを分けるように男に寄り添った。
頬に落ちては流れゆく熱い涙に……身が震える。
それを隠すように瞳を閉じ、子供はなにも出来ない自分を歯痒く思う。
…………この腕がもっと……大きかったならよかったのに……
ゆっくりと瞼を開ければよく見知った天井が見える。
それを見つめ、子供は深く息を吐き出した。
………幼い頃から何度となく見る夢。見ず知らずの男はいつもただ嘆きの縁に佇んでいる。
この拙い腕では慰めることも出来ない。ましてその痛みを分かち合うことさえ……出来ない。
何も語りはしない夢に男に軽く涌く怒りを飲み込み、子供は室内に目を向けた。
まっすぐと自分を見る……ひたむきな視線。隣に眠っていた獣は
子供が目を覚ますのを敏感に感じ取って呼ばれることを待っている。
愛しいその虎の名を…子供は綻ぶ口のままに囁く。
「……虎王…」
声に含まれるものに気付き、虎はゆっくりと立ち上がって子供の寝具の脇に寄る。上体を起こした子供は虎に腕を伸ばし、
やわらかな体毛に顔を埋めた。
深く息を吸い込み、虎の匂いを確認する。……現実である実感を取り戻し、子供はそのぬくもりに頬を寄せたまま小さく苦笑を零す。
夢に……これほど傾斜してどうするのだろうか。
あの瞳を知りたくて……自分を映して欲しくて。
どれほど幼い時から足掻いただろうか。
息を吐き出し、子供は顔をあげる。少しだけ顰められた眉間を
慰めるように獣は頬を舐める。それを受け止め、優しい虎のぬくもりをもう一度確かめてから子供は立ち上がった。
服を着替え終えた頃、控えめな足音が耳に触れる。
常人ならば聞き取れない…それはそんな微かな音だった。
けれど生まれた時から傍にあるその気配に気付かないほど愚鈍ではない子供は時間通りにやってくる真面目な臣下に軽く笑った。
控えめに襖の前に座り、その気配は静かな声で子供の名を囁いた。
「………天火様、起きていますか?」
「入れ、ヒデロー。今日は外に出る」
支度をするのだといえば、小さな溜息が聞こえた。
城主である子供はけれど城にいることをあまり好まず野山を駆け回ることが多い。それでもこれほど幼い王についてくる家来の多さは子供の並々ならぬ才覚を知っているからだ。
子供の下す決断は…いつだって自分達の心の添っている。
決して曲がることのない魂に触れていることが心地よくて…皆子供から離れ他国にいくことを拒んでいた。
青年の溜息を聞き取り、子供は不敵に笑う。……自分を守り育て…ともに生きてきた青年。
その心情は手にとるように理解出来る。幼さに託つけて知らない振りをしたって、青年の純乎たる忠誠心に疑う余地はかけらもない。
それ故に、彼は自分に甘い。子供の我が侭のために奔走することを厭いはしない。
その苦笑を上らせた人のいい青年は子供の望むものを誰より理解しているから………
「………判りました。マントと覆面を用意させます。……虎王、櫛を通すからおいで」
開けた襖の先に座る主に小さく笑いかけ、青年は応える。
幼い王はその際立つ顔立ちでも有名だ。
下手なトラブルを避けるための出来る限りの対抗策を講じるのは青年の役目。
それを厭わない子供は青年の言葉に頷く。そして自分に甘えていた虎の背を叩き青年についていくように促す。
二人の背を見送り、侍女が言い付けられたものを持ってくるまでの短い間
…子供はただ夢の主を思っていた……
虎の背に跨がり、子供は風を切るようにして野を駆けた。
どこまでも続く緑の絨毯は優しい風にそよいで走り去る虎と馬を受け止めた。
見晴しのよい丘に辿り着くと、虎は子供にいわれるでもなく自ら立ち止まった。
……誰もいないその草原は広く、邪魔な木々のない空間は誰か他者が来たなら即気づける。
それを虎の上から確認し、子供は褒めるように虎の頭を撫でる。
……子供の手の平を受け止め、虎が喉を鳴らす頃やっとついてきた青年の馬が二人の隣に辿り着いた。
「遅いぞヒデロー!お前が遅れては供の意味がないとジイにまた怒られるぞ?」
からかうようにいえば青年は困ったような顔で小さく笑う。
……誰も、二人に追いつくはずがないのだ。互いに心通わせた二人は人が軌道修正せずとも望む場所へとひた走れる。
決して子供の指事に従わないことのない虎に追いつける駿馬は、
残念ながら自分達の国には存在しない。……他国にだっているはずはないけれど。
「いまのあなたにお教え出来ることもありませんよ……?」
もとは武術の指南もしてはいたのだ。それでも瞬くうちにその才能を開花させた子供はあっという間に青年を追いこし、我流の剣で誰も寄せつけない高みにいる。
そんな子供は外見の細さからは想像出来ない強さを持っている。
いまさら子供に自分の護衛が必要なのだと本気で囁くものはいない。
傍にいる必要はなくとも傍にいる。……それは青年の望みだから。
そしていまは…子供がそれを望んでいるから。
どこか遠くを憂いながら見つめる主の視線に気付き、青年はゆっくりと息を吐き出した。
なにを考えているか…判りはしない。けれど確実に
子供はなにかを思い…切ない揺らぎを瞳にのぼらせる。
明るかった日の輝きが不意に起こった突風に揺れて隠される。
その残り香のような小さな風が二人を包み……子供の言葉を掬いとるように空に舞った。
………それに後押しされるように子供の唇が開く。
「それでも俺は知りたいことがある。………教えろ」
微かな声の中にはいつもは隠されている年相応の不安が揺れていた。
それを受け手め、青年は小さく頷き微笑む。
「………どうぞ、何なりとおっしゃって下さい」
いつだって……子供は一人で苦しみを乗り越えてきた。
自分に晒されるのは乗り越えたあとの残骸だけ。……けれどいまは違う。
どうすればいいかわからないと……揺れる視線が雄弁に語っていた。
その揺らぎをなくすためならなんでもすると囁く青年の揺るがない意志に子供は苦笑する。
小さな声は…空を震わせることもなく静かに紡がれる。
青年と虎にだけ語る……微かな旋律は風さえも包んで止める。
「夢を……見るんだ。小さい頃からずっと…一人の男の夢を」
「………先代ではなく…………?」
いまはもう亡い子供の父以外に子供と深い関わりを持つ男などいない。
青年の確認に小さく子供は頷き、言葉を続ける。
少しだけ……声に憂いが滲む。
「ずっと哭いてる。なにをいっても意味がない。あいつはただ亡くなったものを悼んで苦しんでる。……俺の事も見ない」
まるで現実にいる者を語るような子供の仕種に青年は息を飲む。
……なぜ、そんなにこの子供が執着するのだろうか。
たかが夢…と。そういえないほどに強く………
そして不意に思い出す。………夢とは神憑かりなモノであることを。
子供の精神を絡めるほどの強さで浸透するその人が……現実にいないとは言い切れない。
ゆっくりと息を吐き……青年は子供に問いかける。
「若は……その人をどうしたいんですか?」
子供の願いを叶えるのが自分の勤め。だから問いかける。
………なにを望んでいるのかを知るために。
微かに痛みを訴える心臓を持て余しながらも…………僅かな逡巡が子供の優美な眉を歪める。
………それを解くように隠れていた日がゆっくりと顔を出す。
それを睨むように見つめ、子供はしっかりした声を吐き出した。
「ぶん殴って……怒鳴る。哭く暇なんかねぇ事を教えてやる」
自分の傍らで自分とともに生きればいい。……そうしたなら、嘆く暇も苦しむ暇も与えはしないから。
そう囁けば、青年は微笑んだ。………少しだけ切なそうに…優しく。
「ならば……探しましょう。そうして会いにいかれればいい」
その心の望むままに。……ひた走る魂が求めるものにけして無駄なものはないから。
穏やかに囁けば…子供はきょとんとした顔を向ける。
………そしてそれを消したあとに広がる清風。
いまはまだ自分にだけ向けられる幼い笑顔を受け止めて、青年は笑みを深めた。
緩やかな陽射しを浴びながら……二人はいまはまだ見つからないもう一人の守り手を思う。
早くここにくればいい。……そして哭くのではなく生きればいい。
そのためなら、この腕をいくらでも差し出す。そう風に囁いて子供は空を仰ぎ見た。
……見たこともないその男はそれでもきっと愛しく思えるだろう。
虎の背に顔を伏せ、再び男に会いにいく。
―――――いまはまだ夢での逢瀬しか出来ない、その男のもとに……………。
息を吐き出し、男は目を覚ます。
少し前から眠ることが増えた。……夢を見るようになってからだと微かな苦笑が口元に上る。
なにも知らない無垢な子供が現れる…夢。この腕に触れたその熱の熱さに目眩を覚えた。
凍えていた男はそれを亡くしたくなくて思わず抱きとめる。
しんなりと力の抜けた幼い肢体を抱き締めて、それでもなくならない涙に舌打ちをする。
その痛みさえ抱きとめようと伸ばされた小さな腕に縋り、この腕に溺れさせて……それでも苦しさは増すだけだった。
………気付けば簡単なこと。
夢でしか会えない子供に傾斜した自分を嘲笑う気も起きない男は深く息を吐き出した。
瞼を閉じて……再び泡沫へと足を伸ばす。
まだ出会うことのない二人をただ夢だけが繋げる。
それは仮初めの出会い。
斬り付けるほどに鮮麗な魂との現(うつつ)での再会はまだもう少し先の事。
それまでの僅かな時の間……夢でだけ触れあう。
溶ける腕に…痛む胸に泣きながら…………
キリリク7777HIT、紅蓮×天火+ヒデローですv
二人が出会う前を書いてみたくてこんなものになりました(^^)
初めはヒデローの嫉妬モノにしようかなーとも思ったんですが……
ジバクくんのカイに似てしまうことに気付いてやめましたv(最悪)
でも私はヒデローと天火の二人はカップリング云々無しで大好きです。
胸が詰まるくらい……相手の為だけに生きてるのが判るから。
それを受け止められる強さを持っている天火が一番ですけどね(^^)
この小説はキリリクを下さったひさし様に捧げます(^^)
久し振りのタンバリンでちょっと思考を切り替えるのが大変でした(^^;)
いつもと雰囲気違ってたらスイマセンです。