傷を負うことに恐れを抱かない生き物はない。

自身の活動の妨げとなるそれを好んで受ける馬鹿も存在しない。

そう思っていた。それが当たり前だと。
覆される価値観。
自分の知らない感情にひた走る子供。

諌めても罵っても関係はない。子供の魂は自分の言葉程度に左右されない。
憑かわれでありながらも呪者の呪に逆らうことのできる魂。
………自分以外の者のために本気で怒れる心。
そんな生き物は知らない。………知らないで、生き続ける方がよかった。

目が離せなくなる。
自分の役割を忘れそうになる。
この子供の望むことこそが正しいと、錯覚させられる。

己の領分を侵さないこと。
それを当然と思っていたかつての自分が憐れむように見つめる視線に少し、苛立つけれど。

…………この目はもう、その魂を知ってしまったのだと囁いた…………………………




根底の水面



 小さく息を吐く目の前にいる仏頂面の青年を少年は睨む。
 小柄といって差し支えのない少年はその足下に眠っている子供には目もくれない。
 ただ忌々しそうに眼前の巨体を見つめた。
  窓すら閉じられ、少年の張った結界の中どれほど大声をあげても階下で眠る子供の親すら気づくことはない。
 それを承知で少年は低く重い声を奏でる。
 ………この細く幼い肢体の内から発せられるには老成された無機質な音を。
 「貴様、そこをどけ……………」
 不機嫌極まりないククリの呪者に青年は再び息を吐く。
 下らないことこの上ない。どけもなにも、自分を呼び出したのはこの少年本人であり、子供から離れることができないことも先刻承知の筈だ。
 ………にもかかわらずの、言葉。
 それが何故かわからなくもないが、決して自分のせいではない。
 健やかな寝息が自分の足元から響く。脳天気な子供は幸せそうに眠っていた。
 ………………………魔王と恐れられる青年の膝にもたれ掛かったまま。
 子供が安定を求めて擦り寄ってくれば余計に少年の視線が鋭くなる。
 馬鹿馬鹿しそうに青年は息を吐いて眼下で眠る元凶を見遣った。…………自分の膝に凭れて眠られているのだから、青年はむしろ被害者といっても差し支えはないはずなのだ。
 それでも今の微妙な自分達の関係からは少年の警戒心を呼び起こすらしい。
 妖怪たちの恐れる霊符の中でも最強の不動明王符。それを人でありながら発動させ、なおかつ魔王と称される青年を括りつけた。
 驚嘆すべき事実はそれでは終らず、符は子供を慕うかのように離れることを拒む。
 ……おかげで天を飛ぶ妖怪たる青年は地に括りつけられてしまったのだけれど。
 それ以来夜毎こうして外に出されては符を剥がせないかと三人で騒ぐが、結局今日のように疲れた子供が眠ってしまい残された自分達は沈黙で会話している。
 あまりに無防備な子供は自分達を恐れない。
 指先ひとつで命を狩ることのできる青年も、命は奪わなくとも傷つけることに躊躇いのない少年も、恐れることがない。
 何も考えていない子供は純粋に友人だとでも思っているのだろうか…………?
 少しだけ軌道がずれて交わってしまった自分達三人の道は、それでも必ず分かつことになるのだ。
 そのとき命の保証など誰もしてはくれないというのに………………
 もっとも子供に囁いたところでそんなことは関係ないと一蹴されるのがオチだろうとは思うけれど。
 妖怪にすら示される優しさ。命すら賭ける愚かしい人助け。
 それでもその力だけはずば抜けている。底知れないなにかを秘めた子供。
 もしこの子供を青年が取り込んだとしたなら、どれほどの災厄を引き出せるだろうか…………?
 白眉の顔に使命感を乗せたまま少年は青年を睨んで動かない。
 真剣な眼差し。……子供に手を向けたならその瞬間に呪を発動させそうなほどに。
 わかって、いるのだろうか。
 …………それが使命感故ではないことを。
 もしも本当にこの符だけが欲しいなら静流のいうように皮膚を剥がせばいい。何も殺さなくとも風刃を使って皮膚一枚切り落とさせればいいのだ。
 血に濡れるのは子供の身体であり、子供の腕。ククリの呪者は直に手を下すことはない。
 それでも躊躇っている。
 もしもそれを行なって……この子供に拒絶の視線を向けられたなら………
 たかが一人の人間で、自分達にはたいした価値もないはずなのに。
 それなのに…………
 「あのな………この餓鬼が勝手にくっついてんだよ。…………大体俺はこれ以上こいつから離れられねぇんだろ」
 囁く声のあまりの穏やかさに自分でも苦笑する。
 ククリの呪者を……妖怪の敵を前にして吐き出される音にしてはあまりにやわらかい。
 子供の頭を乱暴にかき混ぜる指先の力も優しくて、少年は視線を逸らす。
 見つけて…しまっただけ。………それはお互いに。
 向こう見ずな魂は恐れるという言葉を知らない。
 守られてきた子供のくせに、守る意味を知った魂。
 なんの力もない身体で、それでも悪鬼を前に戦(おのの)くこともなく差し伸べられた腕。
 もしもあのときこの飛天夜叉王に出会った子供が恐れて逃げ出したなら少年は今この世に存在していなかったはずなのだ。
 ………助けられた。子供は意識にすら残していないあの出来事は、命を救う行為だった。
 樹に叩き付けられて全身痛いくせに笑っていた。
 なんてことはないようにいつもと変わらない馬鹿みたいに幼い笑みで。
 愚かだと驚嘆する。
 自分達程度の身体なら片手で握り潰せる……そんな化け物に何の知識もなく立ち向かえる勇敢な子供。
 剥がせなくなった、視線。傍にいなくてはいけないことをそれでも自分は嫌だとは思わなくなってしまった。
 まっすぐ自分を写す瞳。何の含みもなく揺るぎなく晒されるそれは初めてだった。
 幼子のように純一な視線に触れることはどこかが温かく感じるのだ。
 言葉には書き換えられない感情。………その感覚。
 それをこの青年も知っている。だからこそ、敢えて口にしない言葉があるのだ。
 もしも子供を壊してもいいと互いに思っていたなら、必ずのぼる言葉。
 符が張り付いているのはほんの薄皮一枚。魔王たる青年の力を有した子供の手で切り裂けばいい。
 それがおそらくはいま唯一可能であり、もっとも互いに自由になれる確率の高い法。
 別に痛いわけがない。……子供は自分の腕を噛み切ろうとさえした。その掌を貫かれても泣かなかった。
 だから大丈夫だと、言い訳のように考えても唇は動かない。
 安らかな寝息が室内に響く。自分達がそんなことを考えたことがあるなど、夢にも思わない無防備さ。
 乱暴な青年の指先に気づいたのか、微かに眉が動く。それでもどかない腕に億劫げに子供の小さな指が持ち上がりそれを掴んだ。
 微かな睫の震えのあと、ゆっくりと子供が目をあける。眼前にいるのは横になった少年。………自分が横になっているのだと気づかない思考のまま、不思議そうに子供は少年に声をかける。
 「……ミッチー……なんで横に浮いてんだぁ…………?」
 奇妙な言葉に少年は勿論、青年も一瞬頭を悩ませる。すぐに寝ぼけている子供の思考回路に想像が追いつき、同時に溜め息が零れた。
 こんな子供に括られていることも捕われていることも信じ難い。
 それでも、何故伸ばす腕があるのだろうか……………?
 「下らないことを言っていないで寝ていろ」
 「………はぁ……?」
 眠そうな眼のままぼんやりした返事が返される。
 どうせいま言っている言葉も理解していないに決まっている。
 仕方なさそうに息を吐いた少年は立ち上がると、ベッドにかかっていた毛布を剥いで子供の身体に乱暴にかける。
 見上げてくる視線は一対。幼い子供のものではなく、鋭利な青年のそれ。
 問うようなそれに瞼を落とした少年は子供に囁きかける。
 やわらかく広がる優しい旋律は、先程まで発されていた音と同じなのか耳を疑いたくなるほどだったけれど………………
 「………………貴様は僕の憑かわれだ」
 子供の口元まで覆った毛布の先、もう眠りに誘われたらしい子供の瞳は閉じられている。
 青年の指先の溶けた髪を奪うように軽く引く細い指先は持ち上げられた子供の腕に触れてやわらかく掴む。
 自分の憑かわれだから、所有物なのだから。
 ……………だから、守ってもいいのだと言い聞かせるような少年の仕種。
 愛しげに笑む口元に自覚さえない哀れな呪者。
 眠る子供は気づくことはない。だからこそ晒されるのかしらないけれど。
 ククリの呪者さえ括りつける魂は、いかほどの価値か。
 深い眠りに陥っている子供にもう暫く膝を貸すことにして、青年はその額にある符に触れようと指を伸ばす。
 剥がれて欲しいのか、このままでいたいのかわからない指先は触れるギリギリの処で諦めるように落ちたけれど…………

 静謐に包まれた空間の中、ただ孤独を知る魂は日を浴びる子供のもとに寄り添った…………

 

 








………………甘い。
本当に私が書くと帝月も飛天も天馬に甘い。
感覚としてはまだ弟ができたような感じですか。
あるいはいくら追いやってもくっついてくる子犬?(笑)

天馬がかっこいいなーと思うのは腕を平気な顔で差し出せるところです。
野球のピッチャーで、プロになるのを夢見てしかもその才能があるくせに、守ろうと決めたならそれさえ躊躇わずに差し出せるから。
夢のためには不可欠なものを惜しむこともなく傷付けられるのはすごいと思います。
自分の血しかまだ浴びていないと言うのもすごいけど………(覚は別ね)

また書くかはよくわからないですが、とりあえずこんな三人が私は好きなようです。
……賛同者がいるかどうかは別だけど(笑)←いなくてもカイ爆同様勝手に進めていくことでしょう。